第31話 動かない

「キャッホゥ! なにコレなにコレどうなっちゃってんの!? すっげぇ! こんなの有り得る? マジかよ! マジだよ! とんでもないよ! こんな質量動かせるボイラー聞いたこともない! 圧力どんだけだよ! 川じゃないんでしょ!? 陸だよねコレ! キャタピラでっけぇ! 履板一個でウチの庭くらいあるんじゃないの? ねぇ見える!? アレ煙突かな!?」

「落ち着けダーシャ! 窓から乗り出すな危ない! っていうか服を着ろ服をぉぉ!せめてパンツくらい穿けぇぇ!!」


 僕が顔を伏せている上で、なにやらリザとダーシャが揉み合っているらしい。目を開けたい誘惑に駆られていたが、流石にダーシャに申し訳ないのでぐっと堪えた。


「ねぇリザ! 機関室行きたい機関室! どこにあるのかな? っていうかいくつあるのかな!? だって一個のボイラーでこんだけの圧力出すの無理だもん! どうやって動かしてるのかな! 設計士! 設計士に会いたい!」

「わかったから! わかったからこれ着ろ! トータがチラチラ見てるだろ!」

「失礼だな見てないぞ! まだ!」

「っていうかお前、ホントにデカいなそれ! なに食ったらそんなになるワケ!?」


 リザの言うそれはおそらく蒸気城ではなく、ダーシャの財産のことなのだろう。頼むから、僕を誘惑しないで欲しい。


 ともあれ、駆動音に混じって衣擦れの音も聞こえて来たので少し安心した。もう着たのだろうか、まだ着ていないのか。少し見て確認すべきかもしれないが、途中だった場合はリザに鉄拳を食らう羽目になる。しかして、見たい。


「ぎゃぁぁ!! だから外に出ようとすんなって! おいトータ! いつまでそうやってんだよ! 手伝え! ダーシャが落ちる!」

「見ていいならそう言ってくれ!」


 僕が顔を上げた瞬間、誰ともなく「あっ」と、声を漏らした。続いて、リザの悲鳴とダーシャの歓声が響き渡る。


「ぎゃぁぁぁ―――――ッ!!」

「デカぁぁぁ――――いッ!!」


 僕が立ち上がった時には、既に二人は窓から滑り落ちていた。リザは雪に悲鳴を叩きつけながら、ダーシャは城を仰いで両手を突き上げながら。パンナトッティよろしくどんどん姿が小さくなって、くしゃりと厚い雪に埋まる。積雪がどれだけあるのか分からないが、どのみちあれでは生き埋めだ。今すぐ飛び降りて助けに行きたいけれど、僕まで埋まる訳にもいかない。それに、一人忘れてる人が居る。


「何がどうなってるんだチクショウ!」


 僕は走って階段へ向かった。段差を無視して踊り場まで飛び降り、また飛び降りる。自由落下にも近い速度で一階に戻ると、ベッドに駆け寄ってアンナ嬢を揺さぶった。


「アンナ嬢! 大変です! 落ち込んでる場合じゃないですよ! 来てください!」

「……行かない」


 頭からシーツに包まり、膝を抱えたままアンナ嬢は力なく答えた。


「ハーニャを助けに行くんでしょ……なら行かない。私、あんな子いなくなった方がいいもん」


 だめだ、完全に拗ねてる。師匠めまた面倒な……かわいそうなことを!


「心からそう思ってるわけじゃないでしょ? あんなに仲良かったじゃないですか」

「そう見えた? 女ってね、仲良く見えるほど仲悪いの」

「そういう話は聞きたくありません……ハーニャさんの件は置いといて、とにかく来てください。早く脱出してリザやダーシャも助けに行かないと……アンナ嬢!」


 僕の呼びかけに、アンナ嬢は僅かに顔を上げる。泣きはらした赤い目で少しだけ僕を見て、また顔を伏せた。


「……イヤ、何もしたくないもん」

「子供ですか貴方は……」

 

 溜め息を吐き、逡巡する。無理矢理にでも抱えて窓から飛び降りることは出来る。だが、このままではその後の戦闘中に行方不明になりそうだ。それに、リザやダーシャを助けるにはこの人の力が要る。人型戦車と戦った時のように、蒸気を操れるのなら、きっと雪も操れるだろう。魔法でも使ってさっさと掘り起こさなければ、二人が窒息か、凍死してしまう。


