第29話 イタズラ魔女のパンナトッティ
正直なところ、僕は師匠と一年間も過ごしたせいで、魔女に関する知識が十分にある。借金システムについて半信半疑に語るアンナ嬢を見るに、この国の一般的な魔女よりも詳しいのだろう。
魔女達が『お人形』と呼ぶ魔法は色々と形態があり、文字通り、ミニパンナのような愛らしい姿にされる、と言った場合も存在するには存在する。(ミニパンナは多分、そうじゃないだろう)けれど、一般的には、単なる主従契約のことを指す言葉だ。
ただ、書類上のやりとりではなくて、魔法による行動制限や肉体支配だから、契約の度合いによって色々と強制的な力が働いてしまう。
例えば、かなり制限が緩いながらも、師匠のお人形である僕には、一方的な感覚共有能力がある。
距離や一緒に過ごした時間によって衰えたり強くなったりする能力で、四年も離れて暮らしていたから完全に無くなったと思っていたけれど、さっきの一件(主に粘膜接触)によって一気に覚醒したらしい。今は師匠の五感や感情をはっきりと感じ取ることが出来た。
これから伝えることは、僕の身体から離れた場所で起きる、彼女の物語だ。
「パぁ~ンナちゃん、あ~そ~ぼ~?」
師匠が十階の階段を上ると、全面ガラス張りの展望室に出た。吹き抜け三階ほどの高さがあり、ちょっとした広場程度に開けている。壁や床に装飾はないが、窓の外には満天の星が輝き、角笛のような三日月が明るく天幕を飾っていた。
広々とした展望室にあるのは玉座がただ一つだけ。そこには小さな女の子が頬杖をついている。
細木の枝のような手足、人形じみた痩躯、頭だけが丸々として大きく、愛らしい。
大粒のダイヤモンドのような瞳で師匠を睨み、長いまつげをふるってパチクリ瞬き、パンナトッティは頬杖をついたまま溜め息を吐いた。
「えぇっと……取り敢えず言わせろ? うわ、マジでその水着着ちゃったの? 流石に引くわぁ~、マントしてるところがさらに痴女度増してるわぁ~」
「なんスか! 超絶オシャンティーじゃないッスか!」
師匠はマントを広げてくるりと周り、裸みたいな紐水着を見せつける。
「アンタが用意したんじゃないンスか? 下のオチビさんは褒めてくれましたよ?」
「カードのデザインは色んな魔女が悪乗りして手伝いおったからなぁ……」
パンナトッティは足を組み直し、顎をしゃくってさらに上から師匠を見下ろした。
「ワシの祭りに水を差したのはイケ好かんが、度胸に免じて応対してやろう。何の用じゃ? っていうか、お前誰じゃ?」
「あらま、何回か会ったことあるッスよ?」
「そうかの? 雑魚に興味はないもんでな」
「雑魚?」
師匠はコトリと首をかしげ、そして、口を左右に引き裂くような、例の独特な笑みを浮かべる。
「それでは改めて自己紹介をば。ウチは六大魔女が一人、『沈黙のクラーヴディヤ』が三番弟子、『エカテリーナ』ッス。でも、気軽に『カチューシャ』って呼んでください。その方が気に入ってるんで」
師匠は左手でマントを大きく開き、胸の前に右手を添えて、深々と頭を垂れる。
パンナトッティは師匠の名前にも眉一つ動かさず、気怠そうに言葉を返した。
「ほうそうか、それでワシに何の用じゃ?」
「仕事ッスよ。不本意なお祭りでパンナちゃんもお疲れだと思いましてね、師匠から特権借りて来ちゃいました。ホントはもっと早く来たかったんスけどねぇ……なかなかイイ感じに借金してる子が現れなかったもんで」
師匠は弾むようなステップで玉座へ向かう。その足跡は氷柱となって絨毯に刻まれ、静謐な展望室に刃の花を咲かせていった。
「あぁ、どうして今回の祭りにアクショーノヴァの連中が呼ばれたのか不思議じゃったが……納得した、お前らの仕込みかい」
「ありゃりゃ、分かっちゃいました?」
「で、お前さん仕事なのか遊びなのか、どっちじゃ?」
「仕事で遊びに来たんスよ。つまりはまぁ、ゴキゲン取りの接待ッス。このままお祭りが終わったら、パンナちゃんヘソ曲げちゃうじゃないッスか? 最後には大暴れさせてあげようって、こっそり魔女会議で決まりまして」
「大暴れ? はぁん? ワシが大暴れしたらこの国が滅ぶぞ」
「はぁん? 何言ってんスか? 旧世代のウンコクズのクセに」
ぱぁん、と、音が弾けた。師匠のマントが揺れた程度で、なにが起こったか分からない。けれど、何かが起こった余波なのか、後頭部で団子に丸めた師匠の……正確にはハーニャさんの髪が解けて、ふわりと背中へ靡く。
