第21話 最後の挨拶

「なに……やってんだよ……?」

 どうにか笑みを浮かべようとしながら、口元は引きつり、懇願こんがんするような瞳。ウィルマーは今、現実を受け入れられずにいた。

 前を向いていては、腹部より上が視界に収まりきらないほどの巨躯きょく。その頭部には、見覚えがありすぎるほどの顔が、ちょこんと乗っていた。

「冒険者だろ……? そんな……、闇の精霊エオー対策ぐらいしっかりしておけよ……、セバさん!」

 何か喋っていなければ、ガラガラと崩れていきそうな心。次々とく不安を、はしからその巨躯きょくにぶつけていく。

 だがしかし、セバと呼ばれた巨躯きょくは何も答えない。首をひねり、ただウィルマーを見下ろしていた。その姿は、奇妙な虫がうごめいているのを観察する、小さな子供のようだ。顔に表情は無く、ビー玉のような瞳は意思を写してはいない。粗野ながらも人なつっこい、ウィルマーの腰ほどの背しかなかったハーフリングの面影おもかげは、もうどこにもなかった。

 ふいに、セバが手を振り上げる。

「ウィルマー……!」

 映が声をかけるが、ウィルマーの耳には入らない。

 剛腕が振られる。虫を叩き潰そうとするように、広げられた五指ごしが風を裂いた。

「……っ!」

 よろけながらもかろうじて交わすウィルマー。それを、しつこく巨腕が追っていく。タイルが砕け散る音が連鎖した。最早視線だけで訴えるが、その視線は悲しいほどに刺さらない。

 周りの修道騎士たちはと言えば、メイスを構えたは良いものの、動くに動けずにいた。

 見上げる肌は、岩で出来たように硬そうだ。それでいて大人三人分ぐらいはあるだろう背。そんな相手にメイスの打撃が効くとは思えない。せいぜい気を引くぐらいが関の山だろう。そもそも、祭の場を荒らし、司祭をこき下ろそうとした人間を、誰が助けるというのか。

 だから、人に優しくしなくてはいけないと、改めてウィルマーは思った。"き行い"が"き行い"を引き寄せることはあっても、"しき行い"が"き行い"を引き寄せる事などありはしないのだ。

 ――『キミは悪くないさ』

 ふいに、頭の中にノイズが走った。そして、浮かんでくるのは、夕焼けをバックに悲しそうに微笑む人物の映像。逆光になっており、その人物の表情は、口許くちもとぐらいしか見えない。震えるほど懐かしく、嬉しいと寂しいがない交ぜになった感情。

「(この背景は、"日本"――?)」

 突如とつじょ差し込まれた映像に胸をきゅっと掴まれ、足を止めてしまった。――次の瞬間。

 激しい衝撃とともに、ウィルマーは宙を舞っていた。豪速で教会の壁に叩きつけられる。胸どころか全身を打撃されたかのような衝撃。口から何かが吹き出し、背骨が悲鳴を上げた。壁からがれ落ちれ、どさりと床にくずおれる。

 かすかに聞こえる声が誰の叫び声なのか、もはやわからない。後頭部からどろりとあふれ出す熱が、意識をつなぎ止めていた。反射的に腕を構えたのが良かったのだろう。どうにか内臓はやられていない。口のはしで息をしながら立ち上がり、ウィルマーは辺りを見回す。

 茫然ぼうぜんと立つ祭司と目が合った。きしむ体をひきずりなぎら、ウィルマーは歩み寄っていく。

「祭司……、早く、対抗魔法を……!」

 かすれがちな声を張り上げ、訴える。

「彼は、ただのハーフリングなんです。操られてるだけなんだ。だから……!」

 年神様、助けてください! という半狂乱の声が聞こえ始める中、祭司は生気の抜け落ちた顔でぼそりと呟いた。

「いや、違う……」

 大の大人が、神に限りなく近いはずの聖職者が、信仰など無意味だと突きつけられたような、そんな表情をしていた。

「あれは……、あれが、今の世に……? そんな馬鹿な……」

 湿った重い音がして、ウィルマーと祭司の間に、ねじ切られた修道騎士の上半身が落ちてきた。思わず後ずさるウィルマー。反射的に胃の中身がせり上がりそうになるのをなんとかおさえながら、ウィルマーは、教会の中央に顔を向けた。肉を打つ打撃音。無策ながら民衆を守ろうと奮闘ふんとうする騎士たちだ。

