第12話 盤面と駒
「もし意識してないなら、リザも聞いておいて欲しいんだけど……」
そう前置きしてから、アンナ嬢は語ってくれた。
「私たちが使える魔法は二種類あってね。生来の才能や家系の恩恵で『ここまでは使える』っていう魔法と、それ以上の魔法。前者は火、水、風、土、どれかの形として現象化することが出来るわ。私の水、リザの火みたいにね。普通はどれか一つに特化していくの。これは、使えば疲れるけど、体力みたいなもので寝れば回復するから、使えるだけ使えばいい」
話しつつ、十字路に差し掛かると、僕たちは壁に出現したポスターを睨んで、それがある方へ曲がった。アンナ嬢は続ける。
「でも、油断ならないのが『それ以上の魔法』よ。私たちが身の丈以上の魔法を使おうとすれば、『六大魔女の誰か』から『力を借りる』ことになる。言うなれば借金ね。そしてこの『魔力の借金』は、決して返すことが出来ない。借りすぎれば、六大魔女に身体を乗っ取られるとも言われているの」
「あぁ、そう言えば貧民街のジジイもなんかそんなこと言ってたような……」
また十字路に差し掛かると、壁伝いに続くポスターに沿って左へ折れた。
僕はその場に居合わせなかったけれど、おそらくハーニャさんが残りの二輌を壊した直後なのだろう、パンパカパーンとラッパの音が鳴り響き、また陽気な少女の声が降り注いだのだ。
『デモストレーションクリアおめでとぉぉぉ!! それでは諸君らを我がパンナトッティ城に案内してやろう! 五つの鍵を持ってポスターをたどるがいい! これからが本番だゾ! キャハハハハハハ!!』
ポスターは高笑いが消えた瞬間に出現した。通路の鉄の壁に、いつの間にか貼られていたのだ。僕の背丈ほどある巨大な写真ポスターで、小さな女の子がキャピッっと言わんばかりにあざといポージングを決めている。黒いミニスカートのドレスに黒いとんがり帽子、まつげが長く、手足が細く、悪戯好きそうな可愛らしい女の子だったが、あざと過ぎてなぜか腹が立ってくる感じがある。それが片側の壁にだけ一直線に、何百枚も並んでいるので、うんざりしてしまいそうだ。
「コイツから、知らない内に借金してるかもしれないってことか?」
ポスターの少女を見上げてリザが言った。どうやら、というか、どう考えても、この写真の少女が六大魔女が一人、パンナトッティこと『愉悦のマルタ』その人なのだろう。
「大丈夫よ。借りるときはそれとなく分かるから。魔法を使おうとしたときに、なんかイヤ~な感じがあるのよ。他人からお金を借りるみたいな、イヤ~な感じが」
アンナ嬢はわざとらしく顔をしかめ、おぇっと舌を出して見せる。
さっき、蒸気を水玉にして戦車にぶつけていたのは、つまりその借金魔法なのだろう。もうやりたくないと言っていたのは身体が辛いからじゃなくて、六大魔女に借金したくないという意味だったのか。
「それじゃ、ハーニャさんのアレも?」
「ううん、そんなことないよ? 私はちょっとだけ力が強いみたいだから」
まるでジャムのフタでも開けたように、軽い口調で彼女は言う。
どう見てもアレはちょっとどころではないだろうと思い馳せ、ふと師匠の背中が頭の中をよぎった。それをハーニャさんの背中に重ねる。あるいは僕がこの人に惹かれたのは、内に秘めた底知れない力に師匠の面影を見たからかも知れない。
「さっきは、高熱でボイラーの水を全て蒸発させたように見えました。それに、風でなにかしていたようにも見えます。ハーニャさんは火と風の魔法を使えるんですか?」
「全部つかえるよ?」
あっけらかんと彼女は答える。
「全部って……優れた魔女でも一つか二つなんじゃ?」
「ハーニャは特別なのよ。昔っからなんでも出来たし、天才中の天才なの」
「そんなことないよ~」
アンナ嬢の賞賛も、ハーニャさんはのらりくらりと受け流す。
酷く不気味な感じがした。その気になれば、軍隊でも相手にできるだろう力の強大さもそうだが、その力を誇示するでもなく、ただ子供の面倒でも見るように、必要な時に必要な分使うだけ。人間離れした無欲さなのか、それともあるいは、本当に「そんなこともない」のか……
