第13話 マルコスとエイメリー

 頭を押さえながらうずくまる、映をかたっていた少女。その髪色は、若干の黄を混ぜた透き通るような白だった。

 民衆から、驚きの声が上がる。

「やはり、な」

 息を吐き、残身を取るとアマデウスはそう呟く。金に近い白い髪色、それは、ある種族の特徴の一つだったからだ。耳の先が尖っており、本来の寿命は長い。人類との遺恨いこんを残す亜人の種族。人類憎しと犯罪を起こすものも多い、彼、彼女達。アマデウスは、ふと遠く、ケビの足下からきっとにらみ上げる視線を感じた。

「あぇえぅお……!」

 少女だ。白い髪の少女が、初めて声を発した。その声は、言葉を成そうとして、しかし、形を成さないくぐもったもの。

「口がきけないのか」

「……この子、喉が潰されてるっすね。もしかしたら舌も……」

 目を伏せ、嘆息をするアマデウス。

「ひどいことをする」

「……まさか、こいつが――?」

 と足元を見やるケビを、ドンと少女が突き飛ばす。

「えぅお!」

 少女の気迫に驚いたケビは、思わず赤い髪の少年の上から足を下ろしてしまった。

「どうやら違うようだな」

 それを契機に、気絶しかけていた少年も意識がしっかりしたようだ。

「っは……げほ……くそっ……あぁ痛ぇ……」

 腹部を押さえながらのそりと身を起こすと、白い髪の少女が心配そうに身を寄せる。しかし、少年はそれを手で払っていた。

「ふむ、随分と仲睦なかむつまじいな?」

「兄妹すか」

「節穴かてめぇ。こいつは高い金出して買った使えねぇクソ奴隷だ! ふざけろ」

 舌打ちをする赤い髪の少年のそばで、しゅんとうなだれる少女。使えねぇと言われたのが悲しかったのか、はたまた兄妹に見えたことを否定されたのが悲しかったのか。どちらにしても、可哀想になるほどいじらしい。

「あぁ、イラつく……!」

 しかし、少年はそんな少女の姿がどうやら気に入らないようだ。頭を掻きむしると少女をどつく。

「おいテメェ、うまくやれっていったよなあ!?」

 それは、ある意味では、うまくやれるはずという、少女の力に対する信仰が透けて見える言葉でもあった。

「えぅ、おぇんああい……おぇんああい……」

 ごめんなさい、とでも繰り返しているのだろう。どうも見てられない光景だ。 

「……愚かだな」

「あ゛?」

 そんな様子を見ていられなかったのか、アマデウスが口を挟む。

「まあ、うまく行くわけがないっすよね」

「んでだよ!?」

 アマデウスは、少年の問いに片眉をあげると、造作もないとばかりに言葉を返す。

「何故か……? それは簡単だ」

 ピクリと、少年のこめかみに青筋が立つ。めつけるような視線を意に介さず、アマデウスは言葉を継いでいく。

「神とその従僕しもべについては、見事に特徴を捉えていた。黒いかつらも用意し、その赤い髪も、草木で染めたのだろう。ご苦労な事だ。しかし、一番大切な事が抜けている」

 いいか? と問いかける無言の間を置き、放たれる無慈悲な言葉。

「――神は、魔法を使わない・・・・・・・・・・。このような田舎では知るものが少ないかもしれないが、な」

 少年は目を見開くと、思わず吹き出し、粗野に笑う。

「……へっ、ははっ、駄目じゃねぇか……最初っから」

 少し、寂しそうに目を細めると、き物が落ちたように天を仰ぐ。

「――ケビ」

「うっす」

 そんな少年の背を、ぽんぽんと軽く叩くと、立ち上がるようにうながすケビ。

「さ、近くの刑務牢まで行くっすよ~~。君、名前は?」

 首に巻きついたままの鎖がじゃらりと音を立てる。かすれた声で、マルコス、と答えた少年に、最早逃げようと言う気は無かった。マルコスとケビは、民衆を背に、町門へと歩き始める。

 「えぅ! あぃえええう!」

 しかし、それを良しとしない者がいた。白い髪の少女だ。

 親のかたきを見るかのような目をして、砂ぼこりにまみれた地面から跳ね上がり、ケビに掴みかかろうとする。

 その手は冷気をまとっており、掴まれたが最後、その部位から凍りついてしまうだろう。

「っ……君はもうこいつに囚われる必要は無いんすよ?」

 怪訝けげんそうに眉根を寄せてとまどいながら、ひらひらとそれをかわしていく。右へ、左へ、手を取り足を取ろうと伸びてくる腕を、踊るように身を回す。しかし、ケビは、マルコスの首に繋がる鎖からは手を離さない。少女を抑えようとすればすぐに出来るのであろうが、しかし、そうはしなかった。単純に気になっていたのだ。決して良い扱いをされなかっだろうに、この少女がマルコスにすがる理由はなんだろう、と。

 そんな事を考えながら、ケビと少女がいびつな踊りを続けていると、次第に少女の動きがにぶり出した。息が上がり、足が思うようにあがっていない。絶対的な運動能力と体力の差。

