10. バースデーケーキ
「へ〜、晴香ちゃん、誕生日近いんだ?」
「はい! そうなんです! 1月12日なんですよ! あはは」
晴香ちゃんがいつものように明るくニコニコしながら答える。この子は佳奈ちゃんとはまた少し違った意味でかわいい子だ。佳奈ちゃんのようなシュールさは無いが、とにかくよく笑う。彼女はナップタイムにとって特別なお客である。晴香ちゃんは、ナップタイムのお客第1号であり、最古の常連。「初心を忘るべからず」。その精神を忘れないために、彼女には特別念の入ったおもてなしをする風習になっている。まあ半分は冗談なのだが。
アタシがかしこまって「あら、お机にチリが……ふっ……失礼いたしました」てなことをやると、この子はてきめん笑う。
「いやぁだ弘美さんったらも〜〜」
“ハシが転げても可笑しい年頃”というが、これはまさに本当のことだ。実際のところ、何をやっても笑う。スプーンが転げてもクスクス笑う。ポットのフタがカタリと言っただけでプッと吹き出す。お店の時計がボーンボーンボーンと打とうものなら、お腹の皮がよじれそうな勢いである。いったい何がおかしいんだか、わからないけれど。
晴香ちゃんの誕生日と聞いて、大の仲良しであるところの佳奈ちゃんがピクッと反応した。
「弘美さん、お誕生日のお祝いしましょうよ」
「そうねぇ、いいわね。最古の常連ですもの、そのくらいしてもいいわよね」
「あはははは。またぁ〜〜最古なんて言って、も〜」
また笑ってるよこの子は……まあ、これだけ気持ち良く笑われると、見ていてほんのり幸せな気分になることは確かだ。きっと彼女に惚れている少年がわんさかといることだろう。
「じゃ、晴香ちゃん、当日うちに来れる? なんか予定あるの?」
「彼氏とデートとかあるんじゃないの〜?」
佳奈ちゃんがすかさずツッコむ。
「いないですよ彼氏なんて〜〜あはははは」
「じゃ、決まり〜。お祝いね、お祝い♪」
佳奈ちゃんがすかさず言った。
「ん〜決めた!」
翌朝、アタシは決意を固めて、高木くんと佳奈ちゃんに宣言した。
「新しいブレンドを作るわ」
バイト2人にさっと緊張が走った。ついに、新しいブレンド作りが始まる。これは年に2、3回、あるかないかの神聖なる儀式なのである。
「それで、今回のコンセプトは?」
高木くんが尋ねる。
「誕生日」
アタシは答える。
「バースデー用のブレンドよ」
「わーい」
佳奈ちゃんが手を叩いて喜ぶ。高木くんは首をひねった。
「バースデーって言えば……やっぱりろうそく?」
「紅茶にろうそくか……」
アタシは大真面目にうなった。高木くんはあわてて弁解した。
「い、いや、別に“紅茶にろうそく”って言ったわけじゃなくて、ただ誕生日のイメージとしてろうそくが浮かんだだけで……」
「やってみる価値はあるわね」
アタシはキッパリと言った。紅茶をいれ、ろうそくを倉庫のすみから探してくる。ろうそくを紅茶に突っ込んで、火を灯してみる。
「部屋を暗くしたら、ちょっといい感じかも」
「いいですね〜♪」
「じゃ、肝心のお味の方は……」
1分後。
「……やっぱりやってみる価値はなかったわね」
アタシはろうそくでかき混ぜた紅茶をポット一杯、惜しげもなく流しに捨てていた。
「ひどかったぁ〜」
「高木くんから出たものだわ、やっぱり」
「だから、言ってみただけだって言ったじゃないですか」
佳奈ちゃんと高木くんはまだしかめつらをして、口直しのミントティーをすすっている。
「まあいいわ。とにかく、どんなことでもやってみないとね」
「ろうそくでかきまぜてて思ったんですけど……」
と高木くん。
「シナモンスティックをろうそくに見立てて、ケーキっぽくクリームを浮かべるくらいはできるかもしれませんね」
「ふうむ、なるほど」
とアタシはうなった。
「じゃ、却下」
「ちょっと、ちょっと」
高木くんが声をあげる。
「今、『どんなことでもやってみないと』って言ったのに、どうしていきなり却下するんですかっ」
「あ?……ああ、ごめんごめん。さっきのがあんまりヒドかったもんだから、ついうっかり」
「ひどいなぁ、もう」
ブツブツ言う高木くんを尻目に、あたしは考えてみた。
