3-2.

 

 ちょうど教室に戻ってきてトラックがどうこう言っていた奥田を無視し、生理的に受けつけない男にデートに誘われた時よりも乗り気じゃなさそうな荒川を引っ張るようにして俺は二年生の教室がひしめくフロアへと向かう(実際荒川はゲッソリとしていて自分で歩こうとする気配がなかったから無理矢理引っ張るしかなかった)。

 

 何故俺がここまでするかと言えば理由はただひとつ面倒な事はさっさと終わらせたかったからであり、またこのような場合に取り得る選択肢は逃げるか遂げるかのふたつだけで俺はこの時諸事情により後者を選ばざるを得なかったわけであって、つまりは荒川問題から早く解放されたかったんだ。


 こうなったときの俺の行動力はご覧の通り猛進する猪顔負けの凄まじさがあり、俺は周りにいるのが上級生だということも忘れて蛆虫どもを蹴散らす気分で二年生の教室を見て回った。

 

 「……いないな」

 

 一息ついたところで俺は呟く。


 共学化しているのはまだ一年のみのため、どこを見ても女子しかいないという風景に男子である俺はただならぬ場違い感を覚えつつも全クラス及び廊下に出ている人たちも含めて確認して回ったのだけれど、スバルが言うところのキラキラなブロンドで目も奪われるような美貌の女子生徒はどこにも見当たらなかった。


 学校の有名人レベルの容姿を持ち主ならそれだけで事前情報は十分だと思ったのけれどいささか無謀がすぎただろうか? しかしブロンドの生徒なんてそうそういるもんでもないし(実際今見てきた限りじゃひとりもいなかった)、他の生徒からの注目の的でもあるというのだからいればすぐにわかりそうな気もするんだけど……。

 

 俺が頭を悩ましていると荒川がぽつりと、おそらくこの日の第一声を発し、

 

 「学食でも行ってんるじゃない? 昼休みだし」

 

 嫌々感満載な口調にしてはまともな意見だ。

 

 「それだ」

 

 俺は速攻で方向転換して再び荒川を引きずる。腕を引っ張られながら荒川が何やらわめいていたような気もしたけど俺は気のせいにして食堂まで直行した。


 

 俺は弁当派というか何も言わずとも朝には家に弁当が用意されているのであまり使わないのだけどこの学校にも一応食堂があり、昼休みの時間帯には学食派の生徒が群れで押し寄せてくるため歩く隙間もないくらいにごった返している。


 一年生のフロアでは多少女子の割合が多いものの、それでも少なくない数の男子が盛んに生息していて共学チックな風景が当たり前となっているけれど、当然の如く全学年が集まるこの場所で見えるのは女子、女子、女子。たまに人間に変装して人間社会に潜む宇宙人のように一年男子が混じっているけど、まあ統計すればここにいる生徒の九十九パーセントが女性という結果が出るだろう。奥田のような平凡たる男子が学食を使わない(使えない)理由がこれである。

 

 俺としてもそんな中にヘラヘラと飛び込んでいって教室を間違えた恥ずかしい奴みたいな目で見られるのはごめんだったため一歩外から全体を見渡していた。入らずとも学食の全景はほとんど確認できるのだから、キラキラブロンドの美女がいればすぐにわかるはず――だったんだけど。

 

 「……いないな」

 

 俺はまた呟いた。スバルから聞いたイメージと合致するような人影は見えない。いるのは黒、黒、黒、たまに茶とか、地味色の髪をした生徒ばかりだ(ちなみに校則で髪を染めるのは禁じられている。荒川の茶髪は地毛らしい)。

 

 「どうすんの?」

 

 隣から荒川が睨んでくる。どうすると言われても、俺にはそれ以上妙案は思いつかなかったためとりあえずテキトーなことを言った。

 

 「とりあえず散歩でもするか」


 

 

 校舎内を見回ってそれらしき人物を探すという名目のつもりだったのだけれど、中庭に出たところで俺は疲れてベンチに腰を下ろした。


 何か不平を言ってくるかとも思ったけど思いの外荒川も疲れていたようで、何も言わずに俺の横に座ってきた。今朝からやけに口数が少なく覇気のない荒川は、そうしていればそれなりに可憐な女子のようにも見える。センチメンタルでか弱い女の子とふたりきりでいるという妄想シーンを想像しかけた俺は相手の本性を思い出して途端に我に返り、

 

 「お前、今日元気ないよな。そんなに自転車が傍にいないと寂しいか?」

 

 「それもあるけど、」

 

 意気消沈した様子で荒川は言い、続けてため息のような声で、

 

 「疲れた」

 

 本当に人生に疲れたような顔をしている。何が彼女にここまでの心理的負担をかけているのだろう。俺はいたたまれなくなり、

 