「あれれ? 怒っちゃいました? ホントのこと言われて怒っちゃったんスか?」
師匠はハーニャさんの髪を指に絡め、香りを愉しみながらクツクツと笑う。
パンナトッティはいまだ玉座から動かず、頬杖をついたまま師匠を見下ろしていた。
「ウチねぇ……一個だけ許可貰って来たンすよ。今日だけ、今日一日だけ人を殺してもいい許可ッス。いやぁ、ひさびさなんて流石にテンション上がっちゃうッスよねぇ? 殺したい、殺したい……早く殺したいなぁ……」
師匠のマントがはためき、冷気が逆巻く。冷気は氷の礫となって師匠を取り囲んだ。そのまま氷の礫は師匠の周りを周回し、弾丸の如く加速していく。
「枯れ木のクセに王様気取ってる老害なんか、特に!」
その瞬間、玉座は赤い炎に包まれた。氷は囮。そっちが師匠の本命だ。炎は瞬く前に竜巻と化し、パンナトッティを巻き込んで三日月へ向けて打ち上がる。そのまま空まで貫く勢いだったが、天井のガラスに触れると八方向に分かれて火花と散った。
「ほ、ほ~う……またあざとい挑発じゃと思ったが、違うのう……」
玉座の直上。火柱が霧散したその天井に足を突き、三日月を足蹴にして逆さまのまま、パンナトッティが「ップッ!」と吹き出した。
「キャハハハハハハハ!!!!」
「なにウケてんスか!!」
師匠のフィンガースナップで氷の礫が飛翔する。一発一発が銃弾を凌ぐ速度と硬度にして数千にも及ぶ弾数。それが天井のパンナトッティへ向けて雨のごとく降り注いだ。
「キャハハハハハハハ!! マジじゃこいつ! マジじゃ!」
天井のガラスは粉々に砕け、か細い肢体は跡形もなく吹き飛ぶ……かと思った。事実、そうならなければおかしいほどの威力だった。しかしガラスは砕けない。氷の銃弾は衝突と同時にパチパチと軽快な音を立て、飴玉となってピタリとガラスに張り付いていた。なおも師匠は氷の礫を打ち込むが、パンナトッティは笑い転げるままに回避していく。
礫が飴玉に変わる音に交えて高らかな哄笑は降り注ぎ、展望室を支配していった。
「お前、マジじゃな!
「遊んでる場合ッスか?」
全弾撃ち尽くし、パンナトッティが立ち上がったその場に、師匠は既にいた。天井に立つ彼女とは反対に、箒を足場に浮遊し、鼻先が触れるほどピタリと張り付く。
「わかっとらんの」
パンナトッティはペロリと舌を出し、風船のように弾けて消えた。その瞬間に師匠は床を振り返る。広場のような展望室の中心、ポツリとひとつだけ置かれた玉座の背に……猛火に包まれながらも焦げ跡ひとつない玉座の背に、彼女は立っていた。
「本気で遊ぶから楽しいんじゃろが!」
パンと柏手が鳴り響く、パンナトッティはその残響の中でくるりと翻り、小さな子供が星空を語るかのように、頭上で両手を踊らせた。
『パパパッ! パァ~ンナトッティ!』
「なんスかその変な呪文! ぐわっち!」
天井の師匠の額を何かが掠めた。固く、冷たい、自らが放ち、カラフルな飴玉と化した氷の礫だと師匠は悟る。咄嗟に指を弾き、師匠は自分の周囲に無数の箒を出現させた。盾にしたつもりだったが、しかし来ると予想した追撃が来ない。
「……マジか」
師匠が箒から顔を出し床を覗くと、飴玉はパンナトッティの傍らに集まり、猫の飴細工と化していた。猫は甘ったるそうな七色の身体をくるりと捻り、パンナトッティの肩に上り、にゃぁんと可愛らしく鳴く。
「……喰え」
フィンガースナップと同時に猫が牙を剥き、天井の師匠へ向けて襲いかかる。残響を貫き、大気を引き裂き、師匠の胸元に噛み付くと、そのまま剣へと変化し心臓を貫いた。
『パラッパッ! パァ~ンナトッティ!』
重なる呪文とともに剣は爆発する。大砲の直撃とも見紛う大爆発だった。ガラスには亀裂が走り、砕け散ってその向こうに銀色の曇天が顔を出す。飛び散るガラスには星空が輝いている所をみるに、どうやら曇天の方が本当の天気らしい。
爆風は黒いガラスを巻き込んで吹き荒れるまま、展望室を蹂躙した。
「前から聞きたかったんスけど!」
もはや、僕の脳髄がついていけない。
ともかく、無傷で攻撃を避け、いつの間にかパンナトッティの背後へと移動していた師匠は、マントをはためかせて裸身(に近い水着)を暴風に晒し、問いかける。
「『パンナトッティ』ってどんな意味ッスか!」
「カワイイじゃろ! 響きが!」
「響きの問題!」
パンナトッティが玉座の上でタップを踏む。それより早く師匠は飛び出し、駆けた。その後ろを猫が追う。玉座の影から大量に湧き出す猫の軍勢が津波のごとく展望室の床を埋め尽くし、駆け回る師匠を追尾していった。
