第五章 それから(後編)


 マイナンバーカードや、銀行口座、免許証、形態の名義変更の手続きは、二か月ほどで終わった。わたしは、定例のホルモン注射と血液検査のため、

クリニックにいた。性別適合手術後、2アンプルだったホルモン剤は、1アンプルになった。

「なあ、あんた」

「え、わたし?」

「そうだよ、あんた、5年ぐらい前から、このクリニックに通ってるよな」

「そうですけど」

「あのさ、あんたはどっち?」

「男性から女性ですけど」

「俺は、女性から男性。名前なんて言うの?」

「失礼ですけど、人に名前を聞くときには、まず、自分から名乗るのが礼儀なんじゃないですか?」

「ああ、ごめん。俺は、柏木和也、25歳」

「わたしは、桂木京子、30歳」

 これが、彼とわたしの出会いだった。彼の名は、柏木和也。五年前から、わたしが通っているこのクリニックでよく見かけた。あの長身の女性だった。わたしの彼に対する第一印象は、はっきり言って最低だった。いきなり声をかけてきたのだから。それも、自分の名を名乗らずに。和也がわたしより年下であることに驚いた。彼もまた、戸籍変更の用件の一つである、性別適合手術を受けるため、岡山の大学病院への紹介状をもらいに来ていた。

「なあ、この後、予定ある?」

「ないですけど」

「カフェでお茶しないか?」

「いいですけど」

 注射が終わってから、会計を済ませると、わたしたちは一緒にクリニックを出て。近くにあるカフェでお茶をして別れた。彼も男として、池袋にある執事喫茶で働いていると話してくれた。別れ際に、メールとLINEのアドレスを交換した。

「俺、京子さんのことが好きです。俺と付き合ってください」

「え?」

「俺さ、五年前にクリニックで会ったときから気になってたんだ。あの頃の京子さんは、俺のことなんて、全然気にもしてなかっただろうけど」

「うん、気にもしてなかった」

「ずいぶんとあっさり言ってくれるよな」

「ごめん。分かってると思うけど、わたしは男から女になったのよ」

「知ってるよ。俺だって女から男になったんだけど。性別変更しちゃえば、何の問題もないだろ?」

 メールや電話、LINEで交流し始めて、三か月が経ったある日のこと、

クリニックの帰り道、和也からの告白に戸惑い、わたしは和也に、こう切り返すだけで精一杯だった。女になって初めての恋。胸がドキドキして、どうしたらいいか分からなかった。

「少し…考えさせて…」

「分かった。だったら、俺が岡山で男になる手術を受けて、戻って来たら答えくれる?」

「分かった。それまでに答え出すわ」

 和也と別れてから、わたしは、家に帰る道を歩いていた。それから二週間ほど、ぼんやりと考えていた。

「奈々子ちゃん、集中!ダンスに身が入ってないわよ」

「はい、すいません」

 レッスンにも身が入らず、玲子ママに注意された。レッスンが終わり、玲子ママがわたしに近寄って来た。

「奈々子ちゃん、どうしたの?」

「玲子ママ、実は…」

「えっ、奈々子ちゃん、彼氏いるの?」

「違うんです、告白されて」

 わたしは和也との出会いから、告白されたことまで全てを玲子ママに話した。玲子ママは、何も言わず、わたしの話を聞いてくれていた。玲子ママの声に驚いたのか、レッスンを終えた、里奈子さん、かれんさんがやって来た。

