第15話 嘘のつきかた

 話は十数日前にさかのぼる――。


       ◇


 この光景はなんだっただろうか。"夢"で見た記憶をさぐる。ああ、そうだ。あの子・・・が読んでいた、あの物語。

 まるで、アクタガワの"蜘蛛の糸"だと、ウィルマーは思った。なんという不謹慎な妄想だろう。

 地下都市迷宮の底の底。暗い地底湖の端から、直線上に地上へと貫通する竪坑たてこう。幅は7mほどあり、深度は何百mあるのだろう。地底湖付近から見上げる空は、最早針穴のように小さい。

 針穴から落とされる糸は、荒縄のようなひもだ。それが途中から四本に分かれ、二畳ほどの大きさの木箱を吊り上げていた。

 昇降機であり、排水装置でもある木箱に積まれ、ウィルマーと映は、今地上へと向かっている。

 歯車と水の音が、遠く聞こえた。

 下から、あとに続けと登ってくるような亡者はいないが、時々思い出したように揺れる木箱は、幾ら乗ったことがあるウィルマーと言えど、あまり心臓に良いものではない。

「【行き先を決めましょう】」

 突然、映が口を開いた。

 ところどころにこけの生えた木箱。その底に座り込んでいたウィルマーは、腕を組み、立っている映に顔を向ける。

「【行き先ね】」

 年神の旅の事だろう。通常であれば、神祭事連盟スンベル・セイズがだいたいの巡回路を決める。そして、様々な国の中から厳正に選ばれた案内人が、連盟の者数人と共に、神を案内をするという手筈だ。

 しかし、とウィルマーは目を伏せる。例年通りであるならば、望む場所にいけなくなってしまう可能性がある。だから、出来るなら連盟に管理された旅はしたくない。だが、その意志を通した結果、世界的な慣習を壊すことに繋がるとしたら……。今年に命運をかけている町や村のものはどうなる? そう思うと震えも来るが、この先、自分の夢の中でしかありえなかった出来事が現実になる確率など、そうあるものではない。覚悟を決めるべきだろう。

 今年は、映と自分の二人で旅をする。その方向に、なんとしてでも持って行かなくてはならない。

 ただ、この世界から、日本へ渡航する。そんな方法があるのだろうか? 残念ながらドゥーリンモート界隈かいわいでは聞いたことがない。

「【うーん……】」

 "夢"の中の記憶の話で言えば、よくゲームや何かでは、召喚が出来るなら送還も出来るというシステムになっている場合が多い。しかし、この世界の召喚術は、別世界から精霊をび出しているわけではない。元々この世界に居る者を見えるようにしているだけだ。それだから、変なところから何かび出してしまった! ということは起こらないはずなのだ……。

「【よし】」

 ――考えてもわからないものは、行動するしかない。あぐらをかいている膝頭ひざがしらに手を置き、ウィルマーは身を起こす。

「【さしあたっては、情報の蓄積ちくせきも出入りも多い大きな街に行くのが良いのかなと思う】」

「【まぁ、妥当だとうな判断ね】」

 映が、小ぶりなあごを引いてうなずいた。さらりと、黒髪が揺れる。ところどころ汗や土で汚れているが、それでも人形のように完成された容姿をしている。腕を組み、図らずも強調されてしまっている部分や、すらりと姿勢よく立つ姿。やはりその姿は目を惹くものだ。ウィルマーは、どこか芸術品を鑑賞するかのような目で見とれてしまう。映は、ある意味本物の女神なのかもしれなかった。

「【……なに?】」

 まじまじと見つめていた事を不審に思ったのか、怪訝けげんそうにこちらを見る映。切れ長ながら大きな瞳。吸い込まれそうな、その深い黒い目。その目に、ウィルマーは何か引っかかりを覚えながら、

「【なんでもない】」

と、首を振った。

「【そうだな……目的地は、人間の国レギンガルドにしよう。昔、親方の奥さんに付いて細工品を売りに行ったりしたから、多少の地理はわかるし、それに、あそこは世界の中心と言えるほど賑わっているんだ】」

