第3話 神たる証明

 思わず、ウィルマーは口を開いていた。

 その言葉の行く先は、契りの祭フェアトラーク・フェストび出された、この世界のものではない言語、〝日本語〟を喋る、謎の神。

 前に立っていた観客が、ぎょっとした顔で一斉に振り向く。数百人に注視され、視線は痛いほど突き刺さっている。

 普通ならば、そんな状況に置かれれば、たじろぎ、誤魔化そうとするだろう。

 だが、ウィルマーは今、そんなことがまったくと言っていいほど気にならなくなっていた。

 今まで、絵空事でしかなかった存在が、今、確かな現実として、そこにいる。

 震えないわけがなかった。胸が、身体が……、熱く、かのじょの存在を求めていた。周りを気にする余裕など、あるはずが無かった。

「【少しは、話が出来るやつがいるようね】」

 値踏みするような怜悧れいりな視線が、主舞台メインステージの上、神寄せの陣の中央から飛んで来る。

「【こっちへ来なさい】」

 人垣が割れる。ウィルマーは、かのじょの手招きに釣られ、夢遊病患者のように、フラフラと歩き始めていた────。


       ◆


「こ、これから神の恩寵おんちょうの披露を行いまーす」

 なんで自分はこんなことをしているんだと、ウィルマーは内心頭を抱えていた。

 ウィルマーは今、九人の祭司達を差し置いて、契りの祭フェアトラーク・フェストの進行役を任されていた。

 かのじょが、こちらを指差して、〝一切の取り仕切りを、この者に任せよ〟と言うのだ。

 それを、自分の口から、年嵩としかさの祭司達に告げなければいけないこちらの心境も考えてもみて欲しい。人当たりの良いとされる、さすがのウィルマーも、引きつった愛想笑いを浮かべるしかなかった。

「【ちょっと、本当に大丈夫なんだよな!?】」

 ウィルマーは、舞台上で告知をしながら振り返る。そこには、尊大な装飾のされた猫足の椅子が鎮座していた。

 かのじょは足を組み、頬杖をつきながら、これまた尊大に座っている。

 ふぅ、っと溜め息をつく神。

「【あなた、男の割に度胸が無いのね。ちゃんと・・・・ついている・・・・・のかしら・・・・?】」

 頬に、カッと熱がともった。

 ……もうどうにでもなれ!という気持ちで大声を上げる。

「これから! 神の恩寵おんちょうの披露を! 行いまーす!」


       ◇


 ────何故こんなことになったのか。話は少しさかのぼる。

 夢遊病患者のようにフラフラと舞台に上がったウィルマーに、神は声を掛けてきた。

「【色々と聞きたいことはあるのだけれど、今は良いわ。とりあえず、これは、何の茶番か教えて頂戴ちょうだい】」

 眉の辺りで切りそろえられた髪の下から飛んでくる、怜悧れいりな視線。腕を組み、居丈高いたけだかとすましている神の肩を掴み、ウィルマーはガクガクとさぶる。

「【あんた、あんたは神か? 違うよな、人間だよな!? その言葉はどこで習った? 日本か? 日本なのか!?】」

 破裂するような音がして、頬に熱を感じた。ヒリヒリと痛む。頬を張られたのだ。

「【突然わけもわからない場所に連れてこられて、取り乱したいのは私の方よ、落ち着きなさい】」

「【……すみません】」

「【説明して。私が──、どんな場所に連れて来られたのかを】」

 やり過ぎた、と思ったのだろうか。肩に掛けていた学生鞄から、レースのついたハンカチを取り出し、ウィルマーの頬をぬぐう。

 下から、こちらを覗き込むかのじょの瞳には、強い意志の光が灯っていた。

 ──そして、ウィルマーは、かのじょに状況を説明していった。

 自分は、ウィルマー・ジーベックと言い、この世界は、イルミンスールという名前で呼ばれていること。

 今いる場所は、ニーダスヴァルトという地方の、ドゥリンモートという都市であること。

 ニーダスヴァルトは、地下大迷宮で有名であり、都市の大半が地下にあるということ。

 この地方に住まうのは、大体がドワーフであり、ハーフリングや人間もまれにいる、ということを説明した辺りで、かのじょは頭を抱え始めた。

 具合が悪いのかと問うが、そうでは無いらしい。先を続けろと手を振られたので、説明を続けることにした。

 そして、これからが肝心なところだと前置きし、説明を続ける。

 この世界では年に一度、神を地上へぶ儀式がある。その年の恩寵おんちょうを与えてくれる神を、ぶ儀式が。そして、その神として君はばれたのだ、という事を説明した。

「【で、ここからが問題なんだけど、び寄せられた神は……その、見せなきゃいけないんだ。自分がどんな恩寵おんちょうを与える神なのかを】」

 人々は、その年、どんな神が降りてくるのかを知らない。だからこそ、神は降りてきたその場で、自らの力を誇示する必要があった。

 下世話な話、見せられる神の力が強ければ強いほど、人々の対応は厚くなる。逆であればその反応は……、して知るべし、である。

「【よく頭が痛くなりそう、なんて言う人が居るけれど……、なりそうなんてものじゃない。一瞬でなったわ。今にも寝込みそうよ】」

 かのじょは、髪をかき上げると溜め息をつく。

「【つまり、私は、なんらかの魔法的な事をやってみせなきゃいけないわけね】」

「【そう、なるけど……。君はただの人間だろう? 少なくとも俺が見てきた夢の世界に、魔法なんてものは無かった】」

「【……さっきから気になっていたのだけど。夢の世界だとか日本だとか、あなた何なの?】」

 日本にでもいた事があるの? と、かのじょは、冗談めかして鼻で笑った。

 ウィルマーは、ぐっと腹に力が入るのを感じた。うつむきながら、口を開く。

「【俺は、どうやら、前世は日本で暮らしていたみたいなんだ。その時の事を今でも夢に見る。本当に、それは単なる夢なんじゃないかと思っていたんだけど、君に会って確信した。あれは、俺の妄想なんかじゃない――。現実に、あったことなんだ……!】」

「【それで? 前世のあなたとやらは何て名前だったの? 玉蘭? 紫苑? 私と出会ってESP能力でも覚醒した?】」

 こちらを覗き込みながら、相変わらず馬鹿にしたような口調。げられた名前は、有名な漫画の登場人物だ。〝あきら〟が昔読んでいたような気がする。

 漫画かぶれのイタい子扱いかよ……。

「【……入間いるま 誠治せいじ】」

 ウィルマーが、少しふてくされたようにつぶやく。その瞬間、かのじょが、目を見開いた気がした。

「【……何か?】」

 しかし、まばたきの間に、驚愕の瞳は、元の怜悧れいりな切れ長の瞳に戻ってしまう。

「【いいえ】」

 そう言ってかぶりを振ると、くるりと背を向け、舞台の奥へと歩き始める。

「【入間いるまからウィルマーって。間が抜けてるわね……】」

 ウィルマーは、その場に立ったまま、容赦ない物言いに苦笑した。

 〝……そっか、そうなんだ〟と、かのじょが、陽だまりのような声で呟いた気もするが、その小さすぎる声は、ウィルマーには届かなかった。

 瞬時に冬をまとい直すと、かのじょは、口を開く。

「【よく、覚えておきなさい】」

 ――そして、ウィルマーは聞くことになる。

 後々のちのちまで二人の関係性を決定づける、かのじょの言葉を。

「【私の名前は、逢咲おうさき えい。今年一年、この世界をおさめる神の名よ――――】」

 すっと片腕を上げる映。

「【そして、告知なさい】」

 振り返った映の目が、らんと光った。見る者をとりこにする意志の光。はなのある容姿もあいまって、見るものを捉えて放さない。指は、ウィルマーのことを、ひたりと差していた。

