2 佳奈ちゃん

 アタシがバイト(高木くん)を雇ったのは、アタシの仕事が楽になるように、と考えてのことであって、その逆ではない。


 疫病神の高木くんを雇ったおかげで確かに仕事は楽になったのだが、それは単に客が来なくなるだけで、それじゃちょっと困る。しかも、高木くんがいない時に限って客が多いわけで、つまり必要な時には高木くんはいないのだ。結論、高木くんは、あんましアタシの手伝いになってない……まあ、掃除は別にして、ね。


 そんなわけで、彼が疫病神だという動かしがたい事実を受け入れてしまうと、アタシはすぐさま、決断した。もう一人、別のバイトを雇おうというわけである。高木くんと入れ替わりに来てくれるような人がいい。忙しい時間をアタシと一緒に共有してくれる人が欲しいのだ。そこでアタシは、すぐさまお店のテーブルにB5のコピー用紙と黒のサインペンを持ってきて、チラシを書いた。


バイト募集!

仕事内容:喫茶店経営の手伝い

時給:1000円くらい〜

時間帯など:相談に応じて

履歴書を持参の上、面接

カフェ・ナップタイム


 これだけ書いて、アタシは出来栄えを確かめた。うん、完璧。すると、ちょうど高木くんがフロアに入って来て、チラシをのぞきこんだ。


「バイト雇うんですか?」

「うん。高木くんが忙しくなった分を埋めてもらおうかと思って」

「そんなに忙しいんだったら、別に清掃の方は断っても……」


言いかける高木くんを、あわててアタシは押しとどめた。アンタが毎日来ても、それはそれで困るんだなぁ。


「いいのいいの。あっちはあっちで高木くんを必要としてるんだから。まあ、前からもう一人くらい増やそうと思っていたのよ。いいでしょ?」

「ええ、そりゃ構いませんよ」


高木くんはそのチラシを見て、ちょっと頭をかいた。何か言いたそうだ。


「チラシ、僕がかきましょうか?」

「え?」

「これだけじゃ、ちょっと寂しいし……」


高木くんはコピー用紙に黒い文字のチラシを見て、ため息をついた。どーせアタシは美術の成績2だったわよ。アタシの8色のサインペンセットを貸してやると、きらびやかな、イラスト入りの、さっきのとは似ても似つかないカッコいいチラシができあがった。


「上手ねぇ」

「一応美大生なんですってば」


ホント、器用な男だ。疫病神でなけりゃ重宝するんだけどなぁ。アタシはそれをテープでドアの近くの目立つトコロに貼り付けた。高木くんがニコニコと言った。


「掃除の上手な人が来るといいですねぇ……」


アタシは黙って、サインペンでチラシに付け加えた。

“掃除の上手な人、お断り!”



 応募が来たのは、3日たった時だった。ちょうど高木くんがバイトに来ている時間で、ということはつまり、客は一人もいなかった。それで、店に入ってきた女の子と高木くんが何か話していたと思ったら、アタシを呼んだのだ。


「弘美さん」


あたしは振り返った。高木くんのそばに立っているのは、色白で、小柄なかわいい女の子だ。整った顔をしている。


「バイトのチラシ、見て来たんですって」

「あ……じゃ、ちょっとこっち来て座って」


アタシは彼女に店の隅っこの席を示して向かい合わせで座ると、高木くんにお茶の準備を頼んだ。


 ホント、近くで見てもやっぱりかわいい。男の子が放っておかないような感じをしている。何か小さな楽器ケースのようなものを床にトン、と置くと、ちょこんと椅子に腰掛けた。うーん。男性の集客が見込めるな、この子。下手をすると、女性の集客だって見込めそうだ。


「えーと、名前、なんて言うの?」

「上田佳奈です」


なんて小さな声。蚊の鳴くような声だ。どうやら人見知りするタイプらしい。集客は見込めるけど、ちょっと接客業はどうかなぁ……。


「佳奈ちゃんか。で、履歴書、持って来てくれた?」

「あ、はい」


小さなかばんから折り畳んだ履歴書を取りだしてアタシに渡しながら


「掃除、下手なんで、雇ってもらえるかなぁ、と思って……」

「そう! それはいいわね。アタシと気が合うってことだわ」


これ以上掃除するヤツが増えてたまるか。佳奈ちゃんは真顔でうなずき、それから心配そうに付け足した。


「でも、汚水貯めみたいなトコはちょっと苦手なんですけど、それでも大丈夫でしょうか?」


……この店が汚水貯めに見えるのか?


