13

 テレビの前で案の定寝入ってしまった堂舘どうだてに毛布を掛けて、真琴まことが持って来たノートパソコンでレポートのやり直しを始める。


 そう言えば、月が綺麗ですねと言われたら、死んでも良いわと答えるんだったか。


 二葉亭四迷の言葉だった気がする、と記憶を辿りながらタイピングもたどたどしく、誤字の多い真琴と全てのやり直しが終わったのは夜中だった。


 寝ている堂舘を起こして送ってくれとも言えず、勝手知ったる他人の家の押入れを開けて布団を取り出し、男二人畳に転がって雑魚寝した。


伊織いおりまどかちゃんを構う理由がちょっと分かった……」

「え……?」

「似てる……かも……」


 誰に? そう聞く間もなく真琴は寝息を立て始める。

 高々と秋の空に輝く満月が、縁側の床板に窓枠の影を落とす。

 眩しい位のその景色に目を細めて、和は眸を閉じた。


                      *


武史たけし、ちょっとこっち来てみ。ネコが二人寄り添って寝てる」

「おぉ、何か可愛いな」

「これ真琴がタチだったら、ヤバかったな……」

「真琴はそんな事しない」

「二十歳の健全な男の性欲なにモラルなんて関係ない。穴があったら突っ込みたいお年頃だろ」

「伊織、言い方どうにかしろ……」

「あぁ、真琴は突っこまれたいのか。お前のせいで……」


 人の声で目が覚めた。

 ゆっくりと開けた瞼の隙間から見えたのは、こちらを覗きこんでいる堂舘と宇部の顔だった。


「……お、はようございます?」


 近い……。和は布団を顔の半分辺りまで持ち上げて、もう一度瞼を閉じた。


「おはよう、和ちゃん。寝顔、可愛かったよ?」

「……」

秋芳あきよしさん、真琴がお世話になったみたいで……」


 まだ起きる気配の無い真琴の傍でしゃがみ込んでいる宇部が、そう言ってまた風呂上りと言った風貌の気の抜けた顔で笑った。


「いえ……」

「真琴、起きろ。まだ寝るんなら部屋に行くぞ」

「うぅん……武史ぃ?」

「あぁ、遅くなってすまなかった」

「武史ぃ……」


 子供が愚図る様な素振りで宇部の首に両手を回した真琴は、そのまま宇部に膝裏を抱えられて抱き上げられる。

 和はその不思議な光景を堂舘がどんな風に見ているのか、気になって自分の傍に居る堂舘の方へと視線を向けた。

 途方に暮れた様な微妙な顔をしている。


「武史、盛るなよ」

「それは真琴に言ってくれ」

「お前が我慢すれば良いだろ」

「悪いな、俺は真琴に甘いんだ」


 会話の内容からするに、真琴は宇部の……?


「ったく、年がら年中盛りやがって……」

「先生……真琴君は宇部さんの……?」

「紫の上だよ」

「はい?」

「恋人だっつってんの」

「え、でも宇部さんは先生と……」


 あれ? 宇部の本命は堂舘で、堂舘もそうだと思っていた。


「あぁ? 俺と武史が何だって?」

「……」


 和は、まだ明瞭としない脳でこれまでの流れを振り返る。

 もそもそと起き出して畳にそのまま寝てしまって凝った首を傾げた。


「和ちゃん、ちょっと聞きたくないけど参考までに聞いてみるわ。俺と武史が恋人だと仮定してネコはどっちなわけ?」

「先生が……そうなのかと……」

「俺はゲイじゃないって言ったよな?」

「……」

「俺は確かに男を抱いた事あるが、抱かれるなんてまっぴらごめんだ。それに、武史は小学生の真琴に欲情してた変態だぞ。絶対無理だわ……あり得ない」

「え?」

「あんな誠実そうな顔してるからって、聖人だと思ったら大間違いだぞ」

「はぁ……」


 それから堂舘に送って貰う為に洗面を済ませて帰る支度をしていると、仏壇がある部屋の奥から何やら猫の鳴き声の様な物が聞こえて来た。


「……野良猫?」

「そんなわけねぇだろ。うちの飼い猫だよ」


 車の鍵を持って玄関へと向かう堂舘は振り返りもせずにそう答えた。


「え、猫とか飼ってたんですか?」


 餌とかやった事無いし、家の中で姿を見た事も無い。


「さっきまで一緒に寝てただろ……? 盛るなっつったのに……」


 和は状況を把握して、顔が赤くなって行くのを隠す様に片手で口元を覆った。


「あらら、真っ赤。かーわいーのね、和ちゃん」

「か、からかわないで下さい!」

「まぁ、なまじ知ってるヤツの最中の声とか聞いても萎えるよな。しかも男だし……」


 普通はそうだろう。

 堂舘は男を抱いた事があると言っていたけど、男の善がり声を聞いて欲情するなんてゲイだからあり得る事だろうし、和は昨日の晩に気付いてしまった禁欲してた事態に帰ったら連絡の付きそうな相手を思い浮かべようとして、止めた。


 別にしたいと言う程でも無い。

 ただ、宇部と真琴の情事を一瞬でも想像したお蔭で、眠っていたものが起き出してしまった。


「なぁ、この前の金髪のって……付き合ってたわけ?」

「え? いや……そうじゃないですけど」


 運転中、右肘を窓枠に着いて唇を弄るのが堂舘の癖で、その薄らと開いた唇に視線を奪われる。


「和ちゃんは恋人いないんでしょ?」

「え、あ、はい。いませんよ」

「じゃあ、俺と付き合って」

「運転しながら寝ないで下さい」

「起きてるよ、ちゃんと……ほら」


 堂舘は右手にハンドルを持ち替えて、空いた左手で手を握って来る。

 和は膝の上に置いた手を引こうとして、アッサリとその手を引き寄せられた。


「なっ……にして……」

「俺と付き合って」

「嫌です」

「即答……何で?」

「仕事上の付き合いのある人とはそう言う関係になりたくないって、前も言いましたよね」

「じゃあ、このままずっと俺が書かなければ仕事の付き合いは発生しないじゃん」

「書かないんだったら、僕は担当を降ります」

「和ちゃんだって、俺の事少しは良いと思ってくれてんでしょ?」

「絶対嫌です!」


 掴まれた手を振り解いて、吐き捨てた。

 これ以上、知りたくない。

 気紛れに期待させられて取り残されるくらいなら、最初から遠い所にいてくれないと、困る。

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