第20話 開幕
ところどころに通気用の
鉱山内は、とかくガスの発生が多い。可燃性のガスが充満している場合もままあるだろう。それだから、”地下にはなるべく火を入れない”ということが、鉄則となっていた。鉄の精錬加工など、大規模に火を使う作業は、鉱山内では行うことが出来ない。
では、どこで行うか。
――それは、地表だ。
鉱山は、上記の理由で、採掘場以外にも地上施設を構えている事が多い。ヤラベルク山も例外ではなく、多くの設備を、その山中に備えていた。
選鉱場や、精錬場。そういった大規模施設には人が集まり、必然的にそこには街が出来る。そうして斜面に造られた街の一つが、鍛冶精錬の街・セーウェルであった。
山中の森を切り開いて作られたその街中を歩いていると、良く目に付くものがある。それは、水車だ。
運搬の動力、精錬のための用水、加工のための用水――。鉱山は、とかく多くの水が必要となる場所でもあった。
それだから、荷揚げ用の水車とはまた別に、地下水
さらには、この山で汲み上げられた水は、浄化された後、大陸の盟主たる人間の国・レギンガルドへ長大な水路橋で輸送されていたりもする。
セーウェルは、そんな重要な役割を担う街の一つだ。活気があり、住民はみな優しい。
しかし、この街も、良いところばかりがあるわけではない。鉱山街であるからには、常に命の危険とも隣り合わせの場所でもあった。
――今やもう使われていない
精霊の
ごつごつとした山の岩肌に埋もれるようにして建ってはいるが、
普段から
彼らの目的は、教会の
◆
「お入り下さい」
ようやくと言ったところだろうか。扉の前で待たされていた列が動き始めた。
今、行われているのは、告白の儀式。
『我ら
昇れ 昇れよ 空高く 落ちたる天を 押し上げよ
一等輝くその土地に 神は
かつての
男女混成の歌声が、
「日々、世界の発展を目指す
快活な笑顔。風雨にさらされた岩のような肌に、白く長い眉。ローブをまとった背の低いドワーフが、とうとうと喋り続ける。
彼が、ニーダスヴァルトに点在する教会のトップである土の祭司、その人だ。
「あなたがたの光を
感謝のため息が、そこら中で上がった。土の祭司は軽くうなずき、落ち着くようにと参列者に手で合図する。
「どんな
芝居がかったように両腕を広げる祭司。沸き上がる参列者。お決まりの
「さあ、一列に並びなさい――」
信徒に先導された参列者が、祭壇へ向かう通路に並び始めた。先頭では、すでに悩みの告白が始まっているようだ。まずは、祭司に告白をし、次に神からお言葉を
これは、他人の告白内容が聞こえないようにするための
だが、中には義務を果たさない者もいる。そういった者は整理役の信徒に厳しく取り締まられ、ひどい場合は教会から追い出されることもあった。
番犬のように目を光らせる信徒達が、祭壇へ向かう列の
ふと、修道騎士の一人が眉をひそめた。その視線の先には、フードを深くまで被った二人組がいる。片方は、紋様の入った白いローブを羽織っており、どこかしら高貴な家の出を感じさせた。しかし、中に胸元がはだたけた服を着込んでおり、単なる
修道騎士が白いローブの者の脇に立つ。
「おい」
洪水のような歌声が
「歌え」
威圧感を与えるその言葉。白いローブの参列者は、しかし、ぴくりとも動かない。
「貴様――」
と、つかみかかろうとした騎士と参列者の間に、
「すみません、騎士様、この者は言葉が分からないのです」
と割り込んだ者がいた。同じくフードを深くまで被った参列者だ。
白いローブの者と比べると、そのローブは見劣りするほどに見すぼらしく、こつれた茶色の色をしていた。
「何……?」
一見すると従者と思われる茶色いフードの者が、頭を下げる。
「幼い頃に火事に見舞われ、そのショックから部屋に閉じこもりきりになり、人と喋ることもほぼ無く育ってしまわれたので……」
「フン、それで? そのフードは、火傷の
「はい」
