第36話 祭りの後で

 花火が消えた空は、ゆっくりと暗んで夜空となった。


 しかし、夜空にしては星が無く、風も止まり、空気が澱んで舌に絡むような重みを持つようになる。


「……風呂小屋だ」


 闇の中でリザの声が咲き、続いて彼女の炎が灯された。周囲を確認すると、パンナトッティ城の残骸が散る広大な雪原は消え、竈と階段状のベンチ、水瓶のある手狭な風呂小屋の様子を確かめることが出来る。僕とリザ、ダーシャも呆然として立ちすくんでいる一方、のベンチには、ハーニャさんとアンナ嬢、パンナトッティの三人が安らかに寝息を立てていた。


「戻ってきたのかな?」


 ダーシャがおもむろに口を開いた。


 パンナトッティが師匠に奪われた(という言い張る)魔力を直接的に取り戻したため、ゲームは終了となった……と考えていいのだろうか。本人が寝ているので確認のしようもないが、勝手に帰ってきたところを見るに、多分そうなのだろう。


「服も元通り?」


 僕が問いかけると、リザがマントをはためかせる。けれど、その下は城にいた間の露出の覆いホルターネックドレスのままだった。ダーシャを振り返ると、彼女もマントの下は作業服風の衣装のままだ。僕の持ち出した拳銃やリュックばかりは、ベンチの上へ無造作に置かれていた。


「取り敢えず外に出るか。トータ、三人を抱えられるかい?」

「流石に無理だな、二人共手伝ってくれ」


 僕がハーニャさんを背負い、リザがパンナトッティを、ダーシャがアンナ嬢を抱え、僕たちは六人揃って、暗くてジメジメした風呂小屋の扉を開いた。



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 風呂小屋を出ると、昼間の強い日差しに目を焼かれた。正確な時計を見たのは屋敷に入ってから。針は正午過ぎを示していて、迎えてくれた屋敷のメイドさんが、丸一日も経過していないことを教えてくれた。やはり時間の感覚を操られていたらしい。あの祭りは一夜の出来事だったようだ。


「でも三日分くらい疲れたな……」


 僕は屋敷の人が用意してくれた食事にあやかり、水を飲んでようやく落ち着いた。


 アンナ嬢とハーニャさん、パンナトッティは別室でベッドに寝かされている。眠りながらも、アンナ嬢がハーニャさんの手を掴んで話さなかったので、二人は同じベッドだ。リザとダーシャは、寒さを訴えて風呂を沸かしてもらった。屋敷関係者たる二人が口もきけないのに、屋敷の人が何かと親切に働いてくれる辺りに、アンナ嬢やハーニャさんの人柄が垣間見える。


「いよう! いやー元気かの!? 楽しかったかの!? あんまり全魔力を出したり入れたりしたんで思わず気を失っとったわい!」

「起きたんですかパンナトッティ……何故バスローブ?」


 食事を終え、客間のソファーでくつろいでいた僕の前に、唐突にパンナトッティが現れた。濡れた髪もそのまま、身体はほかほかと湯気を立てていて、白い肌も暖かそうな朱色に染まっている。


「たまには小娘どもの肌を味わうのも一興と思ってな!」


 パンナトッティが悪戯っぽく笑い、パチンと指を鳴らすと、ポォンと髪が乾いてふわりと流れ、バスローブも黒いドレスに変化し、頭の上にはとんがり帽子が乗っかった。


「ふぅぅ……いやぁ、あそこしかなかったとは言え、あんまり北に行くもんじゃないのう、寒いし雪多いし寂しいし、今回はとんだ祭りだったわい」


 またフィンガースナップが響き、テーブルの上にティーポットとカップ、それにジャムが出現する。パンナトッティはティーカップを取ると僕の膝に飛び乗り、カップを前に掲げる。そうするとティーポットがふわりと浮いて、優雅に紅茶を注ぎ始めた。


「あそこはやっぱり北壁の近くだったんですか?」

「だいじょうぶだいじょうぶ、ヴィータの許可はとっておる。なかなかアレを置いていい場所がなかったもんでな! お前も懐かしい景色だったんじゃないかのう?」


 ルーシェ軍の最高指導者たる名前を持ち出して、パンナトッティが得意げに語る。偉いさん二人が共謀してなんつーことを……帝国の反応次第では本当に開戦ものだぞ。


 パンナトッティがケラケラ笑うと、スプーンがジャムを掬ってふわりと浮遊し、彼女の口元へと漂った。彼女はティーカップを持ったままパクリと食いつき、また一口舌を湿らせる。師匠の食事風景と似ていて、どこか懐かしい気持ちになった。


