4 器を買いに
「あ、あ〜っ」
ガチャン、ガシャ、ガチャ、ガチャン! チン。
キッチンから聞こえて来た音に、アタシはため息をついた。佳奈ちゃんは料理人としてはかなり有能な方なのにもかかわらず、皿を結構よく落とすタイプだ。毎週というほどでもないが、まあまあの頻度でやる。しかも、今日のはちょっと音がデカかった。幸い、今はたまたまお客がひとりもいない。
「弘美さ〜ん、ごめんなさぁい」
半べそをかきながら、佳奈ちゃんがキッチンから出てきた。高木くんがキッチンをのぞき込んで悲鳴を上げた。
「うわ。佳奈ちゃん……これ、いくつあるの?」
「多分、5つくらい……」
佳奈ちゃんは消え入りそうな声で答える。高木くんが今までに落とした数全部合わせても5つくらいだ。もっとも、佳奈ちゃんのおかげで増えた利益を全部合わせたら、安いグラスの10や20、すぐに買えてしまうのだが……。
「すみません、弁償します」
「いいのよ、佳奈ちゃん」
ちょうどお金のことを考えていたアタシは、あわてて言った。
「別に高いグラスじゃないし」
「でもぉ……」
「いいの。佳奈ちゃんよくやってくれてるから、グラスの10や20ぱぁっと割っちゃってよ」
景気のいい冗談を言うアタシを尻目に、いそいそと高木くんが片づけを始める。心なしか嬉しそうだ。最近あまりに佳奈ちゃんが人気で、自分の存在意義に疑問を感じているらしい。いいんだ、あんたは掃除さえしてくれれば。
アタシはキッチンに入って、惨状を眺めた。
「そろそろグラスの数が減ってきたわねぇ……」
ぽろっとアタシが口にした言葉に、佳奈ちゃんがぎくっとする。あたしはあわててフォローした。
「あ、いや、そういう意味じゃなくて。グラスってどうせ減って行くもんなのよ。お客さんが割っちゃう分もあるし、そろそろ補充しようかと思っていたの」
「じゃ、あたしがお金出しますから……」
「もー気にしなくていいってば」
アタシがそう言った時、誰かがひょいっ、とキッチンをのぞき込んだ。
「あちゃ〜。派手にやったわね」
「わ、樫山さん?」
「みんないるじゃないの。どーしてあたしの時は誰も『いらっしゃいませ〜』って言ってくれないわけ?」
アタシと佳奈ちゃんは顔を見合わせた。
「佳奈ちゃん、ドアの音、聞こえた?」
「えー? 聞こえませんでしたぁ」
「もーひどいわねぇ……」
彼女はぶつぶつ言いながら、かばんから何かを取り出してアタシに渡した。
「ちょうどいいや。はいこれ」
「何? 何のチラシ?」
「こないだ取材で行った、食器の直販工場。もちろん普通の食器屋さんにも卸しているんだけど、その工場に行くとその場で売ってくれるわけよ」
「ああ、よく観光地にあるみたいなの」
「そうそう。そういうヤツ。ていうか、これも観光地にあるの」
樫山さんはご丁寧に佳奈ちゃんにも1枚渡して、説明を続けた。
「観光地は観光地なんだけど、立地が悪くって、あんまり人が来ないんだって。ちょうどいいから、行ってあげてくれない? 取材の時すごく親切にしてもらったの」
「うーん、そうねぇ」
たしかに工場直販というのは魅力だ。安そうだし、同じ食器を大量に仕入れることができるしなぁ。ただ、お店がある以上、できれば泊まりがけは避けたい。
「ここ、日帰りできるかなぁ」
「余裕余裕」
樫山さんはVサインだ。だまされてはいけない。彼女は“音速の女”と異名を持つ人だ。「前に障害さえなければアクセルを踏む」という方針で運転するお人なのである。車だって、むちゃくちゃ高いヤツに乗っていたはずだ。アタシのドライビングテクニックとうちのご家庭用中古乗用車では、ふたまわりくらいスピードが違う。
「まあ……ちょっとキツイけど日帰りで行ってみるかな」
「あっ、あたしも行きたい〜」
「僕も行きたいです〜」
はしゃぐバイト二人を横目で見ながら、アタシは言った。
「じゃ、研修旅行って名目で、一日お店閉めていきますか」
「やった〜」
こんなのも、たまにはいっか。
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『ナップタイム』は月2度くらいお休みにする。不定期だけど、高木くんや佳奈ちゃんの都合と照らし合わせて、毎月初めには張り出すようにしているのだ。ちょうど月初めだったので、3人とも空けられる日を決めて張り出しておいた。当日はお店で佳奈ちゃんと集合し、うちの車で出発。途中にある高木くんの家に寄って拾っていくということにした。
当日早朝。いい天気だ。朝特有のひんやりした空気が気持ちいい。アタシがモーニングティーを飲みながら店で待っていると、佳奈ちゃんが走ってやってきた。
「すみません〜ちょっと遅れちゃって」
「大丈夫大丈夫。高木くんちまで、ちょっぴり余裕とってあるからさ」