「【行き先は任せるわ。ただ一つ、問題があるんじゃない?】」

 キュウウと、高いうなり声が、竪坑たてこうに響いた。ウィルマーの膝の上からだ。サラマンドの幼体が苦しそうに息をしていた。

「【そのトカゲの事じゃないわよ】」

「【わかってるよ】」

 言外に、なんかお前厳しいなとばかりに眉根を寄せる。視線を逸らして肩をすくめる映。

 ウィルマーは、息を吐いて後ろ手をついた。ウィルマーには、サラマンドの気持ちが落ち着くように撫でる事しか出来ない。その事がどうにも歯がゆいが、獣医でもないのだから仕方ないだろう。

「【……問題……問題ねぇ。まあ、お金の問題ぐらいかな】」

「【通行証もでしょう】」

「【あー……】」

 "神祭事連盟スンベル・セイズ"から発行されている通行証は、映のものだけだ。自分の分も"神祭事連盟スンベル・セイズ"に発行してもらえるかというとそれは厳しいと思うし、そもそも、出来ればこのまま連盟に見つからずにドゥーリンモートを出たい。

 ならば、鉱山組合から出して貰うかというと、ただの行商用であればそれこそレギンガルドにしか行けないだろう。

 別種としては、遍歴へんれきの職人用の通行証もあるだろうが、いわゆる親方候補にしか発行されないものだ。見習いも見習いのウィルマーが貰えるはずもない。

「【いや、ほんとどうするかな……】」

 天をあおぐウィルマー。なにせ、人生の大半を鉱山の中で暮らして来たので、旅にはとんとえんがない。他の地域に頼る人も居ない。誰かに知恵を貸してもらうしか……と頭を悩ませるが、先程からやたらとうるさい音が竪坑たてこうを反響していて思考の邪魔をする。

 そして、今更に気付いた。光が目に差し込んで来ている。地表が近いのだ。岩肌に響くその音は、木箱を吊り上げる縄が鉄の滑車とすれる音。やぐらの屋根で空はさえぎられているが、外はなかなかの晴天のようだ。遠くで回る水車の音も混じりながら、騒がしい地上が近づいている。

 ふと、映が鞄の中を探し始めた。シックな黒いポーチを取り出しては仕舞い、革のペンケースを取り出しては仕舞い、バインダーやルーズリーフの中を見ては閉じ、何を探しているのだろうか。隅から隅まで念入りに手を入れている。

「【なるほどね】」

 そう言ったきり、小ぶりなあごに手を添え、黙りこくる映。

「【……えっと】」

 何か、いやな予感がするのは気のせいだろうか。

「【――決めたわ】

 映が、髪をかき上げる。

「【通行証を書いた男をおどしましょう】」

「【は!?】」

 ぽんと手をたたく。

「【それしか無いわ。そうしましょう。おどして書かせるわ】」

「【待て待て待て、いきなりどうした?】」

 と、慌てて身を跳ね上げる。グギュウと膝のサラマンドが苦悶の声をあげた。

 そんなウィルマーの姿を、なにか?と真顔で見つめる映。

「【どうもしないわ。私は神。あの男は祭司。神に仕えるもの。私の言う事を聞くのは当たり前じゃない?】」

「【文言を書き足させるっていうのか? そんなの立派な証書偽造だぞ! 下手に詐称したのがバレてみろ! 釜茹でで死刑だ!】」

「【"再発行"よ。偽造ではないわ。それに、人が神を殺すというの?】」

 かすかにあごを上げ、目をすがめる映。一向にひく気配がなかった。そう、映が従順でしおらしいタイプではない事はウィルマーもよくわかっていた。初めての恩寵の披露の時もそうだ。自分の目論見に対しては強引なところがある。

 しかし……、何かおかしい。ちょっとした違和感を感じていた。

 確かに神ならおいそれと手は出されないだろう。しかし、荒ぶる神は鎮められる・・・・・のが常である。そして――、こいつは神などではないと判断された時。断罪は苛烈なものとなるだろう。映は、度胸が座ってはいるが、無茶無謀をする人間ではないはずだ。その強引さが示すところはただ一つ。

 ウィルマーは、意を決して短く息を吸うと、映の目をしかと見た。

「【…………無くしたな?】」

 覗き込んだ映の目が、ぐ、と静かに見開かれる。ウィルマーの顔を見て決してらさない。

 ――一説によると、嘘を付く人の行動はニパターンあるという。一つは、目から自分の心を読みとられる事を警戒して、無意識に目線を外しがちになる人。こちらは、どちらかというと防御型だ。

