第22話 暴走と暗躍
「まずは、ご苦労と言っておこうか」
逆光の執務室内。窓から
徐々に
「お
ウィルマーは、にこやかに笑うと頭を下げる。
「それよりも、お約束通りお話をさせていただく時間を頂き、誠にありがとうございます!」
また、ウィルマーが祭司を
映は、フードから顔が見えないようにしながら祭司の表情を
「茶番は良い。
「おや、心外ですね。まるで私が悪人のような言いぶりでは無いですか」
「……若いな。幾万と人を見てきた聖職者を相手に、生半可な嘘が通じると思っている。いくつもの偽名を使って渡り歩いている詐欺師のようにも見えるが、その割にはお仲間に別名を呼ばれるなどお粗末が過ぎる。ベテランではない。だが、ただの
首をゆったりと
「なぜなら……、セルバンテスという名の
薬草をくわえた風の精霊が消えると同時、土の祭司の手にはいつの間にか一枚の紙が握られていた。どうやらその紙は経歴書のようだ。
「9年前、一方的な申し出による自主退職……ですか」
あはは、と事もなげにウィルマーは笑う。
「ははは、そうだよ。ちなみにセルバンテスという男は忘れ物が激しかったらしく、どうやら退職時に自分のローブを返却しなかった……とここには書いてあるな?」
「ははは」
「あはははは」
しきりに笑いあう祭司とウィルマー。
「――私は、
ずぶりと、祭司が笑みを突き込んで来た。その指は、
――状況を整理しよう。
一般的な見方をした場合、考えられる状況は3つ。何の関係もないごろつきが、ただただ思いつきで
この中で、1つ目と3つ目は、その罪を見逃してやる。だから、そちらも下手なことは言うなよという流れになるだろう。
ただ、3つ目のイメージを持たれているのであれば、
ならば、利用するべきイメージは。
「……そうですね、いやあ、返すのを忘れてましたよ。はっはっはっ!」
2番目。あくまで本物のフリをし続けるのが最善だ。ウィルマーもそれをわかってフリを続けているのだろう。
経歴書には顔写真のようなものは貼られていなかった。ここで答えを間違わなければまだ戦える。
「ならば、さあ返しなさい。機関間の連絡役を通して私から返却をしておこう」
「わかりました。――脱いで貰える?」
と、話しかけてくるウィルマー。今は言うとおりにしておこう、と映はフードに手をかけた。
やれやれ、と白い眉が下がり、土の祭司がため息をつく。銅像のように突っ立っていた修道騎士がようやく動いた。ローブを受け取りに来るのだろう。
映を隠すように、祭司に背を向けて立ったウィルマー。映は、その手に脱いだ白い
「【合図をしたらフードをはずして】」
ぎゅっと、いたずらにフードを下げるその手つきは、男の子だなと感じるものだった。何かしら胸の内で動くものがある。
「さあ、渡せ」
修道騎士の固い声が響く。その声に応じて振り向いたウィルマーは――、
白いローブを、修道騎士の顔目掛けて投げつけた。
「なっ――!?」
誰もが
「……祭司、祭司。
荒くなる呼吸。ドワーフと人間では背が違い過ぎるせいか、足に乗せた子供をあやすような調子で、ウィルマーは祭司の首筋にナイフを当てていた。
「――動くな!」
白いローブを払いのけた修道騎士に、怒鳴るウィルマー。映は、瞬時に修道騎士から距離を取る。
「……何が目的だ……!」
絞り出すような低音。修道騎士が憎々しげに顔を
「……そもそもおかしいと思いませんか、
「知ったことか……!」
目をむき、祭司の顔を覗き込むウィルマー。
「よほど腕利きだったか、辞めたのが偽装か、ということですよ」
その頬には、またしても紋様が光り始めている。
「私はね、
「……っ」
最早、わかるわからないではなく、気が触れた者に逆らうと何をされるかわからないという風だ。打ち合わせもなくこれをやるとは……と思うが。映としては、もう思う存分やってくれとしか言えない。
