Draft-6  後の 拶

 教会内の誰もが皆、目を閉じて祈りを捧げていた。ある者は床に座り込みながら、ある者は肩を支えられながら。

 巨人の乱入により犠牲となった人の数は、参列者の四割を越えていた。

 聖堂内に充満したすえた匂いは、しばらくは鼻の奥をついて離れないだろう。天井や壁、いたるところに血のシミがついている。装飾はずたずたに裂かれ、木製の長椅子は原形を留めているものを数えた方が早い。

 暴力とは無縁であるはずの教会内は、屠殺場とさつじょうもかくやといった、凄惨せいさんな状況になっていた。

 しかし、その惨劇さんげきも、ひとまずの収束を迎えたらしい。入り口にしか窓がない洞窟教会ペルグ=ロス内を、蝋燭ろうそくの火がゆらゆらと照らす。嵐が去ったあとのように、辺りは静けさを取り戻していた。

 ――だが、何かがおかしい。参列者の指を伝う涙が、光に舞う土埃つちぼこりが、空中でその動きを止めている。気付けば、息を吸う音さえ聞こえない。

 聖堂は、静けさを取り戻したのでは無い。そもそも、音が無いのだ。悲劇的な場面をえがいた絵画かいがのように、ぴたりとその場にい付けられ、何もかもが動かない。

 世界は、その時を止めていた。

『――それは、本気で言っているのか?』

 女性か男性かわからない、押し殺した低い声だけが辺りに響く。それは、おさえきれない苛立いらだちが、チラチラと見え隠れするうずみ火のような声だった。一息ひといきのちに、その声は朗々ろうろうと喋り出す。

『自らの手で親友を殺した主人公が、遺骸いがいを前に慟哭どうこくする。その事実は、彼の人生に暗い影を落とすだろう。悲劇を背負いながら……、さあ、彼はどう生きていくのだろう?』

 誰も動かない世界で、その声だけが人々の間をって動き回っている。

自暴自棄じぼうじきになり、酒におぼれ始めるのか。はたまた、親友がバケモノになった原因を探して復讐を始めるのか? なんにせよ、新たな物語が始まっていく――これからが……、これからが、面白いところじゃないか!』

 床を踏みならし、憤慨ふんがいする気配。うめき、頭を掻きむしっている様子が目に見えるようだ。しかし、そんな姿は、聖堂のどこにも見当たらない。あいも変わらず、悲劇的な絵画を構成するだけの動きを止めた人々。

 目には見えないその声のぬしだけが、今、この世界の住人だった。頭をきむしる音が、ひどくなる。

『――それを……、それをなんだって? ”セバ”を、最初から・・・・・・・・いなかったことに・・・・・・・・したい・・・!?』

 おい。

『一人のキャラクターを抹消することが、物語にどれだけひずみを生むかわかって言っているんだろうな!? ”ウィルマー”が今の鉱山で働き始めたきっかけは? 地下坑窟から抜け出した”ウィルマー”達が身を寄せる場所は!? ”ウィルマー”の坑夫にとどまらない知識の源泉はどう説明する!?』

 わめく声がぱたりと止まった。吐く息が、茫然ぼうぜんといった様子で震える。

『……わかってはいるけど、”ウィルマー”が可哀想で見ていられない……?』

 壁を叩く音がした。

『――だからあなたの話はつまらないと言っているのだ……!』

 蝋燭ろうそくの一つも揺らがない昼下がりに、息を深く吸う音がした。幾分か、声が落ち着きを取り戻す。

『……いや、分かる、分かるぞ。正解は一つじゃない。世界には修正力がある。その人でなければならないイベントなんてものはなく、すべては"置き換え"が出来る出来事だ。”ウィルマー”が今の鉱山を訪れたのは、理解をしてくれない周囲の大人に嫌気が差して旅に出たものの、行き倒れてしまい、そこを親方に拾われた。地下坑窟を抜け出した”ウィルマー”達がお世話になるのは、鍛冶精錬の街セーウェルで別工房を取り仕切っている親方の奥さん。”ウィルマー”の知識の源泉は、昔行商人だった仲のいいドワーフが工房にいるから。他は、世界の修正力に任せる……。今この惨劇さんげきにいたる道筋みちすじだって、道行く子供達の噂を元に祭に出向いたら、異形いぎょうのバケモノが現れて……とすれば話もつながる。殺さなければいけない親友など、最初から存在しなければ、悲しむこともないだろう。……なるほど、なるほど。いやあ、さすがは神様、上出来だ!』

