堂舘どうだての作品を読んだ頃、まどかが好意を寄せたのは家庭教師の様な事をしてくれていた近所に住む二つ年上の高校生で、自分がゲイかも知れないと思っていた矢先に彼と悪戯の延長の様な形でキスをし、そこから済崩しに身体の関係まで発展させてしまった。


 思えばあの時、彼は和の気持ちを見透かした上でワザとそうなる様に仕向けたのだろうと、今なら分かる。

 身体の関係まで結んでおきながら、好きとは一度も言われてない。

 彼は卒業と同時に県外の大学へ通う為、アッサリと和との関係を清算し、以降二度と会う事も無かった。


「所詮、フィクションって事か……」


 電車に揺られて窓の外を眺めながら和は、あの時、小説の中の香織と言う女性が死んだ恋人の言いたかった事を追い求める姿に自分を重ねていた。

 どんなつもりで自分を抱くのか分からない彼の気持ちを探り、問い質す事すら怖くて出来ない意気地の無い自分にとって、分かった所で死んでしまっている恋人の言葉を追い掛ける香織が強くいじらしく、純粋に見えた。


 読み終わった後、暗号の答えを知って涙を流した和は直ぐに作家のプロフを見た。

 どんな人が書いたのだろう。

 こんな胸を抉る様な恋はゲイの自分には無縁かも知れないけれど、こんな風に人を好きになれたら、どんなにか幸せだろう――――と。


 現役大学生の堂舘伊与どうだていよと言う作家は、四つ年上の男性作家だった。

 出版社が出している雑誌に載っていた写真は痩せた覇気のない男が映っていて、今日初めて会った堂舘本人は、あの写真の頃より少し生きている感じがした。


 電車から降りると、スマホが鳴った。

 このタイミングでセフレから電話が掛かる所が現実だ。


「はい」

『あぁ、俺だけど……今、平気? 仕事中?』

「仕事中だけど移動中だから大丈夫だよ」

『今夜、空いてる?』

「……良いよ。じゃあ、いつもの店で」

『分かった』


 純粋な恋愛なんて、出来るわけない。身体を重ねるだけで満足しておけ。

 誰かにそう言われている様な気になる。

 社に戻って事務処理を終え、いつものゲイバーへと足を運んだ。

 夕方電話して来た小野田高輝おのだこうきはここで知り合って二年程セフレとして続いている。

 干渉もしない、束縛もしない、互いに気の向いた時にタイミングが合えばセックスを楽しむ。

 ただそれだけの関係だ。故に、高輝がどの辺に住んでいて、仕事は何をしてどんな生活をしているのか、二年経っても知らないままだ。


「いらっしゃいませ」


 精悍な顔つきの大柄なマスターがいつもの様に無表情で出迎えてくれる。


「こんばんは」

「何になさいますか?」

「あ、じゃあ……お任せで」

「かしこまりました」


 長身でイタリアンカラーの白シャツにカマーベスト、ソムリエエプロンが似合う少し年上に見えるマスターは、顔の割に物腰が柔らかく客からの人気も高い。

 彼を狙ってビトウィン・ザ・シーツをオーダーする客も後を経たないが、彼には心に決めた人がいると実しやかに囁かれる噂もあって、その実態は謎に包まれている。


「お待たせいたしました」

「……こ、れは……」

「キス・イン・ザ・ダークで御座います」

「……あ、ありがとうございます」


 暗闇でキス……ですか。


「変な意味はありません。お疲れの様なので、寝酒代わりには丁度良いと思っただけですよ」

「あっ……ははっ……」


 和は勘違いしそうになった自分が恥かしくなって、誤魔化す様に笑って片手で口元を覆う。

 そう言う気遣いがこの人がモテる理由なんだろうけど……真顔でボケるの止めて欲しい。


「和!」

「あぁ、高輝……」


 ここへ来る時の高輝は、ピアスを沢山つけて脱色に脱色を重ねた金髪に近い髪をワックスで掻き上げ、レザーやミリタリー系の服を好んで着ている。他でどんな風なのかは分からないけれど、一つ年上で悪そうな高輝に最初に誘われた時は、ちょっと着いて行くのを躊躇ったくらいだ。


