「何だって?」

「ですから、堂舘先生の担当を変えて下さい」


 まどかは編集長のデスクの前に立って、そうキッパリと言い放った。

 堂舘どうだての家で熱を出して寝込んだ後、出勤して早々担当替えを願い出た。

 自分が担当している以上、堂舘に書かせる事は無理だ。ならば早く違う人に担当して貰わなければ、冬のミステリー特別号に堂舘の名前を載せる事も出来なくなる。


秋芳あきよし……お前まだ一ヶ月しか経ってないんだぞ? 音を上げるにしても早すぎるだろう?」


 ロマンスグレーの髪を上げた粋なイギリス紳士もどきの編集長は、目を丸くしてそう問い返して来る。その目が鳩みたいに驚いていた。


「僕ではあの先生に書いて貰う事は無理なんです」

「でもお前、言ってたじゃないか。高校生の時からファンだったって……」

「えぇ、だからこそ書いて貰いたい。僕以外の人ならきっと先生も書いてくれると思います。もっとこう、ベテランで口の達者な……」

「あー……もう、分かった、分かった……先生には俺から連絡しておこう」

「すみません……」


 期待に沿えなくて。

 でも、和はこれで堂舘に会わなくて済むと少し肩の荷が下りた気がした。

 まだ二回しか会ってない。

 それでも、自分の弱い所を鷲掴み、切り込んで来て、それでも良いよ、と許そうとする堂舘にこれ以上会いたくない。

 自分の秘密を知られて尚、冷静に一緒に仕事が出来るとは思えなかった。

 

 なのに――――。その日の夕方、その肩の荷が倍になって戻って来た。


「秋芳」

「……はい?」


 デスクについて事務処理をしていた和の背後に編集長が訝しげに立っている。


「堂舘先生は、お前じゃないと書かんと言い張ってるぞ」

「…………はぁ?」


 素っ頓狂な声を上げて、慌てて口に手を当てた。


「担当を変えるなら、二度とうちでは書かんと言い張っておられる。秋芳お前、何がそんなに嫌なんだ?」

「嫌……と言うか……書かないと仰るだけで、僕にはそれ以上どうしようもないので……」


 あれだけ書かないと言い張っておいて、今更何言ってんんだ、あの人!


「まぁ、もう一度先生とちゃんと話してみろ」

「え、いやっ……編集長っ!」

「書きたい作家は沢山いるが、読みたい作家ってのは貴重なんだ。うちの大事な作家先生、お前に託してるんだから、しっかり頼むぞ」

「えぇー……」


 最悪だ。

 二回しか会ってないけど、また飄々とした顔で機嫌を悪くしているに違いない。

 そう思っただけで、デスクに突っ伏して盛大な溜息が零れる。

 ゲイである事をバラされずに、堂舘に書いて貰うのは無理だ。

 他に何か条件を出されるって事なのだろうか。

 一人でしてる所を見せろとか言ってたが、そう言う事を強要させようと思っているのだろうか。

 死ぬほど嫌だが、堂舘の言う通りにしなければ書いて貰える気がしない。


「怖いから書けないって……何だよ、それ……?」


 ふと、宇部うべの事が思い浮かんだ。

 仕事の事は良く知らないと言っていたが、堂舘とは腐れ縁だと言っていた。

 昔の事を何か知っているかも知れない。

 確か、堂舘があれを書いたのは八年前、二十歳の時だ。

 大学在学中に大賞を取っていたから……。

 和は資料室へ走った。

 当時の雑誌に在籍していた大学の名前があるかも知れない。

 もし、宇部が同じ大学に通っていたとしたら、そこから何か掴めるかも知れないと思ったのだ。


 それに、そもそもうちで書いてないとしたら生計をどうやって立てているのかも謎だが、他社から堂舘の名前で出版されたと言う話は聞いた事が無かった。

 自分の事ばかりで考えもしなかった事が、怒涛の様に脳内に巡り始めて、資料室で急く様に古い雑誌を漁った。


「あった、これだ……」


 T国立大学……経済学部? てっきり文学部だと思っていた和は、誰もいない資料室で独り言を零した。

 まぁ、どんな学部を出ていても小説家にはなれるし、もっと言えば大学なんて出てなくても小説は書ける。


 でも――――……。


 元々作家希望じゃないとも言っていた。

 もしかして、あの作品は堂舘が書いたものじゃないとしたら……。

 それなら、あの作品以降鳴かず飛ばずなのも、書くのが怖いと言う事にも繋がって来る。

 盗作、もしくはもう一人の堂舘伊与が存在しているとしたら……?


「でも……この写真は先生なんだよな……」


 今より痩せてはいるが、堂舘が大賞を取った時の写真は本人以外には見えない。

 和は謎ばかり膨らんで行く堂舘に近づきたくないと思いながら、見付けてしまった謎を紐解かなければ気が済まない様な気になって来る。

 分からない事は分からないままの方が良い。そう思っているのに……。


 八年前、香織と言う主人公に自分を重ねるほど心動かされたあのたった一冊の小説のせいだろうか。

 壊れてしまった憧れを修復したいだけの未練の様な物かも知れない。

 編集部へと戻ると、デスクに置きっぱなしにしていたスマホに着信が入っている。

 一件は高輝こうき、一件は堂舘だった。

 普段はこちらから電話しても、一向に出ない癖に文句の一つでも言おうと思って掛けて来たのかも知れない。

 チラリと時計を見てもう十九時を回っている事を確認して、掛け直すのは高輝だけにした。


「あ、ごめん……さっき電話くれた?」

『あぁ、まだ仕事?』

「うん。もう帰る所だけど……」

『じゃあ、今日どお?』

「ごめん、今日はちょっと行くところあって……」

『そっか。じゃあ、また誘うわ』

「うん、ありがとう」


 会社を出たその足で宇部の店へと足を運んだ。

 高輝は待ち合わせ以外でこの店に来ることは無いだろうし、高輝がいる前で堂舘の話を宇部に聞くわけにも行かない。

 銅板に焼き付けられたハープスターと言う店の名前を、これまで何度となく目にしてきて意味など考えた事なかった和だったが、織姫と言う名の店のマスターの本命はやはりあの人なのだろうと妙に納得してしまった。


 姫と言う様な殊勝なタイプには見えないが、あの二人ならネコは堂舘……。

 いや、でも先生はノンケのはず……あれ?

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