「僕が元北壁の兵士だとご存知で?」

「あの城の中で起こったことは全て見ておる。お前とカチューシャの関係もな」

「お見通しか……身内がご迷惑をかけました。っていうか、あの人大丈夫なんですか? ちゃんとハーニャさんの身体から出て行きました?」

「当たり前じゃ。アイツもワシと遊んでかなり力を使いおったからな。今頃は、元の身体に戻って一服入れとるじゃろ」

「だといいんですが……」


 頭を抱えつつ、雪原での光景を思い出す。

 パンナトッティに深々と唇を奪われ、魔力を吸われ尽くされて倒れる寸前、師匠は僕と視線を合わせて、また例の気色悪い笑みを浮かべて見せた。


 ――それじゃ、今回はこのヘンで。また迎えに行くッス。


 そんなことを言いたげな、不吉な笑みだった。


「あいつが来てくれなければ、確かにフラストレーション溜まったまま祭りが終わるところじゃった。いやぁ、通りでおかしいと思ったわい。お前らは初めから関係なかったんじゃ、他の五人がワシに気をきかせたと見える」

「六大魔女の、他の五人ですか?」

「まぁの……今回は本当に特別でなぁ、詳しくは話せんが……ま、最後にはお前らのおかげで少し楽しめたぞ? 掘り出し物も見つけたしの!」

「リザの魔女の火ですか?」

「おっと、これ以上は喋らん」


 くつくつと笑いながら、パンナトッティがティーカップを傾ける。ほっぺをつねりたくなるが、膝に乗るお尻の感触が柔らかいので許してあげよう。


「もしお役に立てたなら、魔女コインの支払いを免除して欲しいんですけどね」

「そうじゃな……どーせお前らの所は仕込みじゃったろうし、かと言って免除しては他の貴族に顔が立たん、リボ払いにしてやろう」

「リボ……」


 そんな制度がこの世界にあるのか?


「月々五百ルーブずつ、無理なく返済せい。利子くらいは免除してやる。これ、他の貴族にはナイショじゃぞ?」

「この屋敷が家がなくなったり、僕の銀行の預金がなくなってたりすることない?」

「ないない、じゃから安心せい」

「よかった……」


 取り敢えず、早急に裏街行きということはなさそうだ。月々五百ルーブというのなら、返済に何十年かかるのかわからないけど、家計に響かない金額ではある。


「さて、風呂上りの一服もしたし、ワシは帰るかの。祭りの後片付けも残っておる」

「もうひとつだけいいですか?」

「なんじゃ? パンツの色は赤じゃぞ?」

「ありがとうございます。いえ、そうではありません」


 子供のような笑顔を浮かべるパンナトッティに、僕はとても重要な質問をした。


「本当は、力は全て奪われたなんて、ウソだったんでしょ? あなた一人の力で彼女に勝てたはずだ」

「……プププッ! バカかお前! そんなの楽しくないじゃろ!?」


 それは大変だ。

 僕が眉を寄せる前に。ポォンと愉快な破裂音と薄煙を上げ、パンナトッティは姿を消してしまった。彼女が消えた後から、ひらひらと五通の封筒が舞い降りてくる。それぞれの封筒には、僕たちの名前が刻まれていた。


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「へぇ、パンナトッティが……」


 お風呂から上がってきたダーシャが、バスローブのままパンナトッティが置いていった紅茶をつつき、自分の名前が書かれた封筒をまじまじ眺めていた。装飾の施された封筒に赤い印籠が押された、質のいいものだ。


「パーティの招待状にも見えるな」

「不吉なことを言わないでくれ……いや、また戦車に乗れるなら行くけどね」


 呟きながらも、ダーシャは僕の前で封筒を開ける。中の手紙を見てパチクリ瞬き、僕に見せた。手紙には一言、『早めに子供を産んどけ』と書かれてある。


「なんだろねコレ?」

「漠然とした助言だな……」

「早死にするから……みたいな意味にも取れるけどね。よしきた」


 ダーシャは淡々とティーカップを置き、僕の隣に席を変えると、腕にぐるりと抱きついてくる。溜め息を吐き、湯上りで温い、石鹸の香りを放つ胸の感触を極力意識しないように、彼女の茶番に乗っかった。