「"教導師リヒター"セルバンテス、あなたの職分ではないかもしれないが、力を貸して欲しい」

 ようやく我に返ったというところだろう。祭司の声に、確かな輪郭りんかくが戻ってくる。

「……なんですか?」

「時間をかせいで欲しい。大精霊を御喚およびし、アレを撃滅げきめつする」

「なっ……!?」

 目を見開くウィルマーをよそに、祭司は特大の精霊石がはめられた錫杖しゃくじょうを取り出し、魔法陣を描き始める。その杖先からは、召染料がにじみ出していた。

「元がなんだったのかは知らない。だが、あれが何かはっている」

 にらみつけるウィルマーに、祭司は淡々と告げていく。

贋人ファルシュ。――神々の大戦で巨人共の尖兵せんぺいとなった存在。生体改造された生物のなれの果て。それが、アレだ」

「……頭でもおかしくなりましたか、祭司。贋人ファルシュなんてものは――!」

「伝説の中だけの話だと、そう言いたいのだろう」

 祭司の顔横を瓦礫がれきが飛んでいくが、視線はぴくりとも動かない。口は動かしていても、恐ろしいほどの集中が魔法陣に向いていた。権威だけでなく、力のある術師である事がうかがえる。

世界樹の眼ラタトスクにしては勉強不足だな、セルバンテス。闇の精霊エオーの権能は、”精神操作”だ。決して、実体に干渉するものではない。それに、あれが本当は小人ハーフリングだというのなら、この場合操作を受けているのは我々だろう」

 ぐ、とウィルマーは奥歯を噛みしめる。

「まあ、それこそ大精霊クラスであれば、五感まで偽装することも可能かもしれないが……」

 ウィルマーは、自然と身体が動いていた。蹴り飛ばすわけにはいかないだろう。

 相手は、巨人に殴り飛ばされてくる修道騎士だ。祭司への直撃コースを放っておくわけにはいかない。タックルさながらに飛びつき、確保する。激しく転がりながらも、どうにか魔法陣は死守をした。

「――教会には、そもそもそのたぐいへの結界が張られている。ありえない話だ」

 祭司は、何事も無かったかのように、木製の錫杖しゃくじょうの先でタイルを突く。硬い音が教会内に響いた。

「これより私は、契約に入る。そのまま頼むぞ」

 顔も向けず、礼の一つも無いのは、集中しているから。このままでいけば、なんらかの介入が入る前の全滅は必至。決して祭司が傲慢ごうまんなわけではない。それぞれの役割にてっしている、という事だろう。

 しかし、ウィルマーは割り切れなかった。この状況で時間をかせぐということは、命のやりとりをすると言うことだ。気絶する修道騎士を脇に置き、きしむ身体を立ち上がらせる。迷える瞳は、奥歯がきしむほどに、暴れる巨躯きょくを見つめていた。その巨腕きょわんは、最早もはや返り血をびすぎて色が変わっている。セバさんは、命への感謝を忘れる人では無かった。……そんな間違い探しをしてみても、どうにもなるわけではないが、人には理由と時間が必要だ。まだまだ、ウィルマーにとっては、その数が足りないように思えた。

 ――しかし、そんな心の内をさとったかのように、祭司は口を開く。

「私は優しいから、言ってやろう」

 義務のように、淡々たんたんと。

「祭司は、神との対話者としてのめいあずかる時、必ずこの世界の歴史を映像としてる事となる。その中に、あのような者がいたのだ……」

 ――いいか?

ああなっては・・・・・・彼は元には・・・・・戻らない・・・・

 ウィルマーは、自然と叫んでいた。

 顔の筋肉という筋肉がりきみ、震えている。もう、身体のどこをどう動かしているかもわからず、熱が痛みのように頭の中を支配している。

 ローブのすそをね上げ、腰のホルダーから短刀を引き抜く。ひたいぬぐい、走り出していた。

潭水イス・――!!」

 振り抜いた短刀の切っ先から、莫大量の水があふれ出す。激流が絡み合い、形成されるのは薄青の長大な魔力刀身。

 振り上げられたメイスの先端が、まるで紙を切るかのように軽く真っ二つにされていた。驚く修道騎士達の脇を、鬼の形相ぎょうそうが駆け抜けていく。


       ◆


 あれは何歳の頃だっただろうか。きっと片手でとしを数えられなくなったぐらいの話だったと思う。

 ――やはりというか、ウィルマーは、ちょっと距離を置かれるタイプの子供だった。それはそうだろう。意味の分からない文字を書いては『これなんて読むかわかる?』と聞いて回っていたのだから。いわゆる不思議ちゃんというやつだ。まともな精神なら黒歴史の一つにでもなろうものだが、決まりの悪いことに、それは空想の話ではなく、事実の話だったのだ。

