第二章 凱城雑踏都市レギンガルド

第11話 世界樹の眼のヘンカァ

 魔術と魔法の関係は、良く、「人の手で真円を描くことは出来ない」と評される。

 真円とは、どの方向から計測しても直径が同値になる、歪みの無い完璧な円系のことを指す。しかし、真円という概念は、理論上は存在しても実際には成立しえないという。人の手や機械でさえ、ぶれを無くす事は出来ない。どれだけ拡大しても歪みの無い、どこから図っても同径の円というものは、人の手では決して作ることが出来ないのだ。

 ──人の手で決して作ることの出来ない円。それが、魔法である。

 この世界、イルミンスールで魔法と呼ばれるものは、すべからく精霊によって起こされるものである。

 彼ら精霊は、呼吸をするかのごとく無意識的に自然現象に干渉する事が出来る。

 火の精霊があるものを燃やしたいと思考したならば、次の瞬間には宙空に魔法陣が展開し、対象物が発火する。

 それは、寒空に息を吐くと白くなるという事と、なんら変わりが無いものだ。魔力のほとばしりが、その円形を作るのである。

 人類は、その呼吸を”魔法”と呼称した。

 そして、荒廃した世界に生きていた彼らは、その姿を見て強く願ったのだ。”あの力を使うことが出来たなら”

 そうして、来る日も来る日も、精霊の"呼吸"を観察し続けた人類は、やがてある技術体系を築きあげることとなる。

 ──それが、魔術である。

 精霊が自然現象に干渉をする際に発現する魔法陣を、そのままそっくり書き写すことが出来たなら、同じような術を使用することが出来るのでは……?

 それは、大筋では正しい推論であった。──もっとも、精霊は、その内部に魔力を生成・循環・排せつをする器官をもっており、その器官から発せられる魔力が魔法陣の形をとる。そのため、動力源である魔力が宿っていない魔法陣はただの図形でしかない。……のであるが、その話は今は置いておこう──

 精霊の発現する魔法陣を書き写すことで、果たして人類は、自然に干渉をする術を得た。しかし、それによって現れる効果は、精霊のそれと比べると、太陽とろうそくほどの差のある輝きだったのだ。

 結局、魔術は、民生上魔法の補完的な技術にとどまり、人は精霊に頼る道を選んだ。

 雷を落とし、燃え上がる火をおこし、泉のように水をき出すその力。そんな奇跡のような力を、呼吸をするかのように扱う。

 しかし、そんな力を精霊が持っているのであれば、この世界の頂点に君臨する神々とは、果たして、どんな力を持っているのであろうか。

 神が持つ力、それは──。


       ◆


「さぁさぁ、ファルクのみなさんこんにちは! もうすぐ、今年の年神である、映様の恩寵おんちょうの披露を始めますよ──!」


 その日、小さな港町ファルクの広場はにぎわっていた。大陸の北西に位置し、山からの吹き下ろす風と海風にさらされる石造りの町。

 外洋に通じる大河の河口のほど近くに位置し、その水流を利用した紡績ぼうせきや漁業を主産業とする町である。

 活気からは程遠い町で、盛り上がるといえば祭りの時ぐらいではあるが、知名度は低く、近隣の住民が参加する程度でしかない。盛り上がるにしてもたかがしれている。

 だが、今年の祭は違った。なんといっても、年神が町を訪れているのである。町の者だけではなく、外からも行商人や、遍歴の職人、年神の後を追う巡礼者などでごったがえしていた。年神の巡礼は、毎回同じ場所を巡るわけではない。下手すれば何年も神が訪れない場所だってあるのだ。

 このファルクの町も、毎年神が訪れるような町ではない。神が訪れるという事に対しての熱狂ぶりは、大変なものであった。

 そして、今年の神である”映”は、氷の権能を持っているという。そんな神がつい住処すみかとしてこのファルクを指定してくれたなら。

 きっと様々な面でこの町は発展していくことだろう。現金な話をすれば、活きの良い魚を保存する技術が発達したりするかもしれない。

 ……神に対して、そんな考えは不敬だと思うだろうか。しかし、古来より人間は、いくさに勝つためにいくさの神をまつったりと、自らの都合に合わせてあがめる神を選んでいたふしがある。