あたしはそう言って、手早くティーセットを片付けた。それにしても、佳奈ちゃんの荷物はかなりデカい。
「佳奈ちゃん、分かってる? 今日は日帰りよ? 何持ってきたの?」
「え、水筒とか、トランプと、歯ブラシとか……」
「……日帰りなんだってば」
分かってるのかな、この子は。
「あと枕が変わると眠れないので、枕も」
分かってないな……。
社内で使う物を残してあとの大半をトランクに放りこんでしまうと、二人で車に乗り込む。
「じゃ、出発進行〜」
佳奈ちゃんの号令であたしは車をスタートさせた。ところが車庫を出た途端、佳奈ちゃんが声をあげた。
「あれ、樫山さんじゃないですか?」
「ほぇ?」
佳奈ちゃんが指差す方を見ると、樫山さんが走ってくるところだった。
「あ、間に合った〜」
彼女は開いている窓から手をつっこんで後ろのドアのロックを外すと、さっさと後部座席に乗りこんだ。呆気にとられているアタシと佳奈ちゃんに気付いて、樫山さんが言う。
「ん? あたしの顔に何かついてる?」
「樫山さんも……来るの?」
「え〜、チラシ渡した時、あたしも行くって言ったじゃ〜ん。弘美さんてば、忘れてたのぉ? ひどいな〜。せっかく仕事空けたのに。ねぇ、佳奈ちゃん」
一瞬の間。
「え、ええ、そうですよぉ。弘美さんったら、聞いてなかったんですか。あはははは」
だったら、さっきの「出発進行〜」は何なんだ、と思ったが、まあ佳奈ちゃんにツッコミ入れてもしょうがない。樫山さんて、見かけによらず影が薄い人なのかもしれない。目立つ美人なのに……。
「じゃ、今度こそ」
「出発進行〜」
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高木くんの家は結構『ナップタイム』からは遠い。その代わり、高木くんの通う美大から近いので、それでうちにバイトに来たらしい。
「あ、その角を右ですぅ」
「ダメだわ。ここも一方通行」
「え〜。じゃ八方ふさがりですよ〜。そこ入ればすぐなのに〜」
入り組んだ道にはばまれて、あたしたちはもう50分もぐるぐるとここいらを走りまわっていた。
「あたし、ひとっ走りして高木くん呼んでくるわ」
「ん〜、その方がいいみたい。樫山さんお願い〜」
樫山さんがさっとドアを開けて駆けていった。あたしは車を脇に寄せて止めた。しばらく待つと、高木くんを連れて樫山さんが戻ってきた。
「高木くんちって、美術評論の先生の家だったのね。あたし、取材で来たことあるわ、高木くんち」
「え、そうなの? でも来たことあるにしては道全然知らなかったじゃないの〜」
あたしの恨みがましい目つきに、樫山さんはあわてて弁解する。
「その時、あたし徹夜明けの取材だったから、車の中で気絶してたのよ。カメラマンに運転してもらって、着きましたよって。帰りはもう暗かったし」
そんな状態でも取材をこなすから恐ろしい人だ。
「すごい家なのよぉ。ね、高木くん」
「いや、まあ田舎ですし」
「田舎だからってそうそうあんな家には住めないわよ。庭にびっくりハウスなんて、そうそうないでしょ」
どういう家だ? 首をひねるあたしをよそに、佳奈ちゃんが目を輝かせて尋ねた。
「じゃ、お手伝いさんとかもいるんですかぁ?
「そりゃもぉ当然でしょ。ね? あたしを出迎えてくれた人、感じのいい人だったわね」
「あ、菱田さんのことですか? あの人、掃除がすごく上手なんですよ」
……あんたはホントそればっかだな。
「じゃ、全員そろったところで、出発進行〜」
本日3回目の佳奈ちゃんの号令で、やっとあたしたちは本格的に出発した。
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「ご到着〜」
目的の工場へは意外と早く着いた。まだ午後になったばかりだ。名所も何もない土地だからだろうか、思ったより道がすいていた。
「もっと早く着けたのに……」
樫山さんは大変不満そうだ。道中「踏め踏め」と主張する樫山さんと「速すぎ速すぎ! ブレーキ〜〜!」と叫ぶ佳奈ちゃんとでアタシはおかしくなりそうだった。樫山さんの言うとおりにすると時速160キロを軽く超えることになる。かといって、佳奈ちゃんの言うとおりにすると、高速道路でも時速40キロも出せないのだ。どっちも実現不可能なレベルであるという意味では大差ない。やはり被害を被った高木くんが「これがホントのdrive me crazy」とかなんとかブツブツ言っている。帰りは高木くんを助手席にしよう。いや、高木くんはあたしの後ろの席かな。背後から樫山さんに囁かれるのも、座席を揺るがす佳奈ちゃんの絶叫を体感しながら走るのも、どっちもヤだから。ともあれ我々は中に入って、器を物色した。
「わぁ〜〜」