「ふーん、なるほどねえ」

「わたしは彼より年上だし。」

「年齢なんて、ただの数値でしょ?」

「それは、そうなんですけど」

「奈々子ちゃん、和也君だっけ?彼のこと、どう思ってんの」

「え、そりゃ、年下だけど、しっかりしてるし、男らしいし、一緒にいるとドキドキもするし、楽しいし」

「バカね、それが恋ってもんでしょ?まあ、女になっての初めての恋だから、戸惑うのも無理はないけどさ」

「でも、彼、わたしと逆なんです」

「逆って、女から男に戻ったってこと?」

「はい」

「別にいいんじゃない。奈々子ちゃんも性別変更しているし、彼氏も性別変更したら、男女のカップルと何も変わんないんだから」

 玲子ママの言葉に、わたしはハッとなった。ママの言うとおりだ、和也が性別を男に変更してしまえば、わたしたちは、ただの男と女だ。

「そうですよね。彼が退院して、東京に戻ってきたら返事します」

「彼、今、東京にいないの?」

「はい、今、岡山の大学病院で性別適合手術を受けていて」

「岡山の大学病院?確か、あそこって、国内で二番目に性別適合手術をやったところよね」

「そうです」

 汗ふきシートで汗を拭き取り、ドレスに着替えた。忙しさに追われる中、

彼が退院し、東京に戻ってくる日が来た。わたしたちは東京駅で待ち合わせた。わたしは、男であった頃、駅ビルにあるセレクトショップで見たあのはっきりとした黒白柄のワンピースを着て東京駅の銀の鈴の前で彼を待っていた。改札を出る彼の姿を見えた。

「京子!」

「和也君」

 和也は、わたしを見て駆け寄ってきた。わたしと彼は、銀の鈴広場で見つめ合っていた。話を切り出したのは、わたしの方だった。

「和也君、返事なんだけど…」

「京子」

「和也君、わたしは和也君のことが好きです。付き合ってください」

 わたしは、和也に気持ちを打ち明けた。わたしたちはその場で抱き合っていた。周りの目が気になってしまい、すぐに離れた。

「あのさ、京子さん、性別変更と名前変更の手続き終わったらさ、ちゃんと付き合おう」

「うん。どっかでご飯食べて帰ろうか」

「ああ」

「わたしね、夢があるの」

「夢?」

「うん、わたしみたいに、男から女になりたいって人たちのための居場所を作りたいって思ってるの。玲子ママが、わたしに居場所をくれて、新しい居場所を見つけたように居場所がなくて、辛い思いをしている彼らの受け皿になってあげたいの」

「いいじゃん、それ。」

「ありがとう」

 わたしと和也は、駅ビルにあるレストランで食事をして、帰った。和也が家庭裁判所で審判を受け、改名と性別変更が認められたのは、それから、三週間後のことだった。彼が、マイナンバーカードや、銀行口座、免許証、形態の名義変更の手続きなどで忙しく、なかなか会うことができなかった。 

「痛かった?」

「違う、女として愛されることがこんなにも幸せなんだって、知ったらうれしくて」

「そっか、なあ、今年の春から、施設は限られるけど、性別適合手術が保険適用になるんだって」

「そうなの?」

「ああ、看護師さんたちが教えてくれた。ちょっと調べたんだけどさ、性同一性障害から言い方を変えようって動きもあるらしいぜ」

「知ってる、性別違和とかそういう言方に変えようって動きでしょう」

「なんだ、知ってたのかよ」

「うん」

 付き合いだして、三か月後、わたしは彼の部屋にいた。この日、わたしは彼と初めて結ばれて、女として愛される喜びを知った。

「前に言ってた居場所って、自分の店を持つってことか?」

「うん」

「今働いているお店のママも知ってるの。『受け皿は多い方がいいわ。わたしもいつまでお店やってられるかわかんないしね』って」

「そうなんだ」

「和也は?」

「俺か、そうだな。今の店に就職決まりそうでさ。そこできちんと働くことかな」

「そうなんだ」

「そこで働いて、金貯めて、俺も自分同じ境遇の人間の居場所を作れるようになりたいなって思ってさ」

「お互い頑張ろうね」

「ああ」

 こんなことを語り合っていたわたしたち。だが、付き合いだして一年ぐらい経ってから、彼の様子がおかしいことにわたしは気づいた。

「和也、いる?」

「え、京子!」

「和也、これ、どういうこと?」

 わたしが、和也の部屋に行ったとき、見慣れないハイヒールがあることに気づいた。部屋に入ると、和也が、違う女の子と裸でベッドにいるところを目撃してしまった。わたしは、和也に別れを告げた。わたしの初恋は一年で終わった。それからのわたしは、仕事と女磨きに邁進した。和也と別れてから二年後、わたしにも、新しい出会いがあった。相手は、三歳年上の会社社長。彼が浮気相手であった五歳年下の女性と結婚し、執事喫茶を辞め、会社員として働いていることを知ったのは、それから三年後のことだった。

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