第一章 地下都市迷宮ニーダスヴァルト
第1話 前世の記憶
終礼のチャイムが鳴る。
ほうきを持った男子生徒数名が、子犬のようにじゃれ合っていた。
なんとはない下校風景。ぱらぱらと人が減っていく教室。その中で一人、帰宅の波に乗らない少年がいた。
机に突っ伏したまま、窓の外を眺めている。申し訳程度に、机の上に出されている教科書には、〈2-A
「またひねた顔してんね」
群れるのが嫌いで、皮肉屋。いつも
「いや……、
「せーちゃんの言いようは、相変わらずひどいね」
「
「せーちゃん、て? だめ?」
「だめだ」
と、断られた途端、一気に砕けた男子の態度に切り替わった。
「……ああ、彼女にしか呼ばせてないんだっけ?」
「幼なじみだっつってんだろ、ミッツ」
「ミッツって。ぼくに女装の趣味は無いよ?」
「じゃあ、ミッチー」
「
カーディガンの袖口から、
自分の顔が
誠治は、ため息をついた。
亜麻色の柔らかな髪。肌の白さ。長く細い首、肩。まるで人形のような容姿。それでいて、いつも無邪気で人見知りをしない
『なんで私たちのみっくんと、あんたが仲良いのよ!』
と、誠治は良く言われる。だが、別に邪険にしてはいないだけで、そこまで仲が良いわけではない。しかし一方で、女子たちの言葉は、理解出来るとも誠治は思っていた。わざと嫌われるように振る舞っている節もあるが、
背は高く、目は
幼なじみの
『せーちゃんはかっこいいよ!』
などと言って甘やかすのだが、そんなものは、親バカの身内補正のようなものだと誠治はへそを曲げていた。下手に夢ばかり見せる言葉なら、言わない方がマシなのだ。取り
「今日もまだ待っていくの?」
つと視線を
「……ああ。いつものことだからな。もう少しで練習も終わるだろ」
「
「……暗くなってから1人で帰るのは危険だろ」
「危険な目に会うほど可愛いってことかぁ~」
「ぅわっこわ~~い。君みたいな不良がそばにいたら、そりゃ誰も襲わないよね。でも、あんまり意固地になってると
「……はぁ? それどういう意味だよ」
「そのままの意味だよ。それとも――」
ふと浮かべられる、
「ぼくが君を
夕陽で陰影のきつくなった顔。小首をかしげる桜色の頬。細められるつぶらな瞳。幼い顔に宿る色気の匂いは、どこかしら背徳的でさえあった。
廊下に出た
すっかり
「せーちゃーん、ごめ~~~~~ん」
底抜けに明るい鐘のように響く声。しんとした夕闇の
上履きの悲鳴でも聞こえて来そうなぐらいの急停止。ぜいぜいと肩で息をしいしい、教室の入り口に現れたのは、
「どうせ、
教科書を机の中に雑に放り込む。かかとを踏み潰した上履きをつっかけ、スカスカの通学鞄を手に取ると、机の合間を縫って暗い教室を抜け出した。
「えへへ、その通りです。でも聞いて! 昨日より上手くできたの! 先輩も
ぴょんぴょんと飛び跳ねる
「くだらね。下積みとかいう奴隷制度によくもまあ従う気になるな。それで弓が上手くなるのかよ」
「わからん! でも楽しいから良いんだー!」
「ああ、そう……」
「あ、ねー、お腹減ったよー。部活後の定番、とりさい! まだ開いてるかなあ」
「そろそろ閉まるんじゃねえの?」
走らなきゃ! と、
◆
手が大分
ゴウゴウという激しい水音が、岩や川岸にぶつかって、小高い山の中を
「いいから離せ!」
「出来る訳ないでしょ!?」
広葉樹林が
「ちょっと……、待ってね……、体勢を変えれば……、せーちゃんのこと、引っ張り上げられるから……!」
左手で近くの木の枝を掴み、切り立った急斜面から半分身を乗り出している
「お前、部活の後だろ。力入らなくなってきてんの
「……やだ! やだやだやだやだ! あたし、絶対せーちゃんの手、離さないから!」
「良いから離せ……。二人とも落ちるよりはマシだ!」
だが、現実は無常だった。何かが
「だって! 先に足を滑らせたのはあたしだし……!」
「下は川だ。運が良けりゃ、大した怪我はしねぇさ」
「運が良くなかったら!?」
取り乱した声を上げる
――
妹のように感じていた、
──だから、
「……せーちゃん?」
不安そうなかすれた声が、
「……せーちゃん!?」
手が一周する頃には、掴む手は
「またな」
──小さく乾いた
「─────」
吹き下ろす風のように落ちていく。ブレザーが踊り狂ったようにはためいている。
――昔、ほんの少しだけ合気道を習っていたことが、ここで役に立つとは思わなかった。と、
上へ上へと流れていく風景。土と草の匂い。頬を裂くような夜風に、粉々にされていく様に感じながら、誠治は目を閉じる。
思えばろくな人生では無かった。無愛想で、不器用で、怖がられてばかりの人生……。人生の中で、唯一明るかったと言えば、それは、
気付いた。気付いて、しまった。
誠治は、うっすらと目を開ける。コマ
「(ああ、