「ハーニャさんに、少し意地悪したかっただけなんでしょ? アナタが僕に言ったじゃないですか。人の上に立っていれば、そういう誘惑に駆られることもありますよ」

「少しじゃないもん……死ねばいいと思ってたもん」


 拳を握り、歯ぎしりと共にアンナ嬢は言葉を漏らし始める。


「あの子がどれだけ私に迷惑かけたか知ってる? 犬や猫を拾ってくるならまだしも、浮浪者まで拾ってきたり、家中の食べ物や機材を持ち出して、貧民街で炊き出ししてたり。馬が欲しいと言われれば、勝手に馬を譲り渡した。お金が欲しいと言われたら、金庫を破ってでもバラ撒いた。あの子は叔父様や叔母様の財産を命まで削り落として何の見返りもない施しを撒き散らした。挙句の果てに品のない連中が屋敷にお仕掛けてくる。もっともっと、もっとよこせって、それでもあげちゃうのよあの子……だわ……よ、あの子……なのよ、あの、……、死んじゃえばいいの」


 泣き崩れながら、アンナ嬢は聞くのも憚られる悪態を吐き出した。


「アンタが悪いのよ、トータ……アンタが北壁帰りだって聞いたから受け入れた。北壁の連中はどいつもこいつも野獣みたいで、女と見ればすぐに襲うって聞いてたから。ハーニャと引き合わせたら都合よく襲ってくれると思ってた。痛い目見れば、少しは変わるかもと思ったし、あわよくばそのまま死んでくれたらもっと良かった。アンタがもっと、悪い奴だったら……アンタが……」


 アンナ嬢はそこまで言葉を吐き出すと、深く膝を抱え直して僕に背を向けた。


 どれだけこの人は、その小さな体に膿を溜め込んでいたのか……城の駆動に揺られながらひたすら耳を傾け、アンナ嬢がそれ以上言葉を続けないのをみると、僕は立ち上がって窓を蹴破った。眩いほどの雪原が眼球へ迫り、凍てつく北の息吹が頬を撫でる。


「なによ、さっさと行きなさいよ……触んな」

「僕は打たれ強いのが取り柄でね。どれだけ言われようがなんともないですよ」


 僕はアンナ嬢をシーツごと横抱きにして、窓へと向かった。


 僕の母親はヒステリック気質だった。事あるごとに甲高い悲鳴を上げ、喚き散らして、僕や父さんを殴りつけるような人だった。そんな人に幼少期を育てられ、思春期の多感な時期を一年もの間、飛行船であの師匠と二人きりで過ごした。その時に師匠とも、随分とこんなやり取りを繰り返したことを思い出す。なにかのきっかけで溜め込んだものが爆発した後、急におとなしくなってメソメソ泣いたら、次にぶつぶつと汚い言葉を吐き出し始め、灰汁を全て出し切ってひと眠りしたら師匠は元に戻っていた。僕の母さんも同じだ。獣のように怒り狂った後は、元の優しくて、頼もしい、強い女性に戻っていた。


 多分、みんなそういう構造なんだろう。師匠も母さんも、アンナ嬢も、普段はとても優しいから、溜め込んでしまって、澱んでしまって、けれど、一度堰を切って吐き出せば、きっと元の透き通った優しい笑顔に戻ることが出来るだろう。


 少なくとも僕は、そういう風に信じている。


「僕が屋敷でハーニャさんに抱きついてしまった時、アンナ嬢はハーニャさんを助けてくれたでしょ。あの時、アナタのことをご家族思いの良い方だと思いました。僕はアナタから先にご信頼を頂きましたので、それにお応えするまでです」

「……バカ」


 僕はアンナ嬢を抱えたまま、窓の外へ飛び出した。その瞬間に身体を捻り、僕が下敷きになるように、城の横顔がよく見えるように、空を仰ぐ。


 曇天まで高くそびえる巨城は頭の上から煙を噴いて、まるで怒っているかのようだ。どこに向かいたいのやら、どうやって壊せと言うのやら。無理難題に呆然としたところで、僕は雪に埋まった。

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