19
仕事が早く終わったその日、会社を出ようとしたその先で見覚えのある青年が待っていた。
「……
「あっ!
「え、僕を待ってたの?」
「
そんな捨てられた子犬の様な顔で見られても……。和は苦笑いで応えた。
「それで、ここで待ち伏せしてたんだ……?」
「仕事が詰まってて自分が和ちゃんに会えないのに、何でお前に連絡先教えなきゃいけないんだって……キレられちゃって……」
「あはっ……ははは……」
子供か……。
あれ以来、めでたくお付き合いを始めたはいいが、伊織は和の出版社以外の仕事を抱えているらしく、十二月に入ってからは余り会えていなかった。
一応、食事を作りには通っていたが、仕事中に顔を見ると集中力が途切れるとか言って部屋から出て来ない事も多い。
「ヤバいんだよ! また関下に目を付けられちゃってさ……和ちゃんに助けて貰わないと、俺本当に進級出来ないかも……」
「今度は何言ったの……」
「前に和ちゃんに手伝って貰ったレポートで優くれたから、先生って意外と優くれちゃうんですねって言ったら……」
「……」
「俺だけ倍の量書いて来いって……」
「倍の量って……どのくらいなの?」
「原稿用紙で五十枚」
「……期限はいつなの?」
「明日……」
まぁ、五十枚くらいならどうにかなりそうだけど……。
真琴のタイピングのたどたどしさを知っているが故に、和は腕時計を見て今日は寝れそうにないな、と肩を落とした。
大学近くに一人暮らしをしている真琴の家まで戻る時間が惜しくて、職場の近くに住んでいる自分の家へと連れて帰る。食事もしてないと言う真琴は、夕方五時から二時間も外で待っていたらしかった。
「どうぞ……散らかってるけど……」
自宅に人を上げるなんて久しぶりで、拙いものが無かったかと不安に思いながら玄関を開けた。
「わぁ……綺麗な部屋だね」
「……ものが少ないだけじゃない?」
「でも、本棚も凄く綺麗に整理されてるし、やっぱり和ちゃんは良い奥さんになれるね」
「……男は奥さんにはなれないけどね」
狭いワンルームには必要最低限の電化製品と壁一面に本棚を設置しただけの簡素な部屋で、自分一人が生活出来ればそれで良かったから、仕事に必要な物以外は殆ど置いてない。
「でも、和ちゃんは伊織の奥さんになるんでしょ?」
「……はい?」
食事を作ってあげようと思って冷蔵庫を覗いた和は、真琴のその言葉に真顔で問い返した。
「伊織が言ってたよ。あれは俺のもんだから、お前になんかやらんって」
「……いつの間に、先生のものになったんだ」
「あれ? 違うの?」
「いや……違わない……けど……。真琴君に取られるなんて事、あるわけないじゃない」
真琴君は
和にはそれが分かっていてそんな事を言う伊織の本心が全く見えない。
「あぁ……伊織は
「宇部さんの事……?」
「つか、和ちゃん……お腹空いたよ」
血が繋がっていないと言っても、たまに駄々被って来るこの兄弟の人の話を聞かない姿勢にはいはい、と溜息が漏れる。
「作ってる間に、レポート進めておいてね」
「はーい」
炊飯器に洗った米をセットしてスイッチを入れた後、作り置きしておいたハンバーグの種を冷凍庫から取り出した。
トマトのホール缶をフライパンにぶちまけてコンソメで煮込んで、解凍したハンバーグをその中に入れる。冷蔵庫の中に残っていた玉葱と人参を千切りにしてコンソメスープを作って、使い残していた牛乳を入れた。
「良い匂いする……」
そう言って背後に立った真琴が、ジャレる犬の様に後ろから抱き付いて来る。
「ちょ、真琴君っ?」
「何?」
「あ、あんまりくっつかないで……」
「大丈夫だよぅ。オレ、ネコだし武史を裏切ったりしないよ。ハッ! もしかして和ちゃんはタチネコ両刀なの?」
「いや、ちっがう! そうじゃないけど……」
「あの伊織が大事にしてる人が、どんな人か知りたいじゃない」
ニッコリと笑う真琴の、その意味深な言葉に次の言葉が出て来ない和は、出来たよ、と話題を変えて出来た食事を皿に載せて、真琴を部屋へと誘導した。
「うわー、旨そう!」
「作り置きと余り物で悪いけど……」
「全然っ! いただきまーす!」
大人しく夢中になって食べている真琴の膝元に置いてあったレポートの要綱を拾い上げて食べながらそれに目を通した。
「遠藤周作?」
「うん……小さき者へって言う短編なんだけど、和ちゃん知ってる?」
「あぁ、十ページにも満たない短編じゃ無かったっけ?」
「そう、なのに五十枚も書いて来いとか、鬼じゃない?」
「……流石、関下先生だね」
小さき者へ。
父親が子供に対して内心を吐露している様な、短い話だった記憶がある。
親に毛嫌いされた和には、その父親の子への想いを綴ったその作品が、羨ましく、妬ましく、短い割に記憶に残っていた。
「オレ、親いないからさ。爺ちゃん婆ちゃんがいたのだって小学校一年の頃までだし、育ててくれたのは伊織だから……」
「そっか……」
「昔はさ、武史の事大っ嫌いだった」
「え?」
「オレの伊織なのに、武史はいっつも伊織の傍に居て、オレ武史に嫉妬してたんだ。その内ミヤが現れて、武史がオレの事構ってくれるようになったけど、ミヤの事に心奪われてる伊織を見たら、淋しくて死ぬかと思った」
「ミヤって人は、どんな人だったの……?」
真琴に聞くのはズルいのだろうか。
でも、絶対本人に聞ける事でも無かった。
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