第4話 その技術は魔法
「お集まりの皆々様方。お待たせいたしました。これから、
ウィルマーが声をあげる。歓声の波がド――、と押し寄せた。
興奮や熱狂を肌で感じる。食い入るようにこちらを見つめる魚人。手を叩く有翼人、口笛を吹く人間。
なかには腕を組み、
ウィルマーは、緊張で、胃をキュッと掴まれたような気分だった。前世を含めて、人前に立つということをあまりしてこなかった人生だ。それなのに、突然のこの大舞台。
我を忘れて駆け寄ったは良いが、まさかこんなことになるとは、思っていなかった。
「それでは、神、〝映〟 お願い致します」
一礼して、一歩下がる。観客からの拍手が湧き上がる。神として呼び出されたは良いが、映は見たところ普通の女子高生だ。魔法なんて使えるわけがない。
通訳を買って出たは良いが、もしヘマをやらかせば、この観客の多さだ。神を
そんな心配をよそに、映は何でもない顔で一歩前に出た。
すっと、息を吸う。
「【みなさん、初めまして。私は、映と言います】」
その瞬間、
映が
しかし、その認識は間違っていたようだ。
整った美貌による
とても、傍若無人な要求を叩きつけてくるようには見えない。良家のお嬢様、と言った感じだ。
ウィルマーは、あんぐりと口を開けて、映を見つめていた。
そんなお嬢様から、
「あ、あ、えー、訳します。……地上の子等よ、私は
映が、頷いた。ウィルマーは、映の言葉そのままでは無く、この世界の住人に受け入れやすいように翻訳していく。
「【こちらで一年間お世話になるにあたり、】」
「一年間、地上の子らと共にいるにあたり、」
映が、いたずらっ子のような笑みを浮かべて、小首をかしげる。
「【これから───、】」
「私のもたらす恩寵がどのようなものか、お見せいたしましょう」
◆
映が、飲みかけの封の開いたペットボトルを掲げる。
「【ここに、水があります】」
翻訳する。
「ここに、なんの変哲も無い水があります」
「【この通り、普通の水です】」
観客はざわめいていた。どうやらペットボトルが気になっているようだ。それもそのはず。この世界にはまだ、ガラスやペットボトルほど、純度の高い透明な容器がそれほど普及していないからだ。
「【もし、気になる方がいればコップを差し出して下さい】」
そう言って映は、ペットボトルのキャップを開け、
「この通り、
最前列の人間の青年が、はい! と勢い良く手を挙げ、ジョッキを差し出してきた。舞台の
「【さあ】」 「ご確認を」
「え? キミが飲んでよぉ」
青年がニヤニヤと笑っている。顔が赤らんでいるところを見ると、酔っ払っているのだろう。
なんだこいつは! と目を
「【俺が飲む。こんな酔っ払いの相手はしなくていい】」
少し眉を上げると、
「【そう。ありがとう】」
と言って、手で
映か自分か、どちらかが飲むしか無いのだ。何の危険性も無い、普通の水だと証明する為に。これ以上映にからまれても困る。なら自分が飲むしかないだろう。若干気が進まないながら、ウィルマーは、ジョッキに口を付けた。
ほんのり甘く、すっぱい。飲み残しの
「ほら、なんともない。普通の水です。是非あなたも飲んでみて下さい」
ウィルマーは、笑顔でジョッキを返す。ちっ、と舌打ちをする青年。そのまま捨てるかとも思ったが、青年もジョッキを
「……ああ、普通の水だ」
「はい、こちらの男性も普通の水だとおっしゃっています!」
おお、と観客達から声があがる。仕掛け側だけでなく、こうやって観客側を引き込んでいくのは大事なことだ。信憑性が増す。映が頷くと、笑みはそのまま、目が真剣そのものになった。
前振りは終わり、これからが本番なのだろう。
「【さて、こちらに先ほどと同じ水があります】」
映が、再び別のペットボトルを掲げる。封が開いてないミネラルウォーター。先ほど、精霊のイスアに冷やさせていたミネラルウォーターだ。
「【封がされており、中の水には何も入る余地がありません】」
さあ、観客に封を開けて貰って、と、ウィルマーにペットボトルを渡す映。
「【揺らさないように、細心の注意を払って持ちなさい。開けて貰ったら、返して貰う時にお皿を一緒に貰って】」
ウィルマーは、映からペットボトルを受け取り、観客に向かって掲げる。
「ここに、先ほどと同じ水があります」
ペットボトルを見せながら、舞台の別の
「こちらは、先ほどと違い、容器に封がされており、何も入る余地がありません」
ウィルマーは縁にしゃがみこみ、有翼人の少女に話し掛ける。
「触って確かめてみてくれるかな?」
舞台上をキラキラとした瞳で見つめていた少女だ。話し掛けた瞬間、嬉しかったのか、ぶわっと羽根が広がった。
「いいの?」
良いよ、と言ってペットボトルの口の辺りを少女に向ける。少女は、
「そこを
おずおずとした手付きで、しかしぎゅっと握り、少女は
「うわぁ!」
少女の羽根が、またぶわっと広がった。
「はい、ありがとう」
ウィルマーは、少女の頭を軽く撫でた。少しくすぐったいと言った様子で、日溜まりのような笑顔を浮かべる少女。
立ち上がりかけたウィルマーは、しかし大事なことを思い出した。
「そのお皿、貰っても良い?」
少女が脇に置いていた皿を指差す。
「お皿? なんに使うの?」
そう言いながら、少女は皿を差し出してくる。屋台の串焼きを乗せていた平皿だ。既に食べ終わっており、後は捨てるだけのいらないもののはず。そう思って、ウィルマーは声をかけたのだ。
「もちろん、神様の奇跡に」