「それにしても、ダーシャはトータくんになついちゃったね」
また柔和な微笑みを見せ、ハーニャさんが僕を振り返って言う。
いい加減に腕が疲れるので、僕はリュックを胸の方へ回し、ダーシャをおぶって歩いていた。(ちなみに濡れてた服はリザが乾かしてくれた。)未だにダーシャは気持ちよさそうに寝息を立てている。ペッタリと背中に張り付き、枕でも抱くように僕の首を絞めるのでやや苦しいが、背中に押し付けられる甘美な感触を思えばどうってことはない。むしろずっと背負っていたいくらいだ。
「おい、今スケベなことを考えたな?」
「何を馬鹿な! 僕は紳士だぞ!?」
「紳士は大抵スケベだ」
リザの視線が冷ややかで刺さるように痛い。なんだこのアウェー感は。
「今朝のことまだ根に持ってるのか? アレは君を傷つけずに勝利を得るためのやむを得ない手段だったんだ、わかってくれ」
「そりゃどーも。軍人さまはお優しいこった。せいぜいその学生と仲良くな」
「お、どうしたヤキモチか?」
「ぶっ飛ばすぞ」
「イチャついてんじゃないわ!」
アンナ嬢とリザの二人から睨み飛ばされる。もう少し大人しくしているべきか。
「……さて、どうやらココみたいね」
ポスターの列を追いかけて歩き続け、重々しい鉄扉に辿り着いた。ひと目で城の入口と分かるほど巨大で、さっきの人型戦車の三倍は高さがあるだろう。幅も通路の半分ほどある。
「鍵って本当にコレでいいのかな?」
ハーニャさんが鍵を取り出して掲げる。戦車を破壊した後、気づいたらポケットに入っていたらしい。南京錠に使われるような形で、人差し指程度の大きさがある。
「他にそれらしいものもないしね、五つあるんでしょ?」
扉の横を見ると、胸ほどの高さに小さな扉がもう一つあった。小窓のような大きさで、オーブンの鉄扉にも似ている。そこに鍵穴が五つ、縦に並んでいた。ハーニャさんが近寄って鍵を差し込むと、カチャリと解錠する音が聞こえる。
「あと四つ……」
ハーニャさんはポケットから二本目の鍵を取り出し、また開く。三本、四本、五本目をカチャリと開場し、扉を開いた。中を覗き込むと、そこにあったのは一本のレバーだ。
「これ、どうするのかな?」
「トリガーを握って手前に引いて下さい。おそらく、開門装置のスイッチでしょう」
「えいやっ」
ハーニャさんが躊躇なくレバーを引くと、どこかでガチャリとギアが動く音がした。それと同時にけたたましい音を上げて巨大な鉄扉が動き始める。僕らを招き入れるように、奥へ。ゆっくりと開門して、ようやく人一人が通れる程度の隙間を作ると、そこで停止した。
「蒸気ってすごいね、棒を引くだけでこんなに大きな扉が開くなんて……」
「貴方の方がすごいと思いますが?」
「そんなことないよ~」
「しかしケチくさいわね、全部開かないの? 中も暗いし……」
「リザ、先に行って光ってくれ」
「人をランプ替わりにするな。お前が先に行け」
「私が先に行くよ。みんなは後から付いてきて?」
ハーニャさんが先陣を切って進み、リザが無言でその後に続く。僕がその後に続いて歩き出そうとすると、不意にアンナ嬢が袖を引いた。
「トータ……少しいい?」
「なんでしょう?」
「ハーニャに気をつけて」
アンナ嬢は険しい表情で僕を見上げる。
これまで聞いたことないほど真剣な声色だった。背中で寝ているダーシャがいるとはいえ、わざわざ二人で話せるタイミングを狙ったくらいだ。それなりの意味が有る言葉なのだろう。
「どういう意味ですか?」
「気をつけて、という意味よ。この先、何が起こるか分からないから、あの子がどうなるか分からない……あの子、『危ない』のよ。これだけは伝えておくけど、万が一の場合、貴方がハーニャに『何をしたとしても』、私は貴方の味方をしてあげる。いいわね?」
繰り返し言葉の真意を問いそうになったが、その前にアンナ嬢は走り出し、扉の向こうへ消えてしまった。戸惑いつつも、ダーシャを抱え直して僕はその後を追いかけた。