「【二時間後よ。神の案内人ウィルマー・ジーベック】」

 その瞳に、ウィルマーはすっかり射抜かれていた。

 ……無理だ! ありえない! という言葉を忘れ、ゾクゾクとした興奮とも言えない感覚を、全身に感じていた────。

「【良い? この世界に、〝魔法〟を披露して上げるわ】」


       ◇


 ────その後、結局何をするでもなく二時間が過ぎた。


「これから! 神の恩寵おんちょうの披露を! おこないまーす!」


 そうして、話は今この時に戻る。ヤケクソになって大声を出すウィルマー。

 客に告知をしろと言ってから、えいは、本当に何もしなかった。

 魔法を見せると言っておきながら、ウィルマーに頼んだことと言えば、


・私が座る椅子を用意しなさい。

・私の鞄に、ミネラルウォーターのペットボトルが二本入っているから、冷やしておきなさい。

・飲みかけのものは冷やさなくて良いわ。

・ついでにワインのようなメジャーなお酒があれば、樽ごとそれも冷やして頂戴。


 ということだった。


「【酒はダメだろ! 未成年!】」

 映は、無言で舞台から少し離れた露店を指差した。飲み物売りの屋台だ。今し方、店主が年若い少年に笑顔で果実酒を売ったところだった。

〝この世界では、普通に未成年も飲酒してるじゃない〟

 ということだろう。ぐっ、とウィルマーは口をつぐむ。日本だとダメだろ、と言い掛けたが、日本では、ね。と言い返されるのが目に見えていたからだ。

 ……しかし、映という人間の適応力は、本当に高い。

 有翼人や、魚人などは、言ってしまえば化け物だ。恐ろしい外見をしているものもいる。そんな大勢の観客に囲まれ、平然としている。

 どういう暮らしをしていたら、ああ言う人間に育つのか。不思議でしょうがないが、おいそれと聞く話でも無いだろう。

『んぎぎ そろそろ にじかん いすあ つかれたー』

 その場で反響して、頭に響いてくるような声がした。ミネラルウォーターの入ったペットボトルが、ふよふよと宙に浮いている。精霊だ。

 良く見れば、ペットボトルを包み込むような氷塊が宙に浮かんでいた。

「ありがとう、イスア。契約の対価は、ほんとにそれでいいの?」

『いい ぺっとぼるる ほしい』

「そう。じゃあ、このお姉さんが中身の水を飲み終わったら、それを貰って良いよ」

『ぺっとぼるる!』

「ペットボトルね」

『ぺっとぼぼる』

「ノノノ リピートアフタミー? ペッボロゥ」

『ペッボロゥ!』

「【……なに遊んでるの】」

 んが、と口を開けた氷の精霊。その口から、ウィルマーはペットボトルを取り出す。呆れ顔の映にそれを渡した。

「【精霊は楽しい雰囲気が好きなんだ。コミュニケーションは大事だよ。それにこの子は借り物なんだから】」

 そう、ミネラルウォーター冷やしといて。という、映の傍若無人な振りは、結局祭司に頼るしかなかった。

 魚人である水の祭司が連れてきていた空契約の精霊。それを分けて貰い、この物体を冷やしてくれ、というお願いをした。

 その時、映が、

『それ、どれだけ冷たく出来るの? 私、キンキンに冷えてる方が良いんだけど。出来うる限り一番低い温度で、ギンギンに冷やして』

 などとわがままを爆発させていたが、自然をつかさどる精霊に無理などあるはずが無い。ペットボトルは、中身が凍るんじゃないかというほどにギンギンに冷えていた。

 映は、それに口を付けず、地面に置いた。

 そして、ワインのようなメジャーなお酒。クァン・ペールという、小さな赤い実から造られる果実酒がある。

 その樽も、別のイスアがくわえていた。ふたが開けられ、中が見やすい角度でかたむけられたたる。そちらも、かなりギンギンに冷えている。

 果たして、映は、これを何に使うつもりなのだろうか? 酒の方は、気付けに用意させたのかと思っていたが、こういう形で設置しているからには、水も酒も同じ用途で使うのだろう。

「【……映、そろそろ時間だよ】」

「【そう】」

 そっけなく返してくる、映。辺りの雰囲気は、否が応でもぴりぴりと高まって来ていた。

 観客の声も、徐々に大きくなっている。ウィルマーの心中の焦燥感と不安感も、三十分前からストップ高だ。

 映は、足を組み、アンニュイな表情で頬杖をついていた。

 ぱちりと一つまばたきをすると、猫足の椅子から、すっと立ち上がる。黒髪がさらっと揺れた。

「【では、始めましょうか】」


 〝恩寵の披露〟が、ついに始まる────。

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