 これが、ただ単に周りにかまって欲しいためだけの虚言癖きょげんへきというのなら、そのうちそれが逆効果であることをさとるだろう。ただ、それが事実の場合、諦めどころが難しい。なにしろ、本人は必死なのだ。これは、自分だけのことではないよね、と。

 必死なだけに、認められなければ焦りもする。なぜ、みんな知らないのかと。そこで、胸にめ始めるか、最後まで探し続けるのかも人によって違う。ウィルマーは後者だった。だから、それが、幼い頃に住んでいた周りの人たちとの決定的な亀裂きれつとなった。

 あの子とは話してはいけません。近寄ってはいけません。そう影で言われていたことを、ウィルマーは知っていた。

 それでも、今こうやってねじくれもせず生きているのは、ひとえにセバさんのおかげだと、ウィルマーは思っている。

 セバさんも、最初は好奇心からだったのだろう。面白い子供がいると風の噂で聞いたのだと、ある時言っていた。

 当時は、旅人にすら"日本"の事を聞いて回っていた。耳ざといセバさんのことだ。それを手掛かりに来たのだと思う。

 でも、面白がるだけではなかった。馬鹿にせず、話をしっかりと聞いてくれ、『じゃあ、一緒にその場所を探しに行こうぜ』と言って、こぶしを合わせてくれたことは忘れない。

 ウィルマーは、自分に親がいたのかどうか覚えていないし、幼い頃どうやって暮らしていたのかも覚えてない。だから、物心ついてから最初に親らしき事をしてくれたのは、間違いなくセバさんだった。

 面倒も沢山かけられた。気まぐれで、ちょっと出て行っては1日宿に帰らない日もあったり、珍しいものがあるといえば、どんな危険な場所へでも飛び込んでいった。子供あつかいはされなかった。一同行者として、なんでもやらされた。同じぐらいの背で、性格もざっくばらんだったから、親しみやすかったのもあるかもしれない。当然、喧嘩もした。意地汚いのだ。しかも子供っぽく、すぐ自分が勝とうとする。

 いろんな事が、洪水のように流れ出して来ていた。

 その中で、一つ思い出した事がある。遺跡などに潜った時の話だ。

『ウィル坊、もし、もうどうにもならねえって事になったら、容赦ようしゃなく俺を捨てていけ。俺もそうする。だからうらむな? 人を助けるってことは、存外ぞんがい難しい。片足を無くした獣を助けたところで、もう野原では生きていけねえ。ただただ、生かされるだけのみじめな存在よ。――世界は飽きねえ。いつまでも飛び回っていてえ。だからこそ、飛び回れなくなったら終わりだ。自由が無くなったら、死んだ方がマシだ。だから、もしもの事があっても、どうにか助けようとなんかするな。お前がどうかは知らねえよ。生きたければ、勝手に生きろ』

 結局、その時の"日本"探しの旅は、途中で終わってしまった。一緒に旅をしたのはたった数ヶ月間だったが、大事な思い出だ。

 そして、はじかれ者の自分に、鉱山での暮らしまで見繕みつくろってくれた。

 頭を下げても下げきれない。まごうことなき恩人だった。

 だから。


       ◆


 映は、壁際に追い詰められていた。参列者と共にどうにか逃げ回っていたが、巨人とは歩幅が違いすぎる。つけ回されれば、ろくに隠れる場所もない開けた場所だ。逃げ切ることなど到底出来ない。

