Cafe Nap Time

もがみたかふみ

1 特技

「も〜、弘美さん、店が開いてっからず〜っとそこで紅茶飲んでるじゃないですか〜」


バイトの高木くんがアタシに文句を言った。


「いいじゃない、どうせお客さん来ないんだし」


うるさい高木くんをしり目に、アタシはディンブラをすすった。おいしい。この高木くんは、普段から、長居する客が嫌いなヤツなのだ。というか、掃除の邪魔だとしか思っていないらしい。


「そんなこと言って〜。店主がお茶してる喫茶店なんて聞いたことないですよ」

「高木くん、アタシは紅茶が好きでこの店やってるんだから、仕事の合間に一杯くらいいいじゃないの」

「一杯なんて言うとかわいげがありますけど、弘美さんの場合はポットに一杯でしょ」

「いいでしょ。うちはポットサービスのお店なんだから」


我ながら変な理屈だ。自分の店に金払ってるわけじゃないんだから、ポットサービスは関係ないやね。


 アタシはこの喫茶店『ナップタイム』の店主だ。高木くんはバイトだ。そのバイトがアタシに指図をしようなんて、10年早い。だいたい、お客の来ない喫茶店なんて、店主は何もすることないのだ。特にこんなシトシトと雨が降る日には、お客は来ない。午後のお茶の時間になるまで、まあほとんど来ないだろう。先月ちょっと黒字が多かったから、まあいいや。6月は雨で客足が鈍りがちだ。しょうがないのだ。


 高木くんはもはやアタシに意見するのをあきらめたのか、ごしごしとあちこち磨いている。男の子なのに、掃除が好きなのだ。珍しいヤツだ。掃除嫌いのアタシが、まさに求めていた人材だと言える。長居する客をにらむのが玉にキズである。喫茶店なんて、長居して普通でしょ。あんたの掃除のために店やってるわけじゃないっつーの。


 からんからん、と店の扉に取り付けた鐘が鳴った。見ると、こりゃ珍しい。お客さんだ。アタシは未練たらたらティーカップを手放すと、立ち上がってお客さんを迎えた。


「いらっしゃいませ」


お客さんは、40くらいの痩せた男の人だった。アタシはオーダーを高木くんに任せ、キッチンに入ってミルクティーの準備をした。オーダーをとった高木くんがキッチンに入ってきて報告する。


「弘美さん、イングリッシュ・ミルクティーひとつです……あれ、もう入れちゃったんですか?」

「多分ミルクティーが来ると思ってね。ヤマ張っといたの。はい、持ってってちょうだい」

「またずいぶん大胆なことしますね〜。もし違ってたらもったいないじゃないですか」

「そしたら、アタシが飲むわよ。でも、お茶のオーダーに関してはアタシの勘が外れたことないの」


これはホントだ。紅茶のオーダーでは、一度も勘が外れたことはない。うちの店に限らず、オーダーする人の顔を見ると何を頼むか分かっちゃうのだ。自分でも、変な特技だとは思う。


「変な特技持ってますね〜」


高木くんはホントに変な顔してミルクティーを持っていった。履歴書に趣味「掃除」、特技「掃除」と書くようなヤツにだけは、言われたくないわいっ。


 アタシはまた席に戻ると、飲みかけのディンブラをすすった。高木くんはまた掃除に精を出している。お客さんは、なんだか浮かない顔をしてミルクティーを飲んでいる。砂糖は2杯入れたみたいだ。コップの取っ手を持たずに、茶わんでもつかむような感じで飲んでいる。その割には、なかなか紅茶が減らないようだ。飲むたんびに、短いため息をついている。


 突然だが、アタシには、3つ特技がある。もちろん、掃除じゃない。1つ目は、紅茶の銘柄に関する感覚だ。どんな銘柄でも飲み分けられる。2つ目は、さっきも言った、紅茶のオーダーに関する直感だ。そして3つ目は、紅茶を飲む人の気持ちである。紅茶を飲んでいる人を見ると、なんとなく何を考えているのか分かってしまうのだ。なんか、分かっちゃうのである。このおじさん、なんか仕事の悩みあるな、なんてすぐ分かっちゃう。


 高木くんが伝票を書いておじさんのテーブルに持っていこうとしている。アタシは高木くんを呼び止め、伝票を奪い取った。ちなみに言っておくが、高木くんの文字ははっきし言って読めない。格好が付くように、一応書いてもらっているだけだ。アタシは客のオーダーを全部覚えているから、ホントは必要ないの。


