第14話 城門を越えて

 草原に、だるような人いきれが渦巻いていた。さながら、街中のようなざわめき。

 小綺麗なシャツをまとった行商人。刺すような陽光の下、表情一つ変えない巡礼者。筋骨隆々とした腕で、家畜の手綱を握る農夫の男。長い馬車の行列。不平不満の声も漏れ聞こえる中、一際騒がしいのは露天商の呼び込みだ。

 御者席を周り、乾物や酒を売る者もいる。その行列の行く先には、ぐるりと巡る石積の城壁。天を仰ぐほどの大きな城門。その手前にある落とし格子は、今、限界まで吊り上げられ、都市への入り口は開け放たれていた。関所として機能するそこには、鉄製の板金鎧をまとった衛兵が両脇に立ち、ひっきりなしに積み荷を調べている。通行税や、物資にかかる関税などを渡航者から徴収する為だ。

 城門がにわかに騒がしくなった。どうやら、にせの通行証を使って、都市に入ろうとした学生がいたらしい。またたくまに衛兵に打ち据えられ、城壁に備えられた収監塔に連れられていく。徴税待ちの列からは罵倒が降り注ぐ中、列に並んでいた少年が、ふと顔を上げた。樹が、揺れている。都市の背景を埋め尽くすほどの大樹。距離感がおかしくなりそうなほどの巨大。その枝葉の合間を、有翼人達が羽根を広げて翔んでいた。時々その姿が、陽炎かげろうを通したように微かに歪む。どうやら、その大樹を発着所として、空に対しても検問が敷かれているようだ。影が差す。枝の駅に、少し大きめの飛行船が接舷しようとしていた。

 大樹と城壁に囲まれた、凱城都市レギンガルド。雑踏と喧騒の"人"の国。ウィルマーと映は、今、世界樹のふもとに広がる、世界のはじまりの土地にいた。


       ◆


 次が、自分達の検問の番だった。ウィルマーは手綱を握りしめ、密かに息をのむ。ひたいにじわりと汗がにじんだ。御者台に座っている映は、我関せずとばかりに冷ややかな顔をしていた。

 それはそうだろう。万が一失敗しても、神である映には何のおとがめも無いはずだ。だが、自分は。ただの一介の坑夫に過ぎないし、ギルドの名の下に旅をしているわけでもない。最早坑夫と言っていいのかも怪しい。ただ、やれることはやった。そう思うしかないだろう。

 「次の者。前へ――」



 そうしてウィルマー達は、検問を受けていた。

 衛兵の一人は、馬車の荷を調べる為に後ろへと行き、もう一人は通行証の確認に入る。

 各地の領主の名をもって発行される通行証もあるが、その中でも万能と言われるのが、世界各地に網目をめぐらしている"教会"の発行している通行証だ。

 ウィルマーが、衛兵に掲げた通行証。それは、地の祭司の名前が入り、押印は〝宴の魔術師スンベル・セイズ〟のもの。教会が発行する中でも最上位に近いものだ。

「通行者の名前は……、エイリーン・・・・・リューゲ・・・・ウィルマー・・・・・ズィーベック・・・・・・の二名・・・だな」

「はい、その通りでございます」

 うやうやしくこうべを垂れるウィルマー。赤い髪がしゃらりと揺れる。

 その頭上。かすかにうなる声が聞こえ、通行証を眺める眉間には、深いしわが寄っていた。

「(平常心をよそおえ)」

 と、自分に言い聞かせながら、ウィルマーは、早鐘を打つ鼓動を必死に落ち着けようとする。

 衛兵が、その通行証を不審に思うのも無理はなかった。存外、人一人の世間というものは狭く、世界全域を渡り歩く者などはそう多くない。

 ある都市からある都市までに限っての往復が生活の基本であり、行商人であっても決まったみちを周回する。そして、身なりの立派なものほど一都市から動かない。

 その様な実状から、年若いものが、この世界最大の祭祀さいしり行う機関から最大限の承認を得ているというのは、いささか眉唾まゆつばものといえるだろう。しかし、通行証のサインは間違いなく本物だ。だが――、それは、合法的・・・なものでは・・・・・なかった・・・・

 ウィルマーは、タイミングを見計らって口を開く。

「ご心配であれば、こちらもご覧ください」

 そう言って、ウィルマーが腰の革袋から取り出したのは、先程の通行証と同じように獣皮で造られ、蝋印でじられた巻物だ。

 怪訝けげんな顔のまま衛兵が受け取り、巻きものを解く。静かに息を吸うウィルマー。

「えぇー……。この者、オウサキ・エイ。本年一年のイルミンスールの神にあた……、……っか、くぁっ!?」

 ぼそぼそと呟いていた衛兵が素っ頓狂な声を上げる。まとっていた板金鎧が、がちゃがちゃとうるさい音を立てた。一瞬、徴税待ちの行列のざわめきが止み、視線が集中する。か、神!? と言い切らなかったのは、職業人としてのせめてもの自制が、衛兵の心の中で働いたからだろうか。

