第34話 魔女の巨像

 走りながら、どうやってアレを止めるかひたすらに考えた。


 もはや城とも戦車とも呼べない、曇天へそびえる巨大ロボットと化した常識外れの兵器は、吹き荒ぶ冷風さえ跳ね除けて直立し、全身から高熱と白煙を放って周囲の大気を歪ませている。準備運動のごとく胴体を捻る度に、けたたましい駆動音が大地に轟き、肩の煙突から火山のごとく蒸気が噴出した。


『どこッスかぁぁ? 優しくしてやるッスよぉぉ?』


 どこから声が出ているのか分からないが、雪原に師匠の……正確にはハーニャさんの声が響き渡る。城はキャタピラを足場にしたまま身体を捻り、頭部の展望室を回転させて、周囲を見回した。察するに、パンナトッティを探しているのだろう。


「何をどういう仕組みで動いてるんだ……」


 あんなもの作れるくらいなら、普通に帝国と戦争できるだろうに。

 生身でアレを壊せなんて、何をどうすればいい。アンナ嬢は僕が師匠と話し終えた後、目を開いたら忽然と姿を消していた。ダーシャも行方不明。ハーニャさんは身体を乗っ取られて囚われの身、元凶たるパンナトッティは力を失って子供も同然、僕は徒手空拳の歩兵、唯一の希望はリザ一人だ。深刻な戦力不足の上に、時間制限まであるときた。状況は絶望的だ。


『見つけたぁぁぁ――――ッ!!』


 嬉しそうな師匠の声が響き渡る。それと同時に、ロボットの腕が凪いだ。こっちまで風圧が来るほどの威力でアッパースイングを打ち放つ。空振りしたように見えたが、その腕の周りを飛ぶ影が一つあった。遠すぎてよく見えないが、鳥より大きい。目を凝らしていると突然、城の腕が赤い炎に包まれた。


「リザか!? ひょっとして飛んでる?」


 空を飛ぶ魔法の話題は今まで出なかったが……ひょっとして、パンナトッティに教えられてすぐ使えるようになったのか? 天才型の彼女なら有り得るとも思える。


 影は城ロボ(仮名)の腕に一撃を加えると、一直線にその場を離脱する。炎は城が腕を払うと消えてしまい、損害は見られなかったが、それでも胸が希望に高鳴った。


『今まで散々デカいツラしやがってクソチビがぁ! 生け捕りにしてブタの×××に座らせてやつッスぅ! ほらほらどぉ~したッスか! 遊びましょうよ!! ウチに任せときゃそのちっさい口と×××と×××に極太×××ぶちこんでぐっちょんぐちょんに×してやるッスよ! キャハハハ!!』


 あの小川のせせらぎのようなハーニャさんの声で、なんつー下品なセリフを、しかも大音量で…‥師匠、許すまじ。っていうか殺したいのか生かしたいのかどっちだ。


 空中では城の腕を掻い潜り、小さな影が飛び回って炎を吹き出している。一発一発が家を一軒焼き尽くせるほどの火力に見えるが、城が大きすぎる上に装甲板は直火に強い。真冬ほど寒くはないが、それでも氷点下は下回っているだろうし、凍ったフライパンをマッチで炙るようなものだ。物理的な効果は期待できないだろう。


「チクショウ……近づけない」


 戦況を見守りながらも走っていたが、未だに移動を続けるキャタピラに追いつける様子はなかった。いくら踏み固められているとはいえ、足場は雪、除隊してからも自主訓練は続けていたけれど、体力の衰えを感じた。


「ヘイそこの兵隊さん! 訓練中かい? そんなのやめてボクと遊ばなぁい?」

「……どわッ!」


 突然、僕の横を高速移動物体が通り抜けていった。衝撃で僕は転倒し雪を浴びせられる。訳も分からず顔を上げると、そこには戦車が立ちはだかっていた。それも、キャタピラではなく、底部が船の形になった特殊型、背中に車高に迫るほどの巨大な四枚羽を積んでいる。城に注意を払いすぎて接近に気付かなかった。


