惨憺たる世界で今日も貴方と恋をする。

篁 あれん

 女かと思った。

 それはこっちの科白だった。


 電車に揺られて一時間弱。

 郊外まで足を運んで、辺鄙な所に構えられた平屋の縁側に腰掛ける男は、こちらを向くなり片手に持っていたアイスクリームを足元に落とした。


 白くて長い手足、風呂上りなのか濡れたままの黒髪は肩に届く程伸びて、プロフで確認した二十八と言う年齢にしては若く見える。

 線の細い堂舘どうだてと言うその男は、節の目立つ身体がちゃんと男性らしいのに、長い髪のせいか顔が中性的に見えた。


「初めまして、堂舘先生。光出版の秋芳と言います」


 残暑の残る晩夏の昼下がり。それが堂舘伊与どうだていよと言う作家と秋芳和あきよしまどかの出会いだった。

 和は大学を出て二年目の新人編集で、若い時にミステリーで大賞を取り作家としてデビューしたものの鳴かず飛ばずの堂舘伊与の担当を半ば押し付けられた様な物だった。


「電話の時の声と言い、マドカって言う名前と言い、てっきり若い女の子が来るもんだと思ってたのに、なんだ……」

「すみません。紛らわしくて……」


 和は慣れているとばかりに謝罪し、ペコリと頭を下げた。

 声変わりもほとんどなく、電話だと女性に間違われる事もしょっちゅうで、顔も色素が薄く髭すら生えない様な童顔だ。男臭さ等とは無縁だと自分でも分かっている。


「秋芳君、何歳?」

「え、二十四ですけど……」

「あー、だからこんな売れない作家のお守なんて押し付けられたのか」

「いえ、そんな……編集長に先生の担当を打診されて是非にとお願いしたのは僕ですから」

「へぇ? また何で? 俺が売れてないの知ってんでしょ?」

「先生のファンなんです」

「出た……」


 十六歳の時、堂舘と言う現役大学生が書いたミステリー大賞を取った作品を読んだ。

 香織と言う主人公が自殺した恋人の残した暗号を紐解きながら、彼を自殺へと追いやった真実を探って行くと言う話で、自殺だと思われていた彼の死の真相が実は家人による他殺だと言う事を暴くラストとなっていた。


「あの斬新な展開と、暗号が解けた時の感動は未だに忘れません」

「あんな駄作に感銘を受けるなんて、君も大した事無いな」


 堂舘の臭いものでも見る様な目で吐かれたその科白に、和は一瞬目を瞠った。


「え……」

「まぁ、良いや。駅から結構あるし喉乾いただろ? 茶くらいは出してやるからそれ飲んだらとっとと帰りな」

「いや……今後の打ち合わせを……」

「書かない作家に書かせる暇あんなら、書きたい奴探して書かせた方がマシだろ? そっから上がって」


 堂舘が指したのは縁側の右手にある古い擦り硝子の玄関で、怠そうに立ち上がり、中へと入って行く。

 和は毒気の無さそうな綺麗な顔をした堂舘の口の悪さに、呆気に取られて渋々言われるがまま玄関から中へと入る。


 玄関から左手に伸びる縁側に沿う様に座敷があって、その先に台所があった。

 少し陽に焼けた畳の匂いがして、和は薄暗い台所で麦茶を注ぐ堂舘の後姿を見る。

 洗濯でよれたTシャツに半パンを履いただらしなさそうな堂舘の家は、簡素で片付いていた。一人でこんな所に住んでいるのだろうか、と周りを見渡してみる。


「誰もいねぇよ。俺、一人ここで暮らしてるから」

「あ、そう……なんですか……」


 人気のないその平屋は、少し淋しい空気を漂わせている気がした。


「はいこれ、粗茶ですが」

「あ、すみません。いただきます」


 言うだけ言って、和は麦茶に手を付けずに鞄から書類を取り出した。


「先生、今年の冬にミステリー作家特集と言う特別号を作る事になってですね……」

「君は……日本語、ちゃんと勉強して来たの?」

「僕は、先生のあの作品を見て編集の仕事に着いた様な物なんです。先生の新しい作品が読みたくて、今回担当に抜擢されて、本当に嬉しく思っているんです。先生が書きたいもので構いません。僕に出来る限りお手伝いしますから……」

「君があの作品を読んだのってまだ学生の時じゃないの?」

「十六でした」

「子供じみた作品だから、当時の君には丁度良かったのかも知れないけど、俺はあの作品は書いてはいけなかったと思っているし、元々作家志望では無かったから、今後も期待しないで貰えると有難いよ」


 淡々と有無を言わさない雰囲気でそう言い放つ堂舘に、和は困惑していた。

 一度は脚光を浴びたあの作品を、書いた本人がこうまで嫌っているとはどう言う事なのか。


「先生は……もう書く気が無い、と言う事でしょうか?」

「まぁ、そう言う事かな?」

「それは何故ですか?」

「言ったでしょ? 元々作家志望じゃないって」

「じゃあ、どうしてあの作品を賞にお出しになったんですか?」

「しつこいな、君も」

「ウヴェヨオリ。あの暗号、今でも覚えてますよ」


 堂舘が書いた作中に出て来た暗号は、ウヴェヨオリと言う意味不明な単語で、自殺前に恋人である彼の部屋に残された遺言だった。


「僕はあの作品見て、ただ事件を解決するだけのミステリーじゃない所に惹かれたんです。あんな風に人を好きになれたらって、心の底からあの作品を産んだ先生を尊敬してます」

「君さぁ、俺の筆名言ってみて」

「え? 筆名って……堂舘伊与どうだていよ先生ですよね?」

「うん、それ何回も繰り返して言ってみてよ」

「はい?」

「堂舘伊与って名前を、繰り返し言ってみてって言ってんの」

「堂舘伊与……堂舘伊与、堂舘、伊与……どうだていよ、どうだていよ、どうだていよ? ドウダテイヨ……」


 ――――ドウダッテイイヨ。


 二葉亭四迷のクダバッテシメェの様に、何度も繰り返し口から零すとそう聞こえてしまう。


「分かった? どうだって良いんだよ」


 やっと口籠らせる事が出来たとほくそ笑んだ堂舘に和は胸が疼く。

 こだわりの強い作家先生に無理難題を言われて困る事は多々ある。

 それでも、書きたいと言う気にさせるまで粘るのは得意だと思っていた。

 なのに、憧れの堂舘は自分の事すらどうだって良いと言わんばかりの筆名を名乗り、作品を駄作と言い切る。

 こんなやる気のない作家だったと、八年越しの恋心が砕ける様な気分だった。


「これ、一応見てみて下さい。また来週、出直して来ます」


 返事もしない堂舘がどんな顔をしているのか見るのも怖かった。

 現実を知って渇いた咽喉が張り付いた様に言葉が出なくなってしまった和は、そう言って堂舘の家を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る