四章 VSパンナトッティ城

第30話 動く(物理)

 時間は少し遡る。


 僕は一階でアンナ嬢を介抱した後、リザと共に階段を駆け上がってダーシャの元へ向かっていた。介抱といっても、カードを使って汚れた服を着替えさせ、ベッドに寝かせただけなので、そう時間は取られていない。まだ師匠は、パンナトッティの部屋に入る直前だった。


「無理しなくていいぞリザ、アンナ嬢を一人にもしておけない、戻ってくれ」

「どうしてもお前に話がある。後でいいから聞け!」

「僕も君に話がある。やっぱり君とは気が合うな!」


 師匠があの場を去った後、リザはすぐ立ち上がることが出来たが、アンナ嬢は重症だった。意識はあったが、近寄って話しかけても、意味を成さない言葉を並べてぐずり泣くばかりで、自分が失禁したことすらも気づいていない様子だった。おそらく、コンプレックスやトラウマを深くえぐられたのだろう。師匠は人殺しをしない代わりに、そうやって人を苛めることが大好きだ。


 五階に辿り着き、六階、七階と駆け上がると、ダーシャはそこにいた。ベッドの上でシーツにくるまり、僕らの足音にも反応も見せない。その様子と、床やソファーに衣服が散乱しているのを見て、僕は何が起こったのか確信した。


「ダーシャ! 大丈夫かよ!」

「大丈夫か大丈夫じゃないのか……これは定義によるな」


 リザがダーシャに駆け寄る。僕はその場で立ちすくみ、奥歯を噛み締めながらも、目だけで下着を探した。パンツが二着とブラが一着。ダーシャは元々ブラをしていなかったから数は揃っている。それ故に、深刻だ。


「ダーシャ! あいつに何されたんだ!?」

「放っておいてくれぇ……ボクは、ボクは汚れてしまったんだぁ……」


 リザに揺り動かされながら、ダーシャが涙声を出す。

 師匠の話しぶりと状況から察するに……盛大にパックンされたのだろう。

 すまない、ダーシャ……ウチの師匠が本当にすまない! どうか、犬に噛まれたと思って立ち直ってくれ。


「おいダーシャ……まさか、お前……」

「貞操に興味は無いなんて言ったけど、あれは……あんなのヒドすぎる……まさか、あんなコトまでするなんて……ぅぐ! ふ、深すぎる! やめろ……それ以上したら……ぁ、あぁッ! わぁぁぁ――――ッッ!!」

「おいダーシャ! しっかりしろぉ!」


 謎めいた言葉を発し、ダーシャは枕に顔を埋めてしまった。すまない……本当に、身内がすまない……


「リザ、ダーシャはそっとして置いてやろう。きっと大丈夫だ。生殖はしない」

「そういう問題じゃねぇだろ! お前同性に襲われる怖さ知ってんのか!」

「残念ながら北壁で経験済だ! 未遂だけど! 未遂だけど!」

「あんのかよ!」


 そういう君こそ知ってる風な言い草だな! と、言いかけたがやめておいた。


 思えば、裏街で生まれ育ったならそういう場面も目撃していておかしくはない。性に緩いこの国では同性愛も青○も暴行事件も日常茶飯事らしいし……いや、色宿が多いおかげで性犯罪率が極めて低いとのデータもあるとかないとか……分からんな。


「いや、違うか……さっきのアレを思えば確実にキスも未経験……ぐはッ!」


 つい言葉に漏らした瞬間、僕はリザに殴り飛ばされた。続いて馬乗りで胸ぐらを掴まれ、小声で脅される。


「いいか、さっきのオレのことは忘れろ……あれは、アイツの魔法でなんかおかしくなっていただけだ、いいな?」


 犬歯を剥きながらも、耳まで赤く染めたリザに、僕は頷いて返した。


「もう一つ訊きたい……お前、ハーニャの身体を乗っ取ってる奴と知り合いなのか? なんか、そんな口ぶりに聞こえたぞ……」

「リザ、そのことは忘れろ」


 僕はまっすぐにリザの目を見て、真剣さが伝わるように言った。


「はぁ? おかしいだろ、アイツのせいでオレらは酷い目に……」

「保証する。あの人は二度と立ち直れないほどの仕打ちは絶対にしない。君が僕を信じて黙っていてくれたら、僕も、お嫁さんになりたいだとか、初めてのキスはちゃんとしたいとか……そんなセリフ忘れることにする」


