第26話 ハーニャ

「ハーニャが一番最初に体力ゼロになったんだ」


 階段を勢いよく登りながらダーシャが言った。


「ボクとアンナさんは、その後も蒸気戦車と戦闘して勝利して部屋に戻った。そこに、先に戻っているはずのハーニャの姿がなかったというわけだ。手鏡も消えてる」

「ミニパンナは?」

「探したけど見つからないの! きっとハーニャといっしょよ!」

「ちょっと待ってくれよ、足がふらつく……おっと」


 まだ酔いの冷めないリザを支えつつ、僕たちは一階から四階までを駆け上る。どの部屋のラウンジにもハーニャさんの姿はない。いよいよ五階が差し迫ったとき、微かに聴き慣れた音が聞こえた気がした。ポォンという、間抜けな破裂音だ。


「まさかとは思うけど……まさかとは思うけど!」


 アンナ嬢の祈りとともに五階へ飛び込むと、そこにはカードの海が広がっていた。

 また、ポォンと音を立てて、そこへカードが降り注ぐ。


「あ、アンナ姉さん」

「ハーニャぁぁぁぁぁッッ!!」


 ソファーにちょこんと座り、キャンディーを摘まむハーニャさんを見つけると、いの一番にアンナ嬢が飛び出した。ガシリと彼女の両肩を掴み、ブンブン前後に振り回す。


「なにやってんの? なにやってんの!? ねぇなにやってんの!?」

「あわ、わ、わぁ! 姉さんやめて、痛い痛い!」


 アンナ嬢の動揺を、ハーニャさんが苦笑で受け止める一方、僕とリザとダーシャは床を埋め尽くさんばかりのカードを呆然と見下ろしていた。これだけを出すのに、一体何回ガチャを回したのか。何枚の魔女コインを買ってしまったのか。


「な、なにかボーナスかなにかそんな感じのもので、無料でガチャできるようになったの? そうなのね? そうなんでしょハーニャ!?」

「ううん、私のおこずかいで魔女コインを買ったの」

「アンタこんなにおこづかいもらってたっけ!?」

「もらってないけど……、どうせ帰ってからの支払いだから大丈夫だよ。それまでには、パンナトッティにお仕置きしてチャラにしてもらうんだし。もしそれが出来んなくても、私のお金だから、アンナ姉さんには迷惑かけないよ」

「なんてこと……」 


 アンナ嬢がずるりずるりと崩れ落ちる。

 自分がやらかした時もかなり酷く落ち込んでいたものだけど、今度は背骨ごと砕かれたような卒倒だ。そのままハーニャさんの膝に顔を伏せ、ガタガタと震える。


「またかハーニャ……君は、またか……」


 ダーシャが両手で頭を抱え、痛みを堪えるように言葉を絞り出した。


 ハーニャさんの友人である彼女が『またか』と言うからには、過去にも彼女は似たようなことをやらかしているのだろう。金銭に関わることか、それ以外の損失に関わることか、その両方か。


「ハーニャ、どうしてこんなことしたの? これ以上お金使わなくても大丈夫なようにって、みんなで頑張ってたの分からなかった?」

「分かってたけど……でも、えっと……」


 ハーニャさんは膝で泣きじゃくるアンナ嬢から視線を上げ、遠目に僕を見る。


 全く邪気のない、悪意もない、慈愛に満ちた瞳で僕を見て、猫の悪戯でも見るように、苦笑を浮かべる。


「みんなが、困ってたみたいだから」


 ハーニャさんが指を打ち鳴らした。その途端に風が吹き抜ける。アンナ嬢の髪を揺らし、ダーシャをよろめかせ、リザを避けて僕の方へ。風は僕に衝突した瞬間、植物のツルへと変化して、蛇の如く胴と両腕を締め付けた。


「……ッツ!」

「魔法は使えないはずだろ!」


 リザが僕の前に飛び出し、ハーニャさんに対してトンファーを構える。そのリザの前にダーシャが立ち、背中で彼女を制した。


「パンナトッティの設定した魔法なら、この部屋でも使える。君のトンファーとか、ボクの回復魔法みたいにね。ハーニャ、なんのつもりか説明できるね?」

「うん……このままだと、みんなギクシャクしちゃうから、私が頑張って早く終わらせた方がいいかなって思って」


 生徒を指すように問うダーシャに、ハーニャさんは平然と答える。そして、僕に向かって両手を合わせた。


「ごめんね、トータくん。貴方のこと、みんな怖がってるみたいだから……しばらくそうしててくれるかな? ちゃんと後で、お詫びするから」


 まるで、飼い犬を鎖に繋ぐかのような言い草だった。


「この人は、前からこうなのか?」

「あぁ、こうなんだ……小さい時からね、こういうことばっかりだ」


 ダーシャの言葉で、僕がハーニャさんのレベル上げをためらった理由、あの時感じた嫌な予感の正体が、ようやくわかった。


「そうか……アナタは、そうか……身内を守るためなら手段と代償を問わない種の、そういう種類の善人か……」

「……他人だったらいいけどね、身内にいるとはた迷惑なんだよ」


 僕の言葉にダーシャが肯定の溜め息を吐く。


 リザの言うようにこの人は優しすぎる。その上優秀過ぎて、責任感が強過ぎる。そうしたタチだからか、昔からその場その場の統括役を勤めてきたのだろうことは、想像に容易い。


 だから違和感を持たない。魚が泳ぐことを疑わないように。

 より多くの人物が安心で安全に過ごせる環境を作り出そうとする。

 そのことに強い使命感を感じていて、そのためだけに尽力する。

 だから、僕を拘束した。閉鎖空間の中で腕力という絶対権力を振るい、暴君と化す可能性がある僕を。ダーシャが、おそらくアンナ嬢もそのことに怯えていたから。無理矢理な形を取ってでも権力を取り戻し、統括者に返り咲いたのだ。


 みんなにとって、安心で安全な空間のために。

 事実、この状況は僕にとっても安心で安全だった。


 内に潜む欲望と戦う必要もない。あるいはどこかで勘違いを起こして、誰かにあらぬことを要求していた可能性を、僕は自分自身で否定しきれない。それを否定することは自分の性別を否定することだ。


 この閉鎖空間において、優しいハーニャさんが絶対なる統括者として存在するこそ、全員にとって一番安心できる安全な状況だった。どこまでも正しくて優しい状況だ。


 けれど、そのために支払った代価は重い。


「魔女コイン、まだ買いますか?」


 ハーニャさんの肩から、ミニパンナがひょっこりと顔を出す。


「いらないですよ、ハーニャさん。今出した分のカードを使って、貴方のレベルを上げてください。それで、登れるところまで登るんです。貴方が勝てない相手に出会ってから、また考えればいい。これが一番、効率の良い方法です」

「うん、わかった。ありがとう、トータくん」


 ハーニャさんは屈託のない笑みを浮かべて言った。


「すぐ、自由になれるように私が頑張るから、ちょっとだけ待っててね?」

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