ばしりとウィンクをする。おお…! と目と口を丸くして、拍手をする少女。
……なにか、凄く恥ずかしいことをやった気がするが、少女が喜んでくれてるのなら良いだろう。もう一度笑顔振りまくと、ウィルマーは、立ち上がり声を張る。
「はい、こちらの少女に確認して貰い、容器の封を開けて頂きました!」
お決まりのようにペットボトルを
「【その皿とペットボトルを持って帰って来たら……ショーの始まりよ】」
来た。
こちらが不安になるタイミングで必ず言葉を挟んでくれる。映は、人心を良く理解していた。
「【ああ、やってくれ】」
「【平皿はあなたが持っていなさい】」
封の開いたペットボトルを、映に渡す。ショーの、始まりだ。
「【────さて】」
くるりと映は前に
「【今し方、お客様に封を開けて頂いたペットボトルが】」「ここにあります」
そう、先ほどの飲みかけのミネラルウォーターと外見の違いは全くない。
「【このペットボトルの蓋を開けて、】」「容器を傾けたら、中身はどうなると思いますか?」
こぼれるー!と観客から声があがる。そう、中身はただの水で、傾ければただ落ち、水たまりを作るはずだ。
「【そうですね。ではここで、私の力を使います】」「容器を傾けて水が落ちる時、とても不思議なことが起こります──」
凛々しい映の瞳が観客を見回す。映は、ペットボトルに念を込めた。
「【3、2】」「1」
「【零れる水を、平皿で受けなさい】」
映が、ペットボトルを傾ける。ウィルマーは、平皿を差し出した。
正確に言えば、途中までは水だ。現に今注がれている水も、皿の表面に当たるまではただの水なのだ。先ほどの、舞台の床を濡らしたミネラルウォーターと同じ。しかし、皿に当たった瞬間、水は別の物質に変化した。
氷だ。
「────!?」
前列の客には、見えているだろう。皿の上に、氷が
ちらりと観客の方を見ると、誰も彼もが
ウィルマーも、度肝を抜かれていた。
水は、一定の温度で、長く冷やしてこそ氷になる。何の力も加えず、途中から瞬間的に氷になることなどありえない。
あるとしたら、魔法の力を加えたに違いない────。
そういう解釈が、頭の中で成り立ったのだろう。
最初は、前列の者が声を上げ、前列の者の呟きに驚いた中列のものが声を上げ、後列の者は雰囲気に飲まれて声を上げた。
「【ご褒美よ】」
そう言って映は、空のペットボトルを放った。映の後ろの、何にもない空間へ落ちていく。
宙空が揺らいだ。ジ、と
『やったー、いすあ、うれしー』
頭に響くような声だけが聞こえ、魔法陣がペットボトルを飲み込み、消失する。氷の精霊、イスアに対価を支払い、〝ペットボトルと樽を冷やしてくれ〟という契約も、これで完結した。
────そうだ、イスアだ。
イスアに頼めば、
「何をした」
後ろから、低く押し殺した声がかかる。水の祭司だ。
「とてもその者は神には見えない。異邦の言葉を喋る怪しき者よ、何をした! ウィルマー・ジーベック、お前が精霊を使わせたのか!」
凄い剣幕で食って掛かってくる水の祭司。老齢を感じさせる乾いた魚人種の頬が、怒りでぴくぴくと震えている。自分が貸した氷の精霊で、インチキされてはたまらない、ということだろう。
ウィルマーも、精霊ならどうにか出来るのでは無いかと考えた。
ちらりと横目で見るが、映は観客に笑顔を振りまくので忙しい。我関せずだ。
しょうがない。ここは、自分で収めることにしよう。
「祭司、お言葉ですが。精霊は、その姿を
それがどうした! と
「あなたは、一度でも
ぐっ、と言葉に詰まる祭司。
そう、
これはきっと────、魔法なのだ。
◆
「【さて、皆様盛り上がっていらっしゃるようですが、
一礼すると、挑戦的な笑みで観客を見渡す映。
「皆様、本番はこれからです!」
ウィルマーは、芝居がかった動作で手を広げる。
「【この舞台に上がって】」「間近で
最早熱狂で破裂しそうな歓声だ。
おおおという地響きにも似た声。
「【それでは、】」
映の声が輝く。ビッと力強く、指で指していく。
「そこのドワーフの方、そう、
指名された四人が舞台に上がる。そわそわとして、落ち着かない様子だ。ドワーフはひたすら
「【
舞台に上がった観客を、
ウィルマーも、映の側にいるため、
「【
ウィルマーも遠くから今一度見るが、中身はただの果実酒だ。陽の光に照らされ、紅色に輝く、間違いなく何の変哲もない液体だ。
「【おっと、中身には触れないで下さいね?】」「神罰が下りますよ!」
笑顔で言うもんだから、映は恐ろしい。魚人がぴゃっと手を引っ込めた。
「【さて、では私がここから念を飛ばします】」「すると、樽の中の果実酒に、ある変化が訪れます────」
ごくりと息を飲む観客達。
「【3、2】」「1」
樽に向けて思いっきり腕を振る映。
彼女の神力が樽へと飛び、瞬く間に樽の中に変化が────。
起きなかった。
間の抜けたように静まり返る客席。いくら待っても、果実酒に変化は訪れない。
観客がざわめき始める。
映の方を見ると、唇を噛み締めていた。唇が、白くなっている。
失敗、したのか────?
「……というようにやりましたら、
慌ててそうアナウンスする。
観客は戸惑いがちに歓声をあげていた。まだ、まだギリギリ失敗はしていない。まだ、挽回出来る位置にいる。
もしヘマをやらかせば、この観客の多さだ。神を
ウィルマーは、その時初めて、血の気の引く音、というものを聞いた気がした。
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