3-14.


 「荒川」


 俺はいつまでも亡き自転車から離れようとしない彼女に呼びかける。


 そのか細い背中に向かって、


 「お前は自転車乗り失格なんかじゃない。何故かって、お前は俺に自転車の面白さを伝えようとしてくれてたんだろ? 俺は今、少なからず自転車に興味を持った。お前の姿を見てたら、何か、何ていうかまあ、とにかく多少は興味が出てきた。お前はひとりの人間を自転車の世界に引き込んだんだ。だから、そのことに免じて今回の失敗は帳消しだ。誰が認めなくたって、俺が認めてやる。お前は立派な自転車乗りだ。自転車好きだ。その自転車だってわかってくれてるさ。お前がどれほど本気で自転車を愛しているかってことくらいな」


 荒川は今にも崩れ落ちそうな動作でゆっくりと体を起こし、ひっぐひっぐ言いながらこちらへ向いてきた。さっきまでの野獣のような怒りの炎は、今やすっかり跡形もなく消えてしまっている。


 俺はその涙でグシャグシャな顔に向かって言ってやった。


 「それでだな……こんな時にするのもなんだけど、ここで重大発表だ。実は俺も自転車部に入ることにした。うん、気が変わった。自転車に興味が湧いてきたから自転車部に入るんだ。何もおかしいことはないだろ? これで四人。晴れて自転車部結成だな」


 荒川は泣きすぎでもはやどんな表情をしているのかすらわからなかったけど、それでも俺の目には、そこに悲しみとは違う感情の色がわずかに混ざったように映ったのだった。


 俺は続けて、


 「まあ、だからってわけでもないけどさ……さっきのことは許してくれよ。お前の気持ちも考えずに軽率なこと言っちまったことをさ。まあ、あれだろ。お前も今自転車で俺の頭ブッ飛ばしかけたんだから、それとおあいこってことにしてくれねえか?」


 荒川は鼻水垂らしながら四つん這いでのそのそと近づいてきたかと思えば、急に俺の足元を殴り始めた。覇気の欠片もかんじられない、ポカポカという擬音がお似合いの肩たたきのような攻撃だった。


 「バカ。バカ。許さない……許したくない。絶対許さない……」


 荒川は力尽きたように腕を下ろし、続けた。


 「けど……今回だけ特別に、許す……うぅ」


 どこまでも高慢ちきな奴だ。


 俺が屈みこみ、同じ目線になると荒川はたちまち目元のダムを決壊させて、


 「あああああん、あっ、あっ、あたしの方こそ、あたしの方こそごめんっ、ごめん、ヒドいことしてごめん、お願い、許して、許して、江戸君も、あのコも……」


 「許すよ。俺は別に気にしてねえ」


 俺は荒川の家族に視線を送りつつ、最後に付け加えた。


 「あいつだって、きっとそうさ」

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