「……気にすることはない。火傷の
と、白ローブの頭に手を伸ばそうとする騎士を、はねのける従者。
「――なりません」
「顔を見られたくない理由は他にあるのだろう!?」
と、声を張り上げ、にらみ合う形になった従者と騎士。見下ろす騎士は腰に手をやり、今にも制圧に乗り出そうという気迫だ。しかし、従者はそれに対し、一向に退こうとしない。
「祭司様に、お伝えしたいお話がありまして」
「
一触即発の空気、周辺の参列者も歌うのをやめ、距離を取り始める。そこに、声が投じられた。
「――何です、騒がしい」
合唱の声が減ったことで異変を察知したのだろう。祭司が、壇上から降りてくる。
「祭司様、近づいてはなりません!」
腰からメイスを引き抜いた騎士は、もはやローブを着た二人組を敵と認めた。
「――この者達は、あなた様に危害を及ぼそうとしているやもしれません」
「おやおや、物騒な事を」
紳士然とした爽やかさのある笑顔を崩さぬまま、祭司がローブの二人組に語りかける。
「……そのローブ、
その裏で、
ローブの従者の口の
「いいえ。あなたにお伝えしたいお話があるんです、祭司」
「……私に?」
「はい」
にこりと、祭司の笑みが濃くなった。
◆
映は、深く被った白いローブの下で、息をつめていた。
「(上手くやりなさいよ、ウィルマー……)」
作戦はシンプルだった。教会のお偉いさんである祭司と会話が出来るこの機会を利用し、本物の年神はここにいるぞ。そんな偽物を用意してどういうつもりだ? と密かに問いつめる。そして、こちらの要望を通す。衆人の目があるので、教会側も下手なことは出来まい。……そういう算段だった。
しかし、ウィルマーが
「――それは、さぞかし価値のある話なのでしょうね」
祭司はそう穏やかに言っているが、明らかに嫌みだろう。映が、なんとなく目線だけで周囲を見回すと、修道騎士が自分とウィルマーを囲うように配置についていた。教会側がこちらの話につき合ってくれるのも、もうあと
「ええ、勿論。今この場で開かれている茶番と比べれば、
「貴様……!」
「まあ、落ち着きなさい」
いきり立つ修道騎士を
「では、まず、
細部に聞き取れない単語はあるが、名乗れと言われているのは
まずい、と映は思った。人を
しかし、ウィルマーは随分とゆっくりとした話し方をしている。相手の意識を狭めようという気がまるでない。どう話を転がすつもりでいるのだろうか。
”
「”
眉間にシワが寄る映。その斜め前で、ためらい無く自らのフードを外したウィルマーの頬には――、いつの間にか、月を基調としたような紋章が明滅していた。
「(どこで……?)」
少なくとも、樹上の家でも、ここに来るまでも頬に何かを描いたそぶりは見えなかった。と、言うことは、ウィルマーは元々”
「おや、
そう話をしながら、祭司は遠くに立つ修道士に目配せをする。おそらく照会をさせにいくのだろう。
「これで、お話を聞いていただけますかね、祭司」
徐々に周囲の民衆のざわめきが大きくなっていた。状況が見えない後列の待機者達の不満が、
「いや、まだ足りません。お連れ様のお名前を
しかし、祭司もウィルマーも止まらない。
「そちらの、白いローブの方こそ、”
「いいえ、違います、祭司様」
二人の笑顔がかち合う。
「”
「……神が地上を荒らす時、もしくは人が神を軽んじた時、ですね」
「――まるで、祭司様が神を
耐えかねたとばかりにメイスで宙を
「いい加減にしろ!」
その筋肉質な腕を伸ばし、映のフードに修道騎士が手をかけた瞬間。
「――いいんですね?」
と、ウィルマーが声を堂内に
「な、なにがだ!」
と、修道騎士も思わずひるむ。
「本当に、そのフードを、下ろしてしまっても良いんですね?」
修道騎士は、フードに手をかけたまま動きを止めている。
「
振り向かぬままに、ウィルマーは鼻で笑う。明らかに、参列者達が聞き取れるように喋っていた。