 巨人の目的が何かはわからないが、はしから人間を殺していっていることからして、よほど人間が気に入らないのだろう。

 修道騎士はあてにならない。武器の有効性もそうだが、おそらく、最初に指揮系統しきけいとうの人間が潰されたのだろう。ろくな統制とうせいがとれていなかった。

 もう、この世界に来てからこんな目にばかりあっている気がする。

 ウィルマーが殴り飛ばされてからの動向は追えていない。巨人が左腕を振り上げた。背中に硬い岩の感触を感じながら、目を閉じる。もはや、見上げることもないだろう。

 風鳴かざなりの音がする。それは、死神がかまを振る音だ。明確な死の迫る音。肉が切り飛ばされて、熱を帯びた液体がき散らされる。

 そこで、映の意識は――、途切れなかった。

 耳をつんざくのは、ドスの効いた咆哮ほうこう。同時、巨木が斬り倒されたかの様な音がして、床が震える。生臭い雨が降った。

 ――それは、映の頭上での出来事だ。

 顔をぬぐい、前を見る。そこには――、わった瞳で精霊刀を逆袈裟ぎゃくけさに振り抜くウィルマーが立っていた。

 手首から先を落とされた巨人は、すぐさまもう片方の手でウィルマーを払いけようと膂力りょりょくだのみで腕を振る。

 対するウィルマーは、刀を抜き放った姿勢からもう一歩踏み込み、左足を右足にそろえると、左へ、その場で側転をしてみせた。インパクトの瞬間、巨人の腕の直径をなぞるように、逆時計にくるりと体を回す。手を使わない、脚力だけの側転だ。まるで、腕がスローモーションで飛んできたかのように完璧にタイミングを合わせ、綺麗にかわしてしまった。

 映は、目の前で行われた曲芸に驚愕きょうがくする。普通なら、反応しきれずそのまま殴り飛ばされるか、大きく後ろに距離を取るかだろう。あくまで必殺の距離を維持いじしようとする、苛烈かれつな戦闘従事者の身のこなし。もうこうなっては、同じ域の者でしか戦闘には介入出来ないだろう。周りの修道騎士達も息をんで見守っている。

 巨人も手をゆるめない。あえて腕を振り切り、体をひねる。それを助走として、返す腕で振り払う。切り返しが早い。往復ビンタといえば可愛らしいが、その一撃一撃が必殺だ。

 向かって右からのぎ払い。ウィルマーは、側転からの着地後に合わせるように放たれたそれを、今度はその場前宙でやり過ごす。

 それは、回避であり攻撃だった。身体に沿って縦に回る精霊刀が、身の下をくぐる腕を刻もうとする。しかし、当たればラッキーというレベルの攻撃だ。巨人の腕は、タイミング良くその風車を通り抜けてしまった。

 位置が詰まる。

 着地したウィルマーは、あえて身体をちぢませた。ちぢめた身体を発射台として、逆袈裟ぎゃくけさに精霊刀を振り抜く。右股下みぎまたしたから左肩へ、両断狙いの一刀。うなる筋肉。

 しかし、それも読んでいたのかのように巨人はかわす。またしても腕を振り抜いたまま、引っ張られるようにして貧相な右足を浮かした。自然、左足を軸にくるりと回るような形になる。腹部の肌をぐレベルの浅いヒット。そして、かわすだけではない。

 手首から先が無くなった左腕が、右、ウィルマーの死角から激突した。

 咄嗟とっさ逆手さかて持ちにした刀の刃が、巨人の腕に食い込む。だが、ガードとして置いた刀だ。押し切れるものではない。吹き飛ばされる。

 しかし、ウィルマーも、モロに食らった訳ではないようだ。衝撃を逃がすよう、あらかじめ飛ばされる方向へ軽く跳躍ちょうやくしていたのかもしれない。

 ウィルマーは、空中で綺麗に身体を回し、岩壁に着地する。両足を付けた瞬間、弾かれるように巨人の方へと飛び込んだ。切りかかる。

 ――だが、そこでしまいだった。

 振り抜いた巨人の左腕。その断面から、血しぶきが飛ぶ。それが、ウィルマーの目に直撃した。

 うめきを上げながら勢いを失い、どさりと着地するウィルマー。目をこするが、どうやら一時的に視力を失ったらしい。"汚い"といえばそれまでだが、巨人側も本気なのだろう。

 無事な右腕で叩き潰そうと、五指の雨が降る。右、左とウィルマーは地面を転がり避けるが、先程までのキレは無い。等間隔の振り下ろしが続き、抜け出るタイミングを見計らって立ち上がろうとした瞬間、半拍早い振り下ろしが抜け目なく降ってくる。

 風の音で判断したのだろうか。からくも刀を直上にかざすと、巨人の五指にヒットした。

 しかし、そこで膠着こうちゃくする。五指と・・・精霊刀の力・・・・・が拮抗しているのだ・・・・・・・・・

 巨人の手の平が、断ち割られていない。なぜなら、その左手の平・・・・は、魔力で形成されていたからだ。

 打ち合いの中で情報を吸収し、真似したのだろうか。巨人は知性もなくただ暴れるだけではない、ということだ。自然物であれば一撃必殺の魔力刀身も、同じ性質の魔力義手相手ではが悪い。

