2-6.


 沈みゆく夕日を眺めながら俺は進む。通学路にしているこの道の利用者は一向に増加の傾向を見せることがなく、今日も夕空色のこの世界に俺は相棒と二人きりだった。


 「ねえどうしてリンコと喧嘩したの。仲良くしてって言ったじゃん。ねえどうして」


 さっきからツーは延々とそんなことを言いながら俺の横を並走している。文字面だけ見れば責められているようにも思えるのだけれど、当のツーはそのセリフをいつもと同じように口ずさむような調子で言い、表情も変わらずやわらかい笑顔のままなのだから妙な感じだ。


 「別に喧嘩なんてしてねえよ。あいつがひとりで勝手にキレただけだろ。この年にもなってまったくよ……情緒不安定かよ」


 ツーは現れる度にその日学校で起こったことをピッタリ言い当ててくるのだけれど、どこかから見られているのだろうか? 一体何者なんだろう、というのは俺が既に考えことを放棄した疑問であり、その文字列もはや意味を成すことがない。この自転車少女の謎は気にした方が負けだ。謎が多すぎてキリがない。


 「リンコはひとりで勝手にキレたりなんてしないよ。そんなにバカじゃないよ。江戸さんがヒドいこと言ったから、リンコ怒ったんだよ。ヒドいこと言わないで」


 「何か俺が悪いみたいになってるけど、絡んできたのは向こうだぜ? 俺はちゃんと会話拒否の意思を示したってえのに。それに俺、別にあいつに対してそんな変なこと言ったか……?」


 俺が午前中の会話の内容を思い出そうとしていると、

 

 「言った」

 

 ツーがきっぱりと言ってくる。

 

 俺は憤懣たる思いで、

 

 「何だよ。俺が何を言ったってんだ?」

 

 「自転車のことバカにしたでしょ」

 

 ツーの言葉で俺は荒川輪子に殴られる直前の自分のセリフを思い出す。そういえば確かにそんなことを言った気もするな。確かあの時はあいつのしつこくて強引なまでの勧誘にイライラして――


 「リンコね、自転車の悪口言われるの嫌いだから。自分のこと悪く言われるより自転車をバカにされるほうが嫌なんだ。それくらい自転車が好きなの。だから、リンコの前では自転車の悪口言わないであげて」


 知らねえよそんなもん、と言いたいところだったけどそれは口にせず、実際俺はもう自転車のことを鉄の塊だとか言うのはやめようと思っていた。少なくとも口に出すのは避けた方が良さそうだ。荒川輪子が感情の起伏の激しい奴だということは前からわかっていたけれど、まさか暴力沙汰になるまでキレるとまでは思っていなかった。軽くトラウマだぜ。これから一年は自転車ってワードを聞いただけで身構えてしまいそうなくらいだ。


 何だろう。この状況、本当なら俺も怒りをあらわにして良さそうな気がするのだけれど、網膜にこびりついて離れない最後に見た荒川輪子の顔が、何となく俺の怒りの感情の浮上を阻止しているのだった。


 彼女は泣いていた。涙を流すのも惜しまないくらい怒っていた。憤怒に駆られていた。そんなに自転車が大事なのか? バカにする人間が許せないくらい大切なのか?


 俺には到底理解できそうにない考えだったけれど、荒川輪子の本気の表情を見てしまった今、何となく侮るような気にもなれなかった。我ながら俺らしくもない。複雑な気分だ。


 「リンコと仲直りしておいてね」


 そう言い残してツーは去っていく。自転車云々はまあいいとしてもそれとこれは話が別だ。元より俺はあの女子と仲良くする気なんてないのだから仲直りもクソもへったくれもないぜ。


 家に帰るとこの日はさすがに隠し切れなかったようで、鋭い妹が何があったのかとやたら聞いてきたがあの手この手を尽くしてはぐらかし、俺は雑念を取り払うべく床に就く。



 ああ、明日から厄介なことになりそうだ。

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