28
もしかしたら、何かまた手紙でも残して逝ってしまったんじゃないかと……。
伊織がミステリーを書けなくなったのは、死体が書けなくなったからだ。
伊織は若い時から人の死に関わり過ぎて、紙面上でさえ死を書く事が出来なくなった。もし、和が死んでしまっていたらと考えたら、その現実を知らされる事が恐ろしくて堪らなかった。
「それでも、何かあっても、俺も真琴もいる」
中学の時から達観したような精悍な顔つきの
武史が男を好きだと知ったのは、大したキッカケでは無い。
中学卒業前に、下世話な下ネタで盛り上がっている同級生に、白々と冷めている武史が何となくストイック過ぎて滑稽に見えた。
一緒に帰る道すがら、伊織は悪気無く「お前、女に興味ないだろ?」と聞いただけなのに、物凄く驚いた顔で絶句してしまった武史を見て地雷を踏んだのだと分かった。
それ以来、伊織の前で武史が性癖を隠すことは無かった。
可愛いもの好きの武史の性欲が自分に向けられる事は無かったし、武史の人柄や距離感は心地良かった。
時々、武史がゲイだと忘れる位には普通に友達として接していられたし、
お蔭で一緒に風呂に入りながら武史に自慰や性教育を手解きされてしまった真琴は、刷り込みみたいに武史に恋して、落ちてしまった。
伊織はその時に、あぁ……可愛いものが好きな男だったと思い出したくらいだった。
「ったく……身内で小さく纏まりやがって……」
武史の言葉にほだされて、秋芳と言う男の所に電話を入れた。
翌日の昼頃、真琴が通っていた大学近くの喫茶店で会う事になり、仕事明け仮眠を取った武史に送って貰った。
「一人で大丈夫か? 伊織」
「あぁ……」
「じゃあ、また後で。何かあったら連絡しろよ」
「おう……」
三十路になる男がこうも心配されると、少し恥ずかしくなって伊織はぶっきら棒に返事だけ返した。
三月と言ってもまだ風が冷たくて、桜ももう少し温めてくれと蕾を固く閉じている。
学生ご用達の古い喫茶店に入ると、深いコーヒーの香りが立ち込めていて、昭和の匂いがそれに混ざっていた。
一番奥の席に座っていた男が、伊織を見て躊躇った後、立ち上がって会釈する。
目印にキャップを被って行くと言っていたから、その会釈をした男が秋芳なのだろう。
「お待たせしてすみません。秋芳さん……ですか?」
「いえ、こちらこそお呼び立てして……」
パーカーを着てキャップを被った秋芳と言う男は若く見えるが、多分年上だ。
丁寧に両手で名刺を差し出して来る。
そこには何か記憶を掠る名前が書かれていた。
「
伊織は記憶を辿りながら席に着いてコーヒーを注文し、秋芳は脇に置いていたトートバッグから伊織の新刊本を取り出し、テーブルの上に置いた。
「単刀直入にお聞きします。
「そうだとしたら、どうなのでしょう……?」
「私も、読ませて頂きました。主人公はマドカを探している」
「えぇ」
「このマドカを探している主人公は、堂舘先生と言う事でしょうか?」
キャップを取った秋芳は、不貞腐れた様な顔で怒っているのに、眉尻を下げて困っている。
伊織はその顔を見て内心驚いた。
秋芳は和のあの微妙な表情を伊織の前で曝したのだ。
親族なら似ていても当たり前だろうが、四十を過ぎたくらいの秋芳は、伊織を見つめて二の句を待っている。
「えぇ、私は和を探しています。何かご存知なら、教えて頂けると有難いですが……その前に、秋芳さん。貴方と和の御関係を伺っても?」
「私は和の養父です」
「養父……?」
「和が高校を卒業してからずっと、戸籍上彼は、私の息子です」
司と言う名前の記憶がやっと脳裏の隅でヒットした。
和と喧嘩した理由になった男の名前だ。
あの時和は、昔お世話になった知り合いだと言っていた。
「堂舘先生は、何もご存知では無いのですね……」
「彼が話そうとはしてくれなかったものですから……」
「と言う事は、何故養子に出されたかもご存知ありませんよね?」
「本当の御両親に何か御不孝でもあったのでしょうか?」
「生きてますよ。ちゃんと……」
窓の外に視線をやった秋芳は、吐き捨てる様にそう言い放った。
「和が高校三年に上がってすぐの頃、和が同性愛者だと言う事が両親にバレたんです。見栄とプライドの塊だった和の父親は、そりゃあもう、和を奴隷の様に詰って、高校卒業すると同時に親族の中でゲイだとカミングアウトしていた俺の所に養子に入れた。今の先生より若いの男の所に、十八の男が息子としてやって来た」
「何故、戸籍まで変える必要があったんでしょう……? 家を出て独り暮らしをすれば、親との接点を持たなくても暮して行けたはずじゃ……」
「和が大学に行く事を望んだからです」
「大学……?」
「和の父親はあそこに見える大学で教鞭をとっています。和はあの大学を受験する事だけは譲らなかった。多分それが、和にとって親と接点を持てる最後の手段だったから……。でも、和の父親は同じ苗字の生徒が大学内にいれば、同性愛者である息子が自分の教授としての実績に傷を付ける事があるかも知れないと、俺の養子にして、俺の所から大学に通う事を条件とした。和の本当の名前は
関下……。
真琴が手を
和は真琴のレポートを手伝っていた時も、そんな事億尾にも出さなかった。
それだけ戸籍から外された事に、触れられたく無かったのだろう。
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