 豊穣ほうじょうの神をあがめるのだって、豊作を期待してのことだ。決して、尊いからあがめるというだけではない。それが人間のごうであると言われればそれまでであるのだが。

 ──そんな事を考えながら、町民の男トマスは、広場の中央を眺めていた。

 漁師達が担ぐ山車だしをサボり、朝から屋台の店先を冷やかしている。広場の雑踏は、日が高くなるごとに密度を増していた。

 ふと、トマスの視界に写り込んだのは、旅装のローブをまとい、フードを目深まぶかにかぶった二人組だった。息もしづらいほどの人混みをかき分けて、屋台の方へとやってくる。

親父おやっさん、葡萄酒と干し肉を、革袋に詰め込めるだけ欲しいっす。二人分!」

「あいよ」

 と、屋台の中から放られるぶっきらぼうな声。差し出された皮袋二つに、それぞれ塩のきつい干し肉と、船で仕入れている出涸らしの葡萄酒を放り込んでいくのは、古びた皮袋のようなしわくちゃの親父だ。

 以前、店先で大捕り物があった時も淡々と物を売るだけで眉一つ動かすことが無かった。どこかおかしな親父だ。

 しかし、おかしいと言えばこの旅人達もそうだろう。そこかしこで湧き上がる、祭りの熱狂には目もくれない。どうやらこの町には、単純に物資の補給でやってきたという感じだ。

 屋台からせり出した木台に頬杖をついていたトマスは、ついつい口を出していた。

「お兄さんたち珍しいね。祭りには興味なしかい?」

 1人は、屋台の親父と歓談しながら品物を受け取っている。そのかたわら、腕を組んで待っている男が、艶のある低い声でトマスに返答を返す。

「……ああ」

 目深まぶかにかぶったフードから見える高い鼻梁びりょうと、きつく結ばれた唇。ローブ越しにもわかる盛り上がった筋肉は、傭兵か流しの職人の体つきだ。しかし、その立たずまいは粗野な所を微塵みじんも感じさせず、どこかしら気品さえ漂うたたずまいだった。

「ども。申し訳ないっすね、うちの兄貴ってば愛想が悪くって~」

 店の親父から受け取った葡萄酒を、早速ぐいとあおりながら声をかけてくるのは、二人組のもう片方。先ほどの男とは打って変わって、ほっそりとしたしなやかな体躯に、ひたすらに軽薄な雰囲気をかもしだしていた。

 フードから見え隠れするのは、長い橙色の前髪と、幼さの残る甘いマスク。

「ケビ」

「やだなぁ。本当の事じゃないっすか兄貴~」

 たしなめるような声に、ケビと呼ばれた男はひらひらと手を動かす。

「まだ昼だと言っているのだ」

「暑いんだから水分取らないと干からびちまいますよー!」

 じゃれあうような男二人は、師弟というよりかは先輩、後輩といった雰囲気だ。

「……興味が無いか。まあ、俺も同じようなもんだ。なんかあれ、うさんくさいんだよな」

 うろんげにそう言って、トマスが、つ、と視線を向ける。その先にあるのは、飾り立てられた山車だしのひしめく、祭りのただなか。

 黒山の人だかりに、ぽっかりと空いたスペースの中心だった。衆人環視の中、声が上がる。

「──さあて、ドワーフの国ニーダスヴァルトを下りまして、辿り着きましたるは人類の住まう港町。ファルクでございます!」

 わ、と歓声が沸き起こる。恩寵おんちょうの披露とやらが始まったのだ。

「何故、神官様がおらず、年神様とわたくしめの二人しかいないのかと、いぶかしむ方もいらっしゃいますでしょう。ですが、耳の御早い港町の皆様ならば、地下坑窟での一件をもうすでにお聞き及びの事かと存じます! そう、神官様以下連盟の方々はみな……」

