10

 フラフラと歩いて駐車場を出て行く真琴まことを見ながら、堂舘どうだては悪態つきながらもこけないか心配している様に見える。

 堂舘の事を傍若無人で、どちらかといえば人を使っている様なタイプだと思っていたまどかは、その真琴と言う男が堂舘にとってどんな関係なのか、妙に気になった。


「あの……良かったんですか? 僕……何か邪魔したんじゃ……?」

「は?」

「あ、いえ……」


 機嫌が悪い。そりゃそうか……。

 先日は看病させて、今日は喧嘩の仲裁。頭が上がらない。


「今日は……本当にお恥ずかしい所をお見せして……すみません」

「ホントにな……」

「す……」

「ありがとう、だろ?」

「ありがとうございました」


 そうそう、と頭に手を乗せられて揺さぶられる。

 こうやって可愛がるような堂舘の仕草に、和はまた距離を取りたくなって窓の外に視線を逸らした。


「何で担当、外れようとした?」


 ハンドルに顎を乗せて和の方を見ようとしない堂舘が助手席の窓に映っていた。

 店の裏に漏れるネオンライトがその横顔に零れる。


「先生が書かないと仰っていたからです」

「じゃあ、バラされても良いんだ?」

「バラされたくないから、先生に書いて貰う為には他の人に担当になって貰うしかないじゃないですか」

「俺は誰が来ても書かないよ」

「……そう、ですか……」

「お前だって誰に言われてもカミングアウトしないだろ?」


 ほら、こうやって口で言い負かされて結局は終わる。

 書いて欲しい。

 それは和の本心ではあったけれど、それよりも頑なに書かないと言う堂舘が気になっている。

 その理由さえ分かれば、もう書いてくれなくても何かしら自分の中で腑に落ちるような気さえしていた。


宇部うべさんが書いて欲しいと言っても?」


 あの作品を書く様に勧めたのは自分だと、宇部は言っていた。

 なら、宇部から熱心に進めて貰えば、希望が見えるかも知れない。


「あいつは二度とそんな事言わないよ」

「そうですか……」

「なぁ、お前さ。アレを読んであんな風に人を好きになれたらって言ってたけど、今でもそう思ってんの?」

「え……?」

「死んだ人間に縛られて、ずっと想い続ける事を強制されるのって、そんな良い事だと思うか?」

「強制されるって言うのは……ちょっと違うと思うんですけど、僕はそこまで人を好きになった事が無いので……あの頃、そうなれたらと思った事は事実です」

「今は?」

「……そう出来ないから、憧れるのかも知れません」


 そこまで想えない。

 自分が可愛くて、傷つきたくなくて、相手に死なれる事など想定すれば、足が竦んで遠くから眺めている方が良いと思う。


 本当は自分より、喪失する恐怖より、大事だと言い切れるたった一人が欲しいのに――――。


「俺はアレを書いた事を後悔してるし、死にまつわる美談なんてものは小説の中にしかないと思ってる。俺にはもう、書けない」


 書かないと言い張っていた堂舘が、書けないと言った事に、胸が痛んだ。

 今、明確にこの人は自分の弱さを吐露している。

 その特別が、どうしても和の心臓辺りを鈍く抉る。

 そんな特別は、勘違いの種になる。


「他の出版社なら、書けますか……?」


 悔しかった。

 何処かの誰かが堂舘と作品を作っていると言うのは、和にとって嫉妬するには十分な理由だった。その為に編集の仕事に着いた様な物なのに、自分じゃない誰かなら、違う会社なら、この人と一緒に仕事が出来るのだ。


「他の出版社と言うより、他のジャンルなら書ける」

「……他のジャンル?」

「あぁ……」

「どう言う事ですか……?」

「さぁ?」

「は?」

「ヒントはここまで。さ、帰るよ」

「いや、ちょ、何ですかソレ!」

「タダで教えて貰えると思うなよ?」

「……何をご希望なんですか? 僕に出来る事なら……何でも……」

「何でも? 本当に?」


 ちょっと、言葉のチョイスを間違えた気がして押し黙る。

 何でもと言ってしまったら、何を言い出すのか分からない怖さがあった。


「常識の範囲内であれば……」

「じゃあ抱かせて」

「……はい?」


 和はハンドルに凭れたまま自分の方へと顔を向けた堂舘に、素でそう答えていた。


「お前、本当に色気が無いな……」

「いや、無理です」

「じゃあ、伊織いおりって呼んでキスして」

「嫌です」

「和ちゃんの常識の範囲、狭くない?」

「と言うか……それ本当にして欲しい訳じゃ無いでしょう? 僕をからかいたいだけなら……」

「何で? して欲しいよ?」


 薄ら笑いが胡散臭すぎて、和はつい目を細めて真顔になる。


「欲求不満なら、他当たって下さい。僕は仕事の相手とは絶対に寝ませんし、キスもしません」

「他……ね。まぁいいや。じゃあ、週三で飯作りに来て」

「……お宅に伺うだけで一時間以上掛かるんですけど」

「書いて欲しいなら根性見せろよ、ネコでも男だろ?」

「ネコは関係ないです」

「俺、エッチ上手いよ?」

「聞いてません! って言うか、先生もゲイなんじゃないですか?」

「俺? 俺はゲイじゃないよ? でも、和ちゃんなら抱けると思う」

「……もう、良いです」


 満足気に笑った堂舘は、車のエンジンをかけて静かに発進させる。

 狭い車の中にいると堂舘の甘い香水の匂いが余計に感じられて、さっきキスされた事を思い出して和は窓の外へと視線を外した。

 またあの聞いた事のある歌を鼻歌交じりに歌う堂舘は、ようやく機嫌も直ったらしい。

 執拗に自分を構う堂舘に違和感が拭えないが、その日から堂舘の家へと通う事になった。

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