第23話 アンナ嬢の憂鬱
さりとて、それとは別問題として、ゲームは進行させなければならない。
魔女コインを買えば進行は早いだろうけど、これ以上お金を使うわけにはいかない。ともすれば、僕がさっきまで考えていた、ダーシャを回復薬にして僕が戦いまくる作戦がシステム的には最適だけど、これ破棄だ。回復方法がキスであることが何より大きい。そんなこと繰り返していたら、僕が彼女に何をするか分からない。その程度には僕は僕を信用していない。
僕はダーシャの前から立ち去った後、代案を胸に三階に向かった。そこにPキャンディがよく落ちる部屋があったのだ。ハーニャさんが提供してくれた魔女コインに甘えて体力を回復させ、一人で何度もその部屋で戦い、Pキャンディのカードを集めて、そのカードを全てリザのレベルアップに注ぎ込んだ。
「っていうか……僕の知らない間にも少しレベル上がってる?」
「お前が一人で上に行ってる間に、ダーシャと一階で試してたんだ。それより少し休め、動きっぱなしだろお前」
リザのレベルは僕の知らない間に『10/20』まで上がっていて、僕が稼いだ分を加えると、すぐに『20/20』まで到達することが出来た。『覚醒』の素材も都合よく揃っていたので、彼女が自分で手鏡を取って、迷うことなく『覚醒』を押す。
「……おっと?」
ポォンと薄い煙幕がリザを包み込んだ。
元々、ホルターネックの黒いドレスで、肩も背中も露出し、スカートにも深いスリットが入って、誰よりも露出度が高かったリザの衣装だ。『覚醒』するとどう薄着になるのか、淡く期待していたけれど、しかして武器が現れただけで服装に変化はなかった。残念やら、ホっとしたのやら。
「なんだこれ? どう使うんだ?」
「……トンファーみたいだね」
現れた武器は、持ち手の付いた短い棒が二つ。近接最強の武具とも名高いトンファーだ。使いこなせばリザの戦闘スタイルにもよく合うだろう。北壁にいた頃、この手のマニアがいたので多少の使い方は学んでいた。
「使い方、教えようか?」
「いや、いい。なんとかなる」
リザはトンファーを握ったまま構え、空中に鋭く乱打を浴びせる。かと思うとトンファーを回転させながら身を翻し、後方への牽制やリーチを伸ばしての打撃もやってみせた。天性の格闘センスが成せる技か、初めてとは思えないほど動きが鋭い。
「なんとかなりそうだ。今度はオレ一人で行ってくる」
「気をつけてね」
「負けても死なないんだ。何を気をつけろってんだ」
リザは口笛を吹きながら戦闘部屋に入っていく。本当に頼もしい存在だ。
彼女のおかげで、僕は心置きなく、もう一つの問題に挑むことが出来る。
「……アンナ嬢、少し、ご相談があります」
「ふえ? なによ」
同じ部屋にはアンナ嬢とハーニャさん、僕に遅れてダーシャも降りて来ていたので、全員が揃っていた。僕は他の二人に「ここで待っていて欲しい」と断りを入れてから、アンナ嬢を手招きして、無言で階段に爪先を向ける。
「なになに? 内緒話?」
「少しだけ、確認したいことがあります」
部屋を振り返ると、ハーニャさんはオロオロとまごつきながらも僕へ視線を送り、ダーシャは怪訝そうに眉を寄せて僕を睨んでいた。居心地の悪さを感じながらも、僕はアンナ嬢を引き連れ、二階へ向かった。
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僕が僕という『記号』を正しく認識した瞬間、僕は彼女の言葉の真意を悟った。
僕には可及的速やかに、そのことについて確かめることにした。
僕はこの極めて限定的な環境下において、他の四人の誰でも構わず何かを行えるだけの武力を保持している。ダーシャが指摘したそれは間違いなく事実だ。
僕はもちろん、四人の誰に対しても何かを行うつもりは毛頭ない。現時点においては、この先、何らかの要因で精神的に追い詰められることがあっても、僕は最後の最後まで理性的、紳士的に働き、他の四人が無事に帰れるように努めようという意思を持っている。よほどのことがない限り、僕はその意思に従い続けるだろう。その程度には、僕は僕を信用している。
