第17話 とりまガチャれい!③

 数分後、そこには地獄が広がっていた。


「……きゅぅ~~~」


 アンナ嬢はソファーの上で真っ白に燃え尽き、ネズミの断末魔みたいな喉笛を鳴らしている。周辺は床を埋め尽くさんばかりの雑魚カードで溢れ返り、網タイツの足首まで埋まってた。流石に不憫なので、せめて元のドレスに戻してあげようと手鏡を奪いに手を伸ばしたところ、ガシリと抵抗を受ける。


「……待って! 次で……次で絶対出るから!」

「出ません! もう出ません! 諦めましょう!」

「だってダーシャは出たもん! ダーシャは出たもん!」


 グイグイと手鏡を二人で奪い合う。

 あれから何十連、いや、百連はとうに超えているだろう……


 三十連くらいで『【☆☆☆☆】蒸気機械技師・ダーシャ』が出たのだ。こちらは技術者のイメージなのだろう、シャツにジャケット、ハーフパンツというボーイッシュな出で立ちで、首にはゴーグルまで巻いている。本人の反応が楽しみなところだけど、思ったとおり、寝ているまま出てきて、今もベッドの上で安らかに寝息を立てている状況だ。


 ともあれ、そのダーシャがアンナ嬢のブレーキを壊したのだ。彼女さえ出なければ、ガチャを回しても出るわけないと思うことが出来たのだろう。けれど、出てしまった。回せば出ると彼女に教えてしまった……一度甘い蜜を吸ってしまった彼女は、もう戻ることが出来ないのだ。


「出るから! 次で絶対出るから! ほらもうたんまり使っちゃったし、あと十回分増えたって同じだってば!」

 グイグイと手鏡を奪いにかかる彼女は、完全に目がイってる。

「ミニパンナ! この人がいくら使ったか教えてやれ!」

「はーい!」

 ミニパンナがアンナ嬢の体をよじ登り、ゴニョゴニョと耳打ちした。

「ぴぎゅぅッッ!!」

 聞いた瞬間にアンナ嬢は跳ね上がり、ソファーに倒れ伏す。哀れな……

「だいじょうぶですか? きゃう!」

「……ちょ、ちょっとちっこいパンナトッティ? ほ、本物のンナトッティを倒せば! このお遊びに最後まで付き合えば全部チャラになるのよね! コイン代とか請求されなくて済むのよね!?」

「すみませんが?」


 アンナ嬢に飛びつかれ、首を絞められたぬいぐるみの、目と口があるだけの顔に、黒い影が落ちた。


「お買い上げになった魔女コインの代金は、きっちりお支払いいただきますが?」

「でも、でも……私の家にはそんなお金……」

「売れるものは全て売ってあげます、まほーの力で、ピューンと」

「……~~~~」


 今度は橋桁が軋むような音が、アンナ嬢の喉から漏れた。

 あぁ……それはまるで、彼女の心が崩れ落ちる音のようだ。


「……ウソ、私いつのまに……アクショーノヴァ家の財産が、え、ちょっと待って、ヘソクリ合わせてもそんな金額……馬を売り払って、家財道具も……お母様の指輪、いえ、ダメよあれだけは……土地、アパートも全部売って……それでも足りる?」

「アンナ嬢……」


 放心状態のアンナ嬢から手鏡を引き抜き、取り敢えずバニー姿から元のドレス姿に戻してあげた。


「落ち着いてください。重要なのはこのゲームをクリアすることです。ミニパンナ、現状のままゲームをクリアした場合、つまり、パンナトッティにお仕置きとやらをすれば、お金は返らずとも残りの二人も帰ってくるんでしょ?」

「はーい! おかえしします!」

「それどうして先に言わないの!?」

「お聞きにならないので」

「『次でどうせ出るから』とか言って回すから……」

「あぁぁ……あぁぁ……」


 アンナ嬢はガクリとうな垂れ、プルプルと震え、そのままパタリと力尽きる。


 僕は取り戻した手鏡を覗き込み、ガチャのアイコンを睨みつけた。

 実を言うと、日本にいた頃この手のゲームにドハマりしてしまい、お年玉を一瞬で使い切ってしまった経験があるのだ。その経験が色々と、幸いだった。子供でクレジットカードが使えず、今のアンナ嬢のごとく大変な額を使ってしまうこともなかった。同時にギャンブルの危うさも学び、遠ざかることが出来て良かったと思っている。失敗は若い内にしておくものだ。


「私がなにしたっていうのよ……どうしてこんなことするの……」


 咽び泣きながらアンナ嬢がひとりごちる。

 確かに、そもそもやらない、途中で諦めることの出来るゲームと違い、このマルタ祭は強制参加にして人間を強制没収だ。そしてこの手のゲームを元にしているならおそらく、『そういう作り』……つまりは、『なかなか狙いのカードが出ないけど絶妙なタイミングで出る作り』にもなっているだろう。