周囲のざわめきが、先ほどとは別のベクトルを向き始めている。
――ウィルマーが、場の空気を支配していた。
「(恐ろしい……)」
映は鳥肌が立つ片腕をにぎりしめていた。
ウィルマー。お人好しで、人当たりが良く、仕事には真面目で可哀想な動物は放っておけない。そんな、人畜無害な人間。それが、彼だと映は思っていた。
そして、それは”誠治”にも通ずる性格だ。しかし、現状はどうだろうか。
人を煽り立て、せせら笑い、ハッタリをかまし、口八丁で相手を丸め込む。そんな、山師のような事をてらいなくやってのけてしまう人間が目の前にいる。これは、誰だろうか。
ウィルマーのことは、昔からよく知っているような気になっていたが、良く考えれば出会ってまだ日もあまり
血が止まりそうなほど、映は腕を握りしめていた。
「……なにがお望みでしょうか」
少し固くなった笑顔で、祭司が問う。
「ハッ、最初から言っているじゃないですか、祭司サマ。話がしたいんですよ」
「なら、この後で時間を設けさせましょう――」
と、顔を
「ですので、今はお引き取りください、ってか? ヒャハハ、ああ、出ていってやるよ、今はなぁ……!」
と、最早悪党丸出しの台詞を吐き、絡み付く蛇のような視線を祭司に送ると、くるりと振り向き、ウィルマーは参列者達の方を向く。
「皆様、私の顔を覚えておいてください。この顔が明日から見えなくなったら、その時は――」
「(もう嫌!)」
と、映が心の中で叫んだ瞬間。
何かに撃ち抜かれたように、ウィルマーの体が跳ねた。次いで、ウィルマーは、頭をおさえながら苦悶の声を上げ始める。
「あ、ああぁ……あぁ!」
今度はなんだとばかりに、眉間にシワをよせる祭司達。
ウィルマーはと言えば、滝のように汗をかき、床に膝をつきながら頭を抱えていた。この光景は、前に地下洞窟でも見たことがある。何か悪いところでもあるのだろうか……?
「すいません、何でもありません……。夜、また
先程までが嘘のように
しかし、その背中に、
「おい、待て!」
と、声がかかった。映は、足を止めて振り返ってみるが、そこには参列者の列形成をし直し始める信徒達と、祭壇の方に深々と謝罪をする祭司の姿があるだけで、もうすでにこちらに注意を払っている様子はない。では、今の声は誰が――? と
「お、おい、や、やめ――!?」
ぐちゃ、という肉が潰されたような粘着質な音と、生臭い鉄の臭い。息を飲む音。おい、やばいぞ! というざわめき……。
映は、体の向きを戻した。まず、目に入ったのは、足を止めて、呆然と立ち尽くすウィルマーの姿。そしてその向こうからは、ずず、ずず、と、何かを引きずりながら近づく音がする。
大きな木の扉をくぐって現れたのは、巨人だった。上半身の筋肉がいやに盛り上がり、しかし、腰から下は小さくひょろっとしていて、あまり筋肉がないように見える。極端な逆三角形だ。二足で立ち続けるのは難しいのだろう。一歩ごとに地を響かせ、ゴリラのように手を着きながら迫り来る。
しかし、顔はいやに小さかった。まるで、大人の体に赤子の顔を乗せたかのようなアンバランスさだ。
顔の
その巨人が何かを放る。千切れたような音がした。赤い
石造りの床に、グチャと、重く湿った音がした。
――落ちたのは、鎧をつけた人の片足だ。
「逃げろ――!!」
蜂の巣をつついたかのような騒ぎだ。悲鳴が嵐のように巻き起こる。教会の奥の方へ逃げようと、人が殺到する。隅の方でうずくまり、年神に祈る声も聞こえた。
その中で、ウィルマーは微動だにせず、巨人を見上げ、その場に立ち続けていた。巨人が手を付き、
映は、息を飲む。巨人の顔に、見覚えがあった。ウィルマーもあるだろう。いや……、あるというレベルでは無い。整った美少年のようなその顔は――、
「セバ……さん……?」
彼の、恩師の顔であったからだ。
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