第22話 暴走と暗躍

「まずは、ご苦労と言っておこうか」

 逆光の執務室内。窓からす光を背に、深く腰掛けている土の祭司が、気だるげに声をあげた。大分くたびれた様子だ。脇にひかえる修道騎士のドワーフも、どこかほうけており、心ここにあらずといった顔。

 徐々にかげり始めたの光は、夕刻に差し掛かることを告げていた。窓の外からは、遠く、瓦礫がれきを放る音が聞こえてくる。

「お気遣きづかいには及びません。神々に反する悪しき存在ファルシュが現れたともなれば、それに抗するのが我々世界樹の眼ラタトスクの使命ですから」

 ウィルマーは、にこやかに笑うと頭を下げる。

「それよりも、お約束通りお話をさせていただく時間を頂き、誠にありがとうございます!」

 また、ウィルマーが祭司をあおり始めた、と映はまゆをひそめる。贋人ファルシュの一件は脇に置いたとしても、おどして時間を取らせるよう仕向けたのはウィルマーだ。こういうのを慇懃無礼いんぎんぶれいと言うのだろう。

 映は、フードから顔が見えないようにしながら祭司の表情をうかがう。ふん、と鼻を鳴らす音が聞こえた。

「茶番は良い。貴兄きけいもまるっきりの悪人では無いようだから、要件を聞こうか」

「おや、心外ですね。まるで私が悪人のような言いぶりでは無いですか」

「……若いな。幾万と人を見てきた聖職者を相手に、生半可な嘘が通じると思っている。いくつもの偽名を使って渡り歩いている詐欺師のようにも見えるが、その割にはお仲間に別名を呼ばれるなどお粗末が過ぎる。ベテランではない。だが、ただのかたりで金を巻き上げるゴロツキでもない。あの身体能力……。何人もの人間を内包しているようで得体が知れないが、間違いなく貴兄きけいは悪人だ」

 首をゆったりとかしげながら、老ドワーフは片手を宙に上げる。

「なぜなら……、セルバンテスという名の教導師リヒターは、とうに引退しているのだよ」

 薬草をくわえた風の精霊が消えると同時、土の祭司の手にはいつの間にか一枚の紙が握られていた。どうやらその紙は経歴書のようだ。

「9年前、一方的な申し出による自主退職……ですか」

 あはは、と事もなげにウィルマーは笑う。

「ははは、そうだよ。ちなみにセルバンテスという男は忘れ物が激しかったらしく、どうやら退職時に自分のローブを返却しなかった……とここには書いてあるな?」

「ははは」

「あはははは」

 しきりに笑いあう祭司とウィルマー。

「――私は、それが・・・このローブだと・・・・・・・思うのだが・・・・・どうかね・・・・、悪人君?」

 ずぶりと、祭司が笑みを突き込んで来た。その指は、まぎれもなくこちらが着ているローブを差している。微笑むウィルマー。良くない状況だ、と映はくちびるんだ。祭司は、映とウィルマーをおどし返そうとしてきているのだ。

 ――状況を整理しよう。行方ゆくえをくらましていた教導師リヒター。その名を名乗る者が現れた。そして、その者は、世界樹の眼ラタトスクの制服であるローブを身にまとっている。

 一般的な見方をした場合、考えられる状況は3つ。何の関係もないごろつきが、ただただ思いつきで詐称さしょうをしたパターンが1つ。2つ目は、本人であり、セルバンテス以外の本名がある。引退したにも関わらず、あたかもまだ世界樹の眼ラタトスクの構成員であるかのように振る舞い、権力の恩恵を受けようとしているというパターン。3つ目は、教導師リヒターを殺害してローブを奪い取った第三者が、本人に成りすましている、というパターン。

 この中で、1つ目と3つ目は、その罪を見逃してやる。だから、そちらも下手なことは言うなよという流れになるだろう。

 世界樹の眼ラタトスクが動くような、物凄い悪事を働いている祭司がいる! などと騒ごうものなら、その世界樹の眼ラタトスクの構成員をかたった or 殺した者が何を言っているんだ? となり話は泥沼だ。

 ただ、3つ目のイメージを持たれているのであれば、世界樹の眼ラタトスクを殺害出来るほどの力を持った相手にそんなチンケなおどしが聞くと思っているのか? と、この場で、本格的におどしに行ってもいい。先ほどのウィルマーの武術を見ていれば説得力もあるだろう。だが、丁寧におどさないと後が怖い。治安維持ちあんいじのために討伐隊とうばつたいを組まれても面倒だ。