「何するんだー」

「結婚にも興味ないけどね、どうせなら気が合う相手がいい。ボクたちはかなり合うと思うよ? 戦車の操縦だって抜群のコンビネーションだったじゃないか。うん、そう思えば、君ならパパも納得するだろう。軍人だし、ボクと年も近い。ありがたいことにボクは溺愛されていてね、政略結婚よりも好きな相手と結婚させたいと常々ぼやいているんだ」

「好意はありがたいけど僕は元軍人だし、いまだ職はない」

「軍に戻ろうと思えばすぐ戻れるんだろ? なぁ、頼むよ……あ、違うか、トータはリザと結婚するんだったね、これじゃ略奪愛になる」

「あぁ……その件については」


 説明が難しい、と続けようとしたところで、ダーシャが身を乗り出し、僕の耳に唇を寄せる。


「扉を見て……」

「扉?」


 客間の扉は、今はダーシャの後方にある。僅かに隙間が覗き、そこから赤く光る眼光が、殺意と共に僕に向けられていた。


「……ヤバイ」

「パンナトッティの後から一緒に出てきたんだけどね、恥ずかしいからって入ってこないんだ。たっぷり楽しませてくれよ? あぁ、そう言えば……君には命の恩も売っていたね?」


 ダーシャが顔を傾け、唇を頬に当てつけて、ワザとらしくリップ音を立てる。

 その瞬間に扉は開いて、赤い獣が襲いかかってきた。


「機械にしか興味ないとかウソだろ!」

「趣味は多い方がいいからね! 」


 リザに蹴り飛ばされる僕を眺めてくつくつと笑い、ダーシャは足を弾ませ部屋から出ていった。


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「このドスケベ、ヘンタイ、ナンパ男……」


 リザは僕の体をしこたま引っ掻き回し、殴り回し、蹴り回し、挙句の果てに燃やそうとまでした後、ソファーの陰に隠れて僕への悪態をつき始めた。これほどまで暴力を振るって、まだ怒ってるらしい。僕が立ち上がって近づくと、獣のようなうめき声を上げた。


 ちなみに残念ながら、リザはバスローブ姿ではなく、しっかりとシャツとショートパンツに着替えている。


「だから、謝ってるだろ。悪かったって。あの時は他に確実なのが思いつかなかったんだ……それに、ギリギリ触れてないだろ?」

「……っちぃ!」


 リザは大きく舌打ちをして僕に横顔を向けた。めげずにそのまま距離を保ち続ける。彼女の呼吸を感じるようにじっと側に控えていると、リザの方が根負けして、おもむろに口を開いた。


「ホントにビビったんだからな……」


 言葉とともに目を潤ませ、涙声でリザがそう言う。相当驚いたのだろう。


 僕は師匠と長く過ごしたことで、(直前のダーシャの影響もあるが)真似とはいえ、プロポーズやキスへの感覚がマヒしていたのかもしれない。それでも空を飛ぶほうが怖いと思うけど……彼女には彼女の基準があったのだろう。


「チビは別としても、ダーシャでもよかったろ、なんで、アタシなんだよ」


 頬に朱色を浮かべて、少し口ごもりながらリザは言葉を続けた。


 何故か、と言われれば、もちろんダーシャには操縦という役目があったこともある。あの状況では、もし失敗したら離脱する必要もあった。


 けれど、それよりも、なんとなくではあるけど、師匠はリザのことを特別に見ていた気がする。あの人は、好きなものを後から食べるタチだし、なにか特別な才能を持つ人を妬む傾向があるし、他にも後付けで理由を探すことは出来るけど、本当の所はただ単に「なんとなくそう思う」だ。


 ともあれ、事細かくリザに説明すべきことでもない。適当に話を切り替えよう


「それはそうとして、パンナトッティからリザに手紙を預かってるんだ」

「……あのチビから?」


 リザは怪訝に顔をしかめつつも、僕から手紙を受け取ってくれた。かと思うと豪快に封筒を破り、中の手紙を僕に手渡す。


「魔女には、自分宛の手紙を他人に読ませるルールがあるのか?」

「違う、字が読めないんだ。読んでくれ」

「僕で構わないなら……」


 気まずい思いで手紙を受け取り、リザに読んで聞かせる。僕やダーシャへの手紙とは違い、丁寧な文体でいろいろなことが書かれていたけど、僕が聞くべきではないことは、何一つ書かれていなかった。お礼の言葉が少しと謝罪の言葉が少し、魔法に関する助言。そして最後に、彼女の人生に大きく関わるであろう一文を読み上げる。