「……カワイイ顔してやることエグい」


 なぜ、わざわざパンナトッティがこんな手の込んだことをするのかは分からないが、とにもかくにも、これ以上アンナ嬢に負担を掛けるわけにはいかない。あのアパートが無くなっては、僕に住処など無いのだ。


「元気出してくださいアンナ嬢、帰ったら僕の貯金をお譲りしますので、それを元手になんとかして下さい。はした金ですが、ないよりマシでしょう」

「ウソ!? なんで!? いいの!?」

「家賃の先払いですよ。あそこがなくなっては僕も困りますから」

「トータ……」

 飛び起きたアンナ嬢は涙ぐんで僕を見上げ、右手を差し出してくる。

「約束よ? 絶対だからね?」

「はい、お約束します」


 僕はその右手を取って細い指に口付けた。

 帝国や、さらに西の方では男性から女性への挨拶を意味するジェスチャーらしいが、ルーシェではもっぱら女性から男性に誓いを要求する意味がある。本式では、女性が指に血をにじませ、男性がそれを舐めるらしい。


 どうせ僕の貯金なんか、使うアテのなかったお金だ。アンナ嬢なら役立ててくれるだろう。


「……さて、どうするかな」


 アンナ嬢と約束を交わしてから、再び手鏡を覗き込んだ。


 今のやり取りで思い出してしまったが、そう言えば僕にはかなりの額の貯金があるのだ。それなりにガチャを回せるくらいに。一応ながら、現在の戦力的にはアンナ嬢とダーシャの二人がいて、同じく☆四の仲間カードが五枚ほどある。『スチーム・ソルジャー』とか『妖術師グラビャンカ』とか、中々に格好よかったりセクシーだったりするので、多分、それなりには戦力になるのだろう。


「…………さてさて、どうするかな」


 僕は直立不動のまま、内から湧き出るドス黒い欲望と戦っていた。


 理想を言えば、もうガチャには触らず、このままの戦力で行けるところまで行くべきだ。まだ戦闘とやらも試していない。しかして、僕の内に潜む欲望がガチャを回せと訴えかけてくる。


 なぜならそう……だって憎らしいことに、お着替え機能があるのだ。


 しかもアンナ嬢が乱回転させたせいで、既に『☆☆☆セーラ服』とか『☆☆☆ナース服』とか『☆☆☆☆チャイナ服』とかが揃いまくっている。おのれパンナトッティめ、ゲームを日本から持ってくるのはいいが、同時にいろんなダメなものまで持って来てしまったらしい。『☆☆☆☆ビキニアーマー』とかどういうことだ。アンナ嬢やダーシャに着てもらうことも出来るけど、せっかくなのでリザとかハーニャさんにも着せたい。そんな欲望がグツグツと煮え滾っている。


 特に気になるのが、悔しくも出てしまった『☆☆☆☆☆ものすごい水着』だ。


 なんだ、『ものすごい水着』って……アンナ嬢の下着よりものすごいのか? イラストが書かれていない上に、アンナ嬢やダーシャには装備出来ないらしい。誰だ、リザに装備できるのか? それともハーニャさんか?


 ……どんな、どんなものすごさなんだ!


「ミニパンナ、僕のお金で魔女コインを三十枚チャージだ」

「あーい!」

「ちょっとトータ! 何するつもり!? ダメよ!」

 アンナ嬢が飛び起きて僕の腕に飛びつく。

「大丈夫ですよアンナ嬢、この三十枚キリです。どうせハズレしか出ません。これはね、僕が諦める儀式なんです。こうでもしないと、欲望が抑えられないんです」

「でも……」

「大丈夫ですよ、十回分くらいなら、貯金もそんなに減りません。誓いを立てた身ですが、ほんの少しだけワガママを言わせてください」


 締め付けるアンナ嬢の腕を振り解き、僕はガチャの『十回』にタッチした。鏡の中でガラクタ箱がひっくり返り、一つの歯車にズームインする。くるくる回る歯車は徐々に回転を緩め、光り輝いてカードの形に変化した。



――『☆☆☆☆ 格闘魔女リザ』



「なッ……」

「ウソッ……」


 僕が声を漏らすと、察したのか、足元でアンナ嬢が戦慄の面持ちを浮かべる。

 スポポポポーンと間抜けな煙幕とともに、黒いドレスに包まれたリザが現れ、空中でクルリと回って華麗に着地した。


「……っと、あぶね! ビックリしたぁッ! なんだここ!」


 リザは目を丸めて立ち上がり、僕たちを眺める。

 僕の中で、カタリと何かが外れた音がした。


「……いける!」

「だめぇぇぇ――!! 私の! アンタの貯金アタシのだから!」


 かくして、地獄のガチャ沼は深まっていった。

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