びくんと体が不規則に跳ねる。地面に生卵を叩き付けたような音がした。四肢がだらりと力なく伸び、
そこには、川底から隆起した大きな岩があった。
◆
『………ィ……!』
頭の奥に差し込まれる鈍痛。
『お………、ル…………!』
じっとりとした汗が止まらず、呼吸は浅く早くなる。少年は、崩れ落ちそうな身体を、なんとかツルハシにすがって支えていた。
『……ル……!』
自分が、山道から落ちて死ぬ夢。いつだって突然で、
夢の中での彼の容姿は、今とは全く違っていて、服装も、名前も全く違う。けれど、何故か全身全霊の自信を持って、あれは自分だ、と言える奇妙な夢。
『………ィル……!………!!』
見たこともない服を着て、聞いたこともない言語で喋っている人達。ドワーフ達が
『……ィルマ……!!!』
小さい頃、少年は大人に聞いて回ったことがあった。こんな言葉を知らないか、こんな服を知らないか、と羊皮紙に絵を描いて。
結果は、紙を無駄にするんじゃない!と怒られただけだった。
誰も、何も知らないという。そう、この世界では〝学生〟は誰もがなれる身分じゃない。大抵の子供は、家業なり村の仕事を手伝うことになっている。
使われている言語は、イルミンスク語だ。この世界には、九つの地方があり、様々な種族が暮らしている。例えば────。
「ウィルマァ―――――!!!!」
「はいっ、すんませッ!!!」
地下坑に、だみ声が
ここは、日常生活に必要不可欠なある〝鉱石〟を掘る坑道であった。
だみ声の主が近づいてくる。
「ウィルマー、おめぇ、また居眠りしてたのかッ!! 何度
空のバケツで頭をひっぱたかれそうになった少年、ウィルマーは、身を
「なァんで
と言ってバケツを振りかぶるのは、この
『……いやね、あなた。あなた、ドワーフと人間のハーフですよ。そんじょそこらの人間とは、腕力が違うんですよ。二の腕なんてちょっとした
と、言い
「なんでェい、青っちろい顔して。具合でも悪ぃのか?」
振りかぶった腕を上げたまま、ウィルマーの顔を覗き込む親方。
「いやまぁ、その……、すみません。ははは……」
ウィルマーは、異常な量の汗をかき、見るからに蒼い顔をしていた。
「なんで言わねえんだバカ! 帰れ!」
背骨が軋みそうな勢いでウィルマーの背中を叩き、親方は次の監督場所へと歩いていく。よろけながらもウィルマーは振り返り、ありがとうございますと頭を下げた。
親方はすぐ怒鳴るし、口は悪いし、暴力は振るうが、面倒見は良く、なんだかんだ優しいところがあるのだ。そんな親方を、ウィルマーはわりと尊敬していた。
そんなことをぼうっと考えていると、
「どけ!」
と、後ろから低い声でどやされる。慌てて壁際に張り付くようにして避けるウィルマー。
腰の高さほどしかないドワーフが、鉱石を満載した手押し車で通路を通過していく。
「すみませんっした!」
と、その背に声をかける。おう、と声だけが返ってきた。
ふと、ウィルマーは苦笑する。
「(夢の中の
肉体的には、重労働で命の危険もあり、
でも、皆悪い人達ではないし、職場は戦場だ。事故は死につながる。坑道の環境は過酷と言ってもいいだろう。口が悪くなるのも仕方がない。だが一つ、ウィルマーには、物心ついたときから決めている事がある。
〝どんな時も、愛想良く生きよう〟
それは、生まれてから幾度と無く見る
そのおかげかは知らないが、いつも愛想良く笑顔でいるウィルマーの周りには、自然と人が集まるようになっていた。
坑窟にやってきた最初は、ドワーフ達に
ウィルマーは、汗を
髪は赤みがかっており、ツンツンと跳ねている。瞳は、どちらかというと黒目がちで、色は〝
ウィルマーは、両手で水をすくい、軽く顔を洗うと、首に掛けていた布で顔を
ウィルマーが振り仰ぐと、赤い岩肌の天が辺り一面に広がっており、そこに空いた通気用の
今は、すべてのことが上手くいっている。人付き合いも円満で、職もある。ゆくゆくは細工師になるのも良いだろう。
ただ……、とウィルマーは思う。
一つ問題があるとすれば、あの
山道から落ちていく自分に手を伸ばし、泣き叫ぶ〝
あの
思わず握り締めていた布から手を離し、ウィルマーは帰途に着く。
ウィルマー・ジーベック、今の俺の名前……。この人生は上手くいっているのに、
答えの出ない問いに、ウィルマーは今日も悩み続ける。
◆
長い髪の少女が駆け込んで来た。暗い部屋だ。
壁一面が本棚で、端から端、床から天井まで所狭しと本で埋まってる。窓の下でさえ、小振りな本棚が置かれていた。
所々に、可愛らしい調度品が置かれていることから、ここは、少女の部屋なのだろう。
インクと古い
樫の木で作られた机にノートを開き、質素なアンティークランプに火を
長い黒髪を耳にかけなおし、そうして彼女は、何事かを熱心に書き
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