「シナモンスティックのろうそくに、クリーム。うん、高木くんから出たにしちゃいい案だわね」
「かわいいかも〜」
ニコニコしていた佳奈ちゃんが、ふと首をかしげた。
「紅茶がケーキ風なんだったら、じゃあケーキは紅茶風かなぁ?」
「それだ!」
とアタシ。
「佳奈ちゃん、できる?」
「できます! いえ、やります!」
あんた、熱血ビジネスマンじゃないんだから。
決意に燃えるアタシと佳奈ちゃんの顔を見比べて、手持ち無沙汰になった高木くんは、おずおずと言った。
「じゃあ、僕は掃除担当で……」
アタシと佳奈ちゃんは同時にツッコんだ。
「掃除はどうでもいいのよっ」
ブレンドというのは不毛な作業である。たとえばそれは、ひと山の干し草の中から、いちばん素敵なワラシベを1本掘り出せというのと同じである。まずそもそも、「素敵なワラシベってなんだよ?」ということから始めなければならない。たいていの人は、一本一本のワラシベに優劣があるなんてことは想像もできない。どういう基準でその優劣を決めるのか。次にその基準に沿ったものを探し出しつかまえるのがこれまた一苦労である。あまりに選択肢が多いのだ。どうやってそれにたどりつけばいいのか、想像もつかない。
紅茶も同じだ。まず、「バースデーにふさわしいブレンドって何よ?」というイメージをつかむことから始めなければならない。次に、どうやってそのイメージに近付けるのかが問題だ。「紅茶の違い」ってのが、普通の人にはだいたい分からない。中には、アールグレイとダージリンの見分けもつかないようなおばさんさえいるのだ。ましてや、アーマッドのダージリンとフォーションのダージリンの違いは、さらに微妙になってくる。あまりに多くて微妙な選択肢の中から、これだ、というものを見つけ出す。かといって、お客がそれをきちんと味わい分けて楽しんでくれるという保証もない。芸術的な仕事というのは、あるクオリティを越えると一般人には理解されなくなる。ほとんど自己満足の世界だ。
「佳奈ちゃん、ディルマの7番を、とってくれる?」
「ディルマのなな、ディルマのなな……」
佳奈ちゃんはつぶやきながら小走りに倉庫に取りに行く。
「はい、ディルマの7です」
「ありがと」
アタシはキッチン奥のプライベートスペースに小さな机を出して、そこでブレンドを研究していた。机の上に積まれた数々の紅茶には、バイトの二人に分かりやすいように、メーカーごとにナンバリングがしてある。ブレンドナンバーそのままの場合もあるし、こちらで勝手につけたものもある。ナップタイム独自の整理がされていて、アタシはどれが何番というのがおおよそ頭に入っている。
アタシはディルマの7番をとると、スプーンに1/3とって、ポットの中に落とした。佳奈ちゃんが黙々と、今まで追加した葉っぱをメモにとる。ポットにお湯を注ぐ。このお湯の温度もメモする。軽く蒸らす。どのくらい蒸らすかも重要なポイントだ。アタシは直感でタイミングを見切ると、さっとカップに注いで、高木くんの前にコン、と置いた。やつはそれを飲んだ。
「……」
「……」
「……紅茶ですね」
「……」
「紅茶……ですよね?」
「……ええ、紅茶よ」
「あ、やっぱり。紅茶ですよね。香りですぐわかりました」
ヤツはそれで満足したように、アタシの入魂の紅茶をすすっている。
「……それで?」
「え?」
紅茶をすすっていた高木くんは、ここで初めて動揺を見せた。
「『え?』じゃなくて。紅茶は分かってんのよ。どんな紅茶なのよ」
「え、いや……ホットの……」
「……」
「……こ、これってホットですよね?」
「そうよ、ホットの紅茶よ。それで?」
アタシの言外の圧力に負けたように、高木くんは言葉を続けた。
「ええと……その……ホットの……紅い……」
「誰が色を答えろと言ったのよっ」
アタシはため息をついた。
「佳奈ちゃんと高木くん、持ち場交代」
アタシは同じ紅茶を佳奈ちゃんのカップに注いだ。
「……どう?」
「……すごいっ。おいしいです! なんていうか……さっぱりしてて、新鮮な香りがして……弘美さん、天才ですよ! これならパーティーとかの華やいだ雰囲気にぴったり!」
アタシは高木くんをジロリと見た。
「こういう反応が期待されているの」
