第25話 リザの見解
僕はそのまま一階で休憩、という名目で、考えをまとめさせて貰うことにした。
可能性は低いつもりだけど、一番怖いのは僕自身の暴走だ。アンナ嬢に拳銃を渡した事である程度の抑止力を得たとはいえ、正直、武装相手との格闘戦も訓練している。素人の拳銃くらいなら、なんとか出来てしまうだろう。それに、彼女が別の事情で弾を使い切ってしまうケースも存在している。僕が僕自身を制御しなければいけない状況には、変わりなかった。
そして、人間は人間が思うよりも動物に近い。敵に勝つ度に自分の強さを錯覚し、野性的な高揚感を得てしまう。そのため、戦いの後『昂ぶる』という副作用を抑えられない。僕が戦闘行為を行えば、それが積もり積もって火種になりそうで、怖かった。
つまるところ、安全装置の壊れた拳銃は、動かさないに限るのだ。
攻略計画については、ひとまずは、リザがキャンディを集めることになっている。その先のことはまだ考えている最中だ。ハーニャさんとアンナ嬢には、極力触れないのが賢明だろうか。だとすれば、ひたすらリザのレベルを上げて突破できるところまで突破するか……何階まであるのか分からないけど、時間の猶予もまだあるし、中盤戦と考えれば許せる采配だろう。
「トータ、起きてるか?」
「……リザ?」
ソファーに身を投げ出して考えを巡らせていると、不意にリザが二階の階段からひょっこり顔を見せた。
「キャンディ集めは? 休憩?」
「三人が変わってくれるって。いいもん手に入ってさ、飲もうぜ!」
リザは後ろ手に隠していた酒瓶を取り出し、少年のような笑みを浮かべた。。
三階の敵であれば、非効率的とは言え、三人で挑めばなんとかなるだろうと思うけれど……それはさておき、リザの手にそれはどう見ても麦酒にしか見なかった。
「買ったのか?」
「あの部屋の呪術師が落としていったんだよ。ミニパンナに聞いたら、たまに食物のカードも出てくるんだってさ」
リザは部屋に備え付けの食器棚からいそいそとグラスを取り出し、ソファーの前のテーブルに並べる。
「こんな状況でお気楽な……」
「オレは魔女コインっつーの? 買ってないしな」
「時間内にクリア出来なかったら、お人形にされるらしいよ?」
「よく分からねぇけど、金持ちに飼われるなら前よりマシだよ」
リザはケラケラと笑ってグラスに麦酒を注ぎ、ぐっと仰ぐ。未成年に見えるが……ルーシェでは十八歳から飲酒を認められているし、親の監督があれば十歳でも飲んでいいらしいから、まぁ、ギリギリ問題ないか。
「ぷはぁッ! いい酒だ……ほれ、お前もヤれよ。アンナもダーシャもハーニャも麦酒は飲まないっていうから、お前の所に持ってきたんだぞ」
「独り占めしようって気はないのな」
「酒っていうのはな、手に入れたら配るもんなんだよ。そうすりゃ別の奴が手に入れた時もおこぼれに預かれる」
リザは僕の前に置いたグラスに麦酒を注いでくれる。光り輝く黄金色の液が瞬く間にグラスを満たし、綿雲のような白い泡がみるみる膨らんで淵からあふれ出んとする。思えば、屋敷を出発してから何も飲んでいなかった。たまらず喉が鳴り、気づいた時には手を伸ばして、一気に干していた。
「……美味いな」
「おぉ、いい飲みっぷりだな」
リザは調子よく二杯目を注いでくれる。自分の方にも注ぐと、酒瓶の中身はほとんど空になってしまったが、それでも彼女は嬉しそうだった。
「麦酒、好きなのか?」
「好きだね、滅多にありつけないけど……こんなあったかい部屋で、フカフカのソファーで飲めるんだ。こんなに美味いことはない」
今度は大事そうに、口を濡らす程度に麦酒を舐め、リザはまた笑った。
僕やアンナ嬢はガチャによって資産を失い、ダーシャは状況を判じて暴力を危惧し、ハーニャさんは見えない戦火の渦中だという一方、リザの実直な笑顔は、気が抜けるほど爽やかだった。それも、失うものがない強さだと思えば少し儚くも見えるけど、今は頼もしい。
「そうか、君だけはこのまま帰っても、昨日と同じ日常に戻るだけなんだな」
「そんなワケねぇだろ。一度貴族に雇われちまったんだ。もうあの界隈じゃ商売できねー……いや、場所を変えてまた商売するだけか。変わらないかもな。お前は戻ったらどうすんの? よくわからねーけど、貯金使い果たしたんだろ?」
「あぁ……全く愚かなことをした」
そういえば、例の『ものすごい水着』を試したい欲望に駆られてガチャを回しまくってしまった訳だが、この状況ではもはや叶わぬ夢だろう。本当に、本当に愚かなことをしてしまった。
「パンナトッティがお金を返してくれるかどうかだけど……本当に帰ってこなかったら一文無しだな。アンナ嬢のアパートもなくなるだろうし……軍に戻るのが妥当か」
一応、予備役中だし、北壁は常に人手不足だから、僕から帰りたいと言えば受け入れてくれるだろう……帰るワケにはいかないけど。
