第2話 神との邂逅

 契りの祭フェアトラーク・フェストという祭がある。

 この世界は、はるか昔、神々の戦争があり、それをきっかけとして一度ほろんでいる。豊かだった天界も、その大半が炎に焼かれ、海に没した。その時、世界の柱たる世界樹も焼け落ちたのだが、数年後、その焼けあとから若い芽が顔を出した。それと共に、かつての大陸は海の底から上昇し、今の繁栄に至るというわけだ。

 終末の大火を生き延びた二人の人間と、幾許いくばくかの神の子孫たち。世界には、動物を含め、たった十にも満たない生命しか存在していなかった。

 しかし、徐々に自然が戻って来るにつれ、精霊が生まれ、その一部は肉体を持ち、亜人となった。神の子孫達も結婚し、子供を生み育てた。人間は、言わずもがなである。

 かつて、三つの階層、九つの世界があった世界は、焼け落ち、崩壊を重ねたことで海の中で混ざり合い、二つの階層、九つの地方に姿を変えた。天界は、その大部分が失われ、人間や亜人たちの暮らす第二階層へと落ち、重なりあってしまう。

 そうして出来上がったのが、元第一階層と第二階層が重なり合って出来上がった、現第一階層である。

 その中の、飛んでは行けないそら――。そう呼ばれる、元天界であった区域は、時を経るごと手狭てぜまになっていった。

 そこで、当代の主神である女神は考えた。

『ならば、年代ねんがわりで神々が地上に降り、直接下界の面倒を見れば良いのではないですか?』

 ――そうして、毎年なにがしかの神が、その家族を連れ立って、そらから地上に降り立つこととなった。

 人間や亜人は、それをもてなし、世界を案内し、その神の気に入る地域を探す役目をおおせつかった。

 そうして、気に入る地域を見つけた神は、案内人とちぎりを交わすのである。その地に根付き、世界に恩恵おんけいを与えていくちぎりを。

 その神を迎える祭が――、契りの祭フェアトラーク・フェストである。


       ◆


「よォし、お前らァ! 祭の準備も大詰めだ! 魔石ませきの採掘はもう良い! これ以上やったところで、今ある以上のデカブツは、そうそう出ねぇだろ!」

 ウス! と、大声を返すドワーフ達。はちきれんばかりの黄土色の筋肉が湯気を立て、瞳は活気に満ちあふれ、らんらんと輝いている。地下坑道は、熱気に満ちていた。

 それもそのはず、今年の〝契りの祭フェアトラーク・フェスト〟の開催地は、ここ、ドワーフの国・ニーダスヴァルトなのである。

「くず石は潰せェ! 潰したらどんどん上持っていけ! 女供が召染料しょうせんりょう造りの用意をして待ってるぞ!」

 ウス! という声が地下坑に木霊こだまする。一同、ツルハシや金槌かなづちで一度、二度地面を叩くと、それぞれの持ち場に散っていく。

 めいめい動き出したドワーフたちのあいだって、ウィルマーは、親方に駆け寄った。

「親方、すみませんでしたの――」

「あ゛ぁ!?」

 その、耳鳴りがするほどの声量と、振り向いた鬼のような顔面。

 一瞬言葉に詰まるが、単に、聞こえていないだけだろう。辺りには、金槌かなづちで石を砕く音が散乱していた。

「昨日は! すみませんでした!」

 口元を両手で囲い、思いっきり叫ぶ。

「おぅ! キリキリ働けェ!」

 親方が、ニカッと笑う。バンバンと肩を叩いてくるせいで肩が外れそうになるが、本人はポンポンぐらいのつもりだろう。肩を押さえて苦笑しながら、持ち場に戻る。

 木箱に座ると、ブリキのバケツに詰まった小さな石を手に取った。石をぼろ布にくるむと、金床かなとこに置く。

 くるんだぼろ布の上から石を丹念に叩いていく。砂利じゃりのようになったのを確認して、ふるいの乗ったバケツに移す。作業は、それの繰り返しだ。

 ふるいの砂利が溜まったら、がさがさと揺らして、細かい砂利をバケツの中に落とし、不純物はそこらにく。

 今、ウィルマー達が、そうやってふるい分けているのは、魔石ませきという鉱石である。

 一度世界が滅びて以来、その復興は苦難に次ぐ苦難の道のりだった。何千万といた人間が、たったの二人に減り、文明が何もかも滅んだのだから、当たり前と言えば当たり前なのではあるが。

