20
「良くは覚えてないけど、我儘で、
「そう……なんだ?」
「オレが泣くと伊織は絶対オレの所に来てくれるから、オレは良く泣いてた気がする」
ミルクスープを冷ます様に口を尖らせた
「血も繋がってない弟なのにさ、学校の行事も、弁当も、生活の面倒も全部伊織が見てくれてて、ミヤを失った時の伊織を見て初めて後悔した……もっと良い子にしてれば良かったって」
「でも、真琴君だって子供だったんだから……」
「ミヤが死んで
可愛らしい顔で、天真爛漫な真琴がそんな過去があるのは、意外だった。
「……ちょっと待って、真琴君。あの人、食事作ったり出来るんだ?」
「うちの冷蔵庫、見ただろ? 伊織は何でも出来るよ。キャラ弁とかも作れる」
「マジか……。あれは
「あっは、武史に料理を教えたのは伊織だよ。俺が大学に入った時に、もう料理とかしなくても良いって言ったんだ。何でも自分で出来ちゃうと、人にして貰えなくなるでしょ? だからね、オレが武史に頼んだんだ。伊織に、誰かが作った食事を食わせてやりたくて」
「そう、だったの……」
「
「え?」
「初めて和ちゃんに会う前に、武史から聞いてたんだ。伊織が新しく来た担当の人を気に入ってるみたいだって」
「……振り回されてるの間違いでしょ?」
「伊織はあの家に人を入れる事すら拒んでるから、家に入れた事自体がオレや武史にとっては凄い事だったよ。あの家で、他の担当に会った事ないでしょ?」
言われるまで気付かなかったが、確かに他の仕事を抱えていると言いながら、他の出版社の人間に出くわしたことは無い。
「最初に和ちゃんを見た時、あぁ似てるなって思った……」
「ミヤさんに……?」
「え? 違うよ」
「は? 違うの……?」
「何かこう……投げやりな感じとかが、昔の伊織に似てるなって……だから、放っておけないのかなって……思った」
「ははっ……そんな風だったかな、僕」
「オレ、和ちゃんの事好きよ。オレにも優しくしてくれるし、武史もやっと安心出来るって喜んでた。兄を、よろしくお願いします」
深々と頭を下げられて、和は慌てて真琴の肩を押し上げる。
「僕は……そんな……」
和はしつこく甘えろと言って来る伊織が、昔の自分を重ねているのかと思うと胸が痛む。
そんな辛い想いをした訳じゃ無い。ただ、ビビッて諦めてるだけなのに。
「オレ、クリスマスには実家に帰ろうと思ってるんだ。武史は仕事だろうけど、終わってから来るって言ってたし、皆でパーティでもしようよ」
「あぁ、うん……」
「その前に、関下先生をぎゃふんと言わせないと!」
「そうだね……出来上がってるの、僕のパソコンに送ってくれる? 流れ作業の方が早いでしょ?」
真琴が書いたものを送って貰って添削作業する。
前に教えた事がちゃんと活かされていて、結論から述べられている論文の冒頭を数ページづつ直し、上書きしながら一つの論文を仕上げて行く。
伊織に育てられた真琴の論文は、ちゃんと親の愛情を理解していて、後悔と感謝に彩られている。
和は自分にこれは書けないな、と苦笑いした。
何も出来なさそうなだらしない風貌で、傍若無人な伊織がそんな風に真琴を育てて来たと言う事実は、本人からは口が裂けても聞けなかった話だろう。
多分きっと、格好つけて当たり前の事をして来た、とか言いそうだ。
黙々と論文を仕上げていた十時過ぎ。
和の携帯が着信を知らせて、ふと沈黙が途切れた。
「……先生?」
「え……伊織?」
「うん……」
気まずそうな顔で和を見る真琴だったが、出ないわけにも行かなくてスマホを耳に宛がった。
「はい……もしもし?」
『和……もしかして、真琴と一緒か?』
「……あぁ、はい。レポートが明日提出だとかで……」
チラリと真琴を見ると、人差し指を口元に当てて言うな、と言う仕草をしているが言ってしまった後だった。
『どこいんの?』
「自宅ですけど……」
『俺だってまだ行った事無いのに、何だソレ……ムカつく』
「先生は、仕事終わったんですか?」
和は上着を引っ掛けてベランダへと出た。
十二月の夜の空気は澄んでいて、その冷たさに肩を竦めた。
『へぃへぃ、先生は仕事ばっかりですみませんねぇ』
「拗ねないで下さい」
『拗ねるくらい許せよ』
「真琴君がここへ来たのは先生のせいでもあるんだから、不可抗力ですよ?」
『そうですね』
「……伊織さん」
『会いたい、和』
「今からじゃ、電車も無いですし、僕も明日仕事なんで……無理……」
和はベランダから見えるアパートの駐車場にこっちを見ている様な人影を見つけて、ジッと目を凝らす。
「……もしかして、家の前に来てますか?」
『あ、バレた……』
「……そんな所にいたら風邪ひきますよ」
『じゃあ、早く中に入れて』
「兄弟して……何なんですか。早く上がって来て下さい」
『やっと仕事が終わって車飛ばして来たってのに、冷たいなぁ』
プツリとスマホを切って、真琴に一言断ってアパートの下まで迎えに降りる。
真琴と言い、伊織と言い、心臓に悪い事を常套手段の様にやってのける
白いカシミヤタッチの柔かそうなニットに鳶色の年季の入ったレザーのテーラードジャケットを羽織り、ストーンウォッシュでダメージの効いたデニムをサラッと着こなして、黒い四輪駆動車から降りて来る。
いつも家に居る時はよれている癖に、外にいると雰囲気が違って目を瞠る。
和は部屋着にアラン編の緩いカーディガンを羽織って来た自分に気付いて、前身頃を合わせて隠す様に腕を組んだ。
「来るなら一言……」
「和……」
夜とは言え、外灯の灯が漏れるエントランスで抱き締められて和は身を固くした。
長身の伊織の肩ほどに掛かる自分の冷たい鼻先が埋もれて、息苦しさから逃れる様に顔を上げる。
「ぷはっ! ちょ、せんせっ……ここ、外!」
「知ってる……どうでも良いよ」
「良くないですってば……んっ!」
唇を塞がれて、驚いて目を見開いた和は、抱きしめられた腕の強さに段々と力が抜けて行くのを感じて、そっと眸を閉じた。
甘い香水の匂いが、寒気に交じって鼻腔を擽る。
「あんま顔見れてなかったから、来ちゃった」
「来ちゃったって……女子か」
「寒い! 早く入ろうぜ」
「相変わらず人の話聞きませんね」
「真琴のレポートは終わりそうか?」
「……目標は十二時ですけど、どうですかね?」
「さっさと片付けて武史に回収させよう」
「……そんな事言うって事は手伝う気、あるんですよね?」
ふふん、と意味あり気に笑う伊織に、和は訝しげな視線を投げた。
何の策もなく口から出まかせを言っている可能性も無くは無いのが舘田伊織と言う男だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます