第9話 黒い闇へと身を投げて

 下から上へと猛然と風景が送られていき、暗闇を照らす光は、刻一刻と小さくなっていく。ひたすら鼓膜こまくを打ち続けるのは、吹きすさぶ風の音。周りには火球が粉砕した岩壁の破片が、大小さまざまなかたまりとなってっていく。

 映とウィルマーは、地中を縦に貫通する巨大な坑道に、身を投じていた。

 二百メートル以上はあるだろう高さを、命綱もなにもつけず、むき身で落下していく。有体ありていに言ってそれは、自殺行為だ。

 数十秒後には、トカゲたちのえさにおあつらえ向きなミンチが出来上がっているだろう。

 地面にたたきつけられる前に、所々にせり出している岩棚に接触して、腕や足をもっていかれる可能性だってある。

 映は、ウィルマーの首に手を回して、ぎゅっとしがみつきながら、身を固くしていた。

「【(何を考えたら、こんな……!)】」

 憤慨するしかないだろう。

 だが、腹を立てたところで、いまさら時間の無駄でしかない。映は、思考をめぐらせる。

 いかにこの中・近世的な世界に、現代知識や科学アイテムが有用であるといっても、限度がある。思い返してみるが、さすがに墜落時に役に立ちそうなものは持っていなかった。学生鞄は魔法のポケットではない。

 唯一関連性があると言えば折り畳み傘だろうか。だが、そんなものを使ったところで、昔のミュージカル映画のように、傘を開いてゆっくり降下、などということは出来やしない。

 困ったことに、この世界の法則はわりとしっかりしているようだった。限りない現実に即したファンタジー。なんて最高なシチュエーションだろう。魔法にだって制約はあるし、人は生き返らない。……釈然としないが、もうしょうがない。

「【……あなたを、信じるわ!】」

 しきりにはためくセーラーブレザーのえりに負けじと、映は声を張り上げる。

「【でも、どうするつもり!?】」

 人を安心させるつもりなのか、ウィルマーは自信に満ちた笑顔を向けてくる。慣れたものといった大声が竪坑内に響いた。

「――来てくれ、ラド!」

 ウィルマーの首に下がる、鉱物結晶のように透き通った三角錐さんかくすいのペンダント。その内奥ないおうから、若草色の光条が幾重いくえにもあふれ出す。

『はいよー!!』

 ぽん、と音を立てて、ペンダントから何かが飛び出してきた。

 その場で反響して、頭に響いてくるような声。辺りの岩肌を照らし、暗闇を駆逐くちくする、その光のたま

 草原を吹き渡る風を思わせるその光はおびとなり、ウィルマーと映の頭から足先までを、矢のような速さで、らせん状に旋回する。まゆを造るように二人のまわりをまわると、忠犬のようにウィルマーの顔元に飛んで行く。

『はいどうぞー!!』

 まんじゅうのような光のたまが、うりうりとウィルマーに頬を寄せる。これは――。

「【風の精霊、ラドだ。ふいに穴に落ちてもいいように、風の障壁を体に張り巡らしてくれる。風の精霊は、坑夫達とは切っても切れない精霊の一つなんだよ】」

 ウィルマーも、風の精霊らしき光のたまに、頬を寄せ返す。手が空いていたら、頭を撫でくり回しそうな雰囲気だった。どこが頭か分かったものでは無いが。

「ありがとな、ラド」

『おやすいごよーだんなー!』

 きゃっきゃっとじゃれあうラドとウィルマー。それをよそに、映は辺りを観察していた。 風の障壁は、なかなかに優れたものであるようだ。岩壁の破片などが二人に接触しそうになると、片っ端から弾いていく。

 この状況、なんとかなりそう。そう、安堵あんどしてしまったからだろうか。

 むずむずと、映の中に好奇心が沸き上がってきていた。

――映は、夢見がちな女の子である。本を読むことが好きで、ファンタジーは特に好きである。

 居丈高いたけだかで、氷のようなたたずまい。理知的で論理的。なによりも現実的であることをむねとする。……一般的にはそう見えるかもしれないが、彼女を昔から知っているものは、言うだろう。

 〝彼女は夢想家であり、好奇心のかたまりだ〟、と。

 面食らうことや、精神的に大人になってしまってついていけない、と思うことも色々あるけれど、映が長く夢見た魔法の世界が、ここにはある。

 ふむ、とうなずくと、映は、おもむろに宙空に片腕を突き出した。

 勢いをぐものが何もない、高速度での落下中。岩肌からせり出した岩塊がんかいが、映の下腕かわんに激突する。

 通常であれば、骨が粉砕され、そのまま腕がもがれることもありえるだろう、そんな衝突。しかし、そこは風の精霊が張り巡らせた障壁、というべきなのだろうか。

 インパクトの瞬間、若草色の光がきらめき、衝撃を吸収。

 軟式のボールが反発するように、映とウィルマーの体が上方へと持ち上げられる。はずんだ衝撃で二人は近くの岩壁にぶつかるが、またもやボールのように跳ねかえり、竪坑たてこう内を、ピンボールのように跳ねまわる。

 下手な絶叫マシーンよりも過酷な、360度回転だ。

 至って冷静な顔で、あごに手をあて、何かに納得した風に映がつぶやく。

「【たのしいわね、これ】」

 はためく黒髪を顔をふって払いながら、ウィルマーは、ジトっとした視線を、映の鼻先に落としてくる。

「【……映さん? 随分と余裕が出来ましたね?】」

「【ええ、おかげさまで】」

「【好奇心は猫をも殺すってことわざ、知ってます?】」

「【英国イギリスのことわざね。じゃあ、〝自分に何ができるかは、自分以外の者には分からない。いや、自分でも、やってみるまではわからないものだ〟――という格言はご存知?】」

 口を真横に引ききった顔をされたが、なんでだろうか。さっぱりわからない。知識に関してわたしを試そうだなんて、随分とあなどられたものね。

「【……まあ、いいや。そろそろ地面に着く。しっかりつかまってて】」

 それには素直に従っておく。

 映はウィルマーの首に両手を絡め、ぴたっと身を寄せた。ウィルマーがすこし居心地悪そうに身を揺らして息をつめるが、どうしたのだろうか。

 上に向かって激しくたなびいている私の髪が邪魔だとか? そんな感じでもないわね。……もしかして汗臭い? 人は自分の匂いに気が付きにくいというが、いやいや、そんなことは無い、はず。わたしは、いつでもいい匂いがするもの。

 緊急時の対応などは慣れていないから少し緊張しているのかもしれない。大丈夫なのかしら、と映はウィルマーのあごの辺りをじっとめ上げる。

 なお一層ウィルマーは居心地悪そうにしているが、今度は顔色が青白く、脂汗が浮いている。ツンツンとした赤髪も、心なしかしなだれているように見えた。どこか具合でも悪いのだろうか?

「ラ、ド……! もういっちょ頼む!」

『あいあいよ――!』

 映とウィルマーがピンボール玉になっているうちに、降下姿勢はうつ伏せ状態……スカイダイビングの降下と同じような体勢になっていた。

 下を見ると、うっすらと地面が見えてきている。

 二人の下に回り込むラド。そのまわりを若草色の光が飛び交い、竪坑たてこうと同経口の直径十数メートル大の精緻な魔法陣ルーンが瞬時に展開する。

 すっと息を吸い込み、まんじゅうがスイカぐらいにふくらんだ、と思った瞬間、辺りを根こそぎ吹き飛ばすような強風が、映とウィルマーの体を、面で打撃した。

 落下している身体が、一瞬ふわりと浮く。風圧が落下速度を相殺。

 徐々に降下の勢いががれ、最後は天使が地上に降臨するかのような優雅さで、二人は岩肌の地面に降り立った。

 降下開始時に、特大級の火球が粉砕して出来た砂礫されきの雨を、風の障壁が完膚かんぷなきまでに弾き飛ばし、映とウィルマーの竪坑降下はつつがなく終了した。


       ◆


 土埃つちぼこりを払いながら、地面の感覚を確かめる。すこし頭がふらふらとするが、なんとか持ちこたえた。

 まさか、降下途中に、フラッシュバックが起きるとは思わなかった。

 だが、これは、滑落死かつらくしという、前世の因縁に一つ打ちったことになるのだろうか。 一歩一歩だな……。と思いながら、ウィルマーは、かぶりを振る。

 背中にくくりつけた火土竜サラマンドの様子をちらとうかがってみる。どうやらこちらも大丈夫そうだ。

 映は、ぼさぼさになった髪を手櫛てぐしでとかし、スカートを直して終わると、ふと上を見る。

「【ずいぶんと高いわね】」

 つられてウィルマーも上を見るが、たしかに高い。もはや、二人が飛び立った竪坑たてこうのふちの辺りで燃える炎などは、米粒程度の大きさにしか見えない。しかし、地表まで貫通するものでは無いようだ。