 そんな中、どうやって今のような繁栄を成し遂げたのか────。

 それは、ひとえに〝精霊〟との〝契約〟によってだったという。

「……おお」

 ウィルマーがバケツから手に取った小石。その断面からは、小石にしてはなかなかの大きさの結晶が生えていた。〝土の魔石ヘルムヴィーゲ〟。光を宿した、灰茶色の魔石だ。

 これもぼろ布にくるみ、砕いていく。砕かないのは、結晶が拳大こぶしだい以上のものだ。

 精霊は、自然から生まれ、自然に暮らす。言うなれば、自然現象をそのまま具現化したような存在だ。

 その力を、使わせて貰うことが出来たなら────。

 わざわざ火をおこす必要は無く、発電機が無くとも電力を確保出来、水を調達することも出来る。精霊との契約法が確立されてから、文明は躍進やくしん一途いっと辿たどった。

 やり方としては、まず、魔石から造られた絵の具で、地面に紋章を描く。この時、この絵の具は、花の香りがしなくてはならない。

 その匂いが精霊を引き寄せると同時に、精霊をその場にとどめておく効果があるからだ。そして、契約のかなめとなる拳大こぶしだいの魔石を、その中心にかかげる。

 魔石に向かって特定のことばを詠唱し、精霊の姿を表す力場を形成する。精霊は、そこら中にいるのだが、普段その姿を見ることは出来ない。

 大精霊にでもなれば話は別だが、そこら辺の雑多な精霊では、自分の姿を確立出来ないからだという。

 そして、契約というからには、こちらも対価を支払うわけだが……。

「おっと」

 気付けば、小石を詰めていたバケツがからになっていたようだ。ウィルマーは、より分けた方のバケツを持ち、立ち上がる。

 そこかしこで作業しているドワーフ達を避けながら、傾斜のついた岩肌の通路へと歩いて行く。そこには、既に同じようなバケツが何個か乗っている手押し車があった。ウィルマーが運んでいるバケツを乗せれば、もう満杯だろう。

 満杯になったら、誰かが上の広場まで持って行く。そういうシステムだ。

 この砂利のようになった魔石を、上の広場にいる女性達がすりこぎで更に細かくする。それを顔料として、魔法の絵の具はつくられる。

「よいっしょ」

 ウィルマーは、腕にずっしりとくる、土埃つちぼこりで白くなった手押し車を押し、斜坑を歩き始めた。ガタガタギィギィと不平の声のようなきしみを坑道に反響させながら、手押し車は進んでいく。

 祭りは、もうすぐそこだ。


 仕事が終わり坑窟を出ると、辺りの様子が様変わりしていた。

 通常であれば、色とりどりの天幕を張った店が立ち並ぶ、底面広場の一大バザール。その店の数が、半分以上減っている。

「(ああ、もうそこまで来たんだ)」

 と、ウィルマーは実感する。

 決してバザールが賑わっていないわけでは無い。むしろ、焼き物屋などは、前乗り客などで、普段以上の盛り上がりを見せていた。

 では、なぜ店の数が少ないのだろうか?

 それは、露店が、基本可動式の設営スタイルを取っている事からもうかがい知れる。答えは、広場本来・・の使い方をするためだ。

 祭事や式典が行われる際は、一定数の露店が排除され、空いたスペースに舞台を組み立てて祭事を行う事となる。広いスペースを常時確保出来ない、地下ならではの風習だ。

 これから、木材を運び込み、組み立てが行われるのだろう。

 書き割りを添え、花や極彩色の布でメインステージを飾り付けるところまでは、あと数日と言った所か。

 ウィルマーは、高まる期待に大きく息を吸った。


       ◆


 祭の当日――。

 ニーダスヴァルトの首都ドゥリンモートには、今日の神の降誕に合わせて、各地から大勢の見物客が押し寄せていた。ドワーフ、人間、龍人、魚人、有翼人、などなど。

 なかには、参加を拒否している地域、代表しか来ていない地域もあるが……。

 地上から地下都市に接続する、巨大な龍がのたくったような大坑道は、祭りの直前である今もまだ、人々を吐き出して止まらない。

麦酒エール麦酒エールはいかがっすかー!」

「由緒正しい猪焼きセーフリーム、焼き立てだよー!」

 漂ってくるのは、エキゾチックな香辛料の香りと肉の焼ける匂い。店主が、客寄せのためにわざと香ばしい煙を、行列の方に送っているのだ。ただでさえ狭苦しい大バザールは、普段以上に人がひしめき合っていた。身体をひねらなければすれ違えないほどの大満員。もう既に酒に酔って足元がおぼつかないものもいる。笑い声、怒鳴り声、客引き、響き渡る雑踏。ハレの日に相応ふさわしい乱痴気騒ぎだ。