 ちょうど、高木くんがお茶を運んできた。前にも言ったと思うが、アタシは、紅茶を飲む人の気持ちがだいたい分かる。超能力みたいなもんだ。そこで、面接の前に彼女に紅茶を勧めて、ちょっと情報を得ようというわけである。アタシは彼女にも飲むように勧めて、自分の分にちょっと口をつけた。


 ん〜アッサムだ。高木くんは、アタシにお茶を入れる時はアッサムとかダージリンとか、文句のつけようのない定番しか入れない。凝ったブレンドを入れると、アタシがこれは朝っぱらから飲むお茶じゃないとか、こんな入れ方をするヤツがあるかとか、いといろウルサイのを経験で学んだからだ。もちろんアッサムだってダージリンだっていろいろあるのだが、最近ではもうアタシは諦めている。彼は器用で掃除上手だが、イマイチ味の分からないヤツなのである。おっと、彼女の様子を見るんだった。


 目の前の彼女はカップを両手でかかえるようにして持っている。意外と緊張してないな、と思った。なんか声が小さいのは地声なんだな。何回か、うちの店に来たことがあるようだ。うちのお店が結構気に入っているらしい。アタシの頭には、そんなことが浮かんだ。面接の予備知識としては十分かな。


 彼女は紅茶に口をつけて、びっくりしたように目を真ん丸にした。か、かわいい。絶対集客アップ間違いなしだ。


「おいしいですねぇ」

「どれどれ……」


アタシはちょっと飲ませてもらった。げ、ファーストフラッシュ。よりによって、一番高いヤツじゃんか。くそ、かわいい子だと思っていいのを選んだな?


 ちょうどケーキを運んで来た高木くんをにらみつけてやると、高木くんは


(どれでも好きなお茶入れろって言ったじゃないすか)


という目でアタシを見た。むか。かわいくない。あとで掃除禁止の刑にしてやる。これがヤツには一番効くのだ。


 アタシはむかっ腹を立てながら、ケーキをすくってほお張った。これはいつも業者から仕入れているスポンジケーキで、別にどうってことは……。


「これ!」


突然目の前の彼女が大声を上げたので、アタシはびっくりした。キッチンに引っ込もうとしていた高木くんが、びくっとして振り返った。佳奈ちゃんは、ケーキを一口食べたそのフォークで、ぴしっとケーキを指さした。犯罪者を告発する検事のようなその仕草に、アタシは椅子に座ったまま硬直し、3メートル離れて立っていた高木くんまで背筋を伸ばして直立不動の姿勢で固まった。


「これ、たまご多すぎませんかっ!」


さっきまでの人見知りはどこへやら、彼女は大きな声でそう訴えたのである。食ってかからんばかりの勢いだ。まあ、ケーキだから食っていいんだけどさ……。


「ちょ、ちょっと待って」


アタシは彼女の分を一口試した。いや、普通だ。アタシの食べてるのと同じだ。


「高木くん、ちょっと」


アタシは高木くんを呼んで、一口食わせてみた。ヤツはもぐもぐやって、不用心な一言を吐いた。


「おいしいじゃないですか」


がんっ、と音がして彼女が立ち上がり、座っていたアタシはまたびくっと硬直した。高木くんなんか、短く


「ひっ」


と声を上げたくらいだ。これについて「情けない」とは言えない。誰だって言えないはずだ。実際、アタシだって心の中で「ひぇ」と言った。雷鳴のように、宣告が下った。


「たまごが多すぎます! 砂糖も!」


アタシは、緊張感に耐えられず視線を落とした。ちょうど、彼女の履歴書と目が合った。


「料理学校?」


履歴書の文字を見て、アタシはとんきょうな声をあげた。


「あ、はい」


彼女はストン、と座って、コクンとうなずいた。ほこ先のそれた高木くんが、ホッと胸をなで下ろした。この貸しはデカいよ、高木くん。


「料理学校、通ってるの?」

「はい。お料理、好きなんです」


佳奈ちゃんはニコニコと言った。それで味にうるさいのか……いや待てよ?