だけど重要なのは、その『よほどのこと』が高確率で起きそうなこと。
その場合、僕の現在の意思を信用する人間が、僕を含めて誰もいないということだ。
おそらく、アンナ嬢もハーニャさんも、僕の思う意味では僕を信用していない。
僕の持っている『極悪非道の北壁軍人』という肩書きのみを見た場合、僕の印象は『僕の知る僕』からガラリと変わり、それと同時に、他者から期待される働きにも変化が生じてしまう。
『僕の思う僕』と、『他人から見た僕』。
そこに差異があることに、今の今まで気付かなかった。
果たして、彼女はどの『僕』に『何』を期待して仲間に加えたのか。
現状を踏まえて考えれば、答えにはすぐ行き着いた。
「正直、どう? 攻略は進んでるの?」
念には念を入れて一階まで降りると、アンナ嬢はソファーに座り、自分から口を開いた。僕は少し距離を取って立ち、彼女を見下ろして返答する。
「少し、手詰まり状態です。リザのレベルを上げれば突破口も見えるかと」
「そうなのね……ごめんなさい、最初に私がぐずっちゃったから、アンタに預ける形になっちゃって。私たちもこのゲームのルールは把握したつもりだけど……多分、アンタの采配が一番の近道なんだろうと思う。ダーシャもそう言ってたし、もうしばらく頼る事になるわ。お願いね?」
「はい、どうも……」
「それで、話って何?」
アンナ嬢は脚を組み、深くソファーに背を預けて上目遣いに僕を見上げる。無邪気な子供っぽい外見とは相反する、狡猾な淑女が瞳に宿るようで、自然と僕の背筋も伸びた。
「気になることがあります。返答する必要はないので、お聞きください」
「なによそれ? 私は聞いてるだけでいいの?」
「はい、僕の考えを聞いて下さるだけで構いません」
「ふぅん?」
アンナ嬢は頬に指を当て、コロリと首をかしげる。
愛らしく疑問符を浮かべるような仕草ではなくて、見世物を品定めする上客のような、威圧的な仕草だ。腹の底を探るような視線と微笑を浴びながら、僕は立ったままアンナ嬢に告げた。
「今年のマルタ祭に、最初の貴族が呼ばれたのは一か月前、とのことですが……はたして、それほどの時間があって、内容が全く流布しないというのは、有り得るのでしょうか?」
「……そうねぇ」
アンナ嬢は目を細め、刺々しく僕を睨むように視線の質を変える。
構わず僕は続けた。
「ある程度の情報、例えば、『途中で魔法が使えなくなる』程度の情報を、アンナ嬢は事前に得ていたのではないでしょうか。その上で、元軍人である僕を連れてきた」
アンナ嬢は僕に付属する『元軍人』という記号、その中でも悪辣な種類である『北壁帰り』という肩書きを理解していながらも、僕に部屋を貸し与えた。その上、僕を仲間の一員としてこの祭りに誘い、銃まで与えた。さらには、そんな危険な肩書きの男に、身内の美しい娘を指して、「何をしても許す」なんて言葉を与えた。
悪漢に生活の場を与え、拳銃を与え、有利になる環境を与え、さらに煽る言葉を与え、アンナ嬢は『僕』に何を期待しているのか……ここまでくれば僕でも分かる。
もちろん、その期待には絶対に応えたくはない。
その一方で、その期待に応えた場合における報酬、すなわち『魔女への貸し』と『信用』は、僕にとって垂涎ものだった。
だから、僕はまず、アンナ嬢の真意と意思の強さを確かめなければならない。
「……アンナ嬢、僕はアナタのことを恩人と思っています。アナタが僕に望むのであれば、僕はどんなことにでも尽力するでしょう。けれど、そうでない限り、僕は、手荒なことには手は出しません。出したくありません。もしアナタが僕に、何かを期待しているのであれば、それはアナタの口から僕に命令してください」
「……あらまぁ」
アンナ嬢は唇に手を当て、少し黙り込んだ。先ほど、返答の必要は無いと言った手前、僕からの話はここまでだったが、僕は彼女が次の言葉を放つのを、その場に直立したまま待った。
「……見返りが欲しいってことかしら?」
沈黙を破り、アンナ嬢が顔を上げる。
その瞬間に、どくりと心臓が昂ぶった。
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