第3章.自転車好きを探して

3-1.

 ◆

 

 激動の時代を経てやっと平穏を手に入れたこの世界。


 誰もが心のわだかまりを大空、そして遥かなる宇宙へと解き放ち、地上の安寧に身を委ねていた昼休みのこと。そこにはただひとり、隠されていた最後の敵を倒し、真の安息をこの世にもたらすべく人知れず闘いを続ける男がいた。


 でもそんなことは世間一般的にはあまり知られていないことで、表向きにはひたすらのんびりしたいつも通りの昼休みのこと。

 

 「たまに学校の前に停まってるすんごいおっきいトラックの話って知ってる?」

 

 教室へ戻ってくるなりスバルが話し出した。

 

 「一週間に一回くらいの頻度らしいんだけど、日本じゃめったに見ないような長いトレーラー付きのトラックが学校に横付けしてることがあるんだって。何の車かもわかんないんだけど、昼休みとか放課後にいることが多いみたい。他のクラスの友達に聞いてきたんだけど、今もいるんだって。何してるんだろ?」


 弁当の包みを開けながらスバルは不思議そうな顔をしている。既に奥田と共に弁当の中身を突いていた俺はこの時トラックよりも昼ご飯の方が興味があったので聞き流すに留まった。


 「俺も前その話聞いたことあるよ。危なそうな人がいっぱい集まってるらしいよな。こえーけど後でちょっと見に行ってみるか」


 奥田がモゴモゴと喋った。確かに俺も話だけなら聞いたことがあったけど、やはり俺は次に食べようと思っている肉団子の方が興味があったから聞き流すに留まった。

 

 しかしそんな俺を他所に、奥田は行動力のある男だった(少なくともこの時だけは)。


 さっさと弁当の残りを片付けたかと思えば、その辺にいた男子を連れて外へ出て行ってしまったんだ。スバルが持ち込んできた話の真偽を本気で確かめるつもりらしい。女子の前で目立とうとしゃしゃり出ただけ感が否めなかったのはさておき、スバルも昼休み中の他愛もない会話に些細な話題提供をしただけのつもりだったみたいであっけに取られていた。

 

 「行っちゃったね」

 

 そんなことを言われたので

 

 「行っちゃったな」

 

 俺もそんな返事をしておいた。

 

 昨日の放課後にこの教室でどんな残酷なやり取りが行われたかも知らない奴は気楽でいいなと、俺は多少の僻みを自分の胸に発見する。

 

 しばらく食べ物を咀嚼する音のみに空間を支配され、でもそんな一コマも計算のうちだとでも言うかのような不自然さを感じさせない絶妙なタイミングでスバルはまた、


 「江戸君。二年生の五十嵐さん、って知ってる?」

 

 「知らないな」

 

 俺は正直に答えた。俺がこの学校で名前を憶えている人物はまだ手で数えられるほどしいなく、その中には上級生はおろか一年一組以外の人間は入っていない。

 

 スバルは俺のそっけない返事も全く意外に感じていない様子で、

 

 「二年生にね、モデルさんみたいに綺麗で有名な人がいるの。私も実際には一回しか見たことないんだけど、すっごい背が高くてスタイルも良くて。ハーフみたいなんだけど、白人さんみたいに肌も綺麗だし顔もちっちゃいし、何よりブロンドの髪がすっごいキラキラしてて目を奪われちゃうんだよね」

 

 そう語るスバル自身の目にチラチラと微かな輝きが見えるようだったので本当にそう思っているらしいけど、


 「そうなのか」

 

 俺はそうとしか答えられなかった。そんな超絶美人上級生がいたところで俺には関係がない。

 

 スバルは続けた。


 「そうそう、でね、これもさっき聞いてきたことなの。その五十嵐さんなんだけど、何だったかな、サイクリングのプロチーム? ジュニアチームとかだったかな? とにかくそんな感じのチームに入ってて、本格的な自転車競技をやってるんだって。けっこうすごいんだってね。どんな感じにすごいのかは、私自転車詳しくないから正直よくわかんないんだけど……。でも、どう? 自転車部の部員に、その人ならなってくれるんじゃないかな?」

 

 この会話の脇でひっそりと箸を動かしていた荒川がふと動きを止めたのがわかった。

 

 ちなみに今日はその隣にあるはずの自転車の姿はない。部活を作る手伝いをする代わりに、部室を確保するまでは自転車登校をやめろと俺が念には念を押し潰す勢いでに入れたのをどうやら聞き入れてくれたらしかった。


 ただその代償としてか、今日も彼女の機嫌はひたすら悪い。というかどういうわけか疲れ果てている様子で、朝登校してきた瞬間から衰弱してしまったかのように静かだ。彼女の周りで下がり切った気温は教室全土に広がっているようで、心なしかクラス全体までもが真冬の体育の授業後かと勘違いしてしまうくらいお疲れムードに入っているような感覚さえする。


 自転車が持ち込まれなかったのはこのクラスにとってはクラスメイトのひとりが突如行方不明になったのと同じくらい衝撃だったはずだったのに、当の本人がこんな様子なので誰も聞くに聞けず、「自分たちには理解のし得ない何かが彼女の身に起こったらしい」と思うことで納得したらしい。


 水面下で行われたその何かの内容が内容なだけにテラサキもあえて事の次第は語らず、その点は俺にとって幸いだった。荒川と一緒に部活動作りをするなんてことが知られたら俺まで狂人扱いかねない。


 でもまあとにかくそんなわけで俺は、今はそんなクラスの空気に気分を左右されている暇なんてないんだ。思わず弁当箱を落とすようにして机に置き、スバルに向かって身を乗り出すようにして、

 

 「何でそんな話をもっと早く言わなかったんだよ」

 

 「何でって言われても。だから言ったじゃん、五十嵐さんが自転車好きだって知ったのはついさっき、今朝のことなの。自転車が好きな人に心当たりがないかって他のクラスに聞き回っていたら、その話をしてくれた人がいてね。私も五十嵐さんのことは知ってたけど、そんな本格的なスポーツ、しかも自転車競技をやってるなんてイメージ全然なかったからビックリしちゃった」

 

 聞くや否や、俺は弁当の残りを口に掻き込んで勢いよく立ちあがる。何事かというクラス中の視線ももはや慣れたもので気にすることなく、俺が向いた先にいるのはただひとり。嫌そうな目をしながらも従うしかないから渋々といった何だかいつの間にか立場が逆転しているような気をさせなくもない顔をする荒川に向かって俺は言った。

 


 「部員を確保しに行くぞ」

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