「戦車……なのか? どこからこんなもの持ってきた!」

「それが聞いてよトータすごいんだよ!! キャタピラよじ登って城の中走り回ってたんだけどさ! 車両倉庫みたいのがあって蒸気戦車がわんさかあるのか!! 取り敢えず動かせそうなやつ動かしてそのへん走ってたんだけどさ! スゴくない!? スゴいに決まってるよね! 本物なんだぜコレ!! くぅぅッッ!! ねぇボク死んじゃうのかな? っていうか幸せでもう死んじゃいそうなんだけど!」


 戦車の上から顔を出した少女……ダーシャが空を仰いで熱弁する。そう言えば、城には兵器がわんさかと積まれていると、最初の説明でパンナトッティが言ってたっけ。こんなの帝国に知れたら、本当に戦争が始まるぞ。

 ……と言うかダーシャ、君はどんなダッシュであの城に追いついたんだ?


「ともあれ助かった! 乗せてくれ! どうして操縦できるのか聞かないでやるよ!」

「ボクの家は軍人家系でね! パパやジーちゃんに操縦席を見せてもらったことがあるのさ!」


 僕が船型戦車によじ登ると、聞かないでやると言ったのに、ダーシャは自慢げに胸を張って自白した。どうりで人型蒸気戦車なんてマニアックなの知ってるワケだ。


「ん? 待てよ……ダーシャ? 君のフルネームって……」

「なに? フルネームはダーシャ・クラーラ・パヴロヴァだけど?」


 しまった……という顔を浮かべてしまった。苗字が元上司と同じだ。


「おやぁ? ひょっとしてパパの元部下だったりするのかな? これは面白そうだ。君に唇を奪われたと話したら、パパはさぞ驚くだろうね?」

「おぞましいことはやめてくれ……北壁つながりなんだから、一言くらい話題に上げろよ」

「ボクは機械にしか興味がない!」


 ダーシャはハッチから操縦席に飛び降りる。左右と正面、頭上や足元にまで無数の計器とレバーがみっちりと詰め込まれた戦車の操縦席だ。僕でも情報量の多さに追い付けず、動くことすら叶わないだろう。しかし、ダーシャは慣れた調子で迷わずレバーを三本操り、思いっきり足元のペダルを踏み込んだ。途端に煙突から黒煙が飛び出し、クランクが激しく騒ぎ始める。四枚羽は轟音を上げて回転を始め、煙突からの煙が白煙に変わると、雪上戦車はゆっくりと銀色の海へ乗り出していった。


「でもハーニャは特別……友達だよ、たまに迷惑だけどね」


 操縦席の窓から城ロボを睨みながら、ダーシャは言葉を続ける。


「アンナさんは迷惑がってるだろうけどね……でも、アレはアレでいいんだよ。散財した分に見合うかは知らないけど、現にこのボクが、機械にしか興味がないボクが戻ってきて欲しいと思う程度には味方が多い。リザだって、今日会ったばかりなのに、必死になってくれてるんだろ? ハーニャはね、そういう生き方なんだよ」

「本当に友達思いだな君も……」


 僕はハッチの隣に膝を立てて車体にしがみつき、城の上空を旋回する小さな影を睨んだ。リザは上空を飛び交いまだ戦っている。


「運転するので精一杯なんだけど、ボクはどうしたらいい!?」

「通用するとは思わないけど、とにかく撃ってみるぞ! 接近してくれ!」

「やめといたほうがいい! この戦車にはギリギリ機動力を殺さない重量の豆鉄砲しか積んでないし! 高速起動中に撃てばバランスを崩して横転しかねない!」

「なんだそれ! 意味が無さ過ぎる!」

「そうなんだよ! っていうか砲身を積んだことで雪上起動橇アエロサンみたく動けないわ火力ないわ見かけのワリに装甲薄いわそもそも夏場は使えないわで実用にいたらなかったワケだし……くぅぅ~~ッ!! 悪ノリとネタで作りました感がビシビシ伝わってりゅよぉ!」