「……リザ?」


 顔を上げると、リザは呆然としたまま、両目から涙を流していた。僕の声で我に返

ると、慌てて涙を拭う。


「今日は、ホントにいろんなことがありすぎた……悪い、ちょっと待って……」


 溢れ出る涙を止めるように、リザは両手を両目に押し当てる。僕は何気なく手を伸ばして、彼女の跳ね返った髪をくしゃりと潰した。


「……さっきの、答えろよ」

「なんだっけ?」

「なんでダーシャじゃなくてアタシだったんだ?」


 意外にこの子もしつこいな……

 正直に話してもいいけど長くなるので、また少し誤魔化すことにしよう。


「前に言ったろ? 帰ったら一緒に暮らしたいって」


 拳が返ってくることを予想していが、しかし反応はなく、リザは頭を抱えて小さく丸まり、消え入るような声で返事を返してきた。


「……責任取れよ?」


 その後、僕とリザの生活がどうなったかは、また機会があればお話しよう。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 アンナ嬢とハーニャさんが目覚めたのは、僕もお風呂で身体を温め、借りていた銃器を返却するついでに整備していた頃、夕日も沈みかけた時間だった。


 寝起きに押しかけるのも躊躇したけど、メイドさんが「アンナ嬢がすぐ話を聞きたいと言っている」と僕を急かすので、失礼を承知で馳せ参じる。僕が部屋に入ると、二人共、寝間着姿のまま身を寄せ合っていた。


 ひょっとすると、まだハーニャさんの中に師匠がいるかもしれないと少し不安だったけれど、杞憂だったらしい。ハーニャさんは僕やアンナ嬢に酷く気まずそうな顔を浮かべていたが、アンナ嬢が固く手を握るたびに、幸せそうな笑みを浮かべた。


 師匠がどこへ帰ったのか、僕は知る術もない。


「……リボ?」


 事の顛末とパンナトッティとのやり取りを伝えると、二人は揃って首をかしげた。


「まぁ、月々無理なく返済せよとのことです」

「そうなんだ……」

「その代わり、死ぬまで彼女に借りを残しておけ、という意味でもあるのね。油断は出来ないだろうけど、とりあえず、よかったわ……」


 アンナ嬢が胸を撫で下ろして、ハーニャさんの頭を柔く撫でた。小さな声で、「ごめんね、ハーニャ」と囁くと、ハーニャさんは少し身じろいで、寝ぼけたようにその手に甘える。


 この二人は今後も前途多難だろう。僕も人のことは言えないが、とりあえずは、二人共が笑っているので、よしとしよう。


「トータもありがとう……なんというか、色々」

 僕を振り返り、アンナ嬢が微笑んでくれる。

「どういたしまして。それより、例の約束、覚えてますか?」

「えぇ、覚えているわ。約束するまでもないけどね、リザは私の家で雇ってあげる。ちょうどメイドの数増やしたいと思ってたし、あの子なら、用心棒にもなるしね……魔女コインの借金も、その金額ならなんとかなりそうだし……これになにが書いてあるかは、分かんないけど」


 アンナ嬢はパンナトッティからの封筒を取り出して苦笑を浮かべた。ハーニャさんも、自分宛の手紙を不安げな顔で見下ろしている。


「まぁ、なんとかするわよ。取り敢えずお風呂ね。それからのことは、その後で考えましょ……支度しなさい、ハーニャ」

「……うん」


 幸せそうに、少し照れくさそうに微笑む顔は、流石に従姉妹、よく似ている。


 アンナ嬢がハーニャさんを引き起こすのと同時に、僕も部屋を後にした。


 これでようやく今回の一件は閉幕だ。その後は揃って夕食を食べ、夜にはダーシャが馬車で帰った。リザはそのまま屋敷に泊まることになる。翌日、本人に働く気があるのかどうか聞いてみると、アンナ嬢は言っていた。


 僕は一人、アパートへの帰路を辿りながら、一人でパンナトッティの手紙を開いた。ダーシャが部屋に来る前も確認したけど、やはり、そこには同じものしか入っていない。城の中で使っていたカードと同じデザインのものが一枚。


 玉座に片手をついてお尻を突き出し、背中をひねってこちらを振り返り、頬に猫手を持ち上げ、キュートにウィンクしたパンナトッティの写真と共に、彼女のサインと、手書きのメッセージがたった一言。



 ――『☆☆☆☆☆☆ 【イタズラ魔女 ―パンナトッティ―】』

 ――『次回の参加も、待っとるぞ!』


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