 ならば、利用するべきイメージは。

「……そうですね、いやあ、返すのを忘れてましたよ。はっはっはっ!」

 2番目。あくまで本物のフリをし続けるのが最善だ。ウィルマーもそれをわかってフリを続けているのだろう。

 経歴書には顔写真のようなものは貼られていなかった。ここで答えを間違わなければまだ戦える。

「ならば、さあ返しなさい。機関間の連絡役を通して私から返却をしておこう」

「わかりました。――脱いで貰える?」

 と、話しかけてくるウィルマー。今は言うとおりにしておこう、と映はフードに手をかけた。

 やれやれ、と白い眉が下がり、土の祭司がため息をつく。銅像のように突っ立っていた修道騎士がようやく動いた。ローブを受け取りに来るのだろう。

 映を隠すように、祭司に背を向けて立ったウィルマー。映は、その手に脱いだ白い豪奢ごうしゃなローブを渡す。かわりにと、ウィルマーは自分のこつれた茶色のローブをこちらに着込ませ、にこりと笑った。

「【合図をしたらフードをはずして】」

 ぎゅっと、いたずらにフードを下げるその手つきは、男の子だなと感じるものだった。何かしら胸の内で動くものがある。

「さあ、渡せ」

 修道騎士の固い声が響く。その声に応じて振り向いたウィルマーは――、

 白いローブを、修道騎士の顔目掛けて投げつけた。

「なっ――!?」

 誰もが驚愕きょうがくで思考を止めるに、ウィルマーが大きくストライド。執務机に片手をついて飛び込えると同時、机上のナイフを手にとり祭司の背後に回る。

「……祭司、祭司。耄碌もうろくしましたか? 私が素直に従うような人間だとお思いで?」

 荒くなる呼吸。ドワーフと人間では背が違い過ぎるせいか、足に乗せた子供をあやすような調子で、ウィルマーは祭司の首筋にナイフを当てていた。

「――動くな!」

 白いローブを払いのけた修道騎士に、怒鳴るウィルマー。映は、瞬時に修道騎士から距離を取る。

「……何が目的だ……!」

 絞り出すような低音。修道騎士が憎々しげに顔をゆがめていた。対称的に、ウィルマーはギラギラとした笑みをほころばせている。

「……そもそもおかしいと思いませんか、世界樹の眼ラタトスクのローブには特殊で強力な力が備わっている。そんなものが市井しせいに、それも悪人にでも流れたらどうするんですか! そんな事態、世界樹の眼ラタトスク本体が放っておくわけがない。それなのに、回収したという記録がないと言うことはどういことでしょうか!」

「知ったことか……!」

 目をむき、祭司の顔を覗き込むウィルマー。

「よほど腕利きだったか、辞めたのが偽装か、ということですよ」

 その頬には、またしても紋様が光り始めている。

「私はね、世界樹の眼ラタトスクを辞めた訳ではないんですよ。ある特殊な任務のため、表面上辞めたことにしているだけです――わかりますか!?」

「……っ」

 最早、わかるわからないではなく、気が触れた者に逆らうと何をされるかわからないという風だ。打ち合わせもなくこれをやるとは……と思うが。映としては、もう思う存分やってくれとしか言えない。

「祭司、祭司わからないのですか。あなたの前に立っているその女性は誰ですか?」

 と、強引に祭司の顔を映の方に向かせるウィルマー。

「…………」

「誰ですか!!」

 焦点の合いづらい老ドワーフの眼が、映の顔を、今はっきりと見据みすえる。

 ここだろうと思った映は、フードをはずした。

 目を見開き、息を止め、頬をわななかせる祭司。

「……年……神……!」

 釣られて修道騎士もこちらを凝視ぎょうしする。

「亡くなられたと……ばかり……」

「これが、あなたの――いや、教会の罪ですよ」

 祭司も、修道騎士も沈黙する。

「私は、私は反対したんです……。神をかたるなど! でも、しかたがなかったんだ! 主催地の祭司とは言え、決定権は大祭司である光の祭司にある!」

 ウィルマーの腕の中でうなだれる老ドワーフ。

「……なら、私に協力をしてください祭司。不吉な予言……由来不明の神の降臨……贋人ファルシュの復活……確実に世界はおかしな方向に向かっているんです……! それを調べていたがゆえに……、私は殺されたッ!」

「……殺された?」

 一瞬変な空気が流れた。現に生きている人間が、何を言っているのか。ただ、真に迫る響きがその言葉にはあった。誰もがまゆをひそめる中、何かに射抜かれたようにふらつくウィルマー。ひたいを手で押さえ、かぶりを振る。