「よくわからんフェチだな君も!」


 恍惚とした笑みを浮かべるダーシャを見下ろし、また正面を睨む。


 いくら雪上兵器として鈍足とはいっても、人間が走るよりは格段に早い。深い雪をかき分けながら進むキャタピラよりも速度は勝り、城との距離はぐんぐん縮まっていった。


「よぉ~~ッ!! イカしたヤツをくすねたな! やるのう眼鏡の小娘!」


 城が射程圏内(撃てないけど)に入ったところで、空からパンナトッティの声が降ってくる。見上げると、火を吹く小さな影が大きく旋回して、後ろから僕の隣に近寄ってきた。予想通り、影の正体は白樺の箒に乗った仏頂面のリザと、その背中にしがみついたパンナトッティの二人だった。


「リザ、飛べるなら先に言ってくれ」

「今飛べるようになったんだ! チクショウ……面白くない! チビの操り人形だ!」

「いやいや、お前さんの力じゃよ? すっさまじく吸収が早いのう! カチューシャより見込みがあるわい! ワシ思ったよりテンション上がってきたぞ!」


 パンナトッティはリザの背中から戦車の上に飛び移ると、ハッチに頭を突っ込んで、操縦席のダーシャをワシワシ撫でる。


「いいじゃろコレ! カッコイイじゃろ! よくぞこの機体を選んだ!」

「サイコーだよ!! この『うわッ! 戦車が雪の上走ってるよ』感がたまんない! 特にそれしか能がないところとかネタ感満載で笑えてくる!」

「気が合うのう! 今度茶会に誘いたいくらいじゃ!」


 ダーシャの駈る雪上戦車はいよいよ巨大キャタピラに迫り、頭上にはそのキャタピラさえも足場でしかない城ロボがそびえている。展望室の双眼が輝き、足元の僕らを見下ろすと、おもむろに右腕を差し向けた。


 その拳の上には、重戦車級の大砲がこちらに照準を合わせていた。


「回避! 轍を上れ!」

「つかまってろ!」


 ダーシャがレバーを五本引き、あるいは上げ、さらに深くペダルを踏み込む。煙突から勢いよく煙を吹き出し、戦車は轍の雪壁に突進した。入れ違いに爆音が轟き、後方で雪柱が上がる。


「「キャッホォォォ――――ッッ!!」」


 パンナトッティとダーシャの歓声とともに、雪上戦車は雪壁をよじ登り、僅かにジャンプして広大な雪原へと飛び出した、これまではキャタピラの跡に沿って走るしかできなかったが、一気に景色が開けて走行の幅が広がる。


「ダーシャ! 取り敢えず動き回れ! 狙われるな!」

「ワシらはもう一回空から行くぞリザ! 今度はもっと派手なのを教えてやろう! このまま魔力を削り続けてやれば、なんとかなるかもしれんのう!」


 パンナトッティが僕を土台にして、再びリザの背中に飛び乗る。


「トータ! ハーニャは展望室にいる! なんかウネウネしたのに包まれてたけど……あと、窓からチラっと砂時計が見えた! 残り時間が少ない!」

「わかってる! 気をつけなリザ!」

「なにをどう気をつけろって言うんだ!」


 リザは箒を持ち上げると、風に吹かれたように上空へ舞い上がっていった。見上げて見送り、続いて操縦席のダーシャに声をかける。


「作戦はあるかダーシャ!」

「ないね! アレをどうやって動かしてるかずっと考えてる!」

「もう魔法じゃないのかアレは!?」

「違う! ちゃんとグリスと高熱水蒸気の匂いがする! シャフトやクランクも動いてる! 燃料は石炭じゃないかもしれないけど、動力源はボイラー! 筋力は蒸気だ! 動いてるカラクリはこの戦車と変わらない! だからこそ操作方法が見当つかないんだ! あんなの動かそうと思ったら二十人じゃ足りないよ! きっと人型戦車みたいに魔法で操作してるんだと思う!」