 ギリギリと折れそうなほど、歯を食いしばる音がする。ウィルマーだ。いくら何でも、膂力りょりょくに差がありすぎた。立ち上がろうとした姿勢が、徐々に、圧倒的な力で押し潰されていく。

 お、おい、やばいぞ! と辺りで声が上がるが、今更この状態では、手の出しようがない。折を見て遠ざかっていた映も、唇を噛む。なにか、なにか無いのだろうか。

 慌てて周りを確認すると、年神として参列者の相手をしていた女性が、気絶して倒れていた。これは……、"映"の評判は地に落ちるかもしれない。と思うが、そんな事は今はどうでも良い。巨人の注意をらすものを探すことの方が大事だ。

 ふいに、視界のはしあかりが見えた。黄土色おうどいろの光。えず口を動かす祭司の身体が、発光している。その眼前では、魔法陣が明滅し始めていた。

 なんらかの魔法だろうか。ならば、あれが発動するまでねばれば……!

 映は、近くに落ちていた瓦礫がれきの破片を拾うと振り返る。

 しかし、ウィルマーへのとどめは、今、刺されようとしていた。巨人の右腕が振りかぶられている。

 左手の魔力義手でウィルマーを地へと固定し、右腕でぎ払うつもりだ。

 死神が、鎌を振る音がした。

 ――ウィルマーが前進する。

 見れば、魔力刀身が消え失せていた。拮抗きっこうしていたのは、互いに魔力で形成された部位。基部となる短刀部分は、元より左手首の先にあった。切っ先を後ろに下げておけば、後は滑るように体が押し出される。

「ォ――――――!!!」

 巨人の左手も、振り抜かれた右手も背後に置き、風のように巨人の股下またしたへと滑り込む。この瞬間において、巨人が取ることの出来る回避手段はゼロ。

 ウィルマーは、タイルを踏み割り震脚しんきゃく。即座魔力を再装填さいそうてん

「決 壊 せ よ――――!!!!」

 ブチ上げた。

 薄青の一線が教会の天井を割る。同時、巨人の周囲に幾十の魔法陣が展開。黄土色に輝く岩槍が射出、大砲に似た轟音ごうおんが多重に空間を塗り潰す。

 思わず映がびくりと肩をすくめ、目をつぶった。一瞬。その一瞬で、巨人と距離を取っていた映の眼前にまで、岩槍が地面から突き出している。

 辺り一面に、黄土色おうどいろの剣山が出来上がっていた。

「ウィル……マー……!?」

 映は、巨人と共に剣山に飲み込まれた赤髪の少年を探す。手の平に血がにじむのも構わず、その峻厳しゅんげんな岩山を登ろうとする。

「落ち着きなさい!」

 と、近くにいた修道騎士に羽交はがめにされ、映はあえなく引き離されてしまう。もがけども、所詮しょせんは少女の力だ。みじめに引きずられるしかない。

「だから、落ち着きなさい。我々の勇士は、あそこにいます」

 その修道騎士が指差した先。確かにそこに、ウィルマーはいた。

 剣山の頂点近く、入り組んだ岩槍の交差部分。そこに、短刀をたずさえたまま、無傷で立っていた。

 全方位から滅多差めったざしにされた巨人の胴体の上、かろうじて被害をまぬがれた顔を、瞳孔どうこうの開いた目で見上げている。

 巨人の返り血を存分に浴びたその横顔は、しかし、幽鬼のように白く、感情を失っていた。

 いや――、失っているのではないのだろう。一見荒れていないように見えても、その実潮流ちょうりゅうが激しい海のように、凍りついた表情の下では、激情が荒れ狂っているのではないだろうか。細かく震えるくちびるのはしが、何よりの証拠だ。

 巨人が、かすかに動いた。辺りがざわつく。あれほどの状態で、まだ絶命していないのかと。

 しかし――、それきり何も動かない。あれが最後だったのだろう。

 巨人が、いまわのきわにわずかに動かした部位。それは、映が見た限り、眉と目だった。かすかに、口のはしも動いていたかもしれない。

 眉尻が下がり、目は細められ、口角はゆるく引かれた表情。

 言葉はなくとも、それは、年の離れた親友への、最後の挨拶だった。

「――――ッ」

 緑の瞳が揺れた。決壊したように感情があふれ、慟哭どうこくが響く。巨人の血で潰された視界は、戻ったのだろうか。……きっと、戻ってしまったのだろう。

 映は眉根を寄せ、静かに目をつぶった。心臓を握りつぶされるような悲しみが、等しく、教会内に降り積もる。

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