「……存在を、ということです。世界がおかしくなっているとは、思わないんですか」

「いや、それは……私も感じている」

「なら、力を貸して下さい。私たちは世界をまわる必要がある。通行証を、書いて欲しいんです」

 ごくり、と祭司ののどが鳴った。

「私は、私の管轄かんかつする地域の証明しか出せない……」

「世界を周る必要がある、と言いましたよね?」

 即座にウィルマーが言葉を差す。

「――聖職者の私に、罪をおかせと?」

贋人ファルシュもろとも私を抹殺まっさつしようとした方が、いまさら聖職者ヅラですか?」

 薄く肌を裂かれるような、ヒリヒリとしたやり取りが続く。

「……この任務を完遂かんすいしたあかつきには、教会本部にあなたの事を良く言っておきますよ、ですから、ね?」

 ナイフが、実際に祭司の首の皮膚に浅く食い込んでいく。

「わかった。わかったからそれをどかしてくれ……」

 憔悴しょうすいした声。がっくりと肩を落とした祭司は、それから素直にペンを取り、言われるがままに二人分の通行証を書き始めた。


       ◆


 嵐が去ったような執務室内。

「本当に良かったのですか」

 修道騎士がくもった声を出す。

「……せめてもの反抗だよ」

 一気に歳を食って、古箒ふるぼうきのようになってしまった祭司が弱々しく声を出す。

「ですが祭司、逆印を押したのがあの連中にバレたら……!」

 ――逆印。正当な向きで押して初めて効力のある印鑑を、あえて逆向きに押す事。逆向きに押されたそれは、各種関所での警報となる。この通行証を使う者には気をつけろ。取り押さえる事が無理である場合、しかるべき武力機関に応援を要請しろ。そう言ったしるしだ。

素人しろうとがあの印鑑の向きを正確に把握はあく出来るとは思わん。それに、関所で引っかかったとして、あの名前を見て無茶をするものはいるまい。やがて世界樹の眼ラタトスクが動き出すだろう。あれが、本物であれ、偽物であれ、な……」

 口のはしで笑う祭司。

 にがり切った表情の修道騎士が口を開く。

「しかし、私は、あなたの身が心配なのです。教会など、いくらでも裏切れば良い。光の祭司など、人を人とも思っていないのだ……!」

「……言葉が過ぎるぞ」

 白い眉をでると、祭司はゆるゆると身体を起こす。

「ですが、私の身内はもうあなただけなのです祭司……!」

「少し、眠りたい。部屋を出ていってくれ」

祭司ちちうえ……!!」

 修道騎士が祭司に詰め寄る。その拍子ひょうしに机の上のインクつぼを引っ掛けた。床にインクがばらかれる、その瞬間――。


 時が、止まった。


       ◆


 失敗をしたな、と。少女は思っていた。少女は長らく孤児だったが、最近教会に拾われ修道女となった。

 清貧せいひんむねとは言え、衣食住がそろった生活というのは素晴らしい。街から街へと乞食こじきをして回らなくてもいいのだから。

 それだから何でもやるつもりで、実際何でもやった。今回も、折り入って頼みたい事があると祭司様が言うので、上品に上品に年神様を演じた。

 途中までは上手くいってたんだけどな、とほほをふくらませる少女。

 なんだか、途中で化け物が出てきてしまって、人がいっぱい死んで。耐えられなかった。気付けば気絶していたのだ。

 化け物を見て気絶する神などいるだろうか。きっといないだろう。私に失望したのか、目覚めた時に祭司様はいなくなっていた。

 置いて行かれた。その事が私の過去の記憶を刺激する。ただ、祭司様に謝りたかった。役目をまっとう出来なくてごめんなさい、と。

 目覚めた時に周りに少し騒がれたが、どさくさにまぎれて抜け出した。きっと、祭司様は教会から少し離れた修道院にいるはずだと、少女はそこへ向かった。

 固い岩の廊下を抜けたところに、祭司様の執務室がある。扉の下から流れ出す液体に気づかぬまま、少女は足を踏み入れた。

「祭司様、ごめんなさい! 私もっと頑張るから! だからまだ、ここで――、」

 ぬめっとした鉄の匂いが、少女の鼻をつく。ひざがしらにつくほど、勢いよく頭を下げた少女の髪が、かすかにれた。少女は、違和感にぱっと目を開く。

 赤い。

 床が、赤く染まっていた。

 おかしいな、と思った。確かに洞窟どうくつと同化した修道院の床は、赤茶けた岩だ。出窓のように洞窟どうくつ岩壁がんぺきからせり出した執務室は、夕陽も差し込んでくる。しかし、その色でもない。

 足を動かせば波打つそれは、液体だ。

 少女は、顔をあげる。そこにあったもの。それは、港町で良く見るような断面と、血で塗りたくられた、真っ赤な部屋だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る