 ──もうやめろと、言うつもりだったのだろうか。ふいに、マルコスが、踊るケビの脇から少女を蹴り飛ばした。

 目を丸くした少女が、体勢を崩した先には、腰を抜かしたまま動けないでいる町長の妻子。突き出した両腕は、妻子の目と鼻の先まで迫っていた。我が子を強く抱きしめ、すんでのところでなんとか後退あとずさる町長の妻。土ぼこりが巻き上がる。

「ち、近寄らないで、化け物!!」

 その顔は、神経質に歪んでいた。やけに空気の乾いた漁港の町。静まりかえった土壁の町並みに、上擦うわずった叫び声が響く。

 ……人間は、魔術を使えても魔法は使えない。魔法が使えるのは精霊だけ。神であれば一般に見る機会が少なく、そういうものかと納得も出来る。しかし、神で無いというのなら……。当てはまるものは、なにもない。当てはまるものがなにもないそれは──、化け物でしかないのだろう。

 今まで神とあがめていたものが、次の瞬間、化け物と呼ばれさげすまれる。非道ひどいと、そう思うかも知れない。しかし、未知のものとは、自らの生命をおびやかすかもしれない可能性そのものだ。それを排斥はいせきしようとするのは、生物の本能として、正しいと言えなくも無かった。

「奥様から離れろ…‥!」

 と、石を投げる民衆まで現れる。

「あぁ……」

 と、何かをさとったようなケビは、口の端を引き下げた。少女が、マルコスと共に居たいという理由がわかった気がしたのだ。

 頭を抱えてうずくまる少女に投げられる小石は、1つ2つと増えていき、その数は、民衆が感じた恐怖の数だけふくれ上がっていく。

 自業自得といえば、それまでかもしれない。命令をされていたとは言え、少女は今までに散々無垢の民衆をおびやかしてきたのだから。

 だから、ケビは、やめろとは言わない。

「(世界樹の眼ラタトスク的には、教化対象はマルコス君だけなんすけどねぇ……引き離すのも別の問題が発生しそうっすよねえ……)」

 化け物と蔑み、決して近づこうとしない人々の間で生きるより、自らを見てくれ、傍に立ってくれる人の下に居たいというのは人情だ。

 そして、少女が、親の敵を見るような目でケビを睨んでいたということは、虐げられてばかりでもなかったのだろう。

 ギリと、ケビの隣で歯噛みする音が聞こえる。

「……なんで、上手くいかねぇんだよ……」

 聞こえるか、聞こえないかというかすれたマルコスの声は、しかし、噴火を目前にした溶岩のような熱さをはらんでいた。

「おいッ、────!」

 マルコスが民衆にがなり立てようとした瞬間──。ばさり、と布がこすれる音がする。

「…………」

 アマデウスだ。民衆から少女を遮断しゃだんするように片手で、外套ローブの長い裾を持ち上げている。

「な、なんで、邪魔をなさるんですか!!」

 食ってかかる民衆へ、見返りの姿勢から振り返り、アマデウスは一歩、また一歩と民衆の方へ歩んでいく。その顔に表情はなく、だからこそいかめしい顔の造りが、より一層厳しく引き結ばれているように見えた。

 近づいてくるアマデウスに恐れを無し、後ずさる民衆。

「な、なんだぁ、えぇ!?」

 その中でたった1人、初老の船乗りの男だけが、意地とばかりにその場で肩を怒らせていた。アマデウスが、外套ローブを跳ねのけて腕を引ききる。

「ひっ──」

 ぶち抜いた。陶器を割るような音がし、氷の破片が剥がれ落ちていく。放たれた拳は、船乗りが腰を抜かしたその後ろ。氷像となったファルクの町長、リューベックの身体に触れていた。

「我々は、これで失礼する」

 バサリと外套がいとうひるがえし、きびすを返すアマデウスの後ろ。うめき声をあげ意識を取り戻すリューベックに、民衆は、抱き合って歓喜の声を上げた。

「──ケビ」

「は、はいっすー!」

 少し呆気あっけにとられたように突っ立っていたケビは、わたわたと町門の外へと足を向ける。その手元では、少年が顔をしかめながら、不機嫌そうに鼻を鳴らしていた。しかし、彼の求めていた光景が、何かあったのだろう。良く見れば門の方を向くその横顔は、少し口角が上がっているようにも見えた。

 一方、白い髪の少女といえば、地に伏したまま浅い息をするのみ。何か昔を思い出しているのだろう。乱れた髪の隙間から見える瞳は、もやがかかったように虚ろだった。その瞳は何も映しておらず、まるで、淡く光を反射するだけのガラス玉のようだ。抜け殻、というのが相応しいのかもしれない。最早、マルコスを追いかける元気も無いと見える。

「貴様、稀種エルフだろう」

 アマデウスは、門へ向かうすれ違い様立ち止まり、前を向いたまま、少女に声をかける。

「…………」

 少女は返事を返さない。もう、どうでもいいと、そう思ったのかもしれなかった。

「死にたいか?」

 独り自由になったところで、少女に行く場所は無いのだろう。またどこぞの奴隷商に捕まるか、荒野をさ迷って野垂れ死ぬか、治安維持の警吏に捕まるか、研究施設でめちゃくちゃにされるか。どれをとっても良い事などありえない。