と、そこで神妙な顔をして声を潜める声の主。芝居がかったタメを作り、声を張る。

怪物どもサラマンドに食われてしまったのです!」

 ざわめく観衆。

「なんという事だ」

「恐ろしい」

「この季節に」

「あの予言は──」

 などと口々に言葉を交わす。

 観衆の中央で声を張り上げているのは、赤い髪の少年だ。神の降臨時に気に入られて、行動を共にしているという。

 そしてその横にいるのは、黒い髪をした長髪の少女。噂では、見たことが無い奇妙な服をまとっているという話であったが、今は旅人が着るような、足先まですっぽりと隠れる濃緑のローブをまとっている。

「神官様他、連盟のお歴々が手を焼き、打ち破れた、そんな恐ろしい怪物がいる魔窟から、我々はどのような力を使って抜けだしたのか? ──それを、今から皆々様方にお見せいたしましょう!」

 今年の神は、きっと、ものすごい力を持っているのだろう。そう観衆は思ったはずだ。

 少年の芝居がかった身振り手振りは、ともすれば胡散臭くもあるものだ。しかし、非日常を楽しむ祭りという場では、何よりも興味の方が優先される。少年の客をあおる話術は中々のもので、恩寵の披露への期待はいやが上にも高まっていく。

 興味がなさそうだったケビ達旅装の二人組も、今や神の方に視線を向けていた。

 ──広場の中央で、白魚のような細い指が、すっと天に向けられる。

「────」

 噂通りだ、とトマスは思った。

 今年の年神は、服装と同じく、未知の言語を操るという。

 確かに彼女は何かを発音しているのだが、その場の誰もが理解の出来ない言葉だった。

 しかし、赤髪の少年だけが、その言葉を理解出来るという。

「神、映は言っておられます。”民草よ、刮目せよ”と」

 赤髪の少年が、したり顔でそう言った瞬間、神の腕が振り下ろされた。

 それと同時、魔法陣が彼女の後ろに多重に展開され、指の先から神力が飛ぶ。

 その力は観衆の合間をひた走り、町中を流れる河川に直撃した。瞬く間に川の流れが凍り付く。

 一瞬時が止まったように感じた。その後、あふれ出るように驚きの声を上げる観衆。

 どこか斜に構える癖のある町民の男、トマスも目を見開き、食い入るようにその光景に見入っていた。

 まさに、魔法。息を吸うように自然現象を左右する、人には行うことの出来ない術を行使する存在。

「おお、おおお……!」

「年神様じゃー!」

「ありがたや……ありがたや……」

 小規模な魔法しか見たことのない、閉じた輪のような生活をしている者達にとっては、とても刺激的な光景だったのであろう。口々に賛美の言葉を述べる観衆たち。

 その中でただ二人、ケビと兄貴と呼ばれた男だけが、すっと目を細める。

「兄貴、あれ──」

「……ああ」

 二人のつぶやきは、群衆の熱狂の中に掻き消されていく。

 神の恩寵がもたらす熱気は、祭の空気もあいまって、その温度をぐんぐんと高めていった。

 そんな熱狂の中から1人、30代そこらの男性が歩み出る。町をたばねるには幾分若いが、海の上では随分と頼りにされていたのだろう、むくつけき男たちが自然と道をあけていく。

 日焼けをして引き締まった体躯。はつらつとした表情の内に、気力を漲らせる精悍せいかんな顔立ち。この町の長である男・リューベックだ。

「年神様、素晴らしいお力をお見せいただき、ありがとうございます。さて、長旅お疲れでしょう。あちらに宴席を設けております。地下迷宮でのご活躍など、ぜひ詳しくお聞かせ願えればと……!」