「はあ……でもそりゃ僕には無理だって、わかってるじゃないですか」
「まあねぇ」
「それに、ホットってとこまでは分かったんだし……あと一歩ですよ。ね?」
……あー、やる気そがれる。
「ハッピバースデー、晴香ちゃん!」
「あははは〜。もー、照れるなぁ」
頭をかきかき、晴香ちゃんがニコニコと照れている。本日は貸し切りにつき云々、の張り紙を出しておいて、夕方にさっさと店じまい。晴香ちゃんのバースデーパーティである。
「佳奈ちゃん? 最古のお客様に、ケーキとお茶をお持ちしてちょうだい」
「はぁい、まってくださいね、あと、ちょっと……」
佳奈ちゃんは妙に準備に手間取っている。高木くんが腑に落ちないといった顔で、ケーキを持ってきた。
「わぁ〜〜。すごいすごい、紅茶ケーキだ。あははは〜」
佳奈ちゃんが作った紅茶ケーキは小さな丸いボウルに入ったスポンジケーキだ。ちょこんと乗ったクリームが、ウィンナカフェのようにお澄ましして、なかなかお洒落に決まっている。
その様子を微笑ましく眺めていたアタシに、高木くんが妙な顔をして耳打ちした。
「弘美さん」
アタシと高木くんは顔を寄せてひそひそと相談する。
「何?」
「佳奈ちゃんが……紅茶の準備に妙に時間がかかってるんですよ」
アタシは何かヤな予感がした。
「だって、紅茶ったって……葉っぱはもうブレンドしてあるんだから、普通にいれてシナモンスティック指してクリーム乗せるだけでしょ?」
「だからこそ心配なんですよ」
高木くんは顔をしかめた。この子もあたしと同じ、何かヤな予感を感じているのだ。
「佳奈ちゃぁん? ……まだ?」
「はぁい、もうちょっと……今できまぁす」
佳奈ちゃんの元気な返事が返って来た。
「……もうちょっとだって」
あたしが不安な顔で高木くんにつぶやくと、それを聞いた晴香ちゃんがニコニコと言った。
「わぁ、楽しみだなぁ」
この子も佳奈ちゃんと一緒で、場の雰囲気を読むということがない。マイペースなのだ。
「お待たっせ〜〜しました! じゃじゃじゃーん」
佳奈ちゃんがそれを持って入って来た時、あたしも、高木くんも絶句した。カップに刺さった、17本のシナモンスティック。
「か、佳奈ちゃん……シナモンスティックは17本もいらないわよ……」
「えっ!?」
佳奈ちゃんは世にも驚いた顔をした。まさに驚天動地の表情である。いや、たとえ天地がひっくりかえっても、あたしにはこれほど驚いた顔はできないだろう。佳奈ちゃんは晴香ちゃんに問いただす。
「晴香ちゃん、17歳じゃなかったっけ!?」
「い、いえ、17歳ですけど……」
晴香ちゃんが、おずおずと答える。
「なあんだ、やっぱり17でいいんじゃないですか〜。弘美さんったらもー。おどかさないでくださいよ〜」
……沈黙。
ぷっと吹き出したのは晴香ちゃんだった。
「は、ははっ、あははははっ」
晴香ちゃんは大笑いを始めた。
「じゅ、じゅーなな本、じゅーななもシナモンスティックささ、さ、ささっ、ささってる紅茶なんて、はじめ、はじめてで、……ぷっ。くっくっくっ」
つられてアタシも笑った。しまいには高木くんも笑い出した。みんなでげらげら笑った。もー腹の皮がよじれるほど笑った。
佳奈ちゃんだけが。
「もー、みんな何がおかしいんですかぁ。17本でしょ? 17本なんですよね? えー。ろうそくは歳の数だけ立てるって……それは節分の豆? それとも七五三だったっけ? あれ? 歳の差だけ?」
憮然として納得いかない佳奈ちゃんの顔に、アタシたちはなお一層笑い転げたのだった。
その後、ナップタイム特製“バースデー!」は隠しメニューとして残っている。メニューには載せていないが、誕生日のお客さんにはお出しすることになっている。ただし、佳奈ちゃんがいる時にはご注意を。佳奈ちゃんに聞こえないように、そっと、アタシか高木くんに頼むのがコツだ。佳奈ちゃんは、決して決して信念を曲げようとしないからだ。
「誕生日のろうそくは、歳の数だけ。これが世界の常識です!」
……どうしてそういうトコだけこだわるんだか。
(おしまい)
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