 リザの言葉を切り、卑怯だとは思いながらも、取引を持ちかけた。


 師匠が僕の前に現れたということは、そもそも、もう隠す必要もないという事かも知れないけれど、詮索されるのは危険だ。僕にとっても、リザにとっても。だからこれは、卑怯で幼稚だけど、必要な取引だ。


 リザは僕と目を合わせたまま、喉を鳴らしてしばらく考えていたが、やがては飲み込んでくれたのか。僕の胸ぐらを解いて立ち上がってくれた。


「でもどうするんだ……ハーニャが連れて行かれた。アンナとダーニャはこのザマだ。残り時間は……」


 リザの視線に合わせ、僕も暖炉の上の砂時計に視線を送る。元々、一休みしてからパンナトッティに挑み、やや時間が余るという程度だった。あれからさして時間は経過していないが……一つ一つの問題を解決していたら、間に合うかどうか。


 それに、師匠の思惑がまだ分からない。僕の共感能力は、四肢の感覚や痛みなどは明確に、感情はぼんやりと流れ込んでくるものの、頭の中の思考は全くといっていいほど流れてこないのだ。


 師匠がどんな気持ちで何をしているかは、大体分かるのに、それが『何故』なのかは推察するしかない。


 今、心から楽しく、僅かばかりの畏怖を秘めて、師匠はパンナトッティと戦っている。決着までどれほど時間がかかるか分からないが、僕らはそれが終わるまで手出し出来ないのが現実だ。


「……ん?」

「どうした?」


 不意に、師匠の異変を感じる。唐突に戦闘が終わってしまったのだ。

 呆気にとられる師匠、それに恐怖が続き、プツリと共感が途切れてしまう。


 眠らされたか……いや、それならそれとして分かるはずだ。何者かに接続の糸を切られてしまったかのような、嫌な感じだ。


「……揺れてる」


 リザが呟いた。揺れは直ぐ、僕にも分かるほど大きくなる。部屋全体が上昇しているかのような感覚がした。驚いて窓を振り返るが、外の景色には変化がない。相変わらず敵地の拠点が見えているだけだ。


「伏せろリザ!」

「地震……っぽくはないな、なんだ……」


 床に伏せる僕の一方、リザは目を細めて部屋を見渡す。激震の中でバランスを保ち、狼のごとく鼻を掲げ、唐突に横へ飛んだ。僕の反応よりも早く、床を歩いていたソレに蹴りを打ち込む。


「ぷぎゃぁッ!」


 小さな人形が壁に跳ね返り、ポテンと床に落ちた。黒い三角帽子に黒いワンピース、黒いビーズの目とフェルトを縫い合わせただけの口しかない簡素な顔立ち。


 ミニパンナトッティがむくりと床に立ち上がる。


「ひ、ひどい……来た途端になんじゃコイツ! 判断早すぎじゃろ!」


 ミニパンナトッティの声は、これまでのものとは明らかに変わっていた。

 一度だけ手鏡越しに聞いたような、ついさっきまで聞いていたような、幼い少女の悪戯げな声だった。


「『パラッパッパッパー!!』」


 ミニパンナトッティが短い両手を振り上げる。その途端、腕がぐにゃりと伸びた。続いて両足、リザをドン引きさせながら胴体がポォンと膨れ上がる。最後に頭が風船のごとく膨らみ、パァンと高らかに弾けると、世にも愛くるしい魔女がご登場した。


「呼ばれず出てきてドンガジャガ! オチャメでキュートなイタズラ魔女! カワイイその名はパァ~ンナトッティ! キャピッ!!」


 身体と腕をくるりと捻り、大きな瞳でウィンクを放ち、ハートマークを撒き散らし、パンナトッティその人が僕らの前に見参したらしかった。


 不覚ではあるが、その眩しさに一瞬目が眩んでしまう。手鏡で見たときには感じなかった圧力が、全身をビリビリと打ち付けるようだ。まさか……本物はこんなにカワイイのか!