 すると、盲竪坑めくらたてこうか……。これだけ掘るのにどれぐらいかかったんだろうな……、と思うが、後山あとやまであるウィルマーは、まだここまでの深度に連れて来てもらったことがあまりない。

 なんともじめっとした場所だった。湿度は九十パーセントを優に超えているだろう。あまりの湿度からなのか、岩肌は少し湿っていた。降下している時には気づかなかったが、岩壁にところどころ何かでけずれたようなみぞがある。

 これは――。

 あ、と気が付いたようにウィルマーは慌ててイヤーカフを触る。

「【どうしたの?】」

 つめていた息を、ゆっくりと吐き出すウィルマー。左耳のイヤーカフをいじりながら、少し照れ臭そうに目を伏せる。

「【辺りの空気に危険性が無いかどうかをちょっとね】」

「【……問題ないの?】」

「【危険があると熱を帯びてくるんだけど、とりあえずは大丈夫そうだよ】」

「【カナリアみたいのものなのね】」

「【ああ】」

 〝日本〟や、遠い海を隔てた国ではその昔、かごにいれたカナリアを坑道に持ち込んでいたという。

 何故かといえば、カナリアは人間よりも空気の変化に敏感で、有毒なガスが坑道に漂い始めると騒ぎ始めたり、気を失ってしまったりするからだ。その段階でその場所を脱出すれば、なんとか一命をとりとめられることが多いため、カナリアは抗夫達の相棒となっていたのだ。

 実際、このイルミンスールでも坑道の危険性に変わりは無い。気づかないうちにガス中毒で身動きが取れなくなったり、腐食性のガスで粘膜がただれてしまったり。ドワーフは人間より幾らか身体が頑丈に出来ているので、まだ余裕があるかもしれない。だが、人間の貧弱さは、〝日本〟とそれほど変わらないだろう。

「【さて、行こうか】」

 そう言いながら、ウィルマーは、腰袋にしまっていた非常食糧の干し肉を取り出すと、何もない宙空に放る。

 ジ、とノイズのような音を立てて展開した若草色の魔法陣ルーンが、獣の口のようにそれを補足した。うま、うま、と魔法陣ルーンが器用に干し肉を飲み込むと、『まいどありー』という反響音を残して揺らぎ、消えていく。

 二度目だが、じかにその様子を見るのは初めてだろうか。

 ぎょっとした顔をして魔法陣ルーンを見つめていた映だったが、頭痛を抑えるかのように頭に手を当てると、深く息を吐く。

「【トカゲの群れはうまくけたと思うけれど、この先はどうするの? 脱出しようにも地下へ地下へと潜っていくばかりじゃない】

「【まあ、任せてよ。伊達だてに、物心ついてからずっと坑道にもぐっちゃいないさ】」

 ウィルマーは、ぐるりと岩肌の壁を見渡す。

 ――あった。

 岩壁に穴がいていた。かがめば人ひとり通れそうな、ゆるく下っていく斜坑が、奥へと続いている。

 眉をひそめる映。

「【ウィルマー、たしかに、坑道のことについてはあなたの方が詳しいかもしれないけれど、なにをやろうとしているのか、ちゃんと説明するべきじゃないかしら?】」

 腕を組み、納得するまでこの場を動かないぞ、という姿勢だ。

 まあ、確かに、地下も深くなれば、普段地表近くではお目にかからないような危険な場所や、生物と鉢合わせる危険性がある。

 それに、緊急時用の魔石ラドは使ってしまった。もう竪坑たてこうを飛び降りるだとか、有毒ガスの充満している場所を突っ切るなんて無茶は出来ないだろう。

 より一層二人で連携して探索をすすめなければいけない。

 バックパックを背負っているわけでもないから専門的な道具も無いし、手持ちの干し肉はさっき全部ラドにやってしまった。

 後ろ腰につけた水を入れておく革袋はぺったりとたいらになっており、食糧も飲料水も所持分はゼロ。

 使える道具と言えば、召染料を固めたチョークぐらいのものか。

 出口のない地下深くで、この先に待つのは、餓死か酸欠か――。

 ……そう、普通なら思うだろう。無策に竪坑たてこうに飛び込んで、この状況であったなら。

 ウィルマーは、この地面に降り立った時に確信していた。この先が、地下迷宮の出口・・だと。

 思い出してほしい。竪坑たてこうが、何の用途で掘られているものかということを。

 ウィルマーは、にっと得意げに口の端を上げる。


「【ほら、耳をませてみなよ。聞こえない? 俺たちを地上へと導く、あの音が――】」

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