「ふ~ん、なんだよ、一緒に暮らそうとか言ったくせに」
「まだ根に持ってるのか」
「当たり前だろ」
リザは僕に頬を向け、唇を尖らせる。
「あんなこと言われたの初めてだし……」
「そりゃ悪かったな」
リザは僕を刺々しく睨み、麦酒を一口舐めた。そして階段の方をチラリと見て、声を小さくして別の話を持ち上げる。
「ハーニャは、なんか問題があるのか?」
「どうして?」
「お前も、アンナもダーシャも警戒してる」
リザは半分ほど残ったグラスをテーブルに置き、身を乗り出すようにして僕の目を睨んでくる。野生の動物が、五感を研ぎ澄ませて獲物を探るかのような殺気を、ビリビリと全身に感じた。
「オレに隠し事してるだろ?」
「あるかもね……隠し事と言っても、今日あったばかりの仲だろ。沢山あるんじゃないか?」
「それはお前も同じだろ。オレとお前でなんの違いがある。なんでお前は知ってんのにオレは知らねぇんだよ」
ぐっとリザが身を乗り出してくる。呼気から微かに酒の匂いがした。
「僕もハッキリと知らされたわけじゃない。ただ、君も見たんじゃないのか? 彼女が蒸気戦車をまとめて破壊する様を」
「ああ、見た。すごかったぁ……」
リザはまたソファーに座り直し、残りの麦酒を煽って飲んだ。まるで傑作の映画でも見たように、天井を仰いだまま恍惚と語る。
「魔法であんなことできんのかって感動した、凄いな、アイツは……」
「そのすごい力を警戒してるんじゃないのか。もし敵に回ったら、太刀打ち出来ない」
「……は? んなワケねぇだろ」
酔いが早いのか、リザは瞼を重たげながらも言い切る。さらに先を続けた。
「アレはなんというか、『そういう類』の力じゃねぇよ……なんてーかな……すごく、そう、根本的に優しいんだ。誰かを攻撃したり出来るような力じゃねぇんだよ、根本的に!」
「そうなのか? 根拠は?」
「カン」
ほろ酔い加減の面持ちで、けれどリザは力強く断言した。
僕は麦酒を舐め、アルコールと共にリザの言葉を吟味する。
彼女の直感は、きっと無視するべきではない。
「優しいんだよアイツ、だから、そういう用途でしか力を使えないんだ。なんていうかな……わかる? 優しい力なの!」
「優しいか……そういえば、君はハーニャさんと妙にベタベタしてない?」
「あぁ……アレもほら、アイツが優しいからだ」
リザはさり気なく僕のグラスへ手を伸ばすが、僕も貰った酒を返すほど無礼者ではない。きっちりと回避し、仰ぎ飲んだ。
「チぃッ!」
「ごちそうさま。ついでに、君の話をもっと聞かせてくれ」
「なんだよ……オレはあんまり話すの得意じゃねぇぞ」
膨れながらも、リザはソファーに寝そべり、頬杖を付いて静かに語り始めた。
「お前はいなかったけど……オレさ、実は屋敷で飯食った時に、ダーシャと喧嘩したんだ。アイツ、オレのことネズミとか言いやがったんだぜ? そんときにハーニャが間に入って、なだめたり、ダーシャに怒ってくれたり……仲良くしようって、言ってくれたりさ……」
僕を武器庫まで呼びに来た時の、リザの様子が脳裏に浮かぶ。いろいろあっていっぱいいっぱいだと彼女は言っていたが、なるほど、それは大変だ。
「もう友達だよって、言ってくれてさ。そのあとも、オレのこと気遣って、出来るだけオレの側にいてくれて、ベタベタしてうっとうしかったけどさ、すごく優しいんだ」
リザへの過剰な接触も、リザが孤立しないように気遣ってのものだと思えば、少しは納得がいく。男の僕を除けば、女性陣はリザ以外貴族だし、ハーニャさんを挟んでアンナ嬢とダーシャも関係性がある。ハーニャさんがそうしなければ、リザは仕事こそ全う出来ただろうけど、孤立して寂しい思いをしていたかもしれない。
寂しい、なんて感情を慮れるくらいだから、ハーニャさんを言い表すに、『優しい』は的確な言葉だろう。
「でもリザ……それは君を油断させたり、からかって楽しむようなものじゃないと言い切れる?」
「は? なんで? 言い切れるけど?」
「根拠は?」
「かん!」
酔っ払って朱色に染まった頬を持ち上げ、小さな犬歯を見せて、リザは屈託なく笑う。根拠を求めているこちらがバカバカしくなるほど、歪みのない笑みだった。
「多分、君が一番正しいよ、リザ」
「なんで?」
空っぽになった二つのグラスと酒瓶をみやり、「カン」と答えた。
ちょうどその時、階段から近づいてくる足音に気づいた。音の軽さからして、アンナ嬢だろう。しばらく待つと、思った通り、アンナ嬢がひょっこり顔を見せる。酔っ払ってゴキゲンなリザと、さほど酔っていない僕を見比べて苦笑を浮かべた後、部屋をキョロキョロと見渡して言った。
「……あれ? ハーニャは? どこ行ったか知らない?」
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