 からっとした太陽のような笑みを浮かべるリューベック。その言葉を受けて、赤髪の少年が、映になにかしら耳打ちをする。

 どうやら、今年の神は喋るだけでなく聞く事も出来ないらしい。

「────」

 す、と射抜くような神の視線が、町長に突き刺さる。

「"世辞は良い。我は見せたぞ。お前は何を用意出来るのだ、町長"と神は仰っております」

 少年は、あくまでも神の忠実な下僕であり、通訳である。というばかりにしかめつらしく立っていた。

「は、私どもは、この風景、風土を気に入っていただくために、よりすぐりの旬のものを……」

 端から翻訳されていくリューベックの話を最後まで聞かず、神は声を上げる。

「"まわりくどいと言っているのだ。私をここにとどめおきたいというのなら、それ相応の貢ぎ物が用意出来ているのだろうな?"」

 神の直截ちょくせつ的な物言いに、一瞬、リューベックの笑顔が固まった。

「"……もしや、宴席のほかには何も用意してないというのか?"」

 鼻で笑う神と、やれやれと肩をすくめる通訳の少年。

「"大した貢ぎ物もないというのに、誰がこんな中途半端な田舎町に住もうと思うのか!"」

 神を取り巻く民衆の雰囲気が変わる。気の短い漁師達が住む町だ。祭りのようなざわめきから、剣呑けんのんな押し殺した声が辺りに浸透していく。

「……この町の景色や人が好きだと言ってくださる方もいらっしゃいます。新鮮な魚類や自然の風景、どれも大きな都市には無いものです。ですので、年神様にもそれを気に入っていただければと──」

「"金貨50枚だ"」

「……は?」

「"金貨50枚を用意せよ。さすればこの地にとどまってやろう"」

 腕を組み、あごをくっとあげ言い放たれる。

 その言葉に、体裁ていさいも取りつくろわず、リューベックはぽかりと口を開けていた。

 年神から言われたことが、まるで信じられないといった様子だ。

 それもそのはず。この世界での平均的な月収は大銀貨2枚だ。年収にすれば大銀貨24枚といったところか。

 では、金貨1枚はどれぐらいの価値があるのか? 答えは、大銀貨24枚だ。そう、一般大衆の年収が金貨1枚。金貨50枚というのは、一般の民衆が50年間あくせく働いてようやく手に入る金額だ。もちろんその間一度も金を使わなければ、だが。

 賑わいはそれほど無いものの、そこそこに商いが成功しており、徴税額もそれなり。そんな、小規模を絵に描いたようなファルクの町に、容易たやすく動かせるほどのたくわえがあるとは思えない。

