7 「わたしのアルバイト」
わたしは、紅茶のお店でアルバイトをしています。お店の名まえはカフェ・ナップタイムです。おいしい紅茶がいっぱいあります。高木くんが毎日掃除をしているのでたいへんきれいです。
「ナップタイム」というのは「おひるねの時間」という意味だとお店の持ち主の弘美さんが教えてくれました。「それなのに朝10時から夜9時までやってるんですか」って尋ねたら、弘美さんはあははと笑って、答えてくれませんでした。弘美さんはたまにわけの分からないことを言うので困ったもんです。
弘美さんは、すごくきれいな女の人です。歳は聞いたらいけないんだって。昔(たぶん300年くらい前)はOLっていう会社に勤めていたそうです。そのOLをやめて紅茶屋さんを始めたといっていました。OLっていうのは、紅茶を外国(イギリスやインドやフォーション)から運んできて日本で売る会社だと言ってました。弘美さんが力持ちなのは、イギリスから紅茶を抱えてヒマラヤ山脈を越える仕事をしていたからかなぁ。でも私が知っているお姉さんもOLに勤めているけれど、化粧品の会社だって言ってました。たまに弘美さんはウソをつくので信用できません。きっと、私が見ぬけないと思っているんでしょう。どっこい、私はそんなに甘くはありません。えへん。
あたしがナップタイムのメニューで一番好きなのは、“メモワール”、別名“思い出紅茶”です。これは弘美さんが作ったブレンドで、いろんなものが詰まっています。高木くんもよくいろんな材料を混ぜてオリジナルブレンドを作りますが、そっちは危ないの。“思い出紅茶”はとても安全で、ほんのりラベンダーのいい香りがします。この“思い出紅茶”を飲んでいる時だけ、弘美さんはちょっと寂しそうです。他の紅茶を飲んでいるときはガッハッハって笑うんですけど。
高木くんは掃除をしているときが一番元気です。弘美さんのガッハッハと同じくらいご機嫌になります。鼻歌を歌っている時が気分最高です。掃除をしているのに眉間にしわがあったら、かなり最悪。高木くんが機嫌のいい日はなぜかお客さんが来ないので、高木くんの機嫌を見れば、その日のお客さんの数が予想できて便利です。これを私たちは「掃除すればするほど客が来ない仮説」と呼んでいます。「夕焼けのあとは晴れ」というのと同じようなもんです。弘美さんはお客さんが来なくても気にしていないフリをしてます。自分がゆっくり紅茶を飲めるから、かえってせいせいするって。ホントは寂しいクセにねぇ。かわいそうな弘美さんのために、一度高木くんを無理に怒らせてみましたが、やっぱりお客さんはあんまり増えませんでした。ちぇっ。使えないヤツ。
弘美さんは料理がたいへん苦手ですが、最近、頑張ってケーキを焼いています。なかなか頑張っていますが、たまに高木くん以上に危険なものを作るので油断できません。いまだに、磨き粉と砂糖を間違えます。砂糖がすぐ手元にあって、磨き粉はずーっと離れた棚の中に隠してあるのに、あたしがふと見ると、いつの間にかそれを手に持って、入れようとしているのに出くわすんです。
「弘美さん、それ、違う!」
わたしが慌てて止めると、弘美さんはハッとしたように手を止めて、しげしげと磨き粉の袋を眺めます。それからたった一言、
「まあ」
と言います。紅茶に砂糖を入れるときは間違えないくせにねぇ。あたしと高木くんで、弘美さんが絶対に分からないような場所に隠したり、鍵をかけた戸棚にしまっておいても、ケーキを作る時になると弘美さんの手には磨き粉が出現します。不思議不思議。まるで手品みたいです。わざとやっているのかなぁと思っていたのですが、一回など弘美さん自身が磨き粉入りケーキを思いっきり食べてしまったことがあるので、どうも本気らしいです。それともあれは捨て身のギャグかなぁ。
私はこのバイトのおかげで紅茶に詳しくなりました。今なら、大まかな種類なら、だいたい飲み分けができます。紅茶会社の名前まではまだちょっと分かりません。弘美さんは、匂いをかいだだけでも、葉っぱの種類、ブレンド、会社の名前、葉っぱを育てた農場の名前、その葉っぱが取れた年、その年のその地方のお天気、育てた人の名前、その人に何人子供がいるか、奥さんとの仲はいいか、年収がどのくらいか、生まれた場所はどこか、お父さんお母さんを敬っているか、子供の頃ネコを飼っていたかどうか、そのネコのヒゲが何センチだったかまで、全部分かるんですって。弘美さんは、本当にすごいなぁと思います。いつか私も、そのくらいになりたいです。今、そのための練習として、お料理学校で出された魚の名前、何尾子供がいるか、奥さん魚との仲がいいか、年収がどのくらいか、当てる練習をしています。でも、その魚が子供の頃ネコを飼っていたかどうかまでは、ちょっと分かりません。私もまだまだ修行が足りないな。
こんなふうなバイトはとても楽しいです。みなさんも、カフェ・ナップタイムにお越し下さい。営業時間は10時から夜9時までです。お待ちしております。
「ガッハッハねぇ……」
アタシはため息をついた。高木くんは、アタシが読み終わった原稿用紙を受けとって、神妙な顔をして読んでいるトコロだ。
「ね、上手に書けていると思いません?」
佳奈ちゃんは、ニコニコしながら、誉められるのを待っている。アタシはノロノロと誉め言葉をつむぎ出した。
「たしかに素敵よ……なんかところどころ、ちょっと大げさなような気はするんだけど……」
紅茶を飲んで、農場主が子供の頃飼ってたネコのヒゲの長さが分かる、ってのは、一体どういう仕組みなんだろう? ネコのヒゲが13センチだと、紅茶の味が渋くなる、とか?