「お~っと、そこの小僧……今、『きゃッ! 本物じゃない! どうしよう! テレビで見るよりぜんぜんカワイイ!!』って思ったじゃろ? 良いぞ良いぞ! 愛い奴よのう! CDを五百枚買ったら五秒握手してやらんこともないぞ? ふぎゃぅッ!」

「なんだこのチビは」


 可憐さの化身たるパンナトッティのほっぺたを、野性味あふれるリザの手がぷにゅりと挟み込んだ。羨ましい。


「お、おまっ……お前マジか!? ワジじゃぞパンナトッティじゃぞ!? 一応六大魔女なんじゃが!? 『愉悦のマルタ』とか呼ばれてるんじゃが!?」

「えっと……おい、トータ、この子供どうしたらいい?」

「ご本人だ! 離してあげて!」

「そんなワケないだろ、さっきの奴みたいに怖くないぞ? 六大魔女ならもっとなんか、こう……あるんじゃないのか?」

「や、やめッ……やめろバカモノ! ワシのほっぺをぷにぷにするなぁッ!」


 怪訝に眉を寄せるリザに弄ばれるまま、パンナトッティはブンブン両手を振り回す。まるで不良に絡まれる子供のようで絵面がマズい。さきほど師匠を軽くあしらっていた本人なら、睨むだけでリザの身も危ういだろうに、何がどうしたんだ。


「せ、せちゅめいすりゅ! せちゅめーすりゅかりゃ! はなしぇ! はなしえ!」

「おっとすまん……あんまりプニプニだったもんだからつい」


 リザはぷるッと弾ませてほっぺたから手を離した。パンナトッティは涙目を浮かべつつ、赤く染まった頬を撫で、その場に立ち竦む。揺れはさらに酷くなってきているというのに、二人共、対したバランス感覚だ。


「はぁぁ……全く、小娘にナメられるなんぞ久々じゃわい。思い付いてみるもんじゃな。正直、ちょっとオイシかったぞ小娘、出来るなお前!」

「どうでもいいから早くしろ、なんなんだお前は……」

「おう! そうじゃったそうじゃった! 一度しか言わんからよく聞けよ? お~い! そっちの小娘、お前も聞いとけ」


 パンナトッティに呼びかけられると、シーツを被ったままのダーシャがもぞもぞ動き、隙間から僅かに瞳を覗かせた。この異常事態に意地でも出てきたくないのか……出てこれないのか……そう言えば、服が全部散らかってるってことは全裸なのか今。


 僕が余計なことに気を取られるうちにも、パンナトッティはミュージカルの如く踊り始めた。



『緊急指令!!【ドタバタ! スチーム・パンナトッティ城破壊作戦】発動!! 


―あらすじ―

たいへんたいへん! 大事件じゃ!

ワシはイタズラ魔女のパンナトッティ!

ワシがイタズラのために作った『スチーム・パンナトッティ城』あるじゃろ?

なんと! アレが悪い魔女に乗っ取られてしまったんじゃぁッ!

ふぇぇ、せっかくガンバって作ったのにぃ……ゆるすまじ!

このままだと悪い魔女が世界を焦土に変えてしまうぞ!

ワシは城と一緒にほとんどの力を奪われて戦えん……お前だけが頼りじゃ!

死力を尽くして『スチーム・パンナトッティ城』と戦えぃ!

遠慮はいらんぞ! 今年の祭りもフェナーレじゃ!

盛大にぶっ壊してしまえ!


―イベント内容―

① パンナトッティ城から脱出して外に出よう!

② なんとかしてパンナトッティ城を破壊しよう!