歓声を上げて走り出したのは佳奈ちゃんである。店内には、色とりどりの器が並べられて、にぎやかな雰囲気をかもし出していたのだ。アタシは佳奈ちゃんが何かにけつまづいて器を割るんじゃないかとヒヤヒヤした。さすがにこんな場所で転ばれたりしたら、10や20で済まない。高木くんは何か見つけたのか、ずっと奥の方にいる。何かと思ったら、美しい絵皿の前に立って、熱心に絵柄を見ているのだ。掃除に狂っていてもやはり美大生だなぁ……と、思ったら、人差し指で皿をぬぐって、顔をしかめている。ホコリがたまっていたらしい。嫁イビリをするタイプだ。
「結構いい器がたくさんあるじゃない」
アタシが感心しながら言うと、樫山さんがうなずいた。
「ここの工場長さん、自分で陶芸もする人なんだって。だからじゃないかな」
「ホントに器が好きなのねぇ……」
器のことなんかよくわからんが、ここに並べられている品々はなんとなく趣味がいい。あたしが目移りしていると、作業服を着た初老のおじさんが通りかかった。
「あ、遠藤さん」
樫山さんが声をかける。どうやらこれがその工場長さんらしい。
「先日取材でお邪魔した樫山です。そのせつはどうもありがとうございました」
「あ、これはこれは……今日は?」
「客を連れてきました。こちら、喫茶店を経営している須藤さんです。器を買いたいというので」
「はじめまして。いい器がたくさんあって、迷っていたトコなんですよ」
「ははは、どうぞごゆっくり選んでください。リストにしておいてくだされば、あとでまとめてお送りしますよ」
「あ、いえ。車に積んで帰ります」
あたしたちがそんな話をしていると、佳奈ちゃんがアタシを呼んだ。
「弘美さん弘美さん。陶芸の体験教室があるんですって。やりません?」
「あ、そういうのもやってるんですか?」
「ええ、まあありふれたものですけど、何かやっておかないと、観光客向けにね」
笑いながら、遠藤さんが土を用意してくれて、あたしと、佳奈ちゃんと高木くんが作ることになった。黙々と作業すること20分。遠藤さんがあちこちアドバイスしてくれる。
「高木くんの、ヘン〜」
佳奈ちゃんが吹き出した。高木くんのはなんだかずんどうで、どうもあんまり美的な感じがしない。
「うるさいな〜。造形は専門外なんだから、仕方ないでしょ」
どうも本人も気にしているらしく、ブツブツ言いながらあちこちいじっている。佳奈ちゃんのはちっちゃなカップで、ホントに同じ量の土を使ったのかと思うくらい小さい。
「頑張って小さくしたんですよ」
胸を張って自慢する佳奈ちゃん。どう頑張ったんだろう? ちなみにあたしのは普通の大きさの湯のみで、一番手がかかっていない。ホントはおしゃれなティーカップを作りたかったのだが、それは無理だとわかっていた。どうせアタシは美術2なのだ。
「焼き上げて、2週間くらいでお送りしますよ」
遠藤さんはそう言って、あたしたちの作品を大切にしまってくれた。
結局あたしたちはその後、大量のお皿を買いこんで帰った。帰りは、来た時の半分も時間がかからなかった。……うっかり樫山さんにキーを渡してしまったアタシが悪い。佳奈ちゃんの叫びで耳がキンキンして、2、3日はろくろく眠れなかった。高木くんも同じに違いない。
数日後、アタシたちの焼いた器が宅急便で届いた。
「あれ、こんなに小さかったっけ?」
佳奈ちゃんの焼いた小さな器は、焼いたらなんだかさらに縮んだらしく、デミタスカップか、下手するとミルクピッチャーみたいな感じになってしまった。アタシのと同じ土の量だとは信じられないくらいだ。アタシのはまったくふつうの湯のみである。たまぁに、日本茶を飲むときに重宝している。
しかし一番アタシたちをびっくりさせたのは、高木くんの湯のみだ。あのずんどうの、不恰好でちんちくりんな湯のみが、大変洗練された形の、シブい湯のみとなって登場したのである。指の跡までが、にぎりやすい形で指にフィットする逸品。高木くんはもう得意満面だ。
「んー。まあ、ほら、造形が苦手とは言っても、やっぱり美大生ですから。はは。いやぁ、偶然みたいなもんですよ。僕もこれを自分で焼いたなんて、信じられないなぁ、ホント」
あんまり、あんまり彼が嬉しそうなので、アタシと佳奈ちゃんはついに、告げることができなかった。翌日になって、アタシのトコに郵便で届いた遠藤さんの手紙のことを。
「高木さんの器が、当方の取り扱いのミスで割れてしまいました。おわびに私、遠藤が作りました器をお送りしますので、どうぞご容赦ください。本当に申し訳ありません」
そう、自分で焼いたような気がしないのも当然だ。あれは遠藤さんが焼いた湯のみなのだ。高木くんがそれに気付くのはいつの日か……。
「いやぁ、本格的に陶芸始めようかなぁ。ははは」
やめとけやめとけ。
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