3-9.


 名前はわからなかった。俺からしたら彼女は教室で見たことがある程度の域を越えることはなく、実際その顔を思い出すまでこれだけ時間がかかっていまったくらいだ。


 確か教室の真ん中の辺りにいたような気がする。授業で発言したり発表したりしている姿をあまり見たことがないから、どちらかと言うと静かなイメージのクラスメイトだ。


 教室であまり目立たない、どこにでもいるような平凡な女子。周囲のクラスメイトと話すことも少なくひとりでいることが多いから気付かれにくそうだけどよく見れば意外と見た目は上の下くらいで、そんな清楚な雰囲気を好む男子もまあ探せばどっかしらにいるんじゃねというタイプの女子だった。


 顔見知り程度だろうがクラスメイトに会ったのだから、ここは話しかけておくというのが多数意見だろう。まあ普段なら俺は性格上気が付かなかったフリをするところだけど長らく孤独と退屈に喘いでいた俺は何となくその王道に乗っ取る気になり、


 「よう。俺とお前はどこかで会ったことがあるよな? ええと、名前は何て言ったっけ」


 俺がいきなりぶしつけに歩いていったのが悪かったのかセリフがクサかったせいか、彼女は不審者に話しかけられた時のような顔をして一歩後ずさった。


 その反応に俺が少なからず心を痛めていると、彼女は痴漢に対抗する意を決したような感じに、


 「えっと、あの、宮……って言います。江戸君……だよね? 一年一組で、同じクラスの」


 健気にも答えてくれたおかげで思い出した。そうだ、この女子は宮っていうんだった。下の名前は覚えてないしそれ以外のことも特に知らないけど。


 名字がわかったところで俺は単刀直入に言うことにした。


 「そうそう。よく覚えていてくれたな。それじゃあ宮、早速だが質問だ。何でこんなとこにいるんだ?」



 綺麗な白い髪をした不思議な女の子について行ったらここにたどり着いたんだと、宮は語った。


 「顔も髪もすっごい綺麗で……。ほんとに、おとぎ話に出てくるような女の子だったんだ。でも、いきなり姿が見えなくなっちゃって。角を曲がったところで急に煙みたいに消えちゃったから、探してたとこだったの」


 この辺りに住んでいるらしい宮は、家の近所をサイクリング中に同じく自転車に乗った女の子に話しかけられ、しばらくは一緒にいたんだと言う。


 その女の子について語った宮さながら憧れの人物を想像しているかのように目をキラキラとさせていた。まあ女性が容姿の優れた同性に対してどういう思いを持つのかといった乙女心論は俺の専門ではないからここでは考慮しないとして、宮の話を聞くにつれ俺の頭の中で生まれつつあった疑惑は急速に確信へと成長を遂げていた。


 宮が話した女の子というのはまずツーで間違いない。その容姿がどれほどまでに優れていたのかという宮的評価を参考にせずとも、自転車に乗った白い髪の綺麗な女の子なんてあの自称妖精くらいしかいないだろう。それに俺は、宮的には重要度二くらいしかなかったらしくさらりと流された話題――つまり、彼女がサイクリング中だったということ――にも注目せざるを得なかった。


 宮が跨っている自転車(ツーや荒川のように乗ったままではない)はこれまた大衆的な形の物でなく、少しクリーム色がかって落ち着いた色合いの白が印象的な、どこか古風な雰囲気を感じさせる代物だった。全体的なイメージを一言で表すならヴィンテージといったところだろう。荒川のおかげで自転車という乗り物が少なくとも普遍的にはただの鉄クズの一言で言い表せないのだという知識を得てしまった俺には、宮の自転車もまた、なのだということが望まなくともわかってしまった。


 ちゃんと手入れもされているようで汚れが少なく、スッキリとした見た目だ。ああ、俺はいつから自転車を見てそんなことを思ってしまうようになったのだろう――なんて俺の物思いはどうでもよく、重要なのはこれらの素材から予測される事実――つまり、宮もまた荒川や五十嵐アリスと同じ趣味を持った人間、であるということだ。

 

 「ところで、江戸君こそどうしてこんなとこにいるの? もしかして、実は江戸君もこの辺に住んでたり?」


 目をクリクリとさせながら宮は言った。


 身長的にはスバルと同じくらいだけど幾分この女子は童顔だ。赤ちゃんのようにふっくらした頬をプニプニさせながら、ツーほどではないけどそれでも十分に真ん丸と言えそうな目で見上げてくるせいで、俺は何だか人懐こい小さな女の子に何かねだられているような気分になっていた。でも本人にはその自覚がなさそうだったので俺はそんな気分に浸っていることはおくびにも出さず、


 「いや、違うよ。俺の家はもっと学校の近くの方だ。だからこの辺りではストレンジャーになるな。俺が何でここにいたかって言えば……、」


 本当のことを言うわけにもいかなかったので少し考え、


 「その、あれだ。この辺りに最近噂の上等なカフェレストランがあるって聞いたからな。今日は休日だし、たまには遠出して贅沢なランチをするのもいいかと思って、わざわざ足を運んできたってわけさ」


 デタラメを言った。まあ嘘だとバレることもないだろう。


 言いながら俺は、どうやって宮を勧誘しようか考えていた。ツーの言っていた自転車部に入ってくれそうな人というのはこの女子で間違いないだろう。こんなにも都合よく物事を進められるツーの幻想的なまでの巧みさは不思議に思うことすらない。俺が今やるべきはツーが用意してくれたこのシチュエーションを使って自転車部員を確保することのみだ。


 だから俺は、どのように話を切り出そうかと考えていたのだけれど――。


 「えっ。もしかしてそれって、カフェリリーのこと!?」


 「は?」


 藪から棒に宮川が謎の言葉を発したので俺は唖然とした。


 「いや、だから、この辺で噂のカフェレストランって、カフェリリーのことかなあって思ったんだけど……違ったかな?」

 

 宮川が気まずそうな顔をしようとしたので俺は思わず、

 

 「え? ああ、そうだ。そうだった、カフェリーだ。俺の想像してたイントネーションと微妙に違ったから一瞬何のことかと思ったけど、もうわかった。そこだ、そこに俺は行こうとしてしてたんだ」


 「カフェリー? カフェ・リリーじゃなかったっけ?」


 「カフェ・リリーだ。すまん、噛んだ。カフェ・リリーだったな。それにしても、よくわかったな。行ったことあるのか?」


 「ううん、まだないんだ。でもすっごい偶然。実は私も今日そこに行こうと思ってたところだったの! 今週オープンしたばっかりだから、今日絶対行こうって決めてたんだ。ええー、でもほんとにビックリ! 偶然同じクラスの人と会ったかと思ったら、行こうとしてた場所も一緒だったなんて」


 何だ何だ。どうなっているんだ。俺はカフェ・リリーなる店の存在は初めて聞いたしそんなところに行くつもりは宇宙空間に存在する酸素の割合ほどもなかったぞ。何故だ。何故俺は今こんな、クラスの女子と共通の話題で盛り上がって仲良くなっちゃうみたいな流れを作っちまってるんだ?


 かと言って今さら誤魔化すこともできずに俺は、


 「ああ……そうだな、ビックリだ。俺もまさかあの店に興味を持つような高尚なクラスメイトがいたなんて思ってもなかったよ。何ならここで会ったのも何かの縁ってことで、一緒に行くか?」


 宮は最初は戸惑った様子だったけど、少し考えた後、心なしかどこか嬉しそうな顔をして「じゃあせっかくだし」なんて返事をしてきたのだった。



 待て待て、俺は一体どこに向かおうとしてるんだ? 誰か止めてくれ。

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