世界の命運はお前にかかっておる! ガンバレ!』



 最後にパンナトッティはテーブルの上へ飛び乗り、『キャピッ』っと、ぶりっ子ポーズで締めくくる。僕は察して、頭を抱え、しばらく唸った後、立ち上がって彼女のほっぺを鷲掴みにした。ホントにプニプニしてる。


「ぷにゅぅ! 何をするんじゃお前まで!」

「どういうことですか……どういうことですかぁぁッ!!」


 あの展開で師匠が勝つとは思えない。最後に「イイコト思いついちゃった!」とか言ってたのはこのことか! 雑にも程があるぞ!


「まさか! ワザと負けたんですか!」

「違いますぅー! 油断したんですぅー! 思った以上に強敵だったんですぅー!」

 どうやら……自分の閃きやその場の面白さが重要で、プライド等はないらしい。

「よく分からないんだけど、とりあえず、城と戦えってどうするんだよ?」

「外に出て見ればわかるじゃろ。へぃ! 窓オープン!」


 僕の手を振り解くと、パンナトッティは助走をつけて嵌め殺しのへ蹴りを入れる。途端に『ガコン』と音がして窓が外れ、ガラスに映っていた敵国の景色ごと下に落ちた。


「「……はぁッ!?」」


 僕とリザの声が重なる。

 外には、どこまでも続く曇天の雪原が広がっていた。思い出したくもないが、この季節にこれだけ雪が残っているのは、北の国境、『北壁』近くしかあるまい。窓に映っていたのは西側の国境のはずだ。


「あの景色、絵だったのか!」

「よく出来てたじゃろ? 各階分ビミョーに角度変えて描くの大変じゃったんじゃぞ?」

「っていうか寒ッ!!」


 暖炉で温められていた部屋が、猛烈な勢いで冷やされていく。空は銀色の曇天で覆われ、吹雪いてこそいないが、緩やかに雪が降る天候だ。明るさからして昼間のようだけど、寒いには変わりない。露出の多いリザは裸肩を抱きしめてブルリと震え上がる。そりゃ寒いだろう。見てるだけでも寒い。そう言えば僕も上はタンクトップ一枚だったのでかなり寒い。


「キャハハハハハッ! いいのう! テンションアガるのう!」


 一人高笑いを浮かべていたのはパンナトッティだった。テーブルから窓に飛びつき、輝く瞳で雪原の果てまで見渡すようにして、力強く足を踏み出す。


「行くぞモノドモ! 最終決戦じゃ! ちょわーッ!!! ……あ、しまった箒が出せない! ぎゃぁぁぁぁ!!!」


 飛び出した瞬間、指を鳴らして何かに座るような仕草を見せたパンナトッティだったが、そのまま何事も起こらず甲高い悲鳴と共に下へ落ちてしまった。


「ウソだろ!」


 駆け寄って窓に乗り出し、パンナトッティの姿を目で追った。高さは樫の木の三倍ほど。真下は一面の雪原。パンナトッティは真っ逆さまに落ちるまま、頭から雪に突っ込み『ぷきゅぅッ!』と悲鳴を上げる。取り敢えず、即死はしてないだろう。


「……ウソだろ?」


 パンナトッティを見届けた後、僕はそのまま後方へ視線を滑らせた。


 そう、『後方』だった。

 すなわち進行方向の逆。推進状態にあるもののみに限り正確さを得る表現。


 この城は動いていた。けたたましい駆動音を轟かせ、空が歪むほどの熱を吐き出し、雪原に巨大なキャタピラの跡を刻みつけて、船のような速度で前進していた。


 窓の外は上下左右、全方向に壁が続き、目視出来るだけでも人型蒸気戦車の数百倍はありそうな表面積だ。質量にすれば数千倍、数万倍、それだけの重量を持つ何かが動いているとう事実に、目の前が真っ白になりそうだった。


「……火と、水と、鉄の鼓動が、聞こえる」


 不意に背後で声が咲いた。振り返れば、ベッドの上でダーシャが立ち上がり、シーツをするりと脱ぎ捨てる。現れた白肌に目を背けた瞬間、けたたましい駆動音を少女の絶叫が打ち消した。


「蒸気機関だぁぁぁ――――ッッ!!」

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