間章-1 月丘市

【Aのモノローグ - 1】

 月丘市。三方を小高い山に囲まれ、残り一面に海をのぞむ観光都市。自然が多く残されており、社寺や古めいた家屋などが残る古都として有名である。

 隣接する市は、夏になれば海水浴を求めて多くの人がやってくる名所であり、その帰りに月丘市で街並みを見ながら買い物を、というのが定番の観光パターンとなっていた。

 しかし、市全体がそこまで繁華であるわけでは無く、観光の中心となる南端の月丘駅と、各市からの街道が合流する北部の広舟ひろふな駅。この二地域が、繁華の中心であった。中心から少し外れると、そこは、もうすぐに山と古民家が立ち並ぶような閑静な住宅街だ。二つの駅のちょうど中間に位置する北月丘駅周辺は、喧噪の谷間であるかのように、ひっそりとした佇まいを見せている。

 宅地開発と共に出来た商店街が辛うじての賑わいを見せている、といった所だろうか。

 そんな北月丘の町を、一人の少女が歩いていく。


       ◆


 少女は、夕暮れの空が嫌いだった。昔からそうだったわけではない。

 むしろ小さなころは、学校が終わり、友達と遊び、楽しかった時間を名残惜しみながら、それでもお腹がちょっと空いたりなんかして、駆け足で家に帰ったりと、暖かなその時間帯がとても好きだった。

 でも、今は……、夕陽を見るだけで気分がささくれ立ってくる。目の前に広がる夕闇に染まる町を、なるべく見ないようにと目を伏して、少女は歩調を速くした。

「(あたしは、あたしがやりたいことばっかりやってちゃいけないのに)」

 中学の頃にやっていた弓道は、もうやめてしまった。だから、本当は、授業が終わったらすぐに帰れるはずだった。

 でも、文化祭が近いということで、皆が遅くまでその準備をしているのだ。高校生ともなると、出し物の規模もお遊び程度じゃ済まない。夕陽を見たくないから早く帰りたいなんて、言えるはずがなかった。

 眉間みけんに力が入り、目を伏したまま、少女はタイルで舗装ほそうされた商店街を歩いていく。

 道の真ん中に等間隔で立つ街灯が、ちかりちかりと明りをともし始めていた。空気は夜気をび始め、息が白い。海が近く、盆地になっているため、夜は冷えるのだ。

 少女が、コートのポケットに両手を突っ込んで小走りに走っていると、先に帰ったはずのクラスメイトが、”とりさい”という肉屋の前にたむろしていた。アツアツのコロッケを頬張りながら、声を上げて騒いでいる。

 昔なら絶対に無かったことではあるが、申し訳ないけれど話しかけたくないな、と少女は思ってしまった。そのための時間が、しい。

 ただ、それをしてしまうと、少女の”したい事”が出来なくなる可能性があり、また、二年の歳月を少女は埋める必要があった。しかたなく、少女は口を開く。”普通の自分”に見えるように。

「おっつかれー! そんなとこで寄り道して、風邪ひかないでよ~?」

 せいいっぱいの元気な声と笑顔を、クラスメイトに向ける。少女に、一斉に視線が向いた。

 わらわらと声が湧く中で、ワックスで髪を整えている、ブレザーにマフラーをしただけの男子生徒が代表をして声を出す。

「おっ! あきら、おっせーじゃん! お前もコロッケ食う? あったけーぞ!」

 あきらと呼ばれた少女は、眉を八の字にした笑みを浮かべると、手刀を切るように手を動かした。

「や、あたしはいいや! ダイエットちゅー」

「えー、一個ぐらい付き合えよなー」

「ママがごはん用意してるし! 明日朝早いんだから遅れないでよねー! じゃっ」

 流し目の笑み付きで、あきらは走り出す。伸びた明るい茶の髪がふわりと揺れた。

 白い息を吐き出す。自分はうまく笑みを作れていただろうか。痛々しい雰囲気は無かっただろうか。そんなこと、気にしても意味は無いのだけれど。でも、早くあたしは元のあたしに戻らなければいけない。元に戻って、あたしは――。

 ドン、とその時、右肩に強い衝撃を受けた気がした。

っ」

 受け流せずに、たたらを踏むあきら。その脇を、ぶつかった衝撃をものともせず、長い黒髪の少女が通りすぎていった。謝りの言葉は無い。

 すれ違いざまに見えたのは、切れ長ながら大きな瞳と小さな唇、すっとした鼻立ちに小作りな顔。まるで血のかよっていない、冷たいガラスのような印象を受ける少女だったが、しかし彼女の目じりには、確かに涙が浮いていた。

 何か悲しい事でもあったのだろうか。そんなことを考えながら、お嬢様然とした、グレーのクラシックワンピースが駆けていくその後ろ姿を、あきらは、ただぼうっと見送った。


 さて、家路を急ごうかとあきらが目を伏した瞬間、そこには、定期券らしきICカードが落ちていた。

 ケースにはクリスタルのチャームが付いていて、女性の持ち物らしき雰囲気だ。どうやら、先ほどの少女が落としていったらしい。

 今更追いかけても、追いつけはしないだろう。とりあえず、警察には届けてあげよう。でも、近くの交番は一駅先。届けるのは明日の放課後かな――。

 そんな事を思いながら、ICカードを拾いあげたあきらは、表面を見やる。それは、記名でもあれば、持ち主の元に届きやすいだろうな、というぐらいの意味でしかない行動だった。

 果たして、記名はされていた。しかし、その記名を見た瞬間、あきらの眉根がきゅっと寄る。ICカードを通してどこか遠くを見つめているような表情だった。

「(あの子と、同じ名前だ――)」

 あきらは、しばらくその場を動かず、じっとICカードを見つめていた。


       ◆


 扉を閉じる音がする。夕暮れと夜がちょうど交じり合う時間帯。最後の日差しが、部屋の中を照らしている。

 あきらは、自室にたどり着くなりベッドに身を投げた。制服をぬぐ気力もない。

 ICカードを拾ってからずっと昔の事を考えていた。自分の幼馴染のこと。もう会う事は出来ない幼馴染の事。

 あきらはベッドに突っ伏したまま、首だけで近くにある勉強机の上を見やる。そこには小学生の頃の自分と、幼馴染が笑っている写真が飾られていた。

 あきらには、二人の・・・幼馴染・・・がいる・・・。昔から、三人でとても仲良く遊んでいた。

 でも、もう二人とも会うことはできない。一人は、小さいころに、ふと消えるようにどこかに引っ越してしまって。そして、もう一人は――。あの夕暮れの日に起こったことは、今も忘れることが出来ない。

 だから、あたしは、もう会えなくなってしまった幼馴染のためにもちゃんと生きなければいけない。あの子が出来なかったことまで、あたしが全部やるんだと、そのために、二年間こもっていたこの部屋を出る決意をしたのだ。

 でも、時々不安になる。あたしは、どちらかというと誰かについていくタイプだ。誰かを応援していたいタイプだ。根が能天気なので、深く考えることがあまりうまく出来ない。

 それなのに、自分ひとりで立って、歩いていかなければいけない。それが、とてつもなく不安だった。

 こんな時、二人がそばにいればな、と思うが、そばにいないから立たなければいけないのだ。なんだか、テツガク的だな、とあきらは息を吐く。

 それでも、誰かがそばにいてほしいと思う。

 幼馴染の二人は、どちらかというと、”我が道を行く”と、”俺についてこい!”というタイプだった。

「いま、どこにいるの? ……ぃ……ちゃん」

 かすれた声に応えるものはなく、時刻は夜へと更けていく。

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