「ごめん、待たせた?」

「いいや、僕もさっき来たから……」

「何、その意味深なカクテル……もしかして彼から誘われてた?」


 高輝はオシボリを持って来たマスターを差して、不貞腐れた顔で頬杖を突く。


「違うよ。お任せして良いのを作って貰っただけ」

「ふぅん?」

「高輝も飲んでみる? おいしいよ?」


 差し出したカクテルグラスを煽った高輝に項を引き寄せられ、寸での所で止められた。


 あぁ、飲めって事か……。


 普段は放置の癖に、一緒にいる時はまるで彼氏の様に振る舞う。

 独占欲も嫉妬も隠さない高輝は、時々こうして和を人に見せつける様な行動を取る。

 唇を寄せて口内に流れ込んでくるチェリーのフレグランスが一気に体温を上げる様に感じられた。余りにも量が多くて、最後は少し噎せてしまう。


「けほっけほっ……」

「口の端、零れてるよ、和」


 高輝はそう言ってごつい指輪をはめた人差し指で和の口元を拭って、ペロリと舐める。


「ん、ごめん……ありがと……」


 別に恥ずかしくは無い。ただ、ちょっとマスターに申し訳ない。

 こうしたいんだな、こうされたいんだな、相手がどうして欲しいのかを読み取る事は出来るのに、恋人でも無い自分を人に見せつけようとする高輝の心理がやっぱり分からない。

 初恋からずっと、相手がどう思っているのか分からないまま体の関係だけを結んで来た罰なのかも知れない。


「行こうか、和」

「あ、うん……マスター、ごちそうさまでした」


 言葉は無かったけれど、ペコリと頭を下げてくれた。とばっちりで目の前で見たくもないキスシーンを見せられて、さぞ迷惑な話だっただろう。

 今度からは注文する時、何か指定した方が良いかも知れない、なんて思いながら高輝の後に付いてホテルへ直行した。


 いつも使うホテルの部屋に入るなり、高輝の彼氏もどきな小言が始まる。


「和は隙があり過ぎるんだから、気を付けろよ?」

「何それ……僕はそんなにモテないよ」

「何言ってんだよ! あの店ではいつも俺が一緒にいるから、誰も声掛けないだけだ」

「そうなの?」


 緩めたネクタイを解いて、ジャケットの釦を外している所に、後ろから抱き付かれた。


「ちょ、高輝……脱げないってば……」

「そんな、ヤルだけヤッて帰ろうとすんなよ」


 何を今更。いつだってそうしているのはお前じゃないか。


「待ち切れないだけだよ。久しぶりだし……」


 恋人ごっこ、想っている振り、本物の恋をした事が無い和がゲイを自覚して覚えたのは、相手の求める自分を演じる事だけだ。

 キスを強請る仕草も、恥ずかしがる振りも、全部求められるままに演じるだけ。

 噛み付く様なキスの後に、肌蹴たYシャツを強引に剥ぎ取られてベッドへ押し倒される。


「あ、ちょ、高輝っ……シャワーは?」

「んなもん、後で良い」

「あっ……やだっ……そんないきなりっ……」


 下半身へ降りた高輝の手が、乱暴にスーツのスラックスを脱がして、和のものを握る。

 その熱を確かめてようやく安心したかの様な高輝に、眸を覗き込む様にして今度はゆっくりと口付けられる。

 鋭い猫目で射抜かれて、和は背筋に甘い痺れを感じた。


「和……和……」

「んっ……高輝……」


 高輝は厳つい風貌の割に身長も百七十くらいで和と変わらない。

 ただ、高輝の方が鍛えられていて、身長は変わらないのに和の方が小柄に見える。

 悪そうで気の強そうな見た目の割に、セックスは甘く優しい。

 何度も何度も名前を呼ばれて、恥ずかしがる顔を見たがって、甘えた様に求められる。

 高輝の慣れた手で後孔を弄られ、期待に尖った乳首を吸われると、和は腰を上げて仰け反った。

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