 もう一つのタイプ、攻撃型はどういう行動を取るのか。それは――、嘘をついてる間、一瞬たりとも相手から目を外さない。相手の感情を一つも逃さず、攻撃の材料にして言いくるめよう。相手の追求に反撃しよう。そういった心のあらわれが視線に表れるため、不自然なほどに相手をじっと見ると、そう言われている。今の映の行動そのものだ。

 ウィルマーはかぶりを振る。

「【無くしたな……】」

 これは、完全に無くした。

「【――何を、言ってるの?】」

 凍りつくほどの冷たい声色が頭上から降ってくる。ウィルマーは、視線を落とした。萎縮いしゅくしたからではない。目に入ってしまったのだ。映の手指が、震えている。組んだ腕。そのひじの辺りの服の生地を、痛いほどに握りしめている。本当に素直じゃないと、ウィルマーは内心でため息をついた。

「【いい、ウィルマー。挽回ばんかい出来るうちは失敗したとは言わないの】

 なおもムキになって言いつのる映が、次第に可哀想になってきた。

 それ、無くしたって言ってるようなもんだぞ……と思いつつ、口には出さない。

「【勘違いなら悪かった。俺の通行証のためにありがとう】」

 そう、言い訳を作ってやればプライドも保たれるだろう。

 口を開こうとした映が、機先を制されたとばかりに、む、と口を閉じた。

「【……だが、やはり祭司をおどすのは危険度が高すぎる。そもそも、おいそれと会える相手ではないし、待ってる時間がもったいない。それは最後の手段だと、俺は思う】」

 ぎゅ、と握られていた映の手指が、少しゆるんだ。これ以上は見苦しいと思ったのだろうか。無理にでも言葉を挟もうという気勢は、もう感じない。それを確認して、ウィルマーは言葉を継ぐ。

「【世界を行き来する全員が全員、通行証を持っているわけではないだろうし、他に何かすべがあるはずだ】」

「【じゃあ、どうするのよ……】」

 腕を抱き、少ししおらしい声を出す映。……なんだろう、少しいじめたくなってきた。いやいや、そんな事を考えている場合ではない。と、ウィルマーは心の中でかぶりを振る。

 映の通行証も無いという事は、強行突破が出来ないということで、ひいては映の身分を保証してくれるものが無いという事だ。戸籍のそこまでしっかりしていないこの世界では、己が何者かということより、何に属しているかという事が重要になる。ウィルマーに関しては、鉱山組合に連絡を取ってくれ!といえばまだ実存証明も出来よう。

 しかし、映は。年神であるということ以外、何者かを証明出来るり所が無いのだ。つまり、行く先々で、神としての力を見せ続けるか、金にものを言わせるかの二択しかない。

「【それは……――】」

 無理だろう。そもそも、映には超常的な能力があるわけでもないのだ。何か、上手く世界を渡り歩く術は無いだろうか。――と、ウィルマーが頭を悩ませていた、その時。

「――おーい、その赤髪はウィル坊かー?」

 もう地上との距離の浅い岩窟に、声が降ってきた。

「(この声は……!)」

 ウィルマーの、目の前の景色がぱっと広がった気がした。遅れて、ウィンチが巻ききる音が山林に響き、鉄と鉄がぶつかる堅い音がする。

 木箱から身を乗り出すウィルマー。すっかりと忘れていた。

 いつでも旅に出られる旅装。ツルハシや縄を腰に提げている、ふくふくとした丸い幼児体型に短い手足。幼い顔。好奇心だけを頼りに世界を旅する種族、ハーフリング。

「セバさん! 久しぶり!」

「こんなところから出て来るとは、ウィルマー、お前はやっぱり面白いな」

 セバと呼ばれたハーフリングは、くつくつと笑う。

「しかも、女連れか。大きくなったなあ。暗闇でなにをやってたんだ? ん?」

 若いのだが、どこか風に晒されたような老成した少年の声だ。そんなんじゃないよと、ウィルマーは苦笑するが、後ろから殺気に似た冷たい視線を感じるので、これは完全に否定した方が良い気がする。

「いや、ほんと大変だったんだって……!」

「見てわかる。まあ、立ち話もなんだ隠れ家ウチに来な」

 ニヒルに口の端を吊り上げるセバさんに、少しずつ落ち着いた旅の展望が見えてきたと、その時のウィルマーは思っていた。

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