「…………」

 じっと抜け殻のような目で、遠ざかるマルコスを見続ける少女。

「生きたいか」

 そもそも、稀種エルフはその境遇ゆえ、大人まで生き延びられる者の絶対数が、かなり少ない。

 突然変異のような個体であるため、必ずしも種族としてのまとまりがあるわけでもない。

 それだから、よほどの幸運に見まわれて、人が良く、力のある庇護者に拾われるか、たぐまれな才覚と知恵を持ってのし上がるかしか道はない。

「死にたいのなら、今ここで殺してやろう。精霊になりきれなかった未熟な魂を、天に返してやる」

 ごきり、と指を鳴らして拳を構えるその様は、彼ならやるだろうという躊躇ためらいの無さが現れていた。

 即座、振り抜かれる拳。巻き起こる拳圧で、少女の髪が揺れる。寸前で止められた拳は、しかし、開かれ、少女の頭にやわく乗せられる。

「しかし、生きたいのなら、俺はお前を肯定こうていしてやる。存在を、容姿を、心根こころねを。何をしてもお前だと。だから──、俺の後を付いて来い。これがお前も歩める道だと見せてやる。同族として・・・・・、俺はお前を扶翼ふよくする」

 その時、かすかに少女に反応が見えた。いまだ雲った目のまま、しかし、顔はかすかに上を、アマデウスの方を向こうとする。

 自らの頭を、荒く撫でる無骨な手を、不思議に思ったのかも知れない。あるいは、わかりやすい人の温かさというものを、初めて得たのかもしれない。

「だが、お前を肯定するのは俺だけでは無いはずだ」

 言葉と共に、遠くへと向けられる視線。その先には、心配そうに、しかしそうとは気取られないようにわずかにだけ振り向いている少年がいた。その襟足えりあしは、光の加減なのか、赤に染めきれなかった髪が、薄く生成きなりの色に光っているようにも見える。

 その色を見留めたアマデウスは、ふと口許くちもとをゆるませた。

「不器用だな」

 少女と同じ髪色。ひたすらに露悪的な態度。こいつはただ命令されるだけの奴隷だという口振り。おそらく、本当に兄妹なのだろう。ただの稀種エルフの兄妹では、搾取さくしゅまぬがれない。甘えられてボロが出ないようにと、厳しく接していたのだろう。

 もう既に、町門へと差し掛かるあたりまで進んでいたマルコスは、ケビに何かをたずねているようだ。

 二言、三言交わしたあと、マルコスは拳を握りしめ深く頷き、少女の方を振り向く。

「エイメリー」

 叫ぶ。

「来い!」

 それを聞いた途端、エイメリーと呼ばれた白い髪の少女の瞳に光が戻り、駆け出してゆく。

 罪を憎んでも、人は憎まずだ。罰則は受けて貰う。だが、彼らのような兄妹がかたりなどをしなくても生きていける世の中にしなければいけないと、アマデウスは改めて心に誓った。

 そして、思う。

「(正体不明の年神、映よ。お前は、かたりか、本物か? もし悪意のある存在であるならば──)」


       ◆


 時が止まっている。端的に表現するなら、そういった表現になるだろう。

 水車から零れ落ちる水が、空中で制止している。ふいごを踏む足は止まり、鍛冶職人の目の前で踊るはずの火も、形を変えることはない。

 時が、止まっている。その中において、一つの声がした。それは、ある生物の鳴き声でもあった。本来、こんな山の中腹などにはいないはずの生物の声。

 しかし、それは、ある時から意味を持った言葉のおんへと変わっていく。

「……ぁ……ぅ」

 目が覚めたそれは、鼻をひくつかせ、やがて山村の外れからある方向へと走り出す。

『魔法でも、魔術でもない。神の力とは――、運命を変える力だ。例えるなら、抗いようのない強制力。水は下に流れ、自然物は、火にくべられれば炭化する。そして、生命は進化するものだ』

 こけつまろびつ、手足を・・・動かすのに・・・・・まだ慣れていない・・・・・・・・といったぎこちない動作で、その生物は、ただひたすらにある匂いへと向かっていく。

『当たり前のように起こることに対して、彼らは抗えない。大抵のものは、運命が変化したと気づく事も出来ず、日々を暮らすのだ』

 誰もいなくなった空間に、男とも女ともつかない声が響く。

『しかし――、気づく者もいる。それが世界の綻びだ。運命を変え続ければ、いづれそういうものが現れる事もわかっていた』

 次第に声がにじんで消えていく。

『蝶の羽ばたきがどのような効果をもたらすのかは、神の力を持ってしてもわからない。坩堝るつぼにとらわれたものは、箱の中の猫のように曖昧あいまいだ。神よ……、だからわたしは』

 そうして声すら響かなくなった世界は、薪を割る音、水車の軋み、鍛冶精錬に励む職人の掛け声が一斉に鳴り響き、ゆるやかに時を取り戻し始めた。

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