「肯定! 冷静な分析だな! 砲撃くる! 左に回避!」


 車体にしがみつくと、すぐ右手に砲弾が打ち込まれ雪柱が上がった。降りかかる雪を振り払い、思わず、「僕まで殺す気か!」と叫びかけたが、「いやぁ、トータはこれくらいで死なないっしょ」と師匠の声が聞こえた気がするので、押し黙ることにする。


 そう言えば、師匠は触手的なものに縛られていると言った。パンナトッティの魔力を受け取るためだと思ったけど、それを媒介に指令を伝達しているのかもしれない。どうあれ、師匠一人で動かしていると思えば、なんとかなるような気もしてくる。


 ごう、っと、大気が喰われる音がした。城ロボの上半身を赤い炎が包み込み、そのまま空まで火柱を登らせる。リザの魔法だろう、それもこれまで以上の威力だったが、風に吹かれて火が消えると、無傷の城壁が出現し、難なく小さな影に拳を打ち込む。リザは急降下し直撃を回避、下半身へもう一撃、森を焼き払うであろう猛火を浴びせかけた。


「……効いてない!」


 だが、城ロボは何事もなかったかのようにリザを睨みつけ、その兜の両耳から砂粒のような弾丸を撃ち放った。


「機関銃まで積んでるのか! 距離的に当たることはないだろうけど、リザの攻撃も通ってない!」

「むしろ、それしか積んでないのかとツッコミたいところだな!! トータ! 他に武器みたいのは見えない?」

「目視はする限りない!」

「それは兵器としてどうなんだぁ!!」


 戦車は四枚羽を唸らせ、キャタピラの前方に回り込む。先導するような位置についたが、こちらに攻撃力がない以上、どうすることも出来なかった。


「なんとか主砲を撃ってみるか!」

「だからやめといた方がいい! 確実に車体がひっくりかえる!」


 僕の提案をダーシャが切り捨てる。それは兵器としてどうなんだ。


「ホントに残念要素しかない機体だな!」

「かっこよさ重視なんだよ! でも、この機体や城がパンナトッティの趣味なら、アレにも残念なトコロがあるかもしれない!」

「なんだよ! 実は歩けないとか!?」

「かもしれないね!」


 思えば、城ロボは二本足で立ち上がったものの、キャタピラを足場にしたまま動いていない。当てずっぽうだけど実は正解なのだろうか、だとしたら、バランスさえ崩せば簡単に転んでくれるかもしれない、そうすれば展望室に直接攻撃を仕掛けられる。けれど、問題はどうやって崩すかだ。人間に例えれば、足をかけるか、背後から引き倒すか。いずれにせよ、アレにそれが可能なほどの質量をぶつける必要がある。いくらなんでも、炎に質量を持たせることは出来ないだろう。


「質量、物理……岩、雪、風……雪崩! いや、ダメだ……さっき変形した時の音で近場の山はほとんど崩れてる、風もそこまで強くない……なにか、他に使えるもの」

「ねぇトータ! なんか暗くなってない!?」

「いや、日も気温も高い、いきなり暗くはならな……」


 顔を上げて、言葉を止めた。ダーシャの言う通り、僕たちを包むように深い影が差している。まさか、師匠が体当たりにでも出たか。戦慄して僕が振り返ると、すぐに影の正体が分かった。



 巨人だった。

 立ち上がったパンナトッティ城と頭を並べるほどの雪の巨人。

 あるいは人の形をした雪像、それも、美しい曲線を誇る女神の巨像。

 いや、女神はこの国にいないか……いるのは、魔女だ。


「……返せ」


 雪の巨像の、胸のふくらみに仁王立ちした、小さな女性がそう呟いた。

 声として聞こえるワケはないけど、頭の中に彼女の声が響いた気がした。

 次の瞬間には、蒸気機械の騒音も風の音も打ち負かし、彼女の声が音として轟き渡る。


「ウチの子返せぇぇぇ――――ッッ!!!」


 アンナ嬢の甲高い絶叫と共に、雪の巨像が翻る。さながら達人の如き鋭さで大地を蹴り、腰を捻り、パンナトッティ城の胸部に見事な拳を滑り込ませた。

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