 パン、と音がして、近くに立っていた参列者の頭が消し飛んだ。地獄のような低い声が、辺りをふるわせる。

『――だが、だがなあ、物語には奈落ならくが必要なんだよ……。底が深ければ深いほど、次の展開に期待がふくらむんだ……。何事も無い物語に、存在価値などは無い!!!』

 誰もいないはずの空間に、ヒステリックにがなり立てる獣声じゅうせい血柱ちばしらは上がらず、ただただ首から上が消失しただけの遺体いたい。シュールな悪夢のような光景が量産される。何者かに蹴り飛ばされたように吹き飛ぶトルソー。

『いいか? 追いつめられてからが本番なんだ……。どうやってここから這い上がるんだろう……? どう切り抜けるのかなあ? 感じるのはヒリヒリとした焦燥感しょうそうかん! カタルシス! あなただって、そういう物語が好きだろう!?』

 肩で息をしているのだろう。疲労に耐えかねたように声のトーンが落ちる。

 ふっと鼻で笑う声が聞こえた。

『――ああ、そうか。あなたは嫌なんだ。”ウィルマー”が親友の死にとらわれて、自分に目を向けなくなってしまうことが。だってそうだろう? 彼は……、”誠治・・”は、あなたを・・・・傷つけたことを・・・・・・死ぬまでずっと・・・・・・・5年もの間・・・・・引きずって・・・・・いたのだから・・・・・・!』

 荒い息を整える、細く長い溜め息。

『……まあ、良い。この話を面白くする気があるのなら、あなたの言うとおりにしよう』

 指を鳴らす音がした。

『”セバ”という存在は、最初からこの世界にいなかった。そこで串刺くしざしになっているのは、ただの贋人ファルシュ。――世界はそう、いろどられる』

 気配がそう言い放つと、動きを止めた参列者達の体から、ゆらゆらと浮かび上がる物がある。――文字だ。白い文字列が光り、体から抜け出していく。ウィルマーや、映、祭司、修道騎士達からもひとしく文字列は抜き取られ、教会の中央、天井近くではじけ、霧散むさんする。

 その現象は、時を同じくして、世界イルミンスール中で発生した。それは、さながら地から天へ逆巻さかまく流星群のようだった。

 時が動き出す時……、世界は、”セバ”という物好きな冒険者のことを忘れているだろう。彼が深く関わった事件、事物は他の人物が起こしたこととして置き換わる。

 それを悲しいと思える人は、もういない――。


       ◆


「だから、落ち着きなさい。我々の勇士は、あそこにいます」

 その修道騎士が指差した先。確かにそこに、ウィルマーはいた。

 剣山の頂点近く、入り組んだ岩槍の交差部分。そこに、短刀をたずさえたまま、無傷で立っていた。

 全方位から滅多差めったざしにされた巨人の胴体の上、かろうじて被害をまぬがれた顔を、瞳孔どうこうの開いた目で見上げている。

 巨人の返り血を存分に浴びたその横顔は、しかし、徐々に苦痛に歪みはじめた。空いている片手で頭を押さえている。

 しかし、無事なようだ。ウィルマーは、時々ああして不調に見舞われている。きっと頭痛持ちなのだろう。そう、映は思った。安心したらなんだか疲れてしまった。ぐったりと力なくその場に座り込む。膝頭ひざがしらにおでこをつけると、映は誰にも見られないように微笑ほほえんだ。

「(良かった。これで、ウィルマーは傷つかずに済む。私は、どんな手を使ったとしても貴方あなたを守るわ、ウィルマー。私は、絶対に貴方あなたの心も、体も死なせない――)」

 映は、その小さな口をきゅっと引き結ぶ。

「(貴方あなたが、私を思い出すその時までは)」

 不意に、肩をつかまれた。

「――大丈夫ですか!?」

 背後から聞こえるこの声は、先ほどの修道騎士だろう。

「……えぇ」

 無駄に心配をかけるのも悪い。映は、問題ない事をアピールしつつ立ち上がる。顔を上げた彼女は、いつもの涼やかな氷の女王の顔をしていた。

「(――でも、私、なんでウィルマーが傷つくと思ったのかしら? ウィルマーは、ただバケモノと戦っていただけなのに)」

 先程さきほど得た感情の由来が思い出せず、映は苦悩くのうする。

 ――それだから、彼女は見ていなかった。ウィルマーの瞳のはしから、一筋の涙がこぼれた事を。

 そして、その指は――、名残惜しそうに・・・・・・・巨人の頬に・・・・・触れていた・・・・・

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