3-12.
まさか断られるとは思っていなかったらしい荒川は虚を衝かれたようにポカンとし、運ばれてきたハンバーグドリアを華麗にスルーした。
俺も同じく野菜カレーをスルーした。あれ? どう考えてもこれは宮が快く入部を受け入れてくれて無事部員確保の流れだったはずだ。どこで何が違った? 宮は荒川や五十嵐アリスと同じ自転車好きなんだから、自転車部入る理由は十二分にあるだろ? ここに来るまでの話では他の部活に入っていることもなく、自転車部に入れない理由は別段なかったはずだ。それなのに一体、何故。
次に宮が語った言葉は、自転車好きと一口に言っても、そこには同じ人間でも人種や思想が違うだけで戦争になってしまうように一言では語り尽くせない深い世界が広がっているのだということを改めて思い知らされる重みがあった。
「正直なこと言うと、私って自転車が好きっていうほど荒川さんみたいに自転車そのものが好きなわけじゃなくて、自分の自転車でどこかへ出かけることが好きな程度なんだ。ひとりでぷらぷら~って近所をサイクリングするのはすごく好きなんだけど、大勢で遠くまで行ったり、レースみたいに本格的に練習したりするのはあんまりなの。あ、まあ友達と一緒に軽くサイクリングとかはいいけどね。でも、とにかくほんとに自分の自転車でのんびりすることが好きなだけだから、たぶん荒川さんとか、自転車部にいるような人たちとは合わないんじゃないかなぁ、って思って」
その世界のことを知らないのに、その世界の思想の違いについて口出しすることなんてできない。俺はただ呆然と、宮が喋るのを聞いているしかなかった。まあ要するに、宮の自転車の好み方は荒川のそれとはまた違うものだから自分たちは合わないんじゃないかってことを言いたいのだろう。
同じ女好きでも大人しめが好きだったり活発系が好きだったりギャルが好きだったりと、その具体的な好みは様々だ。そしてそれぞれの好みを持つ者同士、必ずしも馬が合うとは限らず、時には女好き同士で対立することだってあるだろう。それと同じことだろ? ん? 例えがあんまり良くないか? まあ細かいことは気にするな。
しかしこうもハッキリ言われてしまっては荒川も言い返しようがないかと思われた――のだが。
荒川は荒川で、彼女の自転車愛はこれまた宮の些細な葛藤など容易に呑み込めんでしまうほどのスケールを抱えていたようだ。荒川は宮が語るにつれ何言ってるのこの娘という風に唖然としていたかと思うと、宮が言い終えてから間髪入れずにこんなことを言った。
「それって別に、何も違わなくない?」
今度は宮がポカンとする番だ。
荒川は娘を教え諭すような口調で、
「宮ちゃんは、自分の自転車のことが好きなんでしょ? だったらあたしと同じだよ。あたしはあたしの自転車が好き。それだけ。何も違わない。おんなじ自転車好きじゃん。何で合わないなんてことになるの?」
「荒川さんが好きなのはああいう競技用の自転車でしょ? 私が好きなのはこう、何ていうか、今私が持ってるような可愛い感じのやつだもん。荒川さんみたいな人って、そういう自転車はあんまり興味ないんじゃないの?」
「ううん、」
荒川は宮のことを真剣な顔で真っ直ぐに見つめ、
「勝手に決めつけないで。あたし、宮ちゃんの自転車のこともすっごい好きだよ」
キッパリと言った。
続けて、
「好きであのコに乗ってあげてるんでしょ? それならもう、何も変わらないよ。誰と走ろうがどんな風に乗ろうが、そんなん乗り手の勝手じゃん。あたしはロードで走るのが好き。宮ちゃんは可愛いクロスでのんびりするのが好き。どっちの方が上とかないよ。色んな好み方があっていいと思わない? あのコのことを大切にしてあげてる宮ちゃんとなら、あたし仲良くなれると思うんだけどな」
俺はこの時ばかりは荒川の言葉に重みを感じたのだった。重みのある言葉に聞こえただけでその意味の理解までには至らなかったのだけれど。
同じく心を動かされた様子の宮は「そ、そうかなぁ……」と俯いてしまったのだけれどそんなことはお構いなしに荒川は嬉々として「後であのコのこと見せてよ!」なんて言ったりすると、宮はそれに対して嬉しそうに頷いたりしている。荒川の言葉は少なからず宮の考えを改めさせたようだった。
俺はタイミングを見計らい、そろそろせっかくの食事が冷めてしまいそうなこともあってふたりにご飯休憩を挟むことを提案し、ふたりもすぐにそれを了承してくれた。
その後のランチタイムは荒川と宮が小難しい自転車哲学は脇に置いて普通に自転車の話で盛り上がるという時間(どちらにしろ俺には理解が難しかった)が続き、いつの間にか宮も荒川と打ち解けたようで先ほどまでの元気を取り戻していた。食事が終わる頃には荒川が言った通りふたりともすっかり仲良くなってしまったようで(ちなみに俺は終始無言)、俺はやはり自転車を好む者同士の超強力磁石のような結束力には脱帽せざるを得ない思いである。
会計を済ませて外に出てからは路上で宮と荒川プレゼンツ愛車お披露目会が開催され、ふたりとも互いの自転車をジロジロ見たり乗ってみたりと俺には何の意味があるのかわからない儀式が続けられた。また、宮の要望で荒川は自身の乗車テクニックを披露していたのだけれど、それを間近で見て彼女はやはり常人とは一線を画す存在なのだということを俺は改めて思い知らされる。
自転車に乗ったままぴょんぴょん跳ねたり壁に登ったり柵の上を走ったり前輪または後輪を宙に浮かせたまま維持したりクルクル回ったり、また走りながらハンドルやサドルの上で立ち上がったり後ろ向きになったり座ったりエトセトラエトセトラ。
宮は終始すごいすごいと目を輝かせながら拍手までしていて、「別にそんなことないってば」などと荒川はサドルに横乗りしながら事も無げに言っていたのだけれど、俺にはどうなっているのかちょっとよくわからないし意味わからない。
確かだったのは俺の常識では自転車という乗り物は普通あんな動きをしないということくらいだ。また、あんな風に乗る物でもない。つまり荒川は非常識な存在なのである。ザッツイッ、ザッツオール。簡単に言えばそういうことなのさ。
ふたりの自転車講習会はどんどんヒートアップしていき、場所はいつの間にか数時間前と同じ河川敷に移動していた。
宮と荒川が川沿いのベンチに座って雑談の続きを始めてしまったため蚊帳の外に放置された俺は近くにあったお年寄り用健康器具で暇つぶしをすることにし――そうこうしているうちに空はあっという間に夕焼け模様となっていた。
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