 神の言葉は、暗に引き下がれといっているのだろう。

「…………」

 まだ若いということと、人の良さもあるのだろう。黙りこくってしまうリューベック。

 神は呆れたような顔をすると、黒い髪をなびかせてきびすを返す。

 この町に来た時に乗ってきたであろう馬車へと、ずんずんと歩いていく。

「"話にならないな"、だそうです」

 にこりと笑うと、通訳の少年も神を追いかけて走っていく。

 トマスは、その光景を不愉快に思っていた。

「(神と言えども結局金か……!?)」

 なんと矮小な。なんと俗物的な! 神は、名誉や金とは別の所にいると思っていたが、そうではないのか? これではまるで金をせびる悪い貴族かなにかのようではないか。

「お、お待ちください!」

 呆然としていたリューベックが、我に返り、神へと声をかける。その時の彼は、珍しく訪れた神の恩恵を得るのに必死だった。

「なにか、なにか他に求めていらっしゃるものがあるのではないのですか!? それに、まだこの町に入られたばかりですし、もう少し──」

 ──それが、良くなかった。

「────」

「"……仕方あるまい。ここに住まうことは無いが、一つ観光名所を作ってやろう"」

 そう少年が喋ると、振り返り様に神が腕を振るう。瞬時に魔法陣が展開し、神力が飛ぶ。その力は、リューベックの胸へと直撃した。

「はっ!? あっ、あぁああ!?」

 突然の事にとまどい、悲鳴をあげながら、徐々に神力に侵され、氷に包まれ氷像と化すリューベック。

「"羽虫がさえずるな"」

 にこりと、絶世の芸術品のような笑みを浮かべる神・映。

 一歩遅れて、悲鳴と怒号が嵐のように広場に響き渡った。

 我先にとその場から逃げ出そうとする人、その場で座り込んで泣き始める女性。ひたいに青筋を立て、今にも飛び出しそうになるのを、必死にこらえる船乗りの男達。

 許せないと思いながら、手を出したら最後、町全体を凍らされるかもしれず、最後の理性で押しとどめているのだろう。

 トマスもまた、地に根が生えたように動けなくなっていた。こんな、こんなことがあって良いのだろうか……? どうにかしたくても、到底、自分ではどうにもできないのはわかっている。

 だが――、このままでいいわけは絶対に無い。

「な、なあ! あんたら! その体格の良さ、傭兵なんだろう!? 金は払うからアレをどうにかし……」

 そういいながらトマスが振り向くと、先ほどまで隣で事態をともに見守っていたはずの姿が消えている。

「……っ…」

 あの2人組は、逃げ惑う人に紛れて去ってしまったのだろうか。


       ◆


 騒然とする観衆をあとに、神と少年は町の入り口へと歩いていく。

 二人が、石造りのアーチを抜けようとしたその時。神の背中に、こつんと、何かあたるものがあった。

 石畳いしだたみを跳ねて転がっていくのは、小指からさきほどの小さな石ころ。

 神が、立ち止まる。

「おとうさんを、かえせぇ……!」

 小さな女の子だ。大人の腰ほどの背も無い、ふくふくとしたパンのような子供が、街路がいろの真ん中に立っていた。

 毛を逆立ててうなっている子猫のような仁王立ち。裕福な身なりから、立派な家の子供であろうことが一目でわかる。

 町長の娘だ。その娘が、しゃくりあげながら叫んでいる。

「おやおや、こんにちは、自分が何をしたのかわかってるのかな~?」

 少年が振り返り、目線を合わせるように腰を折って、まだ年端もいかない娘に語り掛ける。遠くでは、町民達に必死に押さえつけられている娘の母親がいる。

「おとうさんを! かえせ!」

 口は歪み、眉間にしわがより、涙と鼻水を飛ばして絶叫する町長の娘。

 町民たちの静止をふりきった母親が、娘に駆け寄りおおいかぶさった。

「すみません! 申し訳ありません! 年神様! この非礼はお詫びいたします! 何でも致します! ですから、ですからどうかご慈悲を……!」

「いやだ! どいてよ!! おとうさんを! おとうさんをかえせばかああああああ」

 母親の腕の中で、じたばたともがき暴れる町長の娘。その叫びと、泣き声は、その一声ですべてを絞りつくさんとする感情の圧だ。耳に手を当てそうになる大音声が、辺りに飽和する。