「祭司、祭司わからないのですか。あなたの前に立っているその女性は誰ですか?」
と、強引に祭司の顔を映の方に向かせるウィルマー。
「…………」
「誰ですか!!」
焦点の合いづらい老ドワーフの眼が、映の顔を、今はっきりと
ここだろうと思った映は、フードを
目を見開き、息を止め、頬をわななかせる祭司。
「……年……神……!」
釣られて修道騎士もこちらを
「亡くなられたと……ばかり……」
「これが、あなたの――いや、教会の罪ですよ」
祭司も、修道騎士も沈黙する。
「私は、私は反対したんです……。神を
ウィルマーの腕の中でうなだれる老ドワーフ。
「……なら、私に協力をしてください祭司。不吉な予言……由来不明の神の降臨……
「……殺された?」
一瞬変な空気が流れた。現に生きている人間が、何を言っているのか。ただ、真に迫る響きがその言葉にはあった。誰もがまゆをひそめる中、何かに射抜かれたようにふらつくウィルマー。
「……存在を、ということです。世界がおかしくなっているとは、思わないんですか」
「いや、それは……私も感じている」
「なら、力を貸して下さい。私たちは世界を
ごくり、と祭司ののどが鳴った。
「私は、私の
「世界を周る必要がある、と言いましたよね?」
即座にウィルマーが言葉を差す。
「――聖職者の私に、罪を
「
薄く肌を裂かれるような、ヒリヒリとしたやり取りが続く。
「……この任務を
ナイフが、実際に祭司の首の皮膚に浅く食い込んでいく。
「わかった。わかったからそれをどかしてくれ……」
◆
嵐が去ったような執務室内。
「本当に良かったのですか」
修道騎士が
「……せめてもの反抗だよ」
一気に歳を食って、
「ですが祭司、逆印を押したのがあの連中にバレたら……!」
――逆印。正当な向きで押して初めて効力のある印鑑を、あえて逆向きに押す事。逆向きに押されたそれは、各種関所での警報となる。この通行証を使う者には気をつけろ。取り押さえる事が無理である場合、しかるべき武力機関に応援を要請しろ。そう言った
「
口のはしで笑う祭司。
にがり切った表情の修道騎士が口を開く。
「しかし、私は、あなたの身が心配なのです。教会など、いくらでも裏切れば良い。光の祭司など、人を人とも思っていないのだ……!」
「……言葉が過ぎるぞ」
白い眉を
「ですが、私の身内はもうあなただけなのです祭司……!」
「少し、眠りたい。部屋を出ていってくれ」
「
修道騎士が祭司に詰め寄る。その
時が、止まった。
◆
失敗をしたな、と。少女は思っていた。少女は長らく孤児だったが、最近教会に拾われ修道女となった。
それだから何でもやるつもりで、実際何でもやった。今回も、折り入って頼みたい事があると祭司様が言うので、上品に上品に年神様を演じた。
途中までは上手くいってたんだけどな、と
なんだか、途中で化け物が出てきてしまって、人がいっぱい死んで。耐えられなかった。気付けば気絶していたのだ。
化け物を見て気絶する神などいるだろうか。きっといないだろう。私に失望したのか、目覚めた時に祭司様はいなくなっていた。
置いて行かれた。その事が私の過去の記憶を刺激する。ただ、祭司様に謝りたかった。役目を
目覚めた時に周りに少し騒がれたが、どさくさに
固い岩の廊下を抜けたところに、祭司様の執務室がある。扉の下から流れ出す液体に気づかぬまま、少女は足を踏み入れた。
「祭司様、ごめんなさい! 私もっと頑張るから! だからまだ、ここで――、」
ぬめっとした鉄の匂いが、少女の鼻をつく。ひざ
赤い。
床が、赤く染まっていた。
おかしいな、と思った。確かに
足を動かせば波打つそれは、液体だ。
少女は、顔をあげる。そこにあったもの。それは、港町で良く見るような断面と、血で塗りたくられた、真っ赤な部屋だった。
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