1-4.

 

 素人の俺でもそこらで見かけるような一般的な自転車じゃない、競技用であるとわかる自転車――ロードバイクというやつだろうか? テレビか何かで見たことがある気がする――を、その女子は軽々と片腕で担いでいた。格好はこの学校の制服で間違いなく、着こなしも抜群で足取りはこれでもかというくらい堂々としている。日焼けを感じさせない綺麗な肌に端正な顔つき、焦げ茶でミディアムショートな髪――と、この辺りまでならただの容姿端麗な女子生徒という枠に十分に収まったはずだ。でも、ここからがなんとなんと――頭にはこちらも無駄に堂々としたキャップを目深に被っていて、後ろで括られた髪は無残にも根元からざっくり切られた馬の尻尾のようなボサボサのポニーテールを形成している。

 

 極めつけはその異形の荷物だ。俺のような一般人がよく知るシティサイクルとは明らかに形の違う、タイヤやホイールにフレームまで全体が著しく細く薄く徹底的に無駄をそぎ落としちゃいました(照)といった感じの自転車が宙に浮いてそいつとくっついているんだ。ああなんというミスマッチ。これはかなりの衝撃だった。まさか自転車を入学式に持参する女子生徒がいるなんて誰が想像できたことだろう。教師陣もさぞ驚いたに違いない。

 

 歓迎すべき自校の新入生が本格競技用自転車を片手にズカズカやって来るんだ。もう少し想定の余地がある物だったらちゃんと厳しく止められでもしただろうに、さすがにあんなにも堂々と、可憐な女子とも思えない軽々しさで自転車を担いで場内を闊歩されれば怯んでしまうのも頷いてしまうというものだ。

 

 後ろから数人の教師と思しきスーツを来た人間がその女子生徒の後ろについていきながら語りかけている。注意しているのだろうけど、情けないことに見るからにオドオドと腰が引けていた。でもそんな教師たちの威厳のなさを嘆く気にもなれないほどにその女子は毅然としている。どんなことがあっても決して屈することのなさそうなその楊々とした態度は、凛々しくさえも見えた。自転車を持ち込んでいる女子生徒が偉く、教師たちの方が足元にも及ばない下っ端の中の下っ端で、今にも平伏しそうな勢いで懇願しているように見えてしまう図になっていた。

 

 気付いた時には会場が静まり返っていた。というか、凍り付いていた。その時の場内の様子を映した写真があれば、新入生全員ひとり残らずが口をぽかんと開けている異質な作品に仕上がっていただろう。

 

 オーディエンスが閉口し切っているおかげで、件の女子生徒を巡るやり取りはよく聞き取ることができた。

 

 「だーかーら、嫌って言ってるの!」と、女子生徒は動物嫌いが野良犬を見るような目で教師たちを睨みつけながら、

 

 「外に置いとくなんて絶対嫌! 何度も言ってるけど、自分の目の届かないところに放置するなんて無理だから! 何か言わせたらわかんの?」

 

 どうやら自転車の置き場所の話をしているようだ。まあ状況からして至極当然の話題と言えよう。

 

 教師たちも必死の形相で訴えている。

 

 「せめて会場の外にでも! 自転車置き場でなくてもいいから、入口の隣に保管しておくのならいいだろう! ちゃんと見張っておくから、誰かにいじられる心配もいらない!」

 

 「はあ? バッカじゃないの? 誰があんたたちなんかにこのコを任せられると思うの? 見ず知らずの人の言葉に簡単に頷いて自分の大事なものを預けるほどあたしはバカじゃないから!」

 

 「見ず知らずの人って……私たちは一応、教師なのよ! あなた、新入生でしょう? これからあなたたちと一緒に過ごしていくことになる、先生よ!」

 

 「だから何? 先生ですはいそうですかってポンポンと信じられるとでも思ってるの? この子の価値に目ぇ眩ませて悪知恵働かせる奴が絶対いないなんて誰が保証してくれるって言うのよ」

 

 「君なぁ、先生に向かって――」

 

 そんなやり取りがずっと続けられていた。観客勢軒並みドン引きである。誰もが驚愕に目を見開き呆然として言葉も発せられない状況ではあったが、それでも雰囲気でわかる。『こいつはヤバイ』という言葉が誰もの頭の中に浮かんでいたことだろう。実際ヤバイ。ヤバかった。ここで同感を得られないのならば諸君、速やかにご退出願いたい。俺の語りはさぞ窮屈だろうからな。人間誰でも、馬が合わないということはあるもんさ。仕方ないってもんよ。

 

 話を戻す。件の女子生徒の言い分には確かに現代社会に照らし合わせれば一理ある箇所があるように聞こえなくもなかったけれど、ここは学校だ。しかも入学式会場だ。そして、話している相手は先生なんだ。教師と生徒の関係性の中にそんな社会の訓戒のようなものが存在していては学校という組織そのものが成り立たなくなってしまう気がするんだけどな……気のせいだろうか?