 思わず神もその顔を歪めた。

「────」

 白魚のような繊手せんしゅが天をつく。──しかし、それを通訳の少年が後ろ手で制止した。

 にっこりと人好きのする顔で笑う少年。

「いいですよ、許してあげましょう」

「あ……、ありがとうございます。ありがとうございます!」

 娘の口をふさいで地に伏せたまま、安堵あんどの涙を流す母親。

「──じゃあ、そこで脱いでください」

 母親は、我が耳を疑った。

「いまなんと……?」

「そこで裸になれって言ったんですよ。ねぇ、聞こえました?」

 硬質な棒状のものが、ひたりひたりと肌を打つ。母親の背に、ぶわっといやな汗が浮いた。

「出来ないなら手伝いますよ? そうだ! 娘さんも一緒に裸になりましょう! ──そして、そこで踊ってください」

 しゅらりと、鉄を抜く音が響く。それは、いくさにさらされた事のあるものならわかる、剣を鞘から抜き去る音。

「……できません」

 母親は娘をきつく抱きしめ、蚊の鳴くような震える声で抵抗する。

 剣先で肩ひもを切り裂き、はらりとめくれた背中側の生地をなぞる少年。

「えぇ?」

「で、できま……せん……!」

 ふりしぼったであろう精一杯の叫び。目をすがめた少年は、おもちゃに飽きた子供のように屈めていた身を起す。

「へぇ。嘘、言ったんですか。神の面前で、嘘を。殺されても仕方ないですよねぇ。……まあいいですよ、チャンスをふいにしたのはそっちですからねぇ!」

 まるで、地を這う虫をすりつぶすがごとく、無慈悲に振り下ろされる研ぎ澄まされた刀身。

 遠巻きに見る群衆の焦り、慟哭どうこくがいやにゆっくりと聞こえ、銀線を引く風鳴りは、明確に母子の首筋を狙い、

 ──そして、快音が響いた。

 遠方から撃ち込まれたのは、鎖が幾重いくえにも連なり、その先に槍の穂先が付いたもの。鎖鎌くさりがまのようでもあるが、その先端に装着されているのは、枝刃も反りも無い直槍じきやりのそれ。

 少年によって振り下ろされた銀線は、母子の首筋のすぐそばの地面を割っていた。

 鉄のきしりを上げ、弧を描いて長いの中へと巻き戻っていく鎖槍チェーンランス

 ギリ、と歯噛みする少年に、飄々ひょうひょうとした声がかかる。

「そのぐらいにしといた方がいいっすよ」

「誰だ貴様は!?」

 嗜虐心しぎゃくしんを満たす邪魔をされた少年は、もはや本性を隠そうともせず、神経質に歪んだ表情を浮かべる。

「それ聞いちゃったら後戻り出来ないっすけど、いいすか?」

 手元で鎖槍チェーンランスを取り回し、けたけたと笑う声の主。

 その声をかき消すように、鉄と鉄がぶつかりあうにぶい音がする。

「ケビ、どの道がす道理はない。このような愚劣ども、野放しにはしておけぬ!」

 一際ひときわ大きな音がして、拳と拳が合わさった。淡い光が飽和する。

 なにやら紋様のついた鋼の手甲を打ち鳴らしていたのは、ローブの上からでも分かる盛り上がった筋肉の持ち主だ。

「よっ! アマデウスの兄貴! かっこいい~!」

 どこまでも目の前の年神一行を軽視した態度。その二人は、旅装のローブを身にまとい、フードを目深まぶかにかぶっていた。

「ふざけちゃってるよなぁ……! 礼儀ってものがなってない。名を名乗れって言ってんだろぉ!?」

「────」

 頭をかきむしりながら叫ぶ少年。その脇から神が手のひらを突き出し、神力を飛ばす。

 それに対し、体格の良いローブの男は一歩踏み込み震脚。強い体の捻りから繰り出される剛腕を、飛来する神力にぶち当てる。

 瞬間、白色の魔法陣が展開し、陶器が破砕するような音が鳴り響いた。

 魔法が、破砕する。

「……はッ!?」

 ひきつれた声が、少年ののどから絞り出された。当たり前だ、発動後の魔法を掻き消すなど、およそ人のわざとは思えない。

 細く息を吐いて拳を引き戻すと、男は口を開く。

「──教えてやろう。我が名はアマデウス。神を愚弄ぐろうするものをちゅうし、民を愚弄ぐろうする神をさとす。特務神官、”世界樹の眼ラタトスク”の”執行人ヘンカァ”だ」

「同じく、ケビっすー!」

 今まで動静を見守っていた民衆の中に、どよめきがうまれていく。それは、間違いなく、歓喜のどよめきだった。

 鋼の拳を打ち合わせると、アマデウスと名乗った男は言う。

世界樹イルミンスールは見ているぞ。これから……、貴様らの罪を裁いてやろう」

拳の間で、淡い光が飽和する。

「映とやら……、貴様──神ではないな?」

フード下から覗く視線は、剛弓から放たれた矢のように、神の一行をぶち抜いた。

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