僕らは見つめあうことができない
九十九 那月
第1話
昔から、誰かの敷いたレールの上を走らされているような感じがずっとしていた。
一つ注釈を入れておくと、それは別に不快なことではなかった。僕にはもともと、将来どうなりたいか、なんて希望はなくて、何となく、適当な一般企業に就職してサラリーマンになって、結婚はしようとしなかろうと、取り敢えずお金を稼いで、そしていつか死ぬのだろう、と、そんな風に考えていた人間だったから、程々の学力さえあれば後は人の言うことをちゃんと聞いていればいいだけ、という社会の構造はとても分かりやすくて、楽だった。
けれど、それも大学に入るまでのことだった。
大学に入った僕は、そこで初めて、『夢』というものの大切さに気付いた。
詰まるところ――将来の夢、というのは、自分の指針を決めるもので。つまり、それがない、ということは、例え些細なことだったとしても、『やりたいこと』を聞かれたときに答えられないということで。そしてそれは――こと大学という場所においては、致命的だった。
学校を学力のレベルで、学部を得意科目で決めてしまった僕は、講義選択の段階で詰まってしまったのだ。
取りたいコマを取ればいい――そう言われても、僕にはそもそも、興味がある分野なんてものはなかった。
勿論、僕以外にも、僕と同じでまるでそうしたものに興味がない人なんて山ほどいた。けれど、大抵の人は、上手く折り合いをつけて、単位だけを取ってそれで済ませていた。
僕も彼らの真似をしようとしたのだけれど――しかし、予定の利便性だけを考えて取った講義にはどうも身が入らず、ほどなくして行かなくなった。
そんなことが積み重なり、やがて僕は大学に行くことすらしなくなり——そして、春先。僕は携帯に届いた無機質な文章によって、後期の単位を全て落としたという事実とともに、留年を言い渡されることになった。
ひと月ほど前にはあり得なかったほどの暖かな日差しが、半分閉じたカーテンの隙間から差し込んでいた。
目を覚ました時には時間はもう昼近くで。体を起こすと、あちこちにインスタント食品や弁当の食べ殻が重なってゴミ屋敷のようになった部屋が目に入ってきた。
いい加減それをどうにかしないといけない、という気はするのだけれど、目を覚ました時はいつもゴミ出しの時間を過ぎているし、かといって前日の夜に済ませようにも、出歩くのが億劫だと思えてしまったり、そもそもそれを忘れてしまっていることだってたくさんあった。
そんな習慣を容易に変えることはできなくて――自炊用の道具も、それをするだけの知識もあるけれど、結局今日も僕はまた、昼食をコンビニ弁当で済ませることを決めて立ち上がる。
かつて――大学に通っていたころは、多分、寝間着のまま出歩く、なんてことは考えられなかったと思うのだけれど、しかし人との関りが薄れるにつれて、そんなことはどうでもよくなってしまっていた。だから僕は、着替えることも、おそらく酷いことになっているだろう寝癖を直すこともせずに、財布だけを手に取って家を出た。
途中で財布の中身がほとんど残っていないことを思い出した。
だから、コンビニに入ると僕は真っ先にキャッシュコーナーへと向かった。
親には、まだ僕が大学に行けずにいることを話していない。
最近はそもそも連絡すら取っていないから、それが親に伝わっているのかどうかは知らなかった。
ただ、毎月、決まった額の仕送りが口座に振り込まれてきていて。そのことに罪悪感を感じないわけではなかったけれど、しかし大学に行ったところで、結局居たたまれなくなってすぐ帰ってきてしまうことは目に見えていて。だから結局、僕はそれに感謝しながら、当面必要な金額だけを引き出して財布に入れる。本当ならここでかかる僅かな手数料すら節約するべきなのだけれど、しかしそれでちゃんとしたATMが置いてある場所まで出向くのは骨だった。
そのまま適当に目についた弁当を手に取ってレジに出し、店員の「500円になります」という声をほとんど聞かないまま一万円札を出し、「温めなくて大丈夫です」と告げて、袋に入れられたそれとお釣りを受け取って帰路につく。
そうして、家の電子レンジでそれを温めてそれを食べ、終わると残骸をどこかに放り捨て、ベッドに寝転んでため息をつく。
ふと、こんな生活はいつまで続くのだろうか、と考えた。
僕が一年の間に取り逃した単位は大きく、もはや体に根付いてしまった生活習慣は如何ともしがたく。それを直そうといっても一朝一夕にはできないものだ。
けれど少なくとも、こんなに長い間続いてしまった硬直状態をどうにかするためには、きっと何かのきっかけが必要なんだろうな、と思う。それは言い訳に過ぎないけれど、しかし僕に自分から変わろうとする意思がない以上は、外からの『何か』が与えられない限りそこに変化の生じようもないというもので。
だから僕はなんとなく、いつか来る破滅の時まで、このままであり続けるのだろうな、と思っていた。
そんな時だった。『彼女』が現れたのは。
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