「じゃ、ケーキとか作れるの?」

「ええ、いろいろ……」

「オーブン使って焼くわけでしょ?」

「はい」


彼女はまたコクンとうなずいた。


「採用」


高木くんが「え」という顔でアタシを見た。アタシはジロリとにらみ返して、言った。


「採用。ケーキ作れるんでしょ。採用」


アタシはオウムみたいに「採用」を繰り返した。アタシは常々『ナップタイム』のケーキは弱いと思っていたのだ。今の業者は一番おいしいトコを選んだのだが、やはり業者のケーキは味気ない。とはいえ、アタシは料理が苦手だ。掃除と料理が苦手なのだ。よくそれで一人暮らしできるな、って友達によく言われているのだ。特に、樫山さんにはムチャクチャ白い目で見られるのだ。彼女は何でもできる自立人だからな……。一応言っておくが、アタシだって洗濯くらいはするぞ。いや、話がそれた。


 ともかく、アタシは、良い喫茶店にはおいしいケーキが不可欠であるという持論を持っている。で、『ナップタイム』のキッチンにも、きちんとしたオーブンを設置したのだ。店舗を借りて内装をリフォームした時に、どんなケーキでも焼けるだけの設備を要求したのである。しかし、今まで誰もケーキを焼く人はいなかった。料理が出来るバイト、特にケーキを作れるバイトが来るというのは、飛んでオーブンに入る上田佳奈である。


「あ、料理学校って言っても」


と、佳奈ちゃんは思い出したように言った。


「本業は、お刺し身なんです」


一瞬の間があって、高木くんが聞き返す。


「……ってことは、シーフードケーキ?」


ンなわけ無いだろ。


「ンなわけ無いんですけどぉ」


……見かけによらず厳しいツッコミをかましながら彼女は言う。


「お刺し身作るのが本業で、ケーキは趣味なんですよ。だから包丁セットも持ってますし」


と、彼女は小さな楽器ケースのようなものを示した。


「あ、それ包丁入ってるの?」

「そうなんです。今日学校の帰りだったもんで……」


と、彼女は包丁セットを見せてくれた。すごいもんだ。こんなかわいい子が、こんだけ刃物ぞろぞろ持ってるなんて、あんまり想像できんぞ。特に「すごく上手な人に研いでもらったんで、何でもスパスパ切れるんです。耳でも指でも……」なんて。


「じゃ、採用。時間はその都度、相談しましょ。高木くんが来れない時に来てくれると嬉しいな」


アタシは心強い助っ人を得て、晴れ晴れとした気持ちで彼女の手を握った。


「はい、よろしくお願いします」


彼女はアタシの手を握り返して、にこっと笑った。か、かわいい。集客アップ間違いなし。



 こうして、佳奈ちゃんが、バイトに入ってくれることになった。それで、結局アタシの多忙は解消されたのか? 結論から言うと、答えはノーだ。


 彼女が無能だったとか言うわけではない。彼女は一見すると頼りないようだが、料理人の快活さを持ちあわせていて、仕事となるとすごくテキパキしているのだ。覚えもいい。何と言っても、味覚のセンスがいい。紅茶の銘柄も、アタシほど完璧ではないにせよ、どんどん区別できるようになっている。


 彼女のおかげでお客もどんどん増えた。彼女の笑顔のおかげで、男性客が5割増しくらいになった。たくさんの女子高生が「かわいい!」を連発し、彼女のファンになってしまった。もちろん、ホントは佳奈ちゃんの方が女子高生より年上なのだ。それどころか、佳奈ちゃんは高木くんよりも年上だった。それでもやっぱり、彼女はかわいい。男女問わず、保護欲をそそるのである。『ナップタイム』には毎日女子高生ファンが詰めかけ、アタシは一時、本気で立ち見席や2階席を作ろうかと思ったほどである。佳奈ちゃんファンクラブを作って会員優先席を設けるのも、いいな……。


 彼女のケーキのおかげで、女性客も倍増した。業者のケーキを告発するだけあって、彼女の手作りケーキはすごくおいしい。彼女のおかげで『ナップタイム』のケーキメニューは一新し、しかも日替わりケーキまで可能になった。疫病神の高木くんがいない時に来てくれることが多いので、その繁盛たるやすさまじいものである。多分、3階席まで作っても足りないだろう。きっと、整理券が追いつかない。


 そう、それが問題なのですよ。結局アタシの多忙は解消されたのか? ノー! そりゃ、佳奈ちゃんはよくやってくれてますよ。でも、以前の倍以上のお客が来るようになったので、アタシの多忙は前にも増している。


 求む! 普通のバイト!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る