 アタシは伝票を置きながら、おじさんに話しかけてみた。


「どうかしたんですか? さっきからため息ついて」

「あ、私、ため息ついてましたか?」


おじさんは、はは、と小さく笑った。


「いえね。仕事でちょっとまずいことがあったもんですから」

「どういうお仕事なんですか?」


おじさんは名刺を見せてくれた。


「要するに、いろんなところのクリーニングをする清掃業なんですけどね。ちょっとバイトの子がまとめて辞めちゃって、人手が足りないんですよ」

「は〜、なるほど」

「今の子は、3Kっていうんですか、汚れ仕事を嫌うんですねぇ。このままだと仕事をキャンセルせざるを得ないんですが……」


おじさんは小さくため息をついた。アタシは、ニコニコと言った。


「いい子、紹介しましょうか」

「え?」

「高木くん、ちょっとこっち」


アタシはキッチンから高木くんを呼んだ。よりによって、高木くんはタワシ持ってやって来た。バカ。タワシ持ってフロアに入るなって、あれほど言っとるのに。


「この子、お貸ししますよ」

「は?」


おじさんと高木くんは顔を見合わせた。


「こちらの人、清掃業の人で、人手が足りないんですって。あんた、働いてらっしゃい」

「いや、そりゃ僕はいいですけど、店の方はどうするんです?」

「どうせ客なんか来ないじゃないの」


アタシは店をあごで示した。


「そうですね。全然来ませんね。今日も一人も来ませんもんね」


全然は余計だ。アタシはおじさんに紹介した。


「うちのバイトの高木くんです。持ってってください。掃除好きなんで」

「いいのかい?」

「いいんです。今度、ヒマな時に返してくだされば」


まるでビニル傘並みの扱いだが、まあ高木くんならそんなもんだ。高木くんは頭を下げた。


「それじゃ、よろしくお願いします」

「じゃあ、一応打ち合わせを……」


おじさんと話し始めた高木くんを残して、アタシは飲みかけのディンブラのカップの前に戻った。ディンブラはすっかり冷めちゃったけど、いいことをした後は気持ちがいい。


「ね、弘美さん、なんかいいことあったの?」

「わぁっ!」


突然背後から話しかけられて、アタシはびっくりした。


「樫山さん、いつ来たんですかっ!」

「え? 今よ?」


樫山さんは首をかしげている。彼女は雑誌の編集者なのである。スマートな彼女は、ジーンズがよく似合う。仕事もかなりできる人らしい。いつも、彼女はいつの間にか店の中に立っている。アタシも、誰も気付かないうちに入ってきているのだ。決して印象の薄い人じゃないし、美人なんだけどなぁ……。彼女はかばんをごそごそやって、取りだした物をアタシに渡した。


「あ、はいこれ」

「何? 樫山さんとこの雑誌?」

「やぁねぇ。こないだ取材させてもらったじゃないの。載ってるわよ、ココ」

「ホント? あ、載ってる載ってる」


アタシはきゃあきゃあと喜んだ。アタシも小さく写っている。カメラマンがうんざりするまで撮り直しを要求しただけあって、いい写りだ。『ナップタイム』が雑誌に載ったのは初めてなのだ。常連の樫山さんが、取り上げてくれたのである。


「覚悟しといた方がいいわよぉ」


無邪気に喜ぶアタシに、樫山さんは意地悪な笑顔を見せた。


「え? 何?」

「今に大渋滞が発生するからね」


彼女は本を裏返して、発売日を示した。


「昨日発売でしょ。明日あたりから、多分女子大生とか女子高生が大挙して押し寄せるんじゃないかしら」

「……それって、忙しくなるってことかしら」


彼女は意地悪にうなずいた。


「バイト、少し増やしておいた方がいいかもよ〜」


その時、おじさんと高木くんがアタシを呼んだ。


「あ、弘美さん、なんかバイトの手続きあるらしいんで、ちょっと出てきますね〜」


高木くんは笑顔でそう言って、ドアに手をかけた。


「あ、高木くん、ちょ、ちょっと待って」

「心配いりませんよ。お勘定はちゃんと頂きましたから。じゃ、今日はこれで……」


カランカランカラン……と音を立てて、扉が閉まった。樫山さんはアタシを見た。


「高木くん帰っちゃったの? あたし、喫茶店でバイトしたことあるわよ。ちょっとくらいお店手伝ってあげようか?」

「……大丈夫、大丈夫。忙しくなるのは明日からだし……」

「でも、昨日発売だから、早い子は今日あたりから来るかもねぇ……」

「……大丈夫よ。今日は雨だから、客足も……」

「え? 雨ならもうとっくに上がったよ?」


樫山さんはきょとんとアタシを見た。


「カラッと晴れてきたわよ。梅雨入り宣言なんてアテにならないわねぇ」

「……大丈夫、大丈夫。だって、樫山さん、こないだ雑誌売れてないって言ってたじゃん?」


ドアがカランカランカラン……と音を立てた。高校生の4人組が入ってきた。手には例の雑誌を持っている。


「あ、すごーい。かわいい〜」

「いいお店だね〜」


口々に言いながら、入ってくる。樫山さんは、アタシを見た。


「ま、売れてないなりに、影響力はあるのよ?」


アタシは、ちょっと嫌な予感がした。


 一週間後。アタシは理解した。ヤツは掃除だけが特技ではなかった。もう一つ、重大な特技があったのだ。


 ヤツは疫病神だったのである!


 なぜかは分からないが、高木くんが店にいると客が来ない。あれから高木くんが清掃のバイトと二足のわらじをはくようになって、それがハッキリ分かった。高木くんが来ない日は、もう恐ろしいほどの客が来る。高木くんが来ると、ぱったり客は来ない。時間帯で見ても、高木くんがいる時間は、客はほとんど来ない。「じゃ、これで……」と高木くんが上がると、途端に店内が一杯になるのである。アタシ一人で満員の店をやりくりするんだから、その多忙ぶりは察していただきたい。一生でこれほど働いたことはないぞ。


 それとなく客の反応を見たが、客が高木くんを嫌っているとか、掃除されるのがイヤだとかいうこともないようだ。むしろ、ヤツは好かれているらしい。女子高生とかに結構人気があるようだ。なかなか店にいないので「ナップタイムの隠れキャラ」と呼ばれているとか。ヤツが店に出てないんじゃなくて、ヤツがいる時に誰も店に来ないんだ、と説明したかったが、やめた。……アタシはもうこの現象を理解するのをあきらめたのだ。ただ、受け入れることにした。「高木くんがいると、客は来ない。高木くんがいないと、客が来る」これは証明不可能な大宇宙の真理なのだ。そうに違いない。


 正直な話、給料を払ってヤツに店を休んでもらおうかと思ったくらいである。賭けてもいいが、そうすれば確実に客が増える。ある意味では商売繁盛のお守りである。でも、やっぱり、高木くんには給料を払って来てもらうことにした。


 毎日こんなに客が続いたら、アタシ過労で死ぬってば。

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