「いったい! 高輝こうき、離せってば!」

「煩い。俺は今壮絶に機嫌が悪いんだ。これ以上イラつかせるな」


 知ったこっちゃない。そう思うが、逆撫でして面倒になるのは自分だ。


「……まどかちゃん、何してんの?」


 その声に、耳を疑った。和ちゃんと呼ぶ人物には一人しか心当たりが無い。


「あぁ? 今度は何だ? こいつもお前のセフレか?」


 店から出て声のする方に顔を上げると、その視線の先には堂舘どうだてが立っていた。

 肩の辺りまで伸びた髪を雑に纏めて眼鏡を掛け、細い身体に黒いロングのカーディガンがいつものよれたTシャツとは雰囲気が違っていて、一瞬誰か分からなかった。


「……せ」


 先生、と呼びそうになって口を噤んだ。

 高輝に職場がバレるのは困る上に、堂舘の事も知られる訳に行かない。

 堂舘伊与どうだていよと言う小説家がゲイだと垂れこまれでもしたら、今後の作家活動にも響く。


「ごめんごめん、待たせちゃって」


 ヘラヘラと笑う堂舘は、状況が読めているのか、いないのかすら分からないが、約束してない上に待ってもない。


「伊……織さん……」


 そう呼ぶしかなかった。知名度の高い堂舘伊与と言う名前も、先生とも呼べない。


「うんうん、そこの金髪の君、俺の和ちゃんに何してんの?」


 堂舘はそう言いながら不敵な笑いを浮かべて近寄ってくる。


「俺の和ちゃん、ね……。お前ホント、どんだけ尻緩いんだよ? ムカつくわ……」

「高輝には、関係ないだろ」

「ふざけやがって……来い!」

「嫌だって!」

「はいはい、そこまで……和、こっちおいで」


 差し出された手を握ろうとして、また高輝に引き寄せられる。


「お前、本当にどうしたの? あんなに俺の事好きだったじゃん」


 いつから、そんな事になったんだろう。好きなんて一度も口にした事無い。


「あー、君アレか。黒子の彼だ」

「あぁ? オッサン、何言ってんだ?」

「オッサンは酷いな。だけど、君が付けた痕は俺が上書きしたし、そもそも和は君のものじゃないでしょ?」


 堂舘が項の後ろを指して、笑っている。

 段々と、堂舘がキレているんだと和は分かって来た。

 高輝の様にあからさまに怒鳴ったりしないが、この人、今、笑いながら相当キレてる……。


伊織いおりさん!」


 和は飛び込む様に伊織に抱き付いて、一応それっぽくしがみ付いて演じた後に自分の背中に庇う様に高輝の方へと向き直った。

 堂舘が手を出さない様に袖を両手で後ろ手に握って、力を込めた。

 こんな所で作家に暴力沙汰を起こさせる訳に行かない。


「高輝、もう会わない。ごめん」

「はぁ? 何言っちゃってんの? そんなんで終れる訳ないだろ?」

「……ごめん。ホントに……」

「和、話するって言ったよな? こっちに来いって……。お前が今迄通り俺に会うって言うなら、今日の事は水に流してやっても良い」

「物わかりの悪い子だなぁ。君、今、完全にフラれてるよ?」


 和はそう言った堂舘に後ろから顎を掬われ、キスをされて驚いて目を見開いた。


「なっ……ちょ、んっ!」


 舌まで! 何なんだ、この人!


「んっ……ふっ……」

「和……」


 和は堂舘の香水の甘い匂いに、酔いが回りそうになって堂舘の腕にしがみ付いた。


「くそっ! 興ざめだ。覚えてろよ!」


 傍に在った酒樽を蹴り飛ばして高輝は去って行く。


「覚えてるわけねーだろ、バカか」


 唇を離した堂舘に「ね?」と真顔で問われて呆気に取られて「は?」と返した。


「色気が無いなぁ、和ちゃん」


 堂舘はもう笑っていなかった。


「俺の電話はシカトしといて、こんな所で痴話喧嘩とか、ホント……どうなってんの?」

「あ、や、すみません……」


 抱き寄せられていた身体を引っぺがす様に離れた和は、片腕で口元を覆って顔を伏せた。

 担当の作家に何て事をさせてしまったんだ、と……その場から消え去りたい衝動に駆られる。


「あの、じゃ、僕っ……」

「待たんか!」

「いや、もう、帰らないと……」

「門限でもあんのか? お坊ちゃんなの? 和ちゃんは」

「ちがっ……」

「じゃあ、ちょっと、こっち来て話そうか。担当変えてくれって直談判したらしいけど、どう言う事か説明して貰わねぇとな」

「いや……それはって……どこ行くんですか?」


 今度は堂舘に腕を掴まれて引き摺られる。


「あぁ? 俺の車に決まってんだろ? 武史たけしから店にお前が来てるって連絡貰ってすっ飛ばして来てみりゃ店の前で男と揉めてるとか、お前ホント何なの?」

「……何で宇部うべさんが……?」


 と言うか、今、宇部の想い人とキスしてしまったんじゃないか?

 と、現実に思考が追い付いて来て高輝と言い、堂舘と言い、自分のペースを乱す周りの男にげんなりと疲れが増して来る。

 和はただ、この人の事が知りたかっただけなのに、どうしてこんな事になっているのか、と長い足を急く様に大股でさっさと歩を進める堂舘に、小走りで引き摺られる様に着いて行く。


「乗れ」

「……」


 黒い四輪駆動車は、宇部の店の裏の駐車場に止めてあって、堂舘は態々助手席の方へ回って来てジッと見ている。


「どこかに行くんですか……?」

「話し終わったらちゃんと家まで送ってやるから、取りあえず乗れ」

「……はい」


 和はこの展開から堂舘と口論する気も無かった。

 疲れすぎて、本当なら今すぐ家に帰ってベッドに倒れ込みたいくらいだ。

 渋々車に乗り込むと、後部座席に人が横になっているのが分かって、驚いた。

 運転席に乗り込んだ堂舘は、後部座席に寝ているその男を「真琴まこと」と呼んで揺さ振った。


「うぅん……?」

「真琴、起きろ。着いたぞ」

「あぁ……ありがと、伊織」


 知らない男だったが、大分若く見えた。

 大学生にしか見えないその真琴と言う男は、眠そうに目を擦りながら車を降りて行く。


「ったく、人を足代わりに使いやがって……」


 この堂舘を足に使える男がいるとは、驚きだった。

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