 ウィルマーも、開催地側の人間として負けじと声を張り上げる。

「ボロック工房でーす! ドワーフの技術の粋を集めた工芸品はいかがですかー!」

 精一杯の営業スマイルを振りまきながら、見本の宝飾品を掲げる。モノが良いからだろう。おお……、と感嘆の声を上げながら、覗き込む人も沢山いる。

 ウィルマーは、今の生活が好きだ。

 普段は下働きとして坑道で働いているが、徐々に鉱石に慣れ、目利きが出来るようになったらやりたいことがある。親方の奥さんが束ねる加工班に加わりたいのだ。

 炉と様々な工具、鉱石に囲まれながら細工をする。そんな未来、良いじゃないか。と、ウィルマーは思う。

 前世の自分は、将来どうしたいかなんて考えもしていなかった気がする。

 十四・五で将来何になりたいかと、真剣に考える人間の方が少ないのかもしれないが……。

 ――そう言えば、〝誠治せいじ〟が小さな頃、身近に、将来を真剣に語っていた子がいたような気がするのだが、誰だったか……。

 ドクン────と、その時、大地が拍動した気がした。

 釣られて、広場の最奥に顔を向ける。

 神寄せの紋章が完成したのだろうか。基本やることは、精霊と契約する時と同じだ。ただ、その規模が大きいだけ。

 今頃、九つの魔石を持った、九人の祭司達が、メインステージで詠唱を始めていることだろう。良い花の匂いが流れてくる。

 ドクン────

 しかし、ウィルマーは、何故か言い知れない不安のようなものを感じていた。

 ドクン────

 足元からでは無い拍動。これは、大地の拍動ではない。これは……、自分の拍動だ。

 ドクン────

「…………っ」

 そのことに、気付いたウィルマーは、胸元を握り締めた。息が、浅く、早くなる。次第に、頭の中にある考えが満ち始めた。

『神寄せの場に、行かなくてはいけない』

 客引きを、なかば強引に他のドワーフに任せ、ウィルマーは走り始める。……何がしかの予感があった。

 ドームの天高くに、光で描かれた紋章が現れる。地面に描かれているものと同じ紋章だろう。

 九つの光のすじが天に昇り、匂いを誘導路とする召喚陣が、今、起動した。軽い雷のような破裂音が鳴り、光柱が立つ。

 ウィルマーは、目の上にひさしを作りながら、バザールをひた走る。

 心臓は、早鐘はやがねのように荒れ狂っていた。厚くなってきた観覧客の層を掻き分け、出来うる限りまで神寄せの場に近付く。

 祭司達は、既に脇に控えている。光柱の中に、黒い影が見えた。

 歓声が上がる。

 有翼人種は喜び飛び上がり、龍人種は火を噴いた。魚人種は水を張ったたらいの中で、綺羅きらと光る薄いヒレを揺り動かしている。

 観客の密度からして、これ以上先には進めない。だが、召喚陣が目視出来る距離だ。十分だろう。

 腕を組む龍人と、フードを被った旅の人間との間から、ウィルマーは固唾かたずを飲んで、その時を待つ。


 ──光柱の中から、まず神の片足が出た。焦げ茶色の革をなめした靴をき、紺色の、膝下までの足衣をつけている。


 その年に、どういった神様が降りてくるかは、その時までわからない。


 ──次に、足を踏み出す動作について、ひだの付いた腰布が見え隠れする。丈は長く、真っ直ぐに立っていれば、膝頭が見えるか見えないかという長さだ。


 そう、その時までわからないから、人が集まるのである。今年の神様は、どんな神様だろう。一目見たい、と。


──太ももまで出れば、後は一気だ。腰から頭までが外に出て、光柱は霧散むさんした。長袖の上衣は、腰布と揃いの濃紺地。袖口と襟ぐりは白で切り返されている。ふちには濃紺色の線が引かれ、強くふくらみを主張する白い肌着の胸には、赤いネクタイが棚引いている。


 ウィルマーは、目を見開いた。胃に氷のかたまりを入れられたような感覚と、頭を石でぶん殴られたような衝撃。全身の肌が、粟立あわだつのを感じた。

「(これは────!)」

 観衆の歓声は、いやが上にも高まっていく。

 ──その神の指は、細く長く、腰はくびれ、髪は黒く長い。顔は、全体的に小造りな顔をしていた。鼻は小ぶりながらすっと通っており、瞳は大きいものの切れ長。唇は薄く小さく、総じてどこかしら硝子がらすを思わせる怜悧れいりさをただよわせていた。

「【……なに? この茶番は】」

 神の声が響く。観衆の黄色い声が、一瞬、歯切れ悪く止まった気がした。

 それは、何故か。

 それは──、誰も、・・・その言葉の・・・・・意味が・・・わからなかった・・・・・・・からだ・・・

 祭にかこつけて騒ぎたいだけの者や、神寄せの陣から遠い者たちは、未だに騒ぎ続けている。

「【なんなの、あなた達】」

 しかし、祭司を始めとする最前列の者は、完全にその異様に飲まれていた。この世界に存在する、ほぼ全ての種族が揃っているその場で、誰も、その神の言葉がわかるものが居ない。よしんば、それがこの場に居ない地域のものだとして、そこに住む種族は、マイナーな種族などではない。内容がわからなくても、あの地域の言葉だろうな、という察しぐらいはつく。

 しかし、それが無い。


 ドクン────


 ウィルマーの胸が、今こそ、一番の大きな拍動をした。

「【……笑っちゃうわ。これは、夢?】」

 ウィルマーは、その言葉を知っていた。誰も、何も知らない言語。

 その言葉を、入間 誠治・・・・として知っていた。

「【しかし……、やたらリアルなのね……】」

 と、目を細め、辺りを見回す神。ウィルマーは、思わず口を開く。

「【あんた──、どこから来た……!?】」

 ──それは、ウィルマーの夢の中に出て来る〝日本〟という地域で、主に使われている言語だった。

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