 「昨日の今日で何をそんな疲れてんだよ。自転車と別れるのが悲しくてベッドの上で泣き疲れたとかか? 情けねえな」

 

 「違うよ!」

 

 荒川は強く言い返してきたものの、やはりその目には癒しても癒し切れないような深い疲れの色が見える。そのあまりの負の感情の大きさを前に俺が自分の存在が蚤のように小さく思えて何も言えずにいると、荒川は思い切ったようにして、ゆっくりと口を開いた。

 

 「電車なんて初めて乗った。何あれ。あり得ない。無理。何であんなぎゅうぎゅう詰めの中にいて皆平気なわけ? 頭狂ってんじゃないの? 立ってるの疲れるし息苦しいし、それに、それに……あーもう、思い出すだけで嫌! 嫌嫌嫌嫌! 気持ち悪い。気分悪い。最っ低!」

 

 荒川は言いながら心底不愉快そうに両腕で自分を抱きしめ、体中を蛆虫が這っていて身悶えするようにソワソワしていた。乗車時間中ずっと痴漢に遭い続け吐き気を催しているような顔をしていたけどまあそれはないにしても実際近い気分でいたのかもしれない。


 電車に初めて乗ったというのはこの女子に限ってはもはや信じがたい話でもないし、どうせ自転車のことしか考えていない荒川のことだ。朝の通勤通学ラッシュというのがどんなものかも想像しないで駅へと向かったんだろう。自転車に乗って風のように自由奔放に生きてきた彼女にとってはさぞ地獄のような気分だったに違いない。ご苦労様と言ってやりたい気分だ。何を隠そう俺だって、それが嫌だからという理由だけでこの学校を選んでるんだからな。これが先見の明を持っているかいないかという違いさ。

 

 「そいつぁ気の毒だな」

 

 何となく自分もあらぬ非難を受けているような気がしたから俺はそう言っておくだけに留めた。

 

 荒川がまた沈黙モードに戻ってしまったため、俺も動くに動けずその場でじっとしていた。前を通りかかる生徒たちがたまに気まずそうに早足で抜けていったり気の毒そうな目を向けてきたりしたような気もしたけど、頭上に広がる壮大な青空を見上げていればそんな些末なことは気にならなかった。


 

 学校中をピクピクと震わせるような昼休みの喧騒が収まってきたように感じられ、もうすぐ授業も始まるかと思われた頃。俺は寝そうになっていた頭を覚醒させて同じく船を漕ぎ出していた荒川を起こそうとしたのだけれど、そこへやって来た人物の姿があった。

 

 「あのぅ。荒川輪子さん、で合ってるかしら?」

 

 ふわふわの綿が耳を撫でてくるような感触のする、やわらかく優しい声だった。

 

 見るといつの間にか俺たちの座っていたベンチの横にスラリと長身の女性が立っていた。カールがかったブロンドのロングヘアに目鼻立ちのくっきりした色白の顔。一見すると白人留学生のような雰囲気だったけどよく見ればその顔には日本人女性特有の比較的子どもっぽい可愛らしさじみた表情が混ざっており、これはつまり国籍違いの両親のもとに生まれた混血、いわゆるハーフとかダブルといったタイプの人なんだと俺は直感した。いや、直感するまでもなく普通に見ればわかったんだけど。

 

 眠気に侵された頭の奥に深く沈みかけていた記憶が急浮上してくる。ブロンドの髪。モデルのようなルックス。高い背。抜群なスタイル。ハーフ。目を奪われるような綺麗な人。


 俺がそれらの要素が当てはまる人物の名をあともう少しで手が届きそうな記憶から必死に引きずり出そうとしていた矢先に、眠そうに顔を上げた荒川を見てその人は歓喜のあまり飛び跳ねるようにして、

 

 「そうだよね! 合ってるよね。あの輪子ちゃんだよね? ああ、やっと会えた! 嬉しいなぁ幸せだなぁ。嬉しすぎてあたしもうどんなきついトレーニングもこなせそうな気がする!」

 

 ひとりで夢見心地になり出した彼女はやがてハッとしたように居住まいを正したかと思うと、

 

 「あら、ごめんなさいっ。あたしったら勝手に浮かれちゃって。自己紹介が遅れたわ。あたし、二年一組の五十嵐アリスって言います。どうぞお見知りおきを」

 

 そう言って小さくお辞儀をした。思わずこっちまで姿勢を正してしまうくらい慇懃で親しみのこもった仕草だった。

 


 五十嵐アリス。



 スバルの話をきっかけについ先ほど知り、わずかな情報だけを頼りに俺たちが今の今まで探していたその人に、どっからどう見てもその人は合致していた。

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