3-11.
俺が頭をフル出力で回転させているのも知らずに宮は自転車を押して列の最後尾へと向かう。
……ん? 自転車持ったまま並ぶのか?
俺が困惑していると宮は振り返って思い出したように、
「そうそう、このお店が話題の理由のひとつがね、自転車を店内に持ち込めるからなんだ。中にサイクルラックがあるからそこに置いていいんだって。店長さんが自転車好きの人で、サイクリストのお客さんを増やそうっていう試みらしいの。今月のジョイライドに載ってたんだ。うぅ、この子と一緒に入れるなんてステキ!」
よく見れば、確かに列の中に数台の自転車の姿もあるのが見えた。競技用レーシングスーツみたいなのを着たままの人もいたりして、確かに宮の言う通りここは自転車好きの人間に配慮されているらしい。うむ、ますます入りづらくなってきたぞ。
俺はとても気が進まないでいたのだけれど、宮が既にウキウキモードに入ってしまったので止めるに止められず、このまま行列の延長に加担するしかないのかと苦渋の決断を迫られた――その時だった。
突然のことだった。
俺たちの横に、空から自転車が降ってきた。
いや、あまりにも何の前触れもなかったために最初はそれが自転車なのかもわからなかったのだけれど、気が付いた時には俺の真横に自転車が浮かんで――静止していた。
正確には、道路から一段上がった位置にある通路に備え付けられた木製の柵があったのだけれど、その上に――数センチしかないその平らな面の上に――自転車が乗っかっていた。乗っかっていたというか、後輪だけ着地して前輪は浮かんだ状態、俺のような一般人にもわかりやすく言えばウィリーしたまま止まっているような形で、柵の上に乗っていた。
何事かと目を見張ったその先――その常識的には考えられない状態にある自転車を操っていた人物――を見て、俺は二重の意味で目を疑うこととなる。宮も同じ気持ちだったに違いない。
何故なら――そこにいたのは、紛れもなく俺たちの共通のクラスメイトである荒川輪子だったからだ。
「江戸くーん! まさかこんなとこで会うとは思わなかった! どうしたの? ここでランチ? そっちの娘はえっと、宮ちゃんだっけ? うーんと、もしかしてふたり、付き合ってた?」
この日はビーエムエックスではない方の百万円相当の自転車に乗った荒川は、半径十メートル以内の目を尽く釘付けにするような体勢を保ったまま平気な顔をして話しかけてくる。俺は衝撃のあまり色々なことを忘れて、
「いや、まず俺の方から質問させてくれ。荒川、お前今どっから現れた?」
荒川は何でそんなことを聞いてくるのかわからないと言いたそうな顔で、
「え? 普通に道路を走ってきたんだけど。あたしも今日ここでランチしようと思ってたんだけど、そしたら江戸君がいたからビックリして。思わず飛んできちゃった」
(照)が続きそうな感じで荒川は言ったけれど、飛んできちゃったの使い方が普通とは違う気がする。まさか文字通り自転車ごと飛んでくる奴なんて初めて見たぞ?
俺がどのセリフから発せばいいか検討もつかないでいると、荒川は続けて衝撃の事実を語った。
「でもまさか江戸君も来てるとは思ってなかったなー。このお店ね、この前オープンしたばっかっていうのはもう知ってるのかな? 実は店長があたしの知り合いで、今日は特に予定もなかったから早速来てみたってわけ。中にラックも用意してくれてるみたいだし、ポタリングがてらにはピッタリだよね。あっ、ふたりは予約とかしてない? あたし予め連絡しといて席取っておいてもらってるから、良ければ一緒に入る? 三人くらい詰めれば座れるでしょ」
想定外の登場人物のおかげで何とか行列の一部と化すことは免れ、俺たちは首尾よく会談の席へつくことに成功した。宮も荒川も言っていた通り入口の脇にクローゼットの骨組みだけみたいな変なのがあり(これがラックというらしい)、これの上部に並んでいるフックに自転車が前輪を引っかけられて数台ブラブラとしていて何だか食肉処理場の光景のようだったけどふたりとも迷わず自分たちの自転車を仲間入りさせていた。自転車好きにとってはメジャーな保管方法らしい。
店内は外見に違わずと言った感じでテーブルも壁もシックな木目調。蝋燭の火のように淡い光で程よい薄暗さが保たれていて、まあ何ていうか、いかにもオシャレ志向な女子が好みそうな感じだった。この雰囲気に自転車設備を取り入れるとは店主も変わった趣向を持っているらしい。
ちなみにその店主と思しき中年男性は最初に現れたかと思うと荒川と親しげに言葉を交わしていたので、どうやら先ほどの荒川の言葉は本当だったようだ(後で聞いた話では、荒川が中学時代に出ていた自転車の大会だか何かの関係の知り合いらしい。詳しくはわからない)。
ふたり用の丸テーブルを無理矢理三人で囲い、俺はまず荒川の誤解を解くことから始める。確かに男女ふたり組でこんなシャレた店に来ていれば傍からだとどう見てもデート中のカップルだけど、ここに至るまでの過程を詳しく説明することで荒川はすんなりと理解してくれたようだった。
ちなみに俺は宮が信じ込んでいるように元々普通にこの店に来るつもりだったことにし、宮については本人が何故か委縮してしまって何も喋らないので、綺麗な女の子云々は省いて普通にサイクリング中だったということにしておいた。そしたらただ単純に偶然バッタリ出会ってしまって一緒にここまで来たってことになり、うん、そういうことにしておけば話がスムーズに進みそうだ。
「ふうん。そんな偶然があるのも驚きだけど、どっちかっていうとあたしは江戸君がここに来るつもりだったっていう方が驚きだなー。自転車に興味がある人だったらまだわかるけど、江戸君ないでしょ? それなのに家も遠いのにわざわざこんなとこまで来るなんてすっごい意外」
「そうか? まあ俺にも知られざる趣味があったってことさ。これを機に覚えておけな」
俺はテキトーに答えた。胡散臭い目で見てくる荒川は今日は俺が初めて見る私服姿だ。と、言ってもスカートにタイツの組み合わせは制服の時と変わらず、ずぼらなキャップとずさんなポニーテールも登下校時と同じだ。違っている箇所と言えば足元がローファーじゃなくてハイカットブーツなこととトップスがまあ特にコメントする必要もなさそうなくらい普通に女子っぽい感じなことくらいで、そこまで印象は変わらなかったので俺はやはりそこまで気にしなかった。
「それで、」
注文をし終えてから荒川が開口一番、
「じゃあ宮ちゃんが部活に入ってくれるってことでいいの?」
突然名指しされた宮はあたふたと、
「えっ、何、部活!? 何の話?」
まあいきなり言われたらそういう反応になるだろう。俺は元々そうするつもりでもあったので、ここで自転車部の話を宮にすることにした。
俺が荒川に付きまとわれていた理由に荒川が自転車を教室に持ち込まなくなるまでの経緯、水面下で進んでいる荒川を巡る事態等も交えて説明し、宮が大体の状況を把握してくれたのはちょうど注文したメニューが運ばれてくる頃だった。
「へぇ……そういうことだったんだね」
宮は納得したように頷きながら、
「自転車部かぁ。考えてもなかったなー」
心待ちにしていたパスタが目の前に置かれたというのに上の空を見ている。
「どう? 自転車好きなんでしょ? 入ってよ!」
荒川が五十嵐アリスに対して見せた時と同じようなキラキラワクワクした顔で押してくるのに対し、
「ううん……誘ってくれるのは嬉しいけど、ごめん、私はいいかなぁ」
宮はそう答えた。拒否の返答だった。
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