第2話モグラの頼みごと

親指の半分ほどの大きさの、まるで黒糖で出来た飴の様な黒光りする丸いもの。これを見る度、いつだって老人は己の愚かさと罪を感じるのです。しかし誰だって理想の自分を願うものだ。これは選ばれし幸運な者の権利なんだ。

そう思うことで納得させながら、素早くそいつを口に入れると噛み砕きはせず、作っておいた話のネタを書いたメモに目を通しながら横になるのでした。そしてあちらの世界に導かれるまで目を閉じてじっとしているのです。不思議ともう小鳥たちのさえずりは聞こえませんでした。

そしてそれからどれぐらい経ってか、老人が目を覚ますと草原にいたのでした。群青色の空の美しさが太陽の光に交じり注ぐ、心地よい草原で、風に吹かれて鳴る草花の摺れ合う音も何ともこの場所に良く似合います。そこには老人以外誰もいませんでした。

ですがこれは予定通りです。老人は腕時計を見ると、ちょうどお昼の三時でした。

老人が草原で横になっていると、左耳の横らへんでガサゴソと音が聞こえてきます。おもむろに顔を横に向けて見ると、一匹のモグラが土の中からひょっこりと現れました。

「やあ、モグラさん。今日も土掘りに精が出ますね。」

老人は呑気に言います。きょろっと目を見開いたまま、モグラが土の中から完全に姿を現すと

「こんにちは。今日はとっても暖かくて気持ち良いですね。こんなところで何してるんですか。」

と答えました。

「この世界に来て間もないんで、いえ失礼、なんとなくやる事もないんでゆっくりこうして横になっているんですよ。」

「そうですか、やることがない? それなら是非、僕のお手伝いをしてくれませんか。」

モグラが遠慮がちに言うのがなんとも可愛らしいものです。

まったく予定した展開通りなのですが、老人は

「どうしようかな。」

などともったいつけます。

「あの、その、何のお手伝いをするか言わないんじゃ、決められませんよね。お手伝いと言うのは僕のお嫁さん探しなんです。」

「ほう、モグラの嫁さがしというわけですな。どんなお嫁さんをお望みなんです?」

モグラは両前足で頬をさするようにしながら

「僕の好みはモグラとしてはちょっと変わってまして。」

老人はもったいつけたこの言い方に、そうそうそれで良いと思いながら先を促し

「なんというか、こう目が澄んでいて、クリッとして可愛らしく、眉毛は切れ長、頬は痩せこけているまではいかないものの、細いのが良いです……。いえいえ、違った違った、外見なんてどうでも良いんです。僕らモグラを、もっと言えば動物を深く愛する人が良いんです。」

老人は笑いを噛み殺しながら

「人間の女性が良いわけですか。これは大層難しいですね。でもなぜ人間なんです。」

「はい、僕らモグラは地中で暮らしながらも、時々こうして地上に出てくるのです。邪魔な土を排出するためとかですね。そうして僕は、ある日も地上に出て来たのでした。その時です。僕の目の前に広がる景色は今日と同じように、美しく誘いこむ様な草原に、とても映える青空で、心が洗われるようでした。なぜ見えたのかって言うと、 僕は不思議な事に他のモグラより生まれつき視力が良いのです。」

老人はここに来た時、この世界の風景を見て、自分も少し同じような事を感じたもんだと思っていました。

「それで、何蝶々っていうのか分からないんですが、淡い黄色い羽根に白と水色の帯状の模様が入った蝶々を見たんです。つい、嬉しくなってしまいまして、気が付いたら僕は追いかけていました。そして追っているうちに怪我をしてしまい、地中へ戻れなくなってしまったのです。僕はただただ途方にくれました。そのうちお腹が減ってきてもう死ぬのかなと思い始めたんです。そしてそんな時彼女に出会ったのでした。」

「なるほど、先が読めました。その時、人間の女性の手助けで、地中へ戻れたというわけですね。」

「はい、その通りです。先程挙げた特徴もその彼女のものなんです。」

「つまり彼女が好きになってしまって、本当はその彼女を探したいけど、どこの誰かも分からない人じゃ探しようがない。だから彼女のような優しい女性をお嫁さんとして探したいのですね。」

モグラは少しハニカミながら

「そうなんです。」

と言うのです。

老人は少し考えるふりをしながら間を置いて

「良いでしょう。協力しましょう。」

と言いました。

「ありがとうございます。」

とモグラが頭を下げるに、老人はあのメモに書いたネタのうちの一つ、モグラの嫁探しが始まるぞと心で思っていたのでした。

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