 ――そう、その巻かれた獣皮紙の2枚目。それは、ウィルマーの名と、映の偽らざる本当の名が記された通行証であった。地の祭司のみならず、全祭司の名によって承認された最上位の通行証。

「お、おい! マーク! 検分はもう良い! 戻って来い!」

 と、未だ積み荷の検分中だったもう一人の衛兵に声をかけると、今まで通行証を確認していた衛兵がビッと直立に姿勢を正す。

「大変お待たせいたしましたリューゲ様! お通り下さい! 良き樹下じゅかの旅を!」

 槍を地面に垂直に抱え、映に向かって最敬礼をする衛兵。

「……おい、テルズ。貴様何を言っている? まだ、半分しか終えていないのだが」

 馬車の裏からむっとした表情で顔を出したのは、マークと呼ばれた衛兵だ。マークに駆け寄り、彼を必死に馬車から引きずり下ろしたのは、テルズ。先程まで、ウィルマーの応対をしていた衛兵だ。

「バカ! お前死にたいのか……!」

 押し殺した声をマークに向けながら、テルズはへこへこと映達に頭を下げる。

 ウィルマーは苦笑しながら、御者席に飛び乗り手綱たづなを握った。横に座っている映が、腕を組みながらこの世の誰も理解の出来ない言語でつぶやく。

「【長い】」

「【いやいや無茶言うなって! 誉めて欲しいぐらいだよ!】」

「【要領よくやりなさい。時は金なりよ】」

「【言うのは簡単だよなあ!?】」

 硝子のような怜悧な美貌から繰り出されるのは、容赦の無いダメ出しの数々。地下迷宮からの脱出と、旅の道連れの約束を経て、少しは態度が柔らかくなると思っていたが、氷の女王ぶりは健在だ。

「(……まあ、一緒に居てくれるだけでありがたいよな)」

 彼女の隣に立つと決めたのは自分だ。映の話す、この世の誰もが理解出来ぬその言葉を、ウィルマーだけが理解する事が出来た。

 "日本語"。ウィルマーの"夢"だけで使われている言語。それを、喋る者が現実に現れた。それを、奇跡と言わずになんと言おうか。幼い頃から感じている引っかかりを晴らす為に。この奇跡の端だけは決して離すまいと、ウィルマーは心に決めていた。

「(だが……、それとこれとは話が別だ……!)」

 ウィルマーと映の小声での応酬が続く中、馬車は城壁の中を進んでいく。下草の生えた地面から、石畳へと変わったその瞬間。

 伸びる影は消え、石造りの門に遮られていた暖かな陽の光が、辺り一面を照らす。眩しくて一瞬手をかざした後に広がるのは、大パノラマだ。

 雑踏。肉の匂い。屋根の赤。石壁。汗ばむ気温。酒やけした罵倒、客引き女の歓声、値切る声。

 そこかしこから聞こえてくる生活音が、城壁に反響して洪水のように耳に流れ込む。

「やっぱり……、圧巻だな……」

 小さな頃に来たことはあるが、その時は仕事のことで精一杯で余裕をもって辺りを見回すことなど無かった。

 映はと言えば、切れ長で大きな瞳をいつもより大きくして辺りを見まわしている。

「ヨウコソ! レギンガルドへ~!」

 おどけた旅芸人の声が、どこからか聞こえて来る。

 どうにか二人は、この大都市に潜り込んだのだ。

「【バレなかったわね】」

「【まあ、鑑定士でもない限りそこまで神経質に見ないだろうとは思ったけど】」

「【筆跡が違うことぐらい気が付くべきだわ】」

 思わずウィルマーは苦笑する。確かに、大国の関所ではそうあるべきだと思うが。大量に処理をしなければいけない場所でもある。多少はお目こぼしていただこう。

 そう、何を隠そうあの通行証は、二人がある祭司を脅して書かせたものなのだ――。


       ◆


 獣が山道を走っていく。四つ足を繰り、風のように景色を置いていく。"それ"は、一糸まとわぬ姿で駆けていた。枯れ枝を踏み、岩肌を蹴り、山道を進んでいく。

 その手足はうろこに覆われ、些細なとげなどはものともしない。しかし、"それ"は、人の姿を取っていた。

 亜人に似たその姿。しかし、それはどの種族にも合致しない。それに、人に似た姿を取っていれば、少なからず悲鳴の上がる速度、身形みなりだ。

 しかし、誰もが何も言わない。それは、山道だからなどではない。行商人が一人、先を急いでいた。急いでいるはずだった。雨が振りかけている。早く、山を降りなければ。そう思ったのだろう。振りかけた雨は、しかし、地に落ちる事無く、宙で止まっていた・・・・・・・・

 それが、どういうことかを、獣は理解が出来なかった。足を振り上げたままで止まっている行商人の股の間を、すり抜けて飛んでいく。何もかもが動かぬ世界で、しかし、何かに背を押されるように動き出した獣の裸身は、留まる事を知らなかった。

 匂いに惹かれるようにして、獣は、ただひたすらに足を動かす。目的地はまだ遠い。

「待っているのだわ、わたしのファミーリエ!」

 いつの間にかその獣は、言葉を喋るようになっていた。

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