「えー。そんなことありませんよ。私の文章は、真実の追究がモットーなんですよ」
えへん。と佳奈ちゃんは悪びれる様子もない。それはともかく、アタシはもう一つ、ちょっと気になることがあった。
「ねえ、佳奈ちゃん? これって、弟さんのために書いたのよね?」
佳奈ちゃんは、うん、とうなづいた。
「章吾くんがね。忙しくて、どうしても宿題の作文が間に合わないから、代わりに書いてくれって」
「章吾くんって……小学生だっけ?」
佳奈ちゃんは目を丸くした。
「章吾くん、こないだ、お店に遊びに来たじゃないですか。高校3年生ですよ?……小学生っぽかったですか」
「そうよね、やっぱりあれが章吾くんだったわよねぇ……」
小学生どころではない。章吾くんは、佳奈ちゃんに似ず、むちゃ普通の、しっかりして真面目な男の子だった。……しかしどうひっくり返してみても、これは高校3年生の、男の子が書いた文章ではない。
「えーと……佳奈ちゃん?」
「はい?」
「あのね。この作文はよくできてるんだけど、佳奈ちゃんが書いたのがバレると、章吾くん困るんじゃないかしら?」
佳奈ちゃんはアタシの言う意味がわからずに首をかしげたが、それからポンッと手を叩くと、ケラケラ笑い出した。それから、チッチッチッ、と指を振った。まるで“分かってないなぁ、キミは”って感じのキザな仕種だ。
「やだなぁ。弘美さんったら。アタシが章吾くんの先生に提出するわけじゃないんですよ。章吾くんが書いた、ってことにするんです」
やっぱり根本的な問題が分かってないらしい。
「で、でも、これじゃやっぱりバレちゃうんじゃないかなぁ?」
「いいですか、弘美さん。学校の先生がアタシのこと知ってるわけないじゃないですか。ね? 大丈夫ですよ、そんなに心配しなくても。弘美さんったら、真面目なんだから」
「いや……でも、ほら、字が佳奈ちゃんの字だし」
「でも先生はアタシの字なんて見たことないんですよ。まだ分かってないんだなぁ、弘美さんったら……」
「いや……あのね、先生は、佳奈ちゃんの文字は知らなくても、章吾くんの文字は知ってるわけでしょ?」
「え? でも、これはアタシが書いたんだから、章吾くんの字じゃなくて当然じゃないですか」
「そうじゃなくてね……」
アタシはため息をついた。佳奈ちゃんの頭の中は、どうやってだか知らないが、この状況に完全に満足しているらしい。読み終わった高木君が助太刀に入った。
「……ねえ、佳奈ちゃん、章吾くんの高校って、バイト禁止なんじゃないの?」
「うん、多分そうだけど……」
「じゃ、アルバイトの話はマズイんじゃないかな?」
「でも、章吾くん、アルバイトはしてませんよ?」
「だって、これにはそう書いてあるよ?」
「え? ナップタイムでバイトしてるのはアタシだよ……?」
「だ〜〜〜」
アタシと高木くんは同時にテーブルにつっぷした。しばらくそのまま。よろよろとアタシが顔を上げると、佳奈ちゃんが不思議そうな顔をしている。
「どうしたんですか? 二人とも……」
アタシは、ポツリと言った。
「これって、提出締め切りいつなの?」
「明日なんですって」
嗚呼……明日か……。アタシは言った。
「佳奈ちゃん……今日はもうバイト上がらない?」
「は?」
「そうよ、そうしましょう! 今日はもうお客さんもあまり来ないと思うし……早く帰って、その作文を章吾くんに見せてあげた方がいいと思うなぁ」
高木くんも、後押しした。
「そうそう。よく書けているから、早く見せてあげなよ」
「そ、そうですか? いや〜ん。そんなに誉められたら、照れちゃうな〜」
「さ、そうと決まったら早く早く」
アタシは佳奈ちゃんをせかして、帰り支度をさせた。
「じゃ、お先に失礼しますね〜」
「寄り道しないで、できるだけ早く帰って、章吾くんに早く作文を見せるんだよ〜」
佳奈ちゃんを送り出すと、アタシと高木くんは顔を見合わせてため息をついた。
「章吾くん……明日までに書き直すの、間に合いますかね……」
「人事は尽くしたわ……あとは天命に任せましょう……」
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