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扉の向こうは闇だった。アンナ嬢の姿は見えず、火の魔法を使えるはずのリザや、ハーニャさんの姿も見えない。ダーシャの寝息だけが耳をくすぐっている。
正面の先、かなり遠くに光が見えているので、それに向かって、僕は歩いていた。
「……怖いな」
僕は歩きながら、僕の中に渦巻く得体の知れない怖さと気味の悪さについて考えた。どうにも違和感のようなものが付きまとっているのだ。
リザはわかりやすい。
急遽雇われた傭兵的立場で、僕のこともアンナ嬢や他の皆についてもある程度の疑いや警戒を飛ばしている。わかりやすくて信用できる。
ハーニャさんは不気味だが、底が知れないという点では扱いやすい。あれほどの力、雪崩のようなものだ。僕なんか抵抗さえ出来ないだろうから、警戒するしかない。
ダーニャはどうだ。興味がないと言っておきながら、イチかバチかの魔法を使って僕を助けて、こんな無防備に眠りこけている。副作用を知らなかったわけではないだろう。ハーニャさんを信用しているのかもしれないが、油断が過ぎる。あるいは油断しているように見せかけているのか?
最も分からないのはアンナ嬢だ。彼女は僕への信用が過ぎる。
屋敷での一件もそうだけど、ハーニャさんに気をつけろ、何をしても許すなんて、さして話したこともない、会ったばかりの男に言えるセリフだろうか。何をどう差し引いても、身内であり強大な力を操るハーニャさんの方が彼女にとって信用が置けるはずだ。
アンナ嬢は、僕がどういう行動に出るのか、試しているような気がする。
まるでチェスの試合を進めるかのような、挑発と観察だ。僕を信用する、あるいは信用するフリをするというのも、大きな戦術の一部なのかもしれない。
考えられる可能性としては、三つだ。
先んじて僕へ信用を与えることによって、自分への信用を確立させようとしている。信用するんだから信用しなさいと彼女自身も言っていた。自分を信用させて、ここぞという所で大きく足元を崩すつもりか……
もしくは、僕が彼女からの信用を裏切ることを待っている。
そうすれば、彼女は僕に対して『何か』を行う大義名分を得ることが出来だろう。
あるいは、自分はこれほどに僕を信用している愚か者だから、都合よく扱え、という意思表示なのかもしれない。
まさか、僕の真の身元はバレてはいないだろうけど……
「……ダーシャ?」
不意に背中が軽くなった。眠っていたはずのダーシャが、いつの間にか消えていたのだ。目覚めて、自分から降りた気配などなかった。僕が気づかないほど、自然に、まるで闇に溶けて消えるように彼女はいなくなっていた。
「何がどうなってる……」
訳も分からず、耳を澄まして棒立ちする。やはりダーシャの気配は感じない。自分の鼓動が聞こえるほどだ。念のため、屈み込んで足元周辺を探してみたけど、彼女が落ちて寝ているなんてこともなかった。
「行くしかないのか……本当に何が起こるか分からないな」
僕はリュックを背中に抱え直し、光に向かって歩いた。かなり遠くに見えていたはずの光は、ぐんぐん近づいてくる。数歩も歩いていないと思えるほど早く、僕はその光に辿り付き、真っ白な世界へ踏み込んでいた。急激な明るさに眼球が痛み、何も見えないままの状態が数秒続いたが、目が光に慣れ、周囲の情景が視覚できるようになると、僕はまた自分の意思で目を閉じた。
「…………いやいや」
目を開く。思いもよらぬ光景が飛び込んでくる。目を閉じ、首を振る。苦笑を浮かべつつまた開き、閉じる。訳がわからない。
「……スマホだよな、コレ」
出た場所は赤い絨毯の敷かれた豪奢な部屋。ベッドやソファー、酒瓶の並ぶ棚や、テーブルやバーカウンターまで完備されていて、さらに僕の目の前には、さぁ取れとばかりにカードサイズの機械が浮遊していた。
やはり、スマートフォンにしか見えない。
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