 

 まあ他にもわけのわからないことを言っていることからして、俺が思いついたような些細な疑問点はこの女子生徒の頭の中には電子顕微鏡で覗いたところで見つからなかっただろう。と、こんな感じに彼女は入学式開始前にして全新入生の双眸にその姿を惑星破壊レーザー並みの威力で焼き付けたわけなのだけれど、その中でも個人的に印象的だったのは、彼女のセリフの中に度々入るこの子というのがおそらく担がれている自転車のことを指しているのだということだった。自転車がこのコ? 子どもの子と書いてこのコ? それは子なのか? 生きているのか? ペットじゃあないんだぜ? 自転車だぜ? この女子生徒には車輪が眼鏡にでも見えているのだろうか? 

 

 事態は会場にいた教師がフル出動するまでに発展し、そうまでしても手に負えなかった。中には強引に女子生徒の身から自転車を引きはがそうと試みた勇敢なる教師もいたが、それに至っては容赦なく強烈な蹴りを入れられるという始末。だんだん剣呑な空気が漂うようになってきて、そろそろ何か色々とヤバいんじゃないかと思われた頃(入学式の開始時間的には実際ヤバかった)、どこからともなく会場の前の方にひとりの初老の男性が姿を現した。


 人畜無害そうな表情をしながら、しかしどこか貫禄を感じさせるその男性(雰囲気からして校長か教頭かその同等レベル)はまっすぐに騒動の現場へと歩み寄り、何やら声をかけたようだった。彼は相当数の人生の経験値を伺わせる落ち着きオーラを放っていて、怒声をあげるようなこともなかったので何を言ったのかは聞き取れなかったけれど、それで事態が拍子抜けするほど一気に解決の方向へ動いたのは間違いなかった。


 偉そうな雰囲気の男(以下偉男)が現れたことで教師陣も慌てたように平静を取り戻し、騒いでいた女子生徒も魔法をかけられたかのように大人しくなる。偉男と女子生徒は一通りやり取りをすると、女子生徒はすんなりと担いでいた自転車を下ろし、サドルに片手を添えて並んで歩くように進みだし、前の方――俺の方――に向かってきた。先ほどとは見違えるほどに軽やかな足取りで、隣に並んでいるブツさえなければそのステップだけでもう少し多くの男子の心を盗むことができたに違いない。俺はそんな彼女に目を奪われていることに気が付いて恥ずかしくなったからというわけでは決してないけれど近づいてくる彼女と目が合うのを恐れてさりげなく前に視線を戻した。その甲斐あってか自転車と並んで歩く彼女は誰を見ることもなくスタスタと俺の横を通り過ぎていく。


 カチカチみたいなチチチみたいな、異音なのかわからないけど精巧に作られた鳥型ロボットが壊れて狂ったように延々と鳴き続ているような嫌に甲高い音が件の自転車から発せられていた。大分耳に障るけど大丈夫なのだろうか? それにしても、よく片手であんなにも軽々と一台の自転車を運べるもんだ。自転車の方はサドルしか支えられてないのに、まるで本当に生きているかのようにバランスを崩すことなく綺麗にまっすぐ進んでいる。

 

 女子生徒は最前列の辺りまで来ると、そこで壁に自転車を立て掛けた。さっき後ろで偉男がその辺りを指差していたのは、どうやらそこに自転車を置いていいという意味だったらしい。教師たちの中には不服そうな様子の者も数人いたが、偉男に逆らえないでいる辺り偉男は実際偉そうだった(この後偉男が校長の挨拶でステージに現れたことにより校長だったことが判明するので以下校長)。

女子生徒は立て掛けた自転車が安定したことを確認すると、そのまままっすぐ横――列の方に向かって歩きだした。可哀そうなことにその進路の方向にいる生徒たちは男女問わずビクつき、でもそんなことはお構いなしに女子生徒はスタスタと席に歩み寄り――座った。先刻のやり取りのせいで不機嫌だったのか大分勢い良かったけど、ドスンと言うよりかはトスンという感じの軽やかな動作だった。


 最前列右端。つまりそれは彼女がどこかのクラスの出席番号一番であることを意味する。クラスは数字は言うまでもなく、数字の最も若い組だ。


 すなわち一組。一組一番。


 ……えーと、俺のクラスは確か一組だったから、良かった。あの女子生徒とは少なくとも一年間は関わり合いを持たなくて済みそうだ。あんな変な奴と一緒のクラスなんてごまんだからな。良かった良かった。安心した。



 俺は一組。あの女子は一組。



 重要だからもう一度。



 俺は一組。あの女子は一組。



 ――あれ?

 

 

 自分が自然界の王だとばかり思っていたチーターが絶滅したはずのティラノザウルスに出くわしたときばりに頭が猛ダッシュして現実から逃げているようだったけど、現実というものはそこまでどんくさくなかったみたいだ。


 件の女子生徒は俺と同じ列にいる。これが意味するところは――。


 考えるまでもなく、俺は既に気づいてしまっていた。

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