1-3.

 

 東京湾に臨むかなりおニューな再開発地区。街の一角にある聖ローレンス学院高校というのが俺が進学先に決めた学校だ。無宗教な俺には何やら厳かな名前の響きが耳に残るこの高校、去年までは女子高でしかもかなりのお嬢様学校だったらしく、どんな経緯があったのかは知らないけれど俺の代から共学化されることになり近頃巷で話題になっていた。

 

 何でも、男女共学とすることでより生徒の社交性の向上に努めるだかなんだか知らないがそれとともに教育方法も一新し、都内トップの進学率を目指すべく学校改革に乗り出したなどということは学校案内で何度も聞いた。実際、この学校は元々レベルも高く、進学率も決して悪かったわけではない。中学でも進学先によく挙げられていた学校のひとつだった。そんな名門校がより高度な教育を目指すという方針になったらしく、入試難易度も倍率もこの年から急激に上昇したのだという。逆バンジージャンプ並みに跳ね上がった入試問題に悲鳴を上げている中学時代の同級生を俺は何人か見たことか。つまりはそれなりに評判も実績も高い学校なわけだ。

 

 俺が何故この学校を選んだかといえば、実はその有名大学への進学率に惹かれたわけでもなく学校の確固とした教育理念を魅力に感じたわけでもなく、さすがお嬢様校といった感じの学校離れした近未来的に洗練されつつも居心地の良さを残したデザインの校舎が好きだったわけでもなく、果ては今年から共学化されるという事実から必然的に類推される圧倒的な女子生徒率の高さに胡乱な欲求を掻き立てられたわけでも決してない。


 じゃあ何かといえば家から近いからだ。なんと言ってもこの学校は我が家から徒歩圏内唯一の高校である。選ばない手はない。

 

 と、言ってもおよそ徒歩三十分という距離ではあるが、電車で一時間かけて通学するとかいうのよりははるかにマシだ。天と地ほどの差があると言っても。俺にとっては過言じゃあない。自転車と同様、乗車時間含めて二十分の学校があったとしても徒歩三十分を選んでしまうくらい俺は電車に乗るのが嫌いだ。面倒だ。億劫だ。いちいち駅まで歩いて蟻の巣の中みたいな人混みを掻き分け改札を抜けてホームまで上がって電車が来るのを待って車内に缶詰めにされてやっとのことで降車駅にたどり着いて外へ出てそこからまた学校まで歩くなんてプロセスを考えたら、ただ歩いて空いた道を歩いていくだけの通学路のまあなんと楽なこと。まあ正直なところ、その歩くのも面倒っちゃ面倒だけれどだからといってじゃあ学校行かないなんてだだをこねるほど俺も精神年齢がオコチャマなわけではない。面倒臭さをいかに最小限に押し留めて効率的な高校生活を送るかを重視して導き出した結論がこれなんだ。

 

 と、まあそんなわけで俺はこれから三年間世話になる予定の学校まで徒歩でやって来た。運動馬鹿の妹にいつも筋トレを強要されているおかげでこれくらいの散歩はそこまで苦にならない。その点だけは妹に感謝しておこう。

 

 入口の案内に従って入学式が行われる体育館へと足を運ぶ。なんとこの学校の体育館は校舎四階にあった。どういう構造の建物になっているのかと少し気になったがまあそういう構造なのだろうと考えるのをやめ、クラス毎に決められた列の席へ向かう。下で見てきたクラス分けの張り紙によると俺は一年一組ということだった。覚えやすくていい。

 

 出席番号順に指定された席に座る。列を前方、中間、後方というゾーンに分けるとしたら俺は名字的に前方ゾーンの真ん中辺りとなり、別にそのことに対しては原稿用紙に書けるような感想を持つこともなく着席して式の開始を待った。一組のため、列は右端だ。右側がすぐ通路となっているおかげで開放的なだけありがたい。

 

 俺が会場に入った時点では新入生の半分ほどが既に集まっているといった感じで、俺が以後数十分間は動かないであろう定位置についてからも続々と他の生徒が入ってくる。

 

 予想済みではあったがけどやはり女子の割合が高い。事前情報だと女子と男子の比率は二対一ほどで、ここから見た感じもそれに違わずといった感じだ。特に不安も期待も湧かない。恋愛好きな男子にとっては恋人探しが楽になるだろうとは思うがその点では今のところ俺にとっての利点がない。恋愛は大学に入ってからでいいと思っている。面倒臭そうだし。たぶん。

 

 入学式開始まで後五分ほど。会場は独特の緊張感で満たされ始めた。俺もそろそろ待つのに飽きてきて、もっとゆっくり来れば良かったと若干の後悔の念を抱き始めた頃、俺は会場の入り口の方が何やら騒がしいことに気が付いた。しかし見たいと思っても後方の入り口はもう密着に近い環境で着席する新入生の行列の前方に位置している俺からは見ることが難しく、わざわざ立ってまで確かめたいと思うほどただのざわめきが興味深いわけでもない。結局気にすることに疲れた俺は目下の関心を目の前の男子生徒のつむじに戻したのだけれど、このとき面倒がらずに振り返っておけばと後々あんなに悔やむことになるなんて――というのには語弊があり、実際見ても見なくても結果は変わっていなかったと思われる。後方の騒ぎが収まったように感じた矢先のことだった。俺は入場してきた女子生徒に五寸釘でブッ刺されるが如く目を釘付けにされた。

 

 入口での騒動が、徐々に前方に、迫り来る影のような気配をムンムンにして、俺の方に近付いて来ているように感じられた。さながら嵐の前の静けさのように、俺は自分の周りにいる生徒たちが一斉に口をつぐんでしんと静まり返ったような気さえした。

 

 身体に備わる本能が何かしらの危機を察知したのか、俺はふと横目で右後方――通路の方をチラリ覗く。そして俺の視界に入ったのはとあるひとりの女子生徒。この日に体育館のステージに立って演説したどの人間よりも会場内の多くの目を、その一瞬だけで丸ごとかっさらっていったひとりの女。

 

 どっからどう見ても同じく新入生の女子――パッと見で顔もスタイルも優良。それがなかったところで多数の男子の目を盗んだに違いない――が、なんということだろう。自転車を担いで入場してきやがったんだ。

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