「どうしたどうした!? 逃げ回ってたらワシを殺せんぞ小娘!」
「またテンプレなセリフッスね!」
猫の爪が師匠へ追いすがり、先頭の爪がマントの裾を引き裂いていく。一匹一匹の見てくれは愛らしい子猫だったが、その爪と牙は猛禽類にも勝る凶刃、一度猫の津波に捕まれば、たちまち飲み込まれて跡形もなく食い千切られてしまうだろう。
迫り来る猛獣の群れに追われながら、けれど師匠は楽しげに笑った。
その瞬間、氷柱の剣山が猫の群れを貫く。師匠の足跡から槍のごとく突き出し、走る床を、壁を、天井を、師匠が縦横無尽に走り回るほどに数を増していく。出現と同時に数十体の猫を突き刺し、ポンポンと間抜けな音と共に煙に変えていった。
膨大な数だった猫の軍勢を削りに削り、やがて部屋中が氷柱で埋め尽くされたその時、師匠は天井に立って玉座のパンナトッティを睥睨した。
「
フィンガースナップが鳴り響く。残響の伝播と共に氷柱は砕け、星屑の如き氷のナイフへと姿を変えた。師匠が天井を蹴るのと同時に、氷の刃がパンナトッティに向けて突進する。
「ぱぁんッ!」
だが、玉座から放たれた甲高い一喝とともに、そのナイフはさらに微細に砕け落ちた。周囲には砂粒の如く氷が飛び散り、輝く霧と化す。霧を貫き、師匠が天井から一直線に玉座へ迫るが、それより早くパンナトッティは指を弾いた。
「……流石ッ!」
砲弾の如き衝撃が師匠を襲う。紙一重に身体を捻って回避し、箒を出現させて部屋隅へ逃げる。踊るように箒から飛び降り、両手と両足で床を叩いて、師匠はまた、例の悪辣な笑みを浮かべた。
「流石ッ! 流石ッ!! ウチの魔法がまるでお遊びッ! それでこそ六大魔女! それでこそッ! それでこそッ! 倒しがいがある!」
師匠の手足から床へ黒い影が落ちる。影はそのまま水のごとく床へ広がり、広がり、師匠を中心に泉の如く展望室を侵食していった。パンナトッティの背中が見える玉座に近づいたところで、影の中からぬるりと黒い手が出現する。
ぬるり、ぬるりと泥から這い出るように、黒い手は呻き声と共に数を増し、玉座の背に立つパンナトッティへ向けて伸びていった。
「……お前、六大魔女の椅子が欲しいのか?」
師匠を振り返らず、ゆっくりと迫る魔手にも気を止めず、パンナトッティが問う。
「それほどの力……持ってて怖くないんスか? その気になれば本気でこの国滅ぼせちゃうっしょ? 帝国にもケンカ売れるかもッスね……考えないンすか? 自分がなんかの拍子に『その気』になっちゃったら、誰が止めるんだろうとか」
「考えんこともないが……まぁ、もしもワシがその気になれば、他の五人が止めるじゃろて。そういうふうに、六大魔女は結束しておる」
「ウチはそのことを信じていない……いや、この時代ッス、信じてる民がいるんすかねぇ?」
魔手が玉座へ迫る。しかし、その指先が届くことはなかった。今や展望室の床を覆うほどに広がった影は、玉座の周囲を丸く残して浸食を止めてしまう。沼からは隙間なく魔手が湧き出し、その全てが床に爪を立て、進もうともがくが、玉座との距離は、指一本分たりとも縮むことはない。
「頭の上にいつも化物がいる怖さ……アンタらはもう忘れちゃったっしょ? 怖いンスよウチも……アイツらも……だからこんなことになる。もう、さっさと引退したらどうッスかッ!」
牙を突き立てるように師匠が叫ぶと、彼女は玉座の上から振り返った。
子供のような瞳を酷く悲しい色に染めて、師匠を慰めるかのように、優しく笑う。
「やさしいのう、お前……」
パンナトッティは言葉を続ける。声には出さず、唇の形だけで、『
「……どういたしまして」
諦めをつけたかのように師匠が呟く。パンナトッティは高々と右手を突き上げ、親指に中指を添えた。ぐっと力を込めて三日月を見上げ、不意に、手を下ろす。
「……あっ」
「……『あ』?」
「あぁ~~……」
くるりとしたパンナトッティの瞳が、再び師匠を見下ろした。
瞳にさっきまでの曇った色はなく、まさしく宝石のように、あるいは悪戯を思いついた子供のように、キラキラとした輝きを放っている。おまけとばかりに彼女は両手で口を押さえ、頬をぷっくり膨らせて、茶目っ気たっぷりに笑